Happy Valentine's Day
            
            
            
            
            
            
            冬の寒さが、ますます厳しくなってきた。
            
            アメリカで生活をしていた、私とコンラート。
            
            分厚いコートを着て、革の手袋をはめて歩く私の隣にいる、背の高い彼は、
            時折私を見下ろしては、優しい笑みを浮かべてくれる。
            
            「、寒いね。早く帰ろう」
            
            二人きりの、私たちだけの世界が、あの部屋にはある。
            
            コンラートが、私との最後の生活で選んでくれた、あのアパートメントは、とても居心地がいい。
            
            豪華なホテル暮らしも悪く無いけれど、私は今の狭い空間の方が、あなたの傍にいると実感できる。
            
            私はふと思い出して、掴まったコンラートの腕を持ち上げた。
            そこに嵌められた、デジタル時計の日付を確認する。
            
            2月14日。そう刻まれていた。
            
            「どうした、?」
            
            不思議そうに私を見下ろす彼をしばらく見つめて、私は考えた。
            
            
            バレンタイン。最近は、私には縁のないイベントだったけれど。
            
            今、私の隣にいるこの人に、私の気持ちを伝えたい。
            
            もうすぐ、きっともうすぐ。
            
            
            私の前からいなくなってしまう、この人に。
            
            今、私があなたを想う気持ちを、少しでもいい。
            分かってもらいたい・・・。
            
            「コンラート、買い物をしたいの」
            
            そう言って、私は彼と一緒にスーパーへ入った。
            
            そこで買い込んだのは、たくさんの板チョコレート、生クリームに苺、マシュマロ、バナナ・・・
            
            「珍しいね、甘いものばかりなんて」
            
            目を開いて、カートを押してくれる彼に、私はくすりと笑って頷いた。
            
            「そうね、今日は特別なの」
            
            「特別?」
            
            首を傾げるコンラートに、私はくすりと笑った。
            
            「しんまこく」には、きっと無いのね。なら、やっぱりやりたいな。
            
            日本の、このイベントは、きっとコンラートが「しんまこく」に帰っても覚えていてくれるだろうから。
            
            その時に、少しでもいい。私のことも思い出してくれるといいな・・・。
            
            
            家に帰って、コンラートがお風呂の掃除をしてくれている間に、私は鍋にチョコレートソースを作った。
            
            甘い香りが、部屋中に漂う。
            
            「、何を作ってるんだ?」
            
            捲くった袖を直しながら、コンラートが台所にやってきた。
            
            私が何も言わなくても、進んで家事を手伝ってくれるあなたに、私はいつも感謝しているの。
            その気持ちも込めて、私は彼に抱きついた。
            
            優しい、コンラート・・・大好きよ・・・。
            
            私が珍しい行動に出たのに、コンラートは驚いたようだった。
            だけど、そっと私を抱きしめてくれた。
            
            「・・・愛しているよ、」
            
            「私も・・・私もよ・・・」
            
            いけない、何だか泣きそうになってしまった。
            
            
            暖かい、この腕の中にずっといたい。
            
            
            
            離れたくない。
            
            
            
            私は、もう全てを捨てる覚悟がどこかに出来ているのに。
            
            でも、着いて行きたいと、言葉にすることは出来なかった。
            
            
            
            否定されるのが、怖かったのかもしれない。
            
            勇気のない私。情けない。でも、それが私だから・・・。
            
            
            
            だから、今だけでもいい。
            
            この私を包み込む腕の中で、幸せに浸っていたかった。
            
            
            
