5
この世界が、狂い始めてる。
あんな箱一つのことで、人を殺すのを厭わない。
私には、箱なんかより、もっと大事な人たちがいるのに。
サラレギー、あなたは狂ってる。
だから・・・
私が欲しいなら、私と死のう?
一人じゃなければ、寂しくないでしょう。
あの人の代理を作る計画が始まったそうだ。
もう、コンラートが狙われることはない。
だから、もう・・・私も、・・・もういいよね、コンラート。
眠っているサラレギーの枕元に立ち、短剣を振り上げたサクラの手が、
一瞬で動けなくなった。
寝ているはずだったのに。
闇の中で、金色の瞳が不気味に輝いている。
「・・・どうしたの、サクラ。わたしを殺してくれるんじゃないの?」
サラレギーは、魔術が使えないはず。
なのに、一歩も動けない。
彼から噴出すものに、圧倒されてしまっているから。
それは、毒意。
サラレギーは微笑して立ち上がった。
その笑顔すら、サクラの背筋を凍らせるには充分で。
「さあ、わたしは抵抗しないよ。殺して、サクラ。そしてあなたも一緒に・・・」
そして、禍々しい笑顔が深まった。
サクラの全身の毛が総毛だった。
嫌だ。嫌だ嘘つき!
死にたいなんて思っていないくせに。
その手で、巨大な力を手に入れようとしているくせに。
そのために、邪魔なユーリくんを消して、眞魔国を自分のものにしようとしてるくせに。
急激に、サクラに恐怖が襲い掛かった。
「嫌・・・触らないで。私に触れないで!」
「どうして?わたしと死んでくれないの?そう、あなたもわたしから離れていってしまうんだね」
そして浮かべたサラレギーの表情に浮かぶのは・・・
狂喜。
「なら、仕方ない。あなたをわたしの宝物の一つにしてあげる。
優しく殺して、あの箱に入れてあげるよ。
ウェラー卿の体液の培養は、順調だよサクラ。
もうすぐ、あの男の子供が産まれる。別にあなたの身体ではなくてもいいのだから。
よくやったね、それだけは褒めてあげる」
そう言ったサラレギーの手が、サクラに伸ばされる。
触れられたら・・・この手に触れられたら、決して正気ではいられないような気がして。
サクラは自分の耳を疑うような悲鳴を上げて、ベランダに飛び出た。
そして、息を呑む。
そこは、5階建て以上の高さの鉄塔。
そんな馬鹿な。
私はサラレギーの屋敷にいたはず。
どうしてこんな場所に・・・・
「不思議?サクラ。あなたは警戒心が全くないんだね。食事に毒を盛られても、気付きもしない。
言い忘れていたけれど、サクラ。わたしは馬鹿な女は嫌いなんだよ」
サラレギーがゆっくりと近づいてくる。
サクラが一歩下がる。
すぐに、欄干にぶつかった。
「さあ、逃げられない。ふふ、うさぎを狩るより簡単だ」
唇の端を上げて、悪魔の笑みを零すサラレギーの瞳が、一瞬細められた。
サクラの背後から、まばゆい光が降り注ぐ。
「サクラ!!」
彼女を呼ぶ、懐かしい声。
振り返ると、たいまつを持ったたくさんの兵士がこの鉄塔を囲み始めていた。
その中に、サクラは確実に見つけた。
愛しい人を。
「コンラート・・・!」
どれくらいぶりだろう。彼の姿をこの目に焼き付けられるのは。
サクラは滲む視界を凝らして、その名を何度も口の中で呟いた。
だが、腕に鋭い痛みが走る。
サラレギーが、サクラの腕を後ろ手に回して締め上げている。
「うっ・・・!」
「契約を破ったね、サクラ。彼の名を呼ばず、彼と語らず、彼を見ず。
契約は、破られた。さあ、あの男を殺すんだ!」
鉄塔周辺に潜んでいた、サラレギーの配下はどれくらいいるのだろう。
百は超えているかもしれない。
それらがつがえている弓から、一斉に矢が飛び出した。
ただ一人、コンラート目掛けて。
「いやぁーーーー!」
天に劈くその悲鳴は、こだましてしばらく消えることはなかった。