「お疲れ」
 都会よりは涼しい丘の上の、しかも屋上となれば、夏の風はより強く、それだけ暑い思いをしなくてすむ。実際、俺はそこまで汗はかいていないし、それは正面に立つ藤本有にしても変わりはなかった。話をするには丁度いい、心地よい天候だった。
「あ……お、お疲れ様です」
 元に戻ったな。さながら二重人格のようでもある、ものすごい変わり様だ。ユカとも通じるところがあって、二人の違いは、ただ普段が無邪気か内気か、ということだけだろう。要するに、「本気モード」というやつが備わっているということだ。
「楽しそうだったな」
「へ?」
「いや、カードを繰る君が……さ」
 彼女は急に目を伏せて、頬を赤らめた。そろそろ……本題に入ろうか。
「そうそう。一つ訊きたいことがあるんだが……いいか?」
「えっ……。は、はい……なんでしょうか」
 俺は遠まわしなのが嫌いだ。いきなり、核心を突く。

「君は……俺が、きらいか?」

 核心すぎたかもしれない。それを裏付けるように、彼女は驚いたような表情をして、答えに詰まっている。俺は自嘲するように一度苦笑して、少し具体的な質問をよこした。
「朝、俺と目を合わせようともしないし……な。なんか悪いことでもしたのかと思って」
「い、いえ! そ、そんなことは……ないです。ないんです、けど……」
「けど?」
「なんというか……目を逸らしてしまったのは……すみませんでした」
 彼女は本当にすまなさそうに頭を下げた。そして、先のデュエルで見せたような、まっすぐで真剣な表情になって、こう言った。
「あの、ボクの話を……きいてくれますか?」
 断る理由も無い。丁度屋上にはベンチがある。柵のすぐ側にある、木製の長ベンチだ。俺は彼女にも勧めて、そこに座って、デュエルディスクを外した。同様にディスクを外した彼女は、俺の右隣に座った。
「少し、長くなりますけど……」
「ああ」
 彼女は一度深呼吸をしてから、話し始めた。
「まず、結論から言いますと……ボクは、先輩がきらいと言うわけではなくてですね、なんというか……恥ずかしい――そう、恥ずかしいんです。その……話すのが」
「それはどういう……」
「いえ、特に変な意味はありません。というか、先輩だけでなくて、ボクは……男性が、苦手なんです」
 男性恐怖症……? もしそうだとすれば、原因があるはずだが。
「ボクの家は、シングルマザーで一人っ子なんです。昔から、男性と接する機会が無くて……。それに、お母さんから、男の人は怖い、って昔から教わっていたので……」
「父親は?」
「知りません。ただ、お母さんのお腹にボクだけを残して……どこに行ったかは検討もつかないし、探したくもない、とお母さんは言っていました」
 なるほど、背景はわかった。だが、男性と接しないといっても、それは幼少のときだけだろう。小中と上がって行けば、異性との交流は多くなっていくはずだ。まあ、昔からマリとずっと一緒だった俺にしてみれば、全く想像し得ない世界観ではあるんだけどな。
「小学校の時は、やっぱり意識は拭えなくて……。でも、ひとつだけ、ボクにも男性と積極的に接する機会があったんです」
「どんな?」
「これ、ですよ」
 彼女が指したのはデッキ。そうか。カードゲーム……だな。
「お母さんも昔していたみたいで、ボクもつられて遊んでたんです。すごく楽しくて、その時だけは、恐怖感とか、恥ずかしさとか、そういうのは忘れられて、楽しかったんです」
 それで、か。この「本気モード」は。つまり、普段の藤本っていうのは、常に殻を被っている状態なんだな。デュエルの時の彼女が、恐らく本心なんだろう。確かに、デュエルする彼女はとても楽しそうだったし、浮かべた冷笑は、恐らく彼女が見た目以上に大人びていることの象徴なんだろう。そうするとユカは……? いや、今は置いておこう。
「でも……」
 彼女の顔が急に曇った。何か嫌なことを……記憶を、思い出すのを拒否するように、彼女は黙り込んでしまった。いやなら言わなくていい、と俺は言った。しかし、彼女は首を横に振った。
「中学生の、とき……です。ボク、は……」
 彼女はもう一度ためらって、しかし今度は、堰を切ったように言葉を続けた。
「……いじめられていたんです。理由は、この一人称でした。でも、理由なんてどうでもいいんです。一度始まってしまえば、ホントに、あることないこと……。いじめていたのは、主に男子でした。当然、カードをやってる人もいて……でも、その輪に入ろうとすることさえ出来ませんでした。学校に行きたくない、って思うときもありましたし、本気で自殺しようとしたこともあります。でも、お母さんに迷惑かけたくなくて……」
