初-はじめてふれるこい-恋

 

 

 

 激しい雨が降っていた。

 商店街を行き交う人達も、傘をさして急ぎ足だ。

 そんな中、小さな傘が一所懸命、歩いていた。まだ幼稚園のように見えるが、ランドセルを背負っているから小学生だろう。大きなランドセルに、これまた彼女には大きな傘をさして、ふらふらしている。

 周りの人も気にしながら、どうしようか考えあぐねているようだ。

 

「……う〜……おもいぃ〜」

 両手で傘を持って、少女は半泣きだった。すぐ大きくなるからと、両親がひとまわりもふたまわりも大きな傘を買ってくれた。でもやっぱり、彼女にはまだ大きくて重い。

「ふぇっ……」

 しゃくりあげた時だった。ふいに傘が軽くなったのだ。

「わぁっ?軽くなったっ」

 きょろきょろと周りを見回してみるが、彼女の小さな視界では、何が起きたのか分からない。ただ、さっきまで重かった傘が、嘘のように軽い。

 まだ疑念を持つ年齢じゃない彼女は、今直面している問題が解決されたことで、気分が晴れたようだ。鼻歌で「あめあめふれふれ〜」と歌いながら、長靴を鳴らして歩き出した。

 

「……なにやってんだ?」

「いや、傘支えてんだろ」

「自分も傘させばいいのに」

「それじゃ、カバンが持てないじゃない」

 少女を中心に、道行く人達がそんな会話を交わす。

 正確には、少女と、彼女の後ろを歩いている少年を中心に。

 学生服を着た少年が、少女の傘の石突を掴んで、歩きやすいよう支えているのだ。随分身長差のある彼女が歩くのに支障ないよう、中腰で。

 自分の傘は畳まれたまま、学生カバンを持つ左手に収まっている。周囲の憶測通り、自分が傘を差したらカバンが持てないからだ。

 雨滴に濡れたメガネも、視界不良だろう。それでも少年は、無表情のまま、少女の傘を支えて歩いていた。

 

 八束陽波は、傘を差したまま立ち尽くしてしまった。

 少女の傘を支えて、自分はずぶ濡れのまま歩く少年に、釘付けになって。

 激しい雨音も耳に入らないくらい、その姿に見入っていた。

 彼は、陽波に気付かず、通り過ぎたけれど。

 

 彼を、陽波は知っている。

 いや、陽波の学校で彼を知らない者は、いないだろう。

 真成寺上総。優等生的な外見とは正反対に、みなから恐れられている陽波の同級生だ。

 陽波の学校は、不良と呼ばれる生徒が結構多くいる。気に入らなければケンカで盛り上がり、校舎を蹴り上げて周りが怯えるのを自分達の存在意義としているような。

 その一部の生徒が、入学早々、上総に目をつけた。メガネの奥の鋭い目つきがカンに障ったとか、廊下を歩いていて肩がぶつかったのに無視したとか、自分よりデカイとか、そんな些細なコトだったという噂だ。

 ストレートの黒髪にノーフレームのメガネ、きちんと制服を着た細身の上総は、どこからどう見ても優等生で。

 けんかっ早い上級生達は、なめてかかったのかもしれない。

 2年生の不良グループに呼び出された上総は、十数人のケンカ馴れした不良達を、いともたやすく返り討ちにした、という。

 自分達が「負けた」ことを吹聴する問題児は、そういない。だが、優等生然とした上総に叩きのめされたのがよほど悔しかったのか、彼らは上総の評判を落とすために、自分達で噂を流した。

 結果、上総は不良グループよりも恐れられる存在となり、全校から孤立する。

 もっとも彼自身は、そんなこと気にしていないようだが。

 真面目な生徒、とは言い難い。学校を休むことも授業をサボることも、よくある。授業中でも気に入らなかったら、さっさと教室を出て行く。おかげで教師も怖がって、触らぬ神にたたり無し、の状態だ。

 それでいて、成績はたいてい上位にいるから、ますます謎な人物だ。

 陽波も、彼の纏う人を寄せ付けない空気が怖くて、今まで視界に入れないようにしてきた。

 そう、今までは。

 

 

