資本がその循環を経過する総時間は、生産時間(生産部面における資本の滞留時間)と通流時間(流通部面における資本の滞留時間)の合計に等しい。
生産時間と労働時間(労働過程の期間)は一致しない(生産時間が労働時間より大きい)。機械や建物などの生産手段の一部は、たとえば夜間など労働過程の周期的中断のさい、それらの機能を中断するが、生産場所への滞留を中断するわけではない。また、原料や補助材料の準備在庫は、徐々に消費されていくので、その滞留時間と機能時間とのあいだに差が生じる。「すなわち、生産諸手段の生産時間は、一般に次の3つの時間を包含する」([124])。(1)生産諸手段が生産過程で機能している時間、(2)生産諸手段の機能が中断されている休止期、(3)生産諸手段が生産過程にはいり込む前の準備期間。
さらに、(4)生産手段の機能の持続が、労働時間の中断を条件とすることがある。「たとえば、捲かれた穀粒、地下貯蔵室で醗酵しているワイン、……化学的処理にゆだねられている労働材料が、そうである」。これらは人間労働を加えられることのない、自然的過程の作用にゆだねられるあいだの時間を必要条件としている。
労働時間を超える生産時間の超過……は、つねに、生産資本が生産過程そのもののなかで機能することなしに潜在的に生産部面にあるということ、または、生産資本が労働過程にあることなしに生産過程のなかで機能するということから、生じる。[125]
生産資本のうち、上述の(3)で言及した、たとえば、「紡績業での綿花や石炭など」は遊休資本であり、「生産物形成者としても価値形成者としても作用しない」が、(a)遊休資本の貯蔵所として必要な建物、装置などは、生産過程の条件としての機能を果たし、これらの維持のために労働が必要であれば、生産資本を高価にし、剰余価値を形成する。(b)上述の(2)で言及した休止期、生産資本の機能が中断している期間は、価値も剰余価値も生産しない。「それゆえ、夜間にも労働させようという努力〔が生じる〕」([125])。(c)上述の(1)で言及した期間、生産資本の機能が継続している期間における、労働時間の休止期は、生産物の完成を助成し、生産物が経過しなければならない過程をなしてはいるが、価値も剰余価値も形成しない。しかし、「諸装置などの価値は、それらが機能する全時間に比例して生産物に移転される」。また、(2)で言及した休止期に機能を中断される建物や機械などの生産資本の一部は、「生産物形成にはいり込むことなしに〔生産物に〕価値をつけ加える。この資本部分が生産物につけ加える総価値は、その平均耐用期間によって規定されている」([126])。
さいごに、上述の(4)の場合、労働過程にあることなしに機能しつづける生産資本(たとえば、土地、樽、反応炉など)が、生産物に価値をつけ加える。
労働は、生産諸手段を現実に合目的的に生産諸手段として消費する限り、つねに生産諸手段の価値を生産物に移転する。この効果を生み出すために、労働が労働諸手段を媒介として連続的に労働対象に働きかけなければならないか、それとも、労働が生産諸手段を諸条件――それらによって労働のより以上の助力を待たずに生産諸手段が自然諸過程の結果としておのずから所期の変化を受けることになる諸条件――のもとに置くことによって刺激を与えさえすればよいか、どちらであろうと、事態になんら変わりはない。[126]
労働時間を超える生産時間の超過の原因がなんであろうと、生産資本がこの超過部分にあるあいだは、生産資本の価値増殖は行なわれない。この超過部分が小さくなればなるほど、生産資本の生産性と価値増殖は大きくなる。「こうして、労働時間を超える生産時間の超過をできるだけ短縮しようとする資本主義的生産の傾向が〔生じる〕」。しかし、また、さきにみたように、労働時間を超える生産時間の超過は、生産過程の条件でもある。「生産時間は、……つねに、資本が使用価値を生産し、かつ自己自身を増殖する時間、それゆえ生産資本として機能する時間である」([127])。