 彼女は一度息を整えた。その目には涙が浮かんでいた。男にいじめられていた……か。確かに、それは恐怖症になるのも頷ける。だが、到底俺には想像できない感覚だ。同情してはいけないと思いながらも、「かわいそう」という感想しか、言えそうになかった。
「真星学園に行こうと思ったのは、ボクの中学の中で、他に誰も志望しなかったからなんです。有り得ないくらいの倍率と偏差値ですから……みんな受けても意味がない、と思ったんでしょうね。誰も行かないなら、中学校とのつながりを、断ち切れると思って……。ボクがそれでも中学校に行き続けたのは、ここに入ろうという思いも強かったんです。この選択は、正解でした。おかげで、今は毎日楽しいです。友達もできました。それでもまだ……男性は苦手です、けど……」
 彼女は涙を拭って、また「でも……」と逆接してから、もう一度息を吸ってしゃべり始めた。わずかに、微笑をその顔に湛えながら。
「男の人にこんな話をしたのは、先輩が初めてです。なんか、楽になっちゃいました。長話に付き合っていただいて、ありがとうございます。これからも――よろしく、お願いしますね」
「こちらこそ。ユカやマリのこともよろしく頼むな」
 彼女は「ええ」と頷いた後、今度こそしっかりと微笑んで、ベンチから立ち上がった。ディスクとカードを持って、下の階につづく扉へと歩いていった。ドアを開く前、彼女は何かを思い出したように振り返って、大きな声で言った。
「あと!」
 今の藤本有に、ためらいというものは存在していなかった。
「これからは、『ユウ』って下の名前で呼んでください」
「……ああ。そうするよ」
 彼女――ユウは、もう一度綺麗に微笑んでから、今度こそ扉を開いて、降りていった。


 俺は少しの間、何も考えずにベンチに座っていた。そうしていると、屋上の扉が開いた。俺が目をやると、そこに立っていたのは金髪の少女、ナオだった。背は低いが、首を上げて俺を見る目は、鋭く冷たい。
「どうした?」
「女性を泣かせるのは感心しませんね。何をしたのですか?」
 女性、とはユウのことだろう。時間からして、階段かどこかでユウとすれ違ったのは間違いない。だが、その時ユウが泣いていたかと言うとそうでもなく、つまりナオは痕跡だけを見て判断したことになる。相変わらず観察眼は優れている。
「あいつは泣いてなんか無かったハズだけどな。少なくとも、ここを降りていったときは」
 だが、あえてシラを切ってみる。肯定して話を終わらせるのもつまらない。どうせ暇なんだ。
「そうですね。確かに、階段ですれ違ったときは泣いてはいませんでした。……ですが、ユウは泣いた後、声が少し低くなるという無意識のクセがあります。それが明らかに分かったものですから」
 そうだったか? 俺は全く気付かなかった。
「そう言うってことは、お前はあいつが泣いたのを見たことがあるってことか?」
「そうなりますね。最初に見たのは……彼女の、思い出話を聞いたときでしょうか」
「そうか……。なら、それと同じだよ。ユウが泣いた理由は」
 俺がそう言うと、ナオは怪訝そうな表情になり、少し声のトーンを下げて――元々低いが――言った。
「さっき、何があったんですか?」
「言った通りさ。ユウが自分の生い立ちを喋ったんだよ。それで泣いた理由は、お前なら分かるだろう」
「そう、ですか……」
 ナオは一度俯いて、普段は無表情な表情に微笑を湛えながら、感慨深そうにこう言った。
「ユウは……大きな壁を越えたんですね」
 その微笑みは綺麗だった。普段見せない表情なだけに、それだけ可愛さが増したように思われる。俺がじっと眺めていると、視線を感じだのか、ナオは顔を上げてこちらを睨んだ。しばらく見つめあっていたが、これ以上効果は無いと判断したようで、肩をすくめてため息を吐いてから、俺の隣に座ってきた。
「調子はどうなんですか?」
「具体的に頼む」
「カードですよ。大会は、どうなんですか?」
 どうなのか、と言われてもな……。とりあえず、少し過ごしてみて分かったことは、とにかく俺は弱いということだけだ。マリやヒナといった、いつも闘っていて構成やクセ、戦術が見抜けるデッキに対しては、そこそこの闘いは出来る。だが、あまり戦歴のないデッキに対してだと、須らく内容が悪い。ついでに言うと、ユカは格が違う。
「大会なんて未知の塊だろ? ハッキリ言って戦い抜けるか心配だよ」
「そうですね……ですが、そうでもないかも知れませんよ」
 そうなのか?