 週番の陽波は、黒板の日付と「今日の目標」を明日のものに、書き換えていた。

 隣では上総が、黒板を消している。先日、彼が休んだせいで順番がずれて、一緒に週番なのだ。

 休んだのは、もしかして風邪を引いたとかじゃないか、と陽波は思う。あの雨の金曜日の後、週明け3日間だったから。

 土日挟んで3日休んだということは、ひどい風邪だったんじゃ……。

 っくしっ

 上総がくしゃみをした。

「だ、大丈夫?」

 思わず声をかける。上総は驚いたように、陽波を見た。

「かっ……風邪、まだ治ってない……とか」

「風邪?」

「じゃ、ないの……?」

「チョークの粉、だと思うが」

 そう言われて、自分の早とちりに俯く。上総は、いきなり話し掛けられて怪訝そうだし。

 だが。

「………………なんで、風邪って」

 随分経って、上総から話し掛けてきた。そのことに驚きながら、陽波は答える。

「あのっ……傘ささないでいたから……女の子の傘支えて」

「…………見てたのか」

 わずかに顔をしかめた横顔に、身体を固くした。だが上総は、なんでもないように、続ける。

「風邪は確かにひいた。だからガッコ休んだけど……今はもう、なんともない 」

「そっか……」

 陽波は、長い腕で黒板を消している上総を、ちらり、と見上げた。話し掛けても無視されるかと思って、ずっと黙ってたけど……。

(ちゃんと答えてくれるんだ)

「あ、あのね……女の子助けて……すごいなって思ったの」

 ちらり、と陽波に視線が向けられる。

「あたしも……あそこにいた人みんなそうだと思うけど……あの子が大変なの分かってて、どうしたらいいか分からなかった。でも真成寺くんは」

「別に、大したことしてない」

「そんなことないっ」

 上総がまた顔をしかめた。陽波の大声に対してだったが、うるさいという風ではなくて。

「……すぐ隣にいるから、怒鳴らなくても聞こえる」

「あ……ごめんなさい」

「他に、方法が思いつかなかったからな。バカみたい……」

「あっ、あたしのほうがっ……バカ、だと思う」

 陽波は上総の声を遮って、思ってたことを口にした。

「……真成寺くん濡れてるから、どうにかしなきゃ、って思いながら、あたし動けなかった。真成寺くんは、あの子が泣いてるの見て、助けたのに……」

「……あんたじゃ、どうにもならないだろ」

 ため息のように吐き出された言葉。俯いた陽波に構わず、上総はぱんぱん、と手のひらのチョークの粉を払い落とした。

「もし、あんたが俺に傘をさしてくれたって、その身長じゃ、あんたが濡れる」

「え……」

「そうしたら、あんたが風邪ひいてた」

 陽波は目を見開いて、上総を見上げた。

 夕焼けに光る窓を背にした彼と、視線がぶつかる。

「あんたが風邪ひかなくて、よかった」

 何かが耳元を掠め去ったような、大きな音がした。

 

 机に座って日誌を書いていると、黒板消しを叩いてきた上総が、戻ってきた。

「……綺麗な字だな」

 そんな声に顔を上げると、彼は黒板の「今日の目標」を見ていて。

 字のバランスを取るのが難しい黒板に、頑張って書いた陽波は、なんだか嬉しい。

「あのね、おばあちゃんのうちが書道教室なの。それで、子供の頃から習ってて」

「へぇ」

 まじまじと黒板を見つめて、上総は陽波の机に近づいた。

 どさり、と乱暴に、前の椅子に腰掛ける。背もたれと机に両肘をかけて、横向きに。

 床を見つめて、陽波に視線を向けることもない。

 これは。

 待ってるってことだろうか……いや、戸締まりもしなきゃいけないし、さっさと帰る訳にもいかないだろうけど。

 上総が、週番の仕事を真面目にこなすとは思ってなかったから、なんだか意外だ。

 日誌に集中して、シャープペンを走らせる。ふとした弾みに、消しゴムが床に落ちた。

 慌てて拾おうとしたが、上総の方が僅かに早く、消しゴムを手にしていて。

 大きな手に包み込んだそれを、陽波の手のひらに乗せてくれた。

「あ、ありがと……」

「綺麗な手、だな」

 さっき、字を褒めたときと同じように呟く。陽波はきょとん、と上総を見た。

「手が綺麗だから、字が綺麗なんだな」

「そ、そうなの……かな?」

「少なくとも、俺は下手だよ」

 大きな手を、数回握って開いて見せる。広い手のひらと長い指のバランスが取れた、大きな手。

「真成寺くんは、手、おっきいね」

「これで殴ると、痛いらしい」

 ぎゅ、と拳にして、面白くなさそうに見つめる。彼が、不良グループを叩きのめしたという噂を思い出して、陽波は思わず表情を曇らせた。

「……け、けんかは、よくない……よね」

 ちらり、と向けられた視線に、後悔する。だが上総は、鋭い目を少し細めただけだった。

「……売られたケンカは、買う。けど、自分から売ったことはない」

 ぼそり、と呟いた声に、彼を見上げる。無表情だが、どこかやりきれないようなもどかしさを感じる、横顔。どくん、と胸の奥を痛みが襲った。

「……ちいちゃい女の子、助けてあげられるのに、ね」

 ぽつん、と呟いた言葉に、上総が視線を、拳から陽波に移す。陽波は、笑顔を返した。

「不思議ね」

「……あんた、変わってるな」

 くしゃり、と髪をかきあげる。

 いつも真一文字の口許が、少し柔らかく歪んだようだった。

 

