
説明1

日吉神社春季例大祭
隣に深谷上杉の祖、上杉憲英(のりふさ)創建の国済寺(庁鼻和城)がある。
上杉憲英は関東管領上杉憲顕の六男で上杉蔵人憲英といった。
庁鼻和上杉のことは本庄出身の国学者塙保己一も調べていて666冊にもおよぶ
国書「群書類従」を編纂した。

日吉神社秋季例大祭

川本六頭首工取水堰、別名重忠橋
最寄のバス停は市内循環バスくるりん川本花園シャトル便重忠橋北

秩父札所13番慈眼寺前と埼玉県地方合同庁舎
祖父の27回忌時。
手前でお子さんの玲ちゃんを連れているのが日本大学芸術学部プロダクトデザイン学科の佐藤徹先生。

親戚の湯本拓也くんと
拓也くんの祖父が秩父の日窒鉱山の副社長を務めていた。
日窒鉱山は戦前の日本窒素肥料を中核とする日窒コンツェルンの傘下会社
小川の花友会館にて

深谷商業校長だった茅雄治先生(写真真ん中)
父の上司で深谷赤十字病院副院長だった茅博先生のお父上で遠縁が東京大学第17代総長小さな
親切運動の茅誠司先生
茅雄治先生は父と母の間接的な仲人

深谷商業の県立大学化を進めている加藤ひろやす県議(平成27年4月12日までは選挙中)が第121代
副議長をつとめている埼玉県議会
参議院議員だった関口恵造先生や福島茂夫先生ともゆかりの深い場所

父の片田幸次
群馬大学医学部整形外科学教室で大根田恒夫教授の指導の下「ヒトの足の舟状骨と後脛筋の停止の形態学的研究」を高木祐一先生と共に共同執筆。博士号を取ると共に当時整形外科学教室で文部教官(講師)をつとめていた。
その後、群馬県立がんセンターを経て深谷赤十字病院に出向。長年、整形外科部長をつとめる。

祖父の大友太郎
日大両国から旧制姫路、千葉大医学部
太平洋戦争中は陸軍軍医中尉として南方戦線に従軍。フィリピンにて終戦を迎える
復員後、曽祖父大友伊三郎が勤めていた工場のある秩父市で大友医院(上町)を開業
埼玉県医師会理事。元埼玉県医師会長だった福島茂夫先生とは本庄と秩父で仲が良かった。

曽祖父の大友伊三郎
戦時中、秩父でラジエーター工場を経営。

左端、秩父セメント二代目社長大友幸助氏
大友幸助氏は東京帝大理学部化学科を主席で卒業後渋沢栄一翁の関係する東京毛織に入社、
後に秩父セメント創設者諸井恒平社長の長女三保さんと結婚して二代目の秩父セメント
社長になる。
昭和21年秩父商工会議所会頭
左から二番目、秩父セメント第4代大友恒夫社長
恒夫社長は海軍造機中尉でもあった。

深谷の日本煉瓦資料館に展示してある株式会社日本煉瓦歴代取締役
秩父セメントができる前、日本煉瓦の事務所内に秩父セメント設立準備室が設けられた。
諸井貫一氏は大友恒夫社長の叔父
諸井恒平社長は大友幸助秩父セメント社長の岳父
諸井恒平社長と渋沢栄一翁は縁戚

深商記念館校長室の隣には渋沢栄一翁関連の資料も展示されている

左は若き日の渋沢敬三、中央は徳川幕府奥祐筆(おくゆうひつ、今の総務課長)だった渋沢喜作
右は栄一篤二敬三の中の家(なかんち)3代
岩崎弥太郎の娘婿(磯路さん)木内重四郎氏の次女の登喜子さんも敬三氏の婚約時の写真として写っている。

上野公園にある彰義隊忠魂碑
2015年秋にアオイホノオの柳楽優弥さん主演で彰義隊をテーマにした「合葬」という映画が
公開予定

日銀本店
民俗学の学術団体や研究活動の発展に尽くした渋沢敬三氏が総裁(第16代)を務めたり
現代俳句協会名誉会長の金子兜太先生が勤務していた場所。
かつては深谷商業の成績優秀者が日銀に勤めていたこともある。

