出会いは、強烈な印象






              こんな中途半端な時期に、どうして人事異動なのか、よく分からなかったけれど。

              でも、幼年学校の元教官が、ぼくをこれからぼくの上司になる方へ案内する道すがら、教えてくれた。


              突然、ローエングラム元帥府の幕僚侍医が、老衰で死去してしまったそうなのだ。


              その後を継いだのは、ローエングラム元帥閣下の強い要望により、若い風。

              そこで抜擢されたのが、これからぼくの上司になる、ドクター・ロークライナーなのだそうだ。


              彼女は、すでに幕僚侍医になって数ヶ月経っている。

              なのに、なぜ今頃、侍官を必要としたのか・・・



              それは、彼女(女性だということも、この時知った)の性格と、容貌によるものだということならしい。


              「頑張れよ」


              と、幼年学校の元教官とはおおよそ言わなそうな言葉を吐いて、彼はある部屋をノックした・・・。








              初めて彼女に紹介されたときに、まず抱いた感想は、


              「綺麗な人だなあ」


              だった。


              通された部屋の中は、机くらいしかなくて。

              その机の向こうで眼鏡を掛けて、そしてチョコレート色の髪を一つに縛ってペンを走らせる、

              白衣の女性・・・しかも、相当若い・・・は、ぼくが見たことも無いほど美しい人だった。


              「クラウス・ロレンツ。きみはこれから、彼女の侍官になる。ドクター・ロークライナーだ」


              紹介された女性は、ぼくに気付くとふわりと柔らかい微笑を浮かべた。


              立ち上がり、机の向こうからぼくの方へやってくる。

              そこで、目のやり場に困ってしまった。


              驚くほど、短いスカートを履いていて・・・そしてそこから伸びる脚線美を惜しみなく晒している。


              彼女は、どきどきしているぼくに、手を差し出した。


              白い、小さな手だった。


              「初めまして。ローディムーン・ナリス・ロークライナーです。クラウスっていうのね。よろしくね」


              とまどうぼくの手をぎゅっと握った、ドクター・ロークライナーは、ぼくを覗き込んで、そして悪戯っぽく笑った。


              「ねえ、クラウス。あなた掃除は得意?」


              「・・・は?」


              「洗濯は?お料理は?」


              「あの、ええと・・・一通りはこなせますが」


              幼年学校で、鍛えられてきているから、家事全般といわれるものはこなす自信はある。

              卒業したばかりで、まだ銃の腕や白兵戦にはさほど自信はないけれど・・・。


              だが、ぼくは侍官なのでは・・・?


