One only demand
もっと、甘えて欲しいのにな。
そういつも思うけど、これが桃の性格なんだから仕方ない。
だけど、やっぱり甘えて欲しい。俺って頼りないのかな・・・・・・?
授業が全て終了し、数学準備室に一人入った俺は、ネクタイを緩めて椅子に腰掛けた。
やれやれ、今日も無事に終わった。
今日は会議もないし、桃の手料理を食いに、彼女んちにお邪魔しようかな。
だけど、昨日もお邪魔して、美味いハンバーグをご馳走になったばかりだ。迷惑かな。でも、毎日行きたい。
会いたい。二人きりで、一秒でも早く、桃を抱き締めたいな・・・・・・。
そこで、しばし考えた。
・・・・・・何だか俺、桃にしてもらってばっかりだな。
俺から何かをしてやったことって、あまりないかも。俺の要求を押し付けてばかりかもしれない。
物欲が無いらしい桃は、俺に物をねだることがない。
それに、出掛ける場所でも、どこに行っても嬉しそうにしている割に、自分から主張することがない。
『今度はあそこに行きたいな』
とかいう言葉すら、聞いたことがない。
何となく、罪悪感に包まれた俺。どっちが年上なのか、分かんねえ。
桃の望みを、引き出してやらない俺が悪い。本当は、きっと何かあるはずだ、桃の意思が。
そう思ったら、いても立ってもいられず、ポケットから携帯を取り出して、メールを打ち始めた・・・・・・
『数学準備室に、明日校内監査が入るらしい。片付けなくちゃならないから、悪いけど手伝ってくれないか?』
大嘘のメール。
だけど、桃は学生鞄を手にして、慌てて来てくれた。
罪悪感の中にも、とても嬉しい気持ちが広がっていた。
「悠くん、校内監査ってなに?」
ラックに無造作に積み上げられた資料を運びながら、桃が首を傾げる。
校内監査は、本当にあるんだ。一年に数度だけど。校内のあらゆる場所をチェックして、危険な場所はないか、機密文書を放置していないかなどを洗い上げていく。
それを説明すると、桃は感心したように頷いて、ダンボールに書類を詰めていく俺に、手の物を手渡した。
「そうなんだ、先生って大変なんだね。授業しているだけじゃないんだ」
嘘をついてごめんな、桃。
だけどこうして準備室が綺麗になったことだし。監査は確実にあることだし。
心の底で詫びながらも、俺と桃は順調に片づけを進めていた。
そんな中で交わした数々の会話。
凄く楽しかった。
話題なんて、大したことがない。今日、返って来たテストの点数がどうとか、連続ドラマの行く末はどうなるのだとか。
そんな他愛も無い話が、こんなにも楽しくて、充実した気持ちになるなんて。
相手が、桃だからだよ。
俺のこの想い、伝わっているのかな。
ずっとずっと、こうして話をしていたいな。二人きりで。誰の邪魔も入らずに。
そう思ったら、何だか堪らなく切なくなってしまった。
我慢、させているよな。
普通のカップルだったら、大っぴらに腕でも組んで、道を歩いていけるのに。
今、俺たちのデートっていったら、桃が変装して、こそこそしている。何か、情けない。
毎日学校で会っているのに、話を出来るなんてことは殆ど皆無だし。目線を絡ませることくらいしか出来ない。
だからこそ、甘えて欲しいんだ。
桃が、思いを素直に言葉に出来ない性格、分かってる。だけど、それでも。
桃の願いを、一つでも多く叶えてやりたいと思うのは、俺のワガママでしかないのだろうか。
それから一時間くらいした後、数学準備室は綺麗さっぱり片付いた。
不要文書は、ダンボールで二箱分。
「いや、マジで助かった。ありがとな、桃」
本音でそう言うと、桃は恥ずかしそうに微笑んで、小さく頷いた。
何て可愛いんだろう。こういう仕草、堪らない。
桃の可愛らしさを発見しては、俺の腕の中に閉じ込めてしまいたくなる。
それをぐっと我慢して、俺は早速本題に入った。
「悪かったな、放課後にこき使って。何かお礼をさせて欲しいな」
「お礼なんて、そんな。別にいいよ。大したこと、していないし」
ほら、やっぱり。言うと思った。だから、俺も用意していた言葉を紡いでいく。
「俺の気が済まないからさ、何でもいいんだ。例えば、何か洋服とか、アクセサリーとか・・・・・・」
「いらない。別に、欲しいものないもん」
速攻で返事が来た。でも、それも想定内だ。
「そんじゃ、今度の休みに美味いもんでも食いに行く?何か桃が食べたいもんとか・・・・・・」
「悠くん、食べたいものある?」
すかさず、逆に聞かれてしまった。
俺は思わず、桃に前に作ってもらった料理を思い出して呟いた。
「あのパスタ、美味かったな・・・・・・」
それを聞き、桃はぱあ、と顔を明るくさせて大きく頷いた。
「私が作ったカルボナーラ?それじゃまた、それを作るね!それともまた別のパスタがいい?」
「え?あ、ああ、あれ、凄く美味かったし、別のも食ってみたいけど、けど・・・・・・」
「うん、分かった!じゃあ、色々考えてみるね!楽しみだなあ、次のお休み!」
桃はにこにこと笑って、雑巾でラックを拭きに入ってしまった。
・・・・・・・失敗してしまった。
なんてことだ。桃のほうが、俺よりも一枚も二枚も上手ってことか?