 陽波は、放課後の教室で書道道具を広げていた。

 同じクラスの演劇部員から、演劇部が使う小物に字を書いて欲しい、と頼まれたのだ。

 この学校には書道部がなく、「字が綺麗」「書道が得意」というキーワードから、単純に陽波の存在が連想されたらしい。

 それで、頼まれたら断れない性格の陽波は、引き受けてしまったのだった。

「陽波、大丈夫?」

 梨束が声を掛けて、陽波は顔を上げた。ポニーテールの後れ毛が頬にかかるのを指でかきあげながら、眼鏡越しに覗き込んでくる親友に、笑顔を返す。

「うん、もう少しで終わるから、そしたら演劇部に持ってく」

「あたし今日、用事があってもう帰らなきゃいけないんだけど……」

「大丈夫よ。一人で帰れる」

「そっか……」

 梨束はそれでも、ちょっと心配そうに少し佇んでいた。

 陽波はとても綺麗な顔をしている。それでいて、笑うとすごくすごくかわいらしくて。

 整いすぎた容姿と大人しい性格で、絶大な人気があるということを、本人は知らないだろう。自分が綺麗だという自覚も、ないに違いない。

 彼女に告白しようとした生徒を数十人、梨束は知っている。梨束が妨害させて貰ったが。

 陽波は、男の子という生き物をよく知らない。大人しくて引っ込み思案な性格で、恋をしたことがあるかどうかも微妙だ。

 だから梨束は、男の子達の欲望が陽波に届く前に、シャットアウトしている。遅くなる時、ひとりで帰すのは本当は心配なのだが……今日は仕方ない。

「気をつけるんだよ」

「うん、ありがとう」

 梨束の後ろ姿を見送って、陽波はまた、筆先に意識を集中した。

 

 かつ、と靴音がして、はっと顔を上げる。

「……なに、してんだ?」

 教室の入口に立っていたのは、上総だった。たったひとり教室にいた陽波を、呆れたように見ている。

「え?あっ……えと……演劇部に頼まれた小道具、書いてて……」

「こんな時間まで?」

 そう言われて黒板上の時計を見、目を瞠った。

「8時?!」

「気付かなかったのか」

「……全然……」

 納得いく字が書けるまで何度も書き直しをする性格が、災いしたらしい。梨束に「もう少しで終わる」と言ってから、3時間も経っている。

 閉門時間が9時とはいえ、遅すぎるのは確かだ。……が。

「……真成寺くんは、こんな時間までどうしてたの?」

 陽波は首をかしげて、入口に立ち尽くしている上総を見た。上総だって部活に入ってないし、何より5時間目から姿が見えなかった気がする。今まで何を……。

「……屋上で寝てたら、寝過ごした」

「こんな時間まで?!」

 改めて、窓の外に目を向ける。もう漆黒の闇が支配する時間だ。こんな時間まで寝ていたら、寒くて気付きそうなものなのに。

(真成寺くんって、意外とのんき?)

「……で。まだ帰らないのか」

 上総に言われて、陽波ははっとした。頼まれたものは書き上げてしまったけれど、演劇部は、まだいるだろうか。

「……演劇部、まだ残ってるかなぁ……」

「体育館は、まだ電気がついていたようだが」

 独り言に、上総が独り言のように答える。陽波は書き上げた和紙を纏めると、立ち上がった。

「……っああっ」

 かたんっ

 陽波の悲鳴と、乾いた小さな音が重なる。立ち上がった瞬間に、机の上の硯が落ちたのだ。

 幸い、海には僅かな墨が残っていただけだったが、床には黒い流れが広がって。

 慌てて、書き損じの和紙を掴むと、膝をついた。

 良質の墨は、ほんの僅かな間に固まってこびりつく。急いで吸い取らないと……。

 視界に、大きな手が飛び込んできた。同じように膝をついた上総が、和紙を陽波から取り上げる。

「……あ」

「先に、演劇部に持ってったほうがいい。俺がやっておくから」

「でも……」

「遅くなるだろ」

 そう言いながら、素早く和紙で床をこすり始めた。

 瞠った瞳で、上総を見つめてしまう。。俯いている横顔は、いつも通り淡々としているが、手の動きは、一所懸命だ。

 陽波は慌てて立ち上がった。

「すぐ行ってくるねっ」

「ああ」

 教室を飛び出した。

 