資本の総流通過程は、自己を商品形態から貨幣形態に(W'―G')、また貨幣形態から商品形態に(G―W)、転化することにある。W'―G'がここでは同時に、剰余価値の実現であり、G―Wが同時に、生産諸要素への転化または再転化でもある。すなわち、これらの過程は、形式としては単純な商品流通の過程でもある。この流通部面における資本の滞留時間を通流時間とよぶ。
通流時間と生産時間は排除し合う。なぜなら、資本は、通流時間のあいだは、生産資本としては機能せず、商品も剰余価値も生産しないからである。総資本価値をもっとも単純な循環形態で考察するならば、通流時間のあいだは生産過程は中断されており、資本の自己増殖も中断されている。したがって、通流時間が短ければ生産過程の更新は急速になり、通流時間が長ければ生産過程の更新は緩慢になる。
これに反して、資本のさまざまな部分がつぎつぎに循環を経過し、そこで総資本価値の循環がこの総価値のさまざまな部分の循環において順次に遂行されるならば、流通部面における資本の可除部分の持続的滞留が長ければ長いほど、絶えず生産部面で機能する資本部分はそれだけ小さくならざるをえないことは、明らかである。それゆえ、通流時間の膨張および収縮は、生産時間の、もしくは与えられた大きさの資本が生産資本として機能する範囲の、収縮または膨張にたいして、消極的制限として作用する。……通流時間がゼロになるかまたはゼロに近くなればなるほど、資本はそれだけ多く機能し、資本の生産性と自己増殖とはそれだけ大きくなる。……[128]
このように、資本の通流時間は、一般に資本の生産時間を制限し、それゆえ資本の価値増殖過程を制限する。[128]
「経済学」は、この、通流時間が資本の価値増殖過程におよぼす作用をもって、自説の証拠だと錯覚した。すなわち、資本は、生産過程における労働力の消費にはかかわりなく、なんらかの自己増殖の源泉をもっており、自己増殖が、資本の総循環過程で、したがって、生産時間のみならず、通流時間でも行なわれているのだと考えたのである。この錯覚はつぎのような現象によって強固なものになった。(1)利潤の資本主義的計算方法によれば、より長い通流時間は、商品価格上昇の原因として作用する。(2)通流時間は回転時間の一契機にすぎないが、回転時間が生産時間を含むため、生産時間に起因することが、通流時間に起因するように見える。(3)追加可変資本による資本蓄積のさい、まずはあらかじめ通流時間内に諸商品が貨幣に転化されることが条件となる(W'―G')ので、このような蓄積が通流時間に起因するように見える。
流通部面では、資本は相反する局面W―G(販売)とG―W(購買)を経過するので、通流時間もこれに対応した2つの部分に分かれる。すなわち、「資本が自己を商品から貨幣に転化するために要する時間と、自己を貨幣から商品に転化するために要する時間とに」([128])。
「第一部 資本の生産過程、第三章 貨幣または商品流通、第二節 流通手段、a 商品の変態」で明らかなように、W―G(販売)は、資本の変態のもっとも困難な部分であり、通流時間のより大きな部分をなす。貨幣への転化によって、いつでも他に変換可能な形態を獲得するが、資本の流通過程G―Wでは、生産諸手段が市場に現われていないとか、遠方から取り寄せなくてはならないとか、平常どおりの供給が中断するとか、価格変動が起こるとかの事情が生じうるので、「やはり流通局面のこの部分のために多い少ないの違いはあれ時間をかけることを必要とさせる」([129])。
W―GとG―Wは空間的にも分離される。「購買市場と販売市場とが空間的に異なる市場でありうる」。工場制度内においては、購入者と販売者が別人の場合があり(商品生産では、流通は生産と同様に必要であり、資本の再生産過程はその両方の機能を含むから)、流通担当者と生産担当者の機能分化が起こりうる。また、事業の規模の大きさによっては、この流通担当部門の機能を他人に肩代わりさせることの必要もでてくる。
しかし、このことは、商品資本および貨幣資本の諸機能を生産資本の諸機能と混同する理由とはならないのと同様に、流通当事者たちを生産当事者たちと混同する理由とはならない。流通当事者たちは生産当事