「あなたは気付いていないかもしれませんが……あなたは、面白いんですよ」
「は?」
「視点が面白いんです。未知のものに対して、それをどう突き崩していくか……どうすれば、勝てるのか。それが、私たち経験者とは、少し違っているんです。いや、正確には、あなたのステディがそうだと言えますね」
「ユカが?」
「そうです。彼女は、私たち一般プレイヤーとは考え方が少し違っているんですね。あなたは、高校からこれを始めたのでしょう。そして、このカードゲームをあなたに教えたのは彼女。あなたは、彼女の考え方をそのまま受け継いでいるんですよ」
 確かに、それはある。俺は高校までカードゲームとは無縁だった。そして、ユカと付き合いだしたのをきっかけに始めて、最初の内はずっとユカに相手してもらい、戦術を教えられた。俺はそれが当然の闘い方だと思っていたんだが……。
「彼女は、端的に言えば『好奇心旺盛』です。知らないものに対して、思考をフルに回転させ、対応策・打開策を組み立てていく。あなたも基本は変わりませんが、しかし、彼女にはどうしても及ばない。なぜか分かりますか?」
「経験の差、だろ?」
「そうです。最終的には、やはりそこに帰結します。経験が無ければ、せっかくの思考力も台無しです。それは、ひらめきが重要視される数学の証明問題でも、結局それに必要な定理が頭に入っていなければ、どう考えても解けないのと同じです。あなたは、ひらめきに頼りすぎている、と。そう言えます」
 ナオはですが……と逆接してから続けた。
「あなたのひらめきは、噛み合えば強力な武器となります。あなたが、初めて私と闘った時のことを覚えていますか?」
「いや……。ぼんやりとしか覚えていないな。結構前の話だろ?」
「ええ。ですが、私はしっかりと覚えています。どうです? ひとつ再現してみませんか」
「面白そうだな。まあ、暇だしやってもいい」
 ただ、問題がひとつある。それは、その当時の俺のデッキが、今とは違っていることだ。つまり、再現しようにも、カードがない。
「ああ、その点は大丈夫です。この別荘には、あらゆるカードが貯蔵されていますので。確認は取ってあります」
「知らなかった……。美崎家の別荘は格が違うな」
 俺のそんな感想は無視して、ナオは淡々と要件だけを喋っていく。中学のときからそうだった。こいつは、とにかく端的な性格だった。常に最短距離、自分にとっても、相手にとっても必要なことだけしかしない。俺は嫌いじゃないけどな。
「必要なカードは私が取ってきますから。そうですね……場所は、三階のホールにしましょう。どうせ、テーブルでやることになりますから」
「わかった、先に行ってるよ」
「ええ」
 俺は踵を返した。屋上を出て、赤絨毯が敷かれた階段を降りていく。降りた先には、すぐ前にまた階段、そしてすぐ横にはホールへ繋がる扉がある。目先の階段を降りれば二階に着くが、別に戻る意味は無いから、俺は扉を開いてホールに入った。
「あ、ソウくん」
 ホールは広い。何せ、ただでさえ広いこの別荘の、三階部分を丸ごと使っているのだから、広いに決まっている。真星学園の体育館にも匹敵する面積を誇るため、十二人が使うにはどうしてもスペースが大きく空いてしまう。特に今は、ホール内の人数は、俺を含めても全体の半分ほどしかいなかった。
 そのうちの一人、ユカは、俺がホールに入るなり声をかけてきた。壁に背をもたれさせて、暇そうに脚を伸ばしていたが、俺を目視すると同時に立ち上がり、一面カーペットの床を、たったと鳴らせながら早歩きでこちらに近付いてきた。
「どこに行ってたの?」
 無邪気に楽しそうに、しかし少し不審そうなものを見る目で、ユカは俺を見ている。 「屋上」
「何してたの?」
 まずい。気圧されている。俺は一旦ユカの肩に手を置き、息を整えてから言った。
「一年の藤本っているだろ」
「うん」
「彼女と、話をしていた」
「なんの?」
 質問は短い。それだけ、ユカの疑惑がどんどん増幅しているのが理解できる。「なんの」話をしていた、か。ここは、正直に答えておこう。真実は人を裏切らない。
「生い立ちとかな、色々事情を聞いてた」
「それで?」
 どうなった、と訊きたいのだろう。結論から言うとだな……。
「友達になった」
「そう……。ふうん……そうなんだー」
 まだダメか?