              「一足先に、官舎に住んだのはいいんだけど・・・驚かないでね」


              そう笑うドクターの言葉に、ぼくは1時間後理解することになる。



              足の踏み場もないとは、まさにこのこと。

              まるで泥棒でも入った後のような、散乱した部屋だった。


              そして、この凄まじいことになっている部屋に、ありがたいことにぼくも同居することになる・・・。


              「ごめんねえ、私家事って苦手なの。ここには、眠りに帰るだけだし、って思ったら・・・」


              「ドクター、食事はどうなさっているんです?」


              打って変わって綺麗なままのキッチンを見て、ぼくは何だか笑ってしまった。

              家事をした形跡が、ここまでないキッチンも珍しい。

              他の部屋があの有様なだけに・・・ギャップが凄い。


              「食事は、食堂があるじゃない?それに、たまにお兄ちゃん・・・ええと、叔父に作ってもらったり」


              「ああ、聞いています。ビッテンフェルト大将閣下ですよね」


              この美しい人の叔父が、あの猪突猛進な猛将、ビッテンフェルト閣下だというのも驚きだけれど・・・

              彼が料理をするというのも正直驚きだ。


              「あとは・・・ミッターマイヤーのところで、奥様の手料理をご馳走になったり」


              ミッターマイヤー閣下の愛妻家ぶりは有名だから。きっと喜んでドクターを招待するのだろう。

              でも焼きもちを妬かれたりしないのかな、奥方に・・・。



              「ロイエンタールがご馳走してくれるというのは、断ってるわよ。後で何を要求されるか分からないもんね」


              ええ、それは賢明だと思います。

              ロイエンタール閣下ほどの漁色家が・・・このお美しいドクターを放っておくわけがない。



              さて、どこから片付けるかと頭を悩ませていたら、部屋の呼び鈴が鳴る。


              舌打ちをしながら、衣服の山を踏み越えて、ドクターが玄関に出る。


              しばらくすると、ドクターと共に、灰色の髪の男性が部屋に入ってきた。


              「これはまた、いつもながらに壮絶な・・・」


              苦笑交じりの声に、ぼくは慌てて姿勢を正した。


              彼は、ミュラー大将閣下。

              雰囲気で感じた。とてもドクターと仲が良さそうだ。


              彼だけじゃない。幕僚の方、みんなと仲がいいという噂のドクター。

              男女の関係ではなく、人間としてのその関係は、ぼくは尊敬に値すると思う。


              そしてミュラー閣下も、ぼくには憧れの人。

              まだ30歳にも満たないのに、大将の地位にいる。


              「初めまして、クラウス・ロレンツと申します!」


              「ああ、楽にして。ローディ、彼がきみの侍官?」


              「ええ、気の毒な、私の侍官」


              ドクターはくすりと笑い、ぼくの肩に手を掛けた。


              ぼくは本気で首を振り、ドクターを見つめた。


              「ぼくは、ドクター付きにさせて頂いたことを、誇りに思います!ただ、その、ちょっと驚きましたけど」


              「はは、それはそうだろうね。さて、俺も手伝おうかな」


              そう言って、ミュラー閣下は袖を捲り上げて、手近にあった衣服をまとめて抱え上げた。

              ああ、下着が・・・紐が垂れている。


              ドクターは、さすがにミュラー閣下が手にされた衣服を引き取ろうとしている。


              「いいわよ、洗濯は後でまとめてするから」


              「まとめてするすると言って、どれくらい日数が経ってる?」


              「うっ・・・」


              「今日は、俺は手伝いに来たんだから。気にしないで。ああ、ローディ、紅茶でも入れてくれるかな?」


              「茶葉なんか、ないわよ。ブランデーならあるけど」


              ドクターは当然のように、偉そうに豊満な胸を逸らせて言い切った。


              ・・・本気で家事が苦手なんだな、ドクターは。



              あまり役に立たないドクターには、テーブルの片隅に行ってもらって。

              ・・・しっかりとそこでグラスを傾けているあたり、相当神経が太いお方のようだ・・・。


              ぼくとミュラー閣下の二人掛かりで、ドクターの官舎の大掃除をした。


              ミュラー閣下はとても器用な方で、掃除も手際がとてもいい。

              あっという間に、部屋は綺麗になった。


              「すごい、床が見えたのはどれくらいぶりかしら。もしかして入居して以来かもね!」


              他人事のように喜んでいるドクターに、ぼくとミュラー閣下は顔を見合わせて笑ってしまった。

              全く、憎めないお方だ。このドクター・ロークライナーは。


              「さて、じゃあお礼に奢るわね。クラウスの歓迎会も込めてね」


              そう言って立ち上がり、クリーム色のジャケットを羽織ると、ミュラー閣下は穏やかな笑みを浮かべて、


              「そうか、今日がクラウスの初日なのか。なら俺は辞退するよ」


              「ミュラー?」


              ドクターは驚いたように目を開き、そしてミュラー閣下を真下から覗き込んだ。


              「何、気を遣ってるの?お礼って言ったでしょ。それに運転手がいないで、私に歩いてレストランまで行けってこと?」


              ドクターはそう悪戯っぽく笑い、ミュラー閣下の肩をこずいた。


              全く、驚くことばかりだ。


              お二人の年齢差は、5、6歳といったところだろうか。

              すごく自然な二人の会話は、聞いていて心地よくて。


              立場を超えた関係だというのが、初対面のぼくにでも分かる。


              「さあ、クラウス。今日からあんたに財布を預けるからね。我が家の全権をあんたに託すから、覚悟して」


              そう言いうや、ドクターは黒い財布をぼくに放って投げて寄越した。


              ・・・ぼくに主夫になれとのご命令ならしい。


              ミュラー閣下は抑えるような笑みを浮かべたまま、ぼくに囁いた。


              「これから、苦労するかもね。まあ、頑張って」


              ありがたいことに、ミュラー閣下の応援も得てしまった。



              これから始まる、この美しく、元気な女性軍医殿との共同生活。


              彼女を守るだけでなく・・・身の回りのお世話もさせて頂くことになろうとは。



              ぼくの幕僚軍医侍官としての生活は、こうして華々しく、賑やかに始まった。