本 能
作 こたつ
〜枷
ぎこちない手の動き、それでも彼女は幸せだった。
知識としてしか知らぬ世界。それでも、本能が知っている。
温かい身体、幸せな重み。
これから襲い来る、痛みも快楽も、すべてを受け入れよう。
怖いものなんて何もない。
世界は平和に向かうのだと疑わなかった。
破滅を望んだ魔女は、伝説のSeeDたちの活躍で、その野望は打ち砕かれた。
世界は一体となって戦ったはずだったのに、悪の象徴が消えると同時に、今度はまた国の間で争いが始まるようになった。
何も変わらなかった。どうしようもない、人間の性。
従って、平和など訪れるべくもなく、バラムガーデンのSeeDは各国の任務に連日駆り出された。
魔女戦争で一躍有名になってしまったSeeDスコール=レオンハートも、例外でなく、誰よりも多くの依頼が舞い込んだ。
SeeDはなぜと問うべからず。
彼に断る術はない。己というものを捨て、ただ機械のように任務に出立するのみだった。
彼に会わなくなって、もうどれだけの日が経つのだろう。
机上のカレンダーに書く気も失せる程、今彼女の生活に彼の存在は薄い。
魔女戦争の後、このガーデンのテラスで、彼と口づけを交わした。
全てが終わったという安心感から、この上ない幸福を感じた。
見つめ合う目と目。幸せは永遠に続くものと信じて疑わなかった。
なのに。
この足に絡みついた枷は、彼女の自由を奪った。
彼には、日常というごく当たり前の生活が待っていた。SeeDの日常は食べて寝て起きてというものに加え、戦うという逃れられぬ宿命が含まれていた。
そこに彼女の入る隙はなかった。
彼女はここの住人ではなかった。
中から鍵を開けてくれなければ、彼女は彼に会うことすら叶わなかった。
自分勝手な事は許されぬ。
この身は魔女という、恐ろしい力を抱えた時限爆弾のようなものだ。
いつ何時、この力が暴走して何かを傷つけてしまうのであろうか。
この力を恐れ、誰も彼女に触れてくれなくなるのではないか。
だから、リノアは己の自由と引き替えに、籠の中で守られ暴走という怯えのない安心を手に入れた。
それなのに、彼女の心はどんどんここではない世界へと誘われる。
助けて!
彼女は必死で彼を呼ぶ。でも彼には届かない。
こんなに虚しい世界にいるくらいなら、いっそ自分を無くしてしまうほうがいい、と自分自身を押さえつける。
かつての彼女だったら、迷わず彼に会いに行ったはずだったのに。
彼女を縛り付ける枷は、実は彼女自身であった。
彼女はそれに気づかない。
自分が壊れてしまう前に、もう一度彼に会いたい。彼が鍵を開けて入れてくれたらならば、彼女は自分のすべてを持ってそこに飛びこんでゆくのに。
「怖いか?」
灯りを消した部屋で、彼女の表情を伺う。職業柄夜目は利く方だ。
窓から漏れる僅かな月明かりを反射させた白い肌で、リノアは、涙で潤んだ瞳で彼をまっすぐ見つめていた。
彼らの身に纏うものは何もなかった。
密かな儀式を行うように、互いの衣服を脱がせあい、向かい合った。
ヒトとしてもっとも原始的な本能。
そして、人間として飛躍的に進化した愛するという感情。
それでも、この行為は彼にとって生まれて初めてのものであり、本音を言えば、怖いのは自分の方であった。
彼女の拒絶が怖かった。
自分の本能に歯止めが効かなくなるのが怖かった。
ずっと他人を拒絶して生きてきたから。
他人、しかも異性に対して邪な考えすら持ったことがなかった。
それなのに、目の前の彼女は、そんな彼の心の壁を軽々と越えて、無防備なまま彼の胸に飛び込んできた。
彼だけに向けられる優しい微笑み、色白で華奢な身体、そして艶やかな長い黒髪。
触れてみたいと思った。生まれて初めての感情。
衣類の下の隠された、まだ自分の行ったことのない場所。
そして、それから。
彼女の全てが欲しいと思った。自分のものにしたいと。
湧き上がる、どす黒い欲望と名の付く感情に、彼はただただ己を責めた。
汚らわしいと。
毎晩、夢の中で再現される己の願望に、激しい後悔を伴って目覚める朝。
正直に反応する身体が恨めしい。
大切な彼女だというのに、一体自分は何を考えているのだろうか、と。
だから、任務に没頭して頭から消し去ろうとした。
拒絶したのは彼の方であったのに。
彼はそれに気づかなかった。
図書室は、彼女が好んで訪れる数少ない施設だ。
司書をしている少女とは顔見知りになった。分け隔て無く、誰でも受け入れてくれる場所。
それでも、今の彼女にとってここは避難所以外の何ものでもなかった。暗い思考に陥りそうになると、必ず彼女はここを訪れた。
リノアはいつだって人に必要とされたかった。
ティンバーに居た時。魔女戦争の時。彼女の望み通り、仲間は彼女を受け入れてくれた。
それが、今はどうだろう。
一番必要として欲しい人は、会うことすらできぬ。
もう自分は、いらないのではないだろうか。
そっと、自分の体を両手で抱きしめる。
はっきり言えば、彼女は自分をスコールのものにして貰いたいのだ。拠り所のないこの身を、彼の元に留めて欲しいのに。
早く迎えに来て。わたしはどこへも行けず、この籠の中でずっと待っているのに。
本を開いていたが、目はどこも見ていなかった。
ふいに彼女の感覚が、何かを感じ取る。
規則正しい足音。まっすぐこちらに向かってくる。
彼女は微笑む。やっと迎えに来てくれた、と。
圧縮された時間から帰って来た時、彼女が彼を迎えに行った。だから、今度は彼に来て欲しかった。
少し待ちくたびれちゃったよ。
そして、やっと彼女の瞳はずっと会いたかった彼の姿を捉えた。
触れた彼女の体は、想像より遙かに華奢であった。
それでいて、彼を優しく受け止めるような豊かな胸に、男である自分にはない体の部分が、彼を待ち受けるように静かにその姿を潜めていた。
こうなるために、二人は出会った。
そう思える程、彼は感情が高ぶるのを感じる。それに応えるように欲望を隠すことなく隆起してくる彼自身。
彼の反応したものに、彼女が気づかないはずもなく、それでも彼女は目を逸らすことなく答える。
「怖いものなんて何もないよ」
震える指先で、彼の頬をなでる。
すべてを許す、とでもいうように彼女は目を閉じて彼を待つ。
子供の頃から欲しい物を欲しいと言えなかった自分。
一体どれほど大切なものがその手からこぼれ落ちて行ったのだろうか。
彼女は、彼が生まれて初めて欲しいと熱望したものであった。
だから、もう我慢しない。
欲しい物は欲しいと、己の本能に身を委ねよう。
彼は漸く、躊躇いを捨てて彼女の手を取り、ゆっくりとその身を横たえ、ずっと触れたかった彼女の胸に顔を埋めた。
終
お知らせ
ここに置くべきか迷ったが、二人が切ないので本棚に。つづきはしかるべき場所に保管。