「ありがとうねぇ八束さんっ」

 同じクラスの演劇部員が、感謝感激の声でお礼を言う。

 他の演劇部員もお礼を言うが、陽波はそれに対する挨拶もそこそこに、体育館を飛び出した。

 早く教室に戻って、上総の手伝いをしなくちゃ……。

 だが教室に飛び込んだ陽波が見たのは、固く絞った雑巾を掃除道具入れに仕舞っている、彼の姿。

「み、水拭きまで、してくれたの……?」

「ああ」

 短く答えて、静かに掃除道具入れを閉める。陽波は思わず、ため息を漏らした。

 迷惑を掛けてしまった……と。

 ため息と一緒に、邪魔にならないよう、三つ編みにしていた髪の毛を解く。さらり、と髪質のままに柔らかく流れる髪を、上総は少し首をかしげるようにして、見つめていた。

「ごめんね……迷惑かけちゃって」

「いや。……硯の洗い方とか分からなかったから、そのままだけど」

「あ……うんっ。ありがとう」

 硯は、くしゃくしゃになった和紙に包まれて机の上にある。墨が他につかないように、と上総の判断だろう。

 硯と筆を洗って教室に戻ると、上総はまだ、そこに残っていた。机に軽く腰を凭せかけて、俯いた体勢で。

(もしかして、待ってくれてる……?)

 急に心臓が高ぶって、身体中を熱くした。その考えが、かなり都合のいいものだと、陽波には分かっていたから、余計に。

 急いで机の上を片付ける。陽波がカバンを手にしようとした時、大きな影が動いた。

 当たり前のように、陽波の書道道具入れとカバンを、上総が掴み上げる。

「……っあ」

「帰るか」

 当たり前のように向けられた背中。

 陽波は、熱くなった心臓の音に身体を支配されながら、「うん」と小さく答えた。

 ぱちん、と教室の電気が消えた。

 

 すっかり暗くなった道を、2人で歩く。

 無言で。

 何か話さなければ、と思うのだが、何も言葉が出てこない。頭の中は、色んな疑問が渦巻いているに。

(ど、どうしよう……)

 二人きりで沈黙を抱えているのが、陽波にはなんだか苦痛だ。上総も気を悪くしないか……なんて。

 困ってちらり、と向けた視線に、上総の大きな手が飛び込んだ。

「……あ」

 不意に漏れた声に、上総が視線を落とす。その時には、陽波は上総の大きな手に自分の指を触れていて。

 あっという間に彼女の両手に包まれた自分の手に、上総は呆気にとられていた。

「……手、汚れちゃったね……ごめんね」

 上総の指先が、薄く墨に染まっている。床に零れた墨を片付けたからだ。

「あぁ……ちゃんと洗ってこなかっただけだ」

 何故か、綺麗な顔を泣きそうに歪めた陽波に、上総は戸惑いながら言った。

「家でちゃんと洗うから、気にするな」

「うん……そう、だけど」

 陽波はそう言いながら、上総の手を離そうとしない。ゆっくり、綺麗な指先で上総の指をなぞっている。

 不意に、上総の手がひらり、と返された。

 自分がいつまでも触れていたことにやっと気付いて、彼が怒ったのかと身体を硬くする。だが、上総の大きな手は、白い手を握りかえしただけだった。

 握るというより、包み込んだ、というほうが正しいかもしれない。

 そのままゆっくり手を持ち上げられて……上総の口唇が、指先に触れる。

 そこから二人の体温が同じ熱を帯びていくのを、陽波は確かに、感じていた。

 

 

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八束 陽波(やつか ひなみ)

真成寺 上総(しんじょうじ かずさ)

梨束(りつか)

 

 

 

沙莉さま、この度は相互リンクありがとうございました。

相互リンクのご挨拶に、SSを押しつけに参りました(^^ゞ

ご笑納下されば幸いです。

 

これからもよろしくお願いします。

 

鹿室 明樹 拝

 

 

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鹿室様、素敵な贈り物をありがとうございました!!

こちらこそ、リンクをして下さって本当にありがとうございます。

そして美麗なイラストを描いて下さった叉牙吏様にも心から感謝いたします。

どうぞこれからも、よろしくお願いいたします!

 

沙莉  拝

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