「抱き合ったりとかは」
「してない」
「キスは」
「してない」
「手つないだりとか」
「してない」
「下の名前で呼んだり」
「それは、ある」
「そう……」
 ユカは一旦目を伏せる。そして、満面の笑みになって、こう言った。
「よかったね」
「ああ」
 全く、疑り深い性格はどうにかならないものか。俺は、浮気なんて絶対にしないのにな。少なくとも、億が一ユカと俺が別れることにならない限りは。
「恋人同士の語らいを邪魔するつもりはありませんが……」
「あ、ナオちゃん」
 扉を開いて、ナオが入ってきた。手には小さめの箱と大学ノート、ディスクなどは一切身に着けていない。ナオは、顎でホール内の一角を指した。木のテーブルが置いてある場所だ。あのテーブルは……恐らく、深夜に俺とアルがデュエルで使ったものだろう。
「やるのなら早くしましょう」
「ああ」
「なにするの?」
 ユカが楽しそうに訊いた。俺が説明すると、「楽しそう」と言って着いてきた。テーブルがある場所は、窓のすぐ側にある日当たりのいい場所だった。壁に掛けられた時計をチラッと見ると、時刻はそろそろ十一時になろうかと言うところだった。
「そのノートは?」
 くだんのノートと箱をテーブルに置いたナオに、俺は訊いた。見た感じは、普通に文具店で売っていそうなB5の大学ノートだ。タイトルは英語のようで、クセのある筆記体のため読み取ることが出来ない。辛うじて、頭文字がDということと、最後に「1」という数字が書かれているのは分かるが……。
「Duel Result. 『デュエルの結果』っていう訳でいいの?」
 応えたのはナオではなく、ユカだった。 「ええ、だいたい合っています。Resultは成績という意味も含んでいますが」
「成績をつけてるのか?」
 何の成績か、といわれれば、当然TCG同好会でのデュエルだろう。確かに、野球部のマネージャーをしていたときは、率先してスコアを記録したり、あまつさえ自ら分析して、部員のクセや長所短所などを詳細に纏めているのを見たことがある。
「ええ、私のもののみですけどね」
「ふうん。どんな風につけてるんだ?」
「勝敗や相手、残りライフはもちろん、各ターンごとの行動や、使用されたカード、そしてなぜ勝ったのか、あるいは負けたのかも記録しています」
「凄いな……。まあ、昔から記憶力は良かったからな」
「それはどうも。これは一代目ですが……今は三冊目までいっています」
 ナオは、一代目のノートを開いた。すると、いきなり細かな文字列が書かれているのが見えた。きちんとボールペンで書かれているが……全て英語だ。しかも、例の筆記体。俺には全く読めない。書きやすいから、という以上に、無闇に読まれないように、という狙いもあるに違いない。
「この一代目の最初のページ、つまり同好会での記念すべき初デュエルが、あなたとのあの対戦でした。それを今から、詳細に再現するわけです」
 そういえば、あいつが同好会に入ってきて、挨拶もそこそこにすぐデュエルに突入したんだっけか……。
「なるほど。まあ、とりあえず始めようか」
「そうですね」
 ナオは頷いてから、箱をあさり始めた。どうやら、カードを取り出すようだ。程なくして、ナオは二つの束を作り上げた。その一つを俺に手渡し、もう一方を自分自身の方へ引き寄せた。空になった箱はテーブルの下にどけられた。
「それは、あのゲーム中、あなたが使用したカードが全て入った束です。こちらは、私が使ったものです」
 納得した俺を見て、それと……とナオは続けた。
「このノートは、あなたに預けます。ナレーションをお願いします」
 ナオはユカに言った。ユカは二つ返事で引き受け、ノートを受け取った。まあ、本場の英語を学んできたユカにとって、読みにくい筆記体とは言え、英語を読むことには問題ないだろう。しかし、ユカは一ページ目を開いて、途端に首をひねった。
「このIとかOとかっていうのは?」
 どうやら、本文の方ではなく、使用されている記号の意味が分からないらしい。
「Iとはそのまま『私』、Oというのは"Other"、即ち『相手』を意味します。この場合、Iとは私のこと、Oとは彼を指します。よろしいですか?」
「うん」
 ユカは納得して、椅子に座りなおした。長方形の金属製テーブルを挟み、俺の対面にナオ、そして俺から見て右側の側面にユカが座るかたちだ。
「始めましょうか」
「ああ」
 ユカは静かに頷いて、一行目を読み上げた。
「1ターン目。I、カードを2枚セットする」
 ナオは迷いなく、カードを2枚伏せた。