エスケープ
作 こたつ
2.
季節の変化にも気付かなかった。あまりに忙しすぎる日常。
「元気だった?」
先を行く彼女は振り返ることなく問いかける。
取り敢えず体調は悪くなかった為、一言だけ肯定の返事をした。あまりに素っ気なかっただろうかと反省したが、彼女は何も言わなかった。そして導かれるまま木陰に座らされる。
足下にまとわりつくアンジェロの頭を撫でて、リノアも隣に腰を下ろした。目があったため、何か言おうと思ったが言葉が出てこない。会いたくないと思っていたというのに、目の前の彼女は変わらぬ優しい笑顔で、強張った体から力が抜けていくのを感じた。
普段おしゃべりな彼女だというのに、こうして二人きりでいるのに何も言わず、ただ愛犬とじゃれあっているだけだ。はしゃぐアンジェロを見て楽しそうに笑うと、動きに合わせ黒髪がさらりと流れる。美しい髪だと、ぼんやり見ていた。
少し痩せたと思った。
彼の知るリノアは、もっと元気が良く、人が落ち込んでいようがいまいが関係なしに素直に感情をぶつけて来るものであったはずだ。こんな沈黙など考えられないほど話が好きであった。
何かあったのか。
そう考えてようやくリノアに降り掛かった運命の事に思い至る。
魔女の騎士
彼は再び肩に手を当てる。
自分はその責任を全うしているのだろうかと思った。いくら仕事が忙しく、安全なガーデンにいるという事で安心していたとはいえ、ずっと彼女と会っていなかった。
気にならなかったと言うのは嘘だ。
会いたくなかったのは、彼女に対して後ろめたいものがあり、ただ気まずかっただけ。
疲れ切って部屋に戻り、ベッドに崩れ落ちるように倒れ込む時、いつも彼女の笑顔が浮かんだ。
今まで感じたことのない感情に戸惑い、鼓動が早くなる。そして体が熱くなる前にシャワーを浴びてあとは寝るだけであった。
彼の知らない時間、リノアは何をしていたのだろう。
友人たちと過ごしていたのだろうか。いや、皆も自分同様そんな時間は割けないはずだ。戦後の混乱、これから先のガーデンの方針が決まるまで、休暇を取ることすら叶わないであろう。今、彼が逃避している間も、仲間達は司令室に缶詰になっている。では、彼女は一体。
胸が苦しくなってくる。
先程感じたものとは違う痛み。その正体を突き止めるのが怖くて、スコールは思考を放棄する。
もしこのまま考え続けて結論づけたならば、恐らく彼は自分の行動が止められなくなると思った。
リノアを見れば、口元に淡い微笑みを浮かべて彼を見つめている。初夏の明るい日差しを受けてどこか暖かみのあるその色合いに、スコールは視線を外すことが出来なかった。
二人の間には、ひとしきり遊んで貰って疲れたアンジェロが横たわっている。
この距離は、今の自分たちにある距離に等しいと思った。
手を伸ばせば届くのに、彼には障害物を動かしてまでその距離を縮める勇気がない。
それにしても、おしゃべりなリノアなのになぜ何も言わないのだろうか。煩いくらいお節介で明るい彼女だというのに。
落ち着かない、一体どうしたら。
そう思って俯こうとしたら、彼女は嬉しそうな顔をして木に体を預けるようもたれ掛かった。
「わたし、ちょうどスコールに会いたいって思っていた所だったんだよ」
夢を見るように、視線をどこかに泳がせる。
その時、南から吹く潮風が彼女の黒髪を揺らした。白くすべらかな頬を撫で、やがて動きを止めた髪はむき出しの肩に留まった。咄嗟に閉じてしまった目蓋をあげて、再び漆黒の瞳が現れる。光に反射したそれは潤み、スコールは知れず彼女に見とれていた。
とても綺麗だと思った。
この黒い瞳に見つめられたくて、宇宙まで昏睡した彼女を連れて行った。二度と戻れなくなっても構わないと思った。
そんなに時間は経ってないというのに、何だか遠い昔の出来事のようだ。
どうして忘れていたのだろう。
彼女への思い。そして、何故騎士という肩書きを重たいなどと思ったのだろうか。
それなのに、彼女はこんなに身勝手な男に会いたいと言ってくれた。