がっくりと落ち込んだ俺を、ふいに桃が振り返り、困ったように眉を下げた。
「悠くん・・・・・・ごめんね?」
「え?」
その言葉に驚き、顔を上げると、桃はその表情のまま、目線を下げた。
「悠くんが、折角誘ってくれているのに。素直に甘えられないで、ごめんなさい・・・・・・」
何で謝るんだ。
そんな必要なんて、ないのに。
俺は胸が苦しくなり、それを解放する唯一の方法・・・・・・桃の元へ行き、彼女をぎゅっと抱き締めた。
髪から香るのか、身体から放たれているのか。
桃からは、俺の脳髄を溶かすような、いい香りが漂っている。
柔らかい、暖かい桃。この手を、離したくない。俺から、離れていって欲しくない。
貪欲な想いが、俺をいつも突き動かしていく。
「悠くん・・・・・・?」
困っているよな。どうしていいか、分からないよな。
だけど、俺もだよ、桃。この気持ち、持て余している。
だから、囁いた。
「一つだけ。たった一つだけでいい。桃のワガママ、聞かせて。そんな俺のワガママを聞いて?」
どんな願いなんだか。
自分でも笑っちゃうけど、でも。
どうしても、桃の願いを叶えたくて仕方が無い。
桃は、俺の腕の中で僅かに顔を上げて俺を見上げて、そして。
「・・・・・・・いいの?」
そう、囁いた。
やべえ、心臓がバクバクしてきた。何を言ってくれるんだろう。俺に出来ることだろうか。
不安と期待が入り混じり、更に桃を強く抱き締めた俺に告げられた、桃の願いは。
「あのね、あの・・・・・・今ね、キス、して欲しいの・・・・・・・」
俺は、どんな表情で桃を見下ろしていただろう。彼女は、顔を真っ赤にして、もう俺を見てはいなかった。
見れなかったんだろう、恥ずかしくて。
だから、すぐに返事をしてやらなくちゃ。
僅かに身体を離した俺の手が、桃の両頬に触れて。
そして、顔を寄せた。
最初は桃が望むように、柔らかく、羽毛が触れるような感触で。そして徐々に、深く、俺の望むように熱く深く。桃を求めていく。
がくがくと膝を揺らす桃の身体を支え、相当長い間、彼女の唇を満喫してしまった。
唇を離すと、桃の眼差しがとろんとなっている。満足、させられたかな。
でも、違うのに。こんな形じゃなく。というか、これじゃ俺の望みを叶えたようなもんだ。
「悠くん、大好き・・・・・・」
頬を紅潮させたまま、俺に抱きつく桃を受け止め、俺は次の作戦を練りつつ、だけど幸せで頬が緩むのを止められなかった。
桃の望みが、俺とのキス。
それが本心だと分かる分だけ、喜びが抑えられない。
だけどもっと、幸せにさせたい。そういう気持ちにしてやりたい。
桃が口に出せないのなら、リサーチをかけるか。
さりげなく、何となく。それもまた面白いかもしれない。
愛しい桃を抱き締めながら、髪に唇を落としながら。
俺は暖かいぬくもりに包まれて、彼女のことだけを考えるこの時間を大切に思った。