
「はぁ……。もう……」
ユカは踵を返し、まだ少し痛む手をさすりながら、ホールを後にした。どこに行こう、というわけではなかったが、とにかく独りになれるところが良かった。今は、怒りを抑えるのが最優先だ。
「ソウくんったら……」
ユカが選んだのは自分の寝室だった。ダブルベッドに腰を下ろし、そのまま後ろに倒れてしまおうかと思ったところへ、携帯電話の着信音メロディが鳴った。残酷な天使のテーゼである。
独りになりたいのに、タイミングの悪いことだと思いながらも、電話を無視するほど悪い性格ではない彼女は、ポケットから携帯を取り出した。
「お母さん?」
どうやら母親からの電話らしかった。ユカは電話を受けた。
『あ、もしもしユカ〜?』
「うん。どうしたの?」
『明日、定期健診なの覚えてるよね』
「あー、うん、覚えてる」
白血病の診断が下されてから、月に二、三度は病院で検査を受けることになっていた。今回の合宿とも被ってしまったので、一日抜け出して受けてくることになっていた。
『明日の朝に迎えにいくから、準備しておいてね』
「わかった」
『元気ないわね』
「へ?」
先の怒りを抑えて喋ったつもりだったのだが、気付かれたのだろうか。
『またソウくんと何かあったんでしょう』
「……うん」
この母親には何を隠してもダメだ。それを、ユカは承知していた。
『何があったの?』
「ソウくんが、他の女の子に『かわいい』って……。うれしそうに言ったから……」
『っふふ。若いわね』
「え?」
『なんでもないわ。でも、そんな小さなことで怒っちゃダメよ』
「だって……」
嫌だった。何か、彼が離れていってしまう気がして。そんなことは無いのに。でも、嫌だった。
『ソウくんだって男の子だもの。それに、そんな風にいちいち怒ってたら、本当に他の女の子になびいちゃうかもね?』
「え……?」
『「ユカは怒ってばかり。それならこっちの女の子の方がいい」って思ってるかもよ』
「それは……イヤ」
『なら謝りなさい。まあ、ソウくんのことだから深く気にしては無いと思うけど……』
「……うん。あやまる」
『よろしい。それじゃ、明日ね』
「うん。じゃあね」
電話を切り、今度こそベッドに倒れこんだ。怒りはない。だが、今度はひどい苦悩の感情が湧き出てきた。
「あやまる……かぁ」
今まで、真剣に面と向かって謝罪したことは一度もなかった。しかも、その場で謝るのではなくて、時間を置いてからだ。きっかけが無いかもしれない。タイミングを逃してしまうかもしれない。
「どうしよう……」
考えている内に、眠気が襲ってきた。温かい室温が心地よくて、抗えないまま、ユカは眠りに落ちた。
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