後ろめたさに逃げ出したい気分だ。自分以上に重たい枷を付けられたリノアを、顧みることすらなかったなどと知られるのが怖かった。
その時、俯き加減の彼の視界に、覗き込むように見上げるリノアの顔が飛び込んでくる。油断していたため、驚いていると、リノアは真面目な顔をした。
「あのねえ・・・こういう時は冗談でもいいから(俺も会いたかった)って言ってくれないかな」
そう告げて、スコールの癖、眉間に皺を寄せて手を翳す仕草の真似をした。
呆気に取られるスコールを見て、彼女は笑う。可笑しそうに体を震わせて。
明るい声は、青い空に吸い込まれるようだ。
「悪かった」
謝られるのも困っちゃうんだけどな、と膨れる彼女に、スコールも笑みがこぼれる。
もしかして、リノアはお見通しなのかもしれない。
彼が彼女を避けていた事、重責に押しつぶされそうになっている事を。仕事に嫌気が差し、こうして我が儘な子供のようにエスケープしてしまった事全てを。
全部知った上で、何もかも許してくれるのだろうか。
それでなければ、こうして自分は素直に笑う事ができなかった。
どういった魔法なのだろう。ずっと重たく感じられた体がとても軽くなった気がする。
季節は移ろい、いつの間にか夏が来ようとしている事に気付かせてくれた。そして、本当はリノアに会いたくて堪らなかったという事も。
「スコールは真面目だから」
彼女は歌うように言う。
「時々こうやってわたしの所に逃げ出してくればいいのにな」
彼の中で時間が止まる。
騎士でいる事をまるで荷物のように考えた自分を消してしまいたいほどであった。
どうして、彼女はこんなに温かいのだろうか。魔女でいる事が辛くないはずはないというのに。
胸が苦しい。彼はその理由を知っている。
そろそろ戻らないといけないであろう。体に染みついたSeeD気質。結局彼はどこへも行けないのだ。
放り出してきた仕事、同僚の怒った顔がちらつく。
だが、もう少しだけ彼女に甘えていたいと思った。
片手を付いて体を屈めると、彼女が少しだけ顔を赤くして目を閉じるのが見えた。
空いた手で柔らかな頬に触れる。皮のグローブがその感触を遮るのがもどかしい。
異変を感じたアンジェロが顔を上げるが、見ない振りをしてリノアに口付けた。
触れるだけのもの。
なのに、心が穏やかになるのを感じる。
そっと唇を離すと、目を閉じたまま彼女は言った。
「このまま、どこかへ行っちゃおうか」
震える声に、愛おしさが込み上げてくる。
「・・・それもいいな」
リノアもどこかへ逃げてしまいたくなるのだろうか。運命を狂わされてしまった彼女も、どこへも行けない。
唯一頼ることが出来る騎士が、この体たらくだ。
一体どんな思いで、リノアは微笑んだのだろう。
先程振り払ってしまった彼女の手を握る。それは、彼の大きな掌にすっぽりと包まれてしまい、想像より遙かに小さな手に切なくなった。
額を彼の肩に乗せて、リノアは俯く。
「がんばらなくてもいいから。・・・だから」
魔女になった彼女がかつて告げた言葉が蘇る。
恐れられる前に、嫌われる前に、いなくなりたいの・・・
誰よりも人に触れて貰えなくなる事に怯えていた彼女。
スコールは自分の犯した罪の重さに体が震えそうになった。忙しいなんて唯の言い訳だ。自分は重責から逃げていたに過ぎぬ、彼女一人に荷物を押しつけたままで。
スコールは唇を噛みしめて、その華奢な体を抱き寄せる。驚いたアンジェロが立ち上がり、場所を空けてくれたので、先程よりもしっかりとリノアを抱きしめることが出来た。
元々細身な彼女であったが、久しぶりに触れた体は、記憶にあるものより一回り小さいようだ。
やはり、彼女は痩せてしまったと確信した。
辛い思いをさせてしまった事を、何と言って謝罪したらいいのだろうか。
彼にはその方法が分からなかった。
不器用な抱擁。ただ、沸き上がる思いのまま、上を向かせたリノアの唇を奪う。
ぎこちないキスはほろ苦く、それでいて会えなかった時間を埋めてくれるような気がして、なかなか離しがたかった。
(わたしの事嫌いにならないで)
彼女の願いは、言葉になることはなく、そのまま彼の唇に消えていった。