
説明1

明戸摩利支天堂荏原氏館前

明戸公民館

新戒の大林寺

4月20日、渋沢栄一記念館で開かれた「かわたれの槌音」田村貞夫先生の講演会

中の家、渋沢栄一生家バス停に向かうくるりん北コース西循環バス

横瀬神社
隣が中の家の菩提寺、新田義兼開基の真言宗華蔵寺

渋沢栄一生家入り口バス停

水戸天狗党忠魂碑

栄一や喜作が尾高塾に行くのに通った論語の道(
1.3km)現在は市内循環バスくるりんの下手計壁ヶ谷戸、渋沢栄一記念館入口、渋沢栄一生家前のバス停がある。

第47回衆議院議員総選挙、八基小学校投票所
穂積歌子さん作詞による八基小学校校歌石碑前にて
歌子さんも6歳までは血洗島で育っていた。(新潮社城山三郎著雄気堂々上巻より)
歌子さんのご子息は東宮大夫兼東宮侍従長だった最高判事穂積重遠氏。
また朝鮮総督府に勤務していた真六郎氏や海軍の造船技術将校で少将にまで昇進した律之助氏
らがいる。

詳しい歌詞

枢密院議長だった穂積陳重先生

富岡製糸場世界遺産登録後の渋沢栄一記念館

2014年11月9日の青淵まつり
ふっかちゃんゆるキャラグランプリ準グランプリ受賞後に

八基公民館の世界遺産関連講演会
韮塚雄一先生による秋蚕事件の話や韮塚家一考察。

渋沢栄一記念館

来館者の方々に栄一翁の説明をされる龍門社深谷幹事の渡辺先生

深谷では世界遺産関連の講演会が定期的に開催される
第1回目は島村式養蚕室の話で地方史研究協議会の鈴木芳行先生が田島弥平の抜気窓蚕室(ばっきそうさんしつ)
と清涼育のことなどを話された。

歴代文科大臣。
ところで2015年
NHK大河「花燃ゆ」では群馬県令揖取(かとり)素彦の妻杉文(後の揖取美和子)の生涯を描くことになるが揖取素彦役に大沢たかおさん、吉田松陰役に伊勢谷友介さんの配役が決まっている。
初代文部大臣の森有礼氏は一橋大学(東京商法講習所)を設立したが栄一翁が後に運営をサポートしている。

竜門社深谷理事の長原一(はじめ)副市長(助役)
市の行政のトップ

竜門社深谷支部長小島進市長
今度渋沢栄一記念館の組織が改変されるとのこと

渋沢栄一記念財団小松諄悦常務理事

誠之堂内
まちづくり協議会や渋沢栄一外部評価委員会等が開催されている。
2014年11月9日青淵まつり開催にあたって駅からハイキングや
ホフマン輪窯公開も同時に行われた。

新上武大橋群馬県側から
群馬県はかつて岩鼻県と呼ばれていた時期があって岩鼻県の頃は榛沢郡や幡羅郡も岩鼻県に
含まれていた。(因みに1876年までは熊谷県、その頃の埼玉県は入間県と熊谷県に分かれている)

新上武大橋をバックに

前川原浄水場
赤城乳業は豊里の広瀬屋がルーツ。

利根川河川敷
サイクリングロードが120キロにも及ぶ
江戸時代は情報の流通を船運も担っていて江戸からの情報も河岸場を通して入ってきた。

利根川緑地公園
前小屋集会所前
深谷の広報は貼られているが尾島時代の名残も多く残る
同様に埼玉県の飛び地の地区に横瀬の隣の伊勢崎の島村があるが
田島弥平住宅の案内が岡部駅に置かれていた。

現在の日本煉瓦工場跡

日本煉瓦工場事務所跡
商法上は会社組織を解散した日本煉瓦だが事務所は煉瓦資料館として期間限定で一般公開されている。
歴代の(株)日本煉瓦取締役の肖像写真が飾られている他、発起人の
益田孝氏(三井物産初代社長)の名前が入った設立書、東京駅の煉瓦製造を請け負った時の受注書など貴重な資料が展示されている。

日本煉瓦工場歴代取締役肖像写真
左端は(株)日本煉瓦第五代会長大友恒夫氏
諸井貫一氏の姉三保さんのご伴侶が秩父セメント社長だった大友幸助氏

下手計尾高惇忠生家
第一国立銀行仙台支店長だった尾高惇忠翁
ご子息の次郎勝忠氏も銀行家で漢学者

栄一翁の見立て養子だった尾高平九郎
平九郎の兄で惇忠(新五郎)の弟だった長七郎が神道無念流の達人で志士たちの間で傑物と評判だった。

東京千代田区神田お玉が池にある千葉周作道場跡
北辰一刀流の道場で栄一翁や坂本龍馬が通っていた。

東京板橋宿にある新撰組近藤勇局長慰霊碑
中山道一番目の宿場だった板橋宿に新政府軍東山道隊の宿所があった。
栄一翁が幕府の名代で御所院番士大沢源次郎捕縛の際、警護に付いたのが新撰組だった。
飛鳥山の渋沢邸からも近い北区滝野川、埼京線板橋駅前。

近藤局長と土方副長
彰義隊初代頭取で振武軍を指揮していた渋沢喜作も土方副長と一緒に箱館で戦っている。

内ヶ島氏の館があった大寄の永光寺
内ヶ島三郎忠俊が有名
武蔵七党猪俣党で岡部六弥太忠澄と遠戚
市の指定文化財、猪俣党の荏原氏館跡にて。
石田三成の忍城攻略のときに土塁の土をここから運んだとか
本庄妻沼線ですぐ隣が妻沼
くるりんのバス停だと雇用促進住宅前か石塚バス停が近い

誠之堂
生涯学習課主催の渋沢栄一翁スタンプラリーのとき
清水建設田辺淳吉氏の設計

夏の誠之堂
誠之堂は大寄公民館に併設
第一国立銀行の佐々木勇之助にもゆかりの建物

戸森雷電神社から下手計尾高惇忠生家へ向かう途中の県道深谷伊勢崎線
江戸時代は伊勢崎街道といって栄一翁が親戚の尾高長七郎を熊谷宿まで追いかけるときに
通った道。
血洗島から深谷宿に出るまでの主要道路

中の家薬医門
中の家は名古屋大学初代総長の渋沢元治博士が住んでいらした家でもある。
県指定文化財

中の家母屋
天窓がある養蚕農家の造り
世界文化遺産の田島弥平旧宅も基本的な構造は類似している。

中の家土蔵

新戒

新戒地区から豊里方面を俯瞰
新戒には源平期に新開荒次郎という武将がいて渡来人の末裔だという言い伝えがある。
大陸で使われていた鉄製の武器を棺に納めて奉納したことから古櫃神社
という日本で唯一の名称を持つ神社が鎮座している。

明戸農村公園

あかね通りから見た上敷免
もともと畑地だったが煉瓦の土を掘ることで備前渠からの水を流れやすくし水田地帯に変えた。

備前渠橋梁
日本初の民間専用線上敷免鉄道に架けられたレンガを使った橋

下手計鹿島神社内にある徳川幕府第15代将軍だった徳川慶喜公揮毫の藍香尾高惇忠翁記念石碑

揮毫文体詳細
完成式には当時の県令や専修大学創設者の阪谷芳郎氏も参加