東京銀行倶楽部での新旧蔵相送迎会
高橋是清翁や井上準之助蔵相が写っている。
深商記念館にて

東京四谷にある赤坂迎賓館(旧東宮御所)
深谷の煉瓦が1300万個使われている他、熊高の先輩が迎賓館長を務めていた。(元外務省特命ブラジル全権大使)
東京オリンピック準備事務局や国立国会図書館に使われていた時期もあり内閣府の所掌を感じさせる
片山東熊(とうけん)設計、ネオバロック様式

今年はブラジルワールドカップ
2019年にラグビーワールドカップ
2020年に東京五輪

鉢形城歴史資料館前
長尾景春築城、関東管領上杉顕定から後北条の北条氏邦まで様々な変遷を辿った
北関東の要害。
2014年5月11日寄居北條まつり

妻沼聖天山(しょうでんさん)
斉藤別当実盛創建
平家物語に旭将軍木曽義仲と斉藤実盛の話が出てくる。
別名、埼玉の東照宮。

育樹祭のとき皇太子殿下が行啓された国道140号バイパス川本ピアゴ付近

敬宮(としのみや)愛子内親王ご誕生時の堤治東大教授記者会見
堤先生は右から2番目
熊高在校時は熊高22回生の叔父の大友不二夫と秩父線で
何度か会っているそう。

中国語に造詣が深く論語等にも精通している叔父の大友不二夫。長瀞在住

祖母恵子の葬儀にて
享年は奇しくも栄一翁と同じ92歳
大正11年生まれで恵子が4歳のときにはすでに栄一翁は日本放送協会顧問に
祖母の敬愛する昭和天皇の写真とともに
当時新進気鋭の画家だった根岸敬先生とは家族ぐるみのお付き合いで根岸先生は
母や叔父によく絵を描いていてくれたそう。(母はその自分の似顔絵を持っていないらしいが)
祖母の姉の春日よう子さんは結婚前、東久世家に出仕していたことがあった。

叔父の大友一夫
祖母の葬儀では秩父郡市医師会長の新井政幸先生に献杯の音頭をとってもらった他、
秩父市の久喜邦康市長から弔電を頂いた。
又、叔父が漢方の専門という関係からツムラ他の製薬会社の取締役の方々から弔電を頂く。

秩父郡市医師会長の新井政幸先生
祖母の葬儀で祖父の想い出話を話して頂く。

右から2番目が母の片田(旧姓大友)宏子
イワタケ(地衣類)の論文で富山県立植物園園長だった黒川逍先生(日本植物分類学会)に師事。
秩父の松本家がイワタケを忍城に献上していたことを文献から特定
国立科学博物館の大村嘉人先生がご自身の論文で母の論文を引用している。

熊谷市内循環バス ゆうゆうバス

八基小学校の校歌碑、作詞に穂積歌子さんの名前
渋沢栄一記念館には穂積歌子日記の出版本や渋沢喜作(成一郎、彰義隊頭取)の写真、中の家3代
(栄一、篤二、敬三)の写真が展示されている。栄一翁の交友範囲は多岐にわたり、米国総領事ハリス、
中国国民党総統蒋介石、フランス人の銀行家フロリヘラルドなどがよく知られている。
尚、富岡製糸場の外国人指導技師はプリュナで2014年4月20日の講演では尾高惇忠が富岡の人たちを説得した
苦労話を「かわたれの槌音」の作者田村貞男先生がご自身の取材体験をもとに詳細に解説されていた。
「かわたれの槌音」映画化推進協議会が群馬県で発足しているらしい。

親日家の中国国民党蒋介石総統と栄一翁
論語の恕の教えでお互い大いに感銘し合ったという。
また、栄一翁はアメリカ合衆国第18代大統領グラント将軍とも親交が深かった。

家康公の遺体が一晩安置された世良田東照宮拝殿
他にご休憩場所に深谷市の瑠璃光寺(天神町)が選ばれ寺領(朱印)20石が与えられた。

源氏の名門新田氏の中で太平記で活躍した義貞公を菩提し顕彰している太田市の金龍寺

世界文化遺産関係の所掌やスポーツ振興、科学技術行政の所管などを行っている。