            
            軽めの夕食後、チョコレートソースの入った鍋を見て、コンラートは首を傾げた。
            
            「どうするんだ?これは」
            
            「あのね、好きな具をフォークに刺して?」
            
            私は苺を。コンラートはマシュマロをフォークに刺した。
            
            そして、チョコレートソースに浸して、私が先に食べて見せた。
            
            口の中で、甘酸っぱい味と香りが広がる。
            
            私を見て、コンラートも同じように口に運んだ。
            
            「・・・うん、甘くて美味いよ」
            
            あんまり甘いのが得意じゃないコンラートのために、ビターチョコを選んだのよ。
            
            今度はフルーツを刺したコンラートが、面白そうにチョコレートソースに浸している。
            
            食べてもらいたいというよりも、二人で楽しみたかった。
            
            喜んでもらえて、よかった。
            
            「あのね、コンラート。今日は、日本ではバレンタインデーなのよ」
            
            「バレンタイン?」
            
            「そう。女の子が、好きな男の子に告白をしたりね。恋人に、チョコレートをあげる日なの」
            
            私の目をじっと見つめて、コンラートは黙って聞いてくれた。
            
            「きっと、もう私はあなたにチョコレートを贈れる日は来ないだろうから・・・だから、せめてね。
            今日のことを、覚えていて欲しくてね・・・それでね・・・」
            
            楽しく二人でデザートを食べながら、今日のことを教えてあげようと思っていたのに。
            
            話しているうちに、胸が段々苦しくなって。
            
            目と鼻の奥が、熱く痛くなってしまって。
            
            
            気付いたら、私はぽろぽろと涙を零してしまっていた。
            
            「・・・」
            
            
            コンラートの腕が、私を包み込んだ。
            
            
            私の髪に、顔を埋めて、ただ私の名前を呟くコンラートに、私はしがみついて止められない涙を隠すように、
            胸に顔を押し付けた。
            
            
            
            
            離れたくない。
            
            
            
            
            
            そう言えれば、どんなに楽になるだろう。
            
            でも、絶対に言えない自分の性格、分かってる。
            
            
            コンラートは、私を上に向かせ、唇を重ねてきた。
            
            深く、熱く。
            
            
            まるで、あなたの気持ちを代弁しているかのような、その口付けは・・・
            
            
            
            
            チョコレートのように、ほろ苦かった。
            
            
            
            
            
            
            
            
            
            「・・・ねえ、覚えてる?」
            
            
            机で書き物をしていたコンラートが、ふと顔を上げた。
            
            彼の前に、彼のために入れたコーヒーをそっと置いた。
            
            眞魔国で、コーヒーを改良して栽培してくれた、あなたのために。
            最高の、1杯を差し出した私に、コンラートは嬉しそうに笑ってくれた。
            
            「ありがとう。・・・うん、前よりも少し、モカに近づいてきたかな」
            
            今はまだ、2種類しかないコーヒー豆も、農園の人たちのお陰で大分地球の味に近くなってきた。
            
            「そうね。で、何?」
            
            「ああ、そうだった。思い出したんだ、俺にがチョコレートのデザートを作ってくれた日のこと」
            
            不思議ね、コンラート。
            
            私もコーヒーを淹れながら、あの日のことを思い出していたのよ。
            
            私は彼があの日を覚えていてくれたことが、嬉しくて。
            
            コンラートの背中に回って、そっとその背に抱きついた。
            
            「・・・覚えているわ。辛くて、寂しくて、悲しいバレンタインだったから・・・」
            
            「そうだね。俺も、辛かった。あの時、俺は何度も心の中で、きみに言っていた言葉があるんだ」
            
            私もよ。口には出来なかった言葉。
            
            
            コーヒーカップから手を離したコンラートは、その手で私の腕を掴んだ。
            
            そして立ち上がり、私の頬に手を添えて・・・銀の煌く茶色い瞳が、まっすぐに私を見つめている。
            
            「離れたくない・・・ずっと、そう思っていた」
            
            
            同じ思いを抱いてくれていたなんて。
            
            
            私は驚いて・・・嬉しくて。笑顔で頷きたいのに。
            
            また、涙が零れてくる。
            
            「やだ・・・ごめんね、私、泣き虫で・・・」
            
            「、もう離さない。きみが嫌だと言っても、俺の傍から離さない」
            
            コンラートが、ぎゅっと私を抱きしめて、耳元で囁いてくれる。
            
            
            暖かい腕の中が、永遠に私の居場所になった。
            
            
            「離さないで・・・ずっと、私の傍にいて・・・」
            
            呟いた私に、コンラートはキスをしてくれた。
            
            
            そっと、私の唇に触れ、段々深く、熱く。
            
            その口付けは、ビターチョコのようにほろ苦いものじゃなくて。
            
            
            甘い甘い、スイートチョコのようで。
            
            
            
            私は、コンラートの腕の中で、幸せを感じながら、瞳を閉じた。