ねこ

 

作 こたつ

 

彼は気づいていない。

自分自身の存在の重さというものを。

もどかしい。もどかしいから、愛おしい。

ほら、また考えこんでいる。こういう時の彼は、言葉で言っても分かってもらえない。

だから、わたしも何も分かってないふりをする。

彼の驚いたような表情がおかしい。つい、いたずらしたくなるんだよ。

 

 

時々、彼女は猫になる。

彼の膝に頭を乗せて、寝そべったまま本を読む。少し伸びた長い髪が彼の足に絡みつく。こういう彼女には逆らえない。

 

スコールの手は、彼女の顔に回され頬を耳たぶをやさしく撫でている。自分にはないその柔らかさが心地よい。ただ、彼の片手に持つ物は、無粋な任務の資料であり、責任のある身である以上、かなりの努力をして集中せねばならなかった。それでも、この柔らかい頬とやさしい重みを手放せないでいる。

時計を見やると、午後の会議まであと1時間といったところだった。

ぽっかり空いた時間。

彼は気持ちを切り替え、しばしの安息を楽しもうとする。

そっと、頬を撫でていた手を彼女の胸元に滑らせてみると、ご機嫌を損ねた猫に引っかかれた。

知れず、ため息を吐く。

 

目を通していた資料には、「魔女の力の制御」と書いてある。

おそらく歴史上でも類を見ないほどの強大な魔力を受け継いでしまったリノア。

彼女は無邪気で明るく優しいごく普通の少女であった。それなのに、その細い足首には重たい枷が付けられている。

 

逃れられぬ運命、そう開き直るにはまだ彼は大人になりきれてなかった。

 

きっかけをつくってしまった自分を責め、がむしゃらに彼女を守ろうとした。

そんな彼を、リノアは優しく諭す。

「わたしには、こうなることは分かっていたの」

だから、気にすることなどない。そう言いたいのだろうが、納得はできなかった。

 

その力を封じ込めるのか、それとも使いこなすのかという選択の時も、彼女は迷わず「使いこなす」ことを選び取った。一度は、自身の封印を望んだ。しかし、彼女は怯えるよりも、知って魔力と共に生きることを選んだ。

自分にはない強さ。

どんどん自分自身の足で歩いていく彼女に、幼児期の姉に置いて行かれた時の気持ちが蘇り、彼を悩ませた。

 

膝の上に居た猫は、いつの間にか体を起こして、じっと彼を見つめていた。読んでいた本は栞を挟んで閉じてある。

目を細めて見やると、四つん這いで、するりと彼の膝の中に入って来た。そのまま彼に寄りかかり、喉でも鳴らしそうな顔で後ろ手に彼の頬をなでた。

 

 

「何読んでいるの?」

先ほどまでの猫は、いつもの彼女になった。

「エスタのカドワキ博士からの資料だ。今度のエスタ行きの内容が書いてある。お前の力を解放したり押さえたりする実験をすることになるそうだ」

難解な用語は避け、できるだけ簡潔に説明する。彼の膝の中で、頷きながら真剣に話を聞くリノア。その度に、艶やかな黒髪が靡いて、彼の心をざわめかせる。

 

ずっとこのままこの腕の中にいてくれればいいのに。なぜ彼女は飛び立とうとするのだろうか。このまま閉じこめておけたら。

 

・・・バカだな。

 

彼はため息を吐く。彼はもう子供ではないし、一人で生活していけるだけの力を手に入れたというのに。一体いつになったら自分自身の足で歩いていけるようになるのだろうか。

彼女のように。

 

しばし彷徨う思考。

外で鳥が鋭く鳴いた。スコールは我に返る。

 

最近いつもそうなのだ。

彼女が何かをしようという時は必ず、子供時代の自分に帰ってしまう。置いて行かないで欲しい、自分の手を離さないで欲しい、と。そんな自分はもう卒業したと思っていたのに。

 

わからない。彼女に出会って、自分は強くなったのか、それとも弱くなったのか。

 

「せっかく二人でいるんだから、わたしの事を見てよ」

そういう彼女もずっと本の中の住人だったくせに。

「すまない」と空白の時間の謝罪をしようとした刹那、いつの間にか身を翻して、彼女の顔が近づいて来た。彼の頬は彼女の両手で包まれている。

驚く間もなく、微笑みを浮かべたままのリノアが、彼の上唇を舐めた。

 

手に持った資料が音を立てて落ちる。

「わたしはここにいるのに」

彼女は歌うようにそうつぶやくと、今度はゆっくりと唇を重ねてきた。

触れるだけの口づけ。

不意をつかれた彼は、そのまま、ベッドに押し倒された。密着する体、思わず彼女の体にしがみつく。欲情したのではない。すがりたかったのだ。(多分)

 

「スコールがいなかったらわたしはここにはいなかった」

ハッとして、彼女の顔を見た。

走馬燈のように蘇る、過去の記憶。宇宙からの帰還、巨大な装置、涙を流し叫ぶ彼女。

そして。

「魔女でもいいの、って聞いたら、魔女でもいいさって答えてくれたんだよ」

 

 

 

彼の一言が、あのまま暗闇に埋もれていくしかなかった彼女をどれほど勇気づけ、明るい日の下へ導いたのか。この朴念仁にはわかってないらしい。今、彼女が前に歩いていこうとするのは、偏(ひとえ)に彼のため。

だから一緒に歩いていきたいのに。

 

(付いてきてくれなきゃ困るじゃないの)

 

苦笑したリノアは、呆然としている彼の腕を押さえつけて、押し殺した声で囁いた。

「そんな顔していると襲っちゃうぞ」

なんでそうなるのか、スコールは彼女の思考回路がよくわからなかった。

たまらず、肩を震るわせて笑い出す彼を見て、彼女は「笑うな」と言って、彼の髪を梳くようになでた。

 

参った、降参だ。

彼女は心が読めるのだろうか?

やさしい愛撫で、先ほどの焦燥感が霧散してゆくのを感じる。心が穏やかになる。

 

しばらく彼女の好きなようにさせていたが、何だか体の奥がざわついてきたのを感じ、そろそろと体を起こそうとしたが、いつの間にか猫になっていた彼女に上目遣いで睨まれた。

「ダメ。キスしよ」

「・・・資料」

「後にしてっ」

こうなったら彼女には逆らえないのだ。

ちらりと時計を見て、深いため息を吐いた。

 

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(ちょっとためになる)あとがき

うちのリノアは終始こんな感じです。この後、午後の会議に間に合うのでしょうか?

わかっていてやってらっしゃるのでしょう。小悪魔ですね。見習いたいもんだよ。

朴念仁(1)むっつりして無愛想な人

    (2)人情や道理の分からない者。わからず屋

「彼」のためにある言葉ではありませんか?「むっつり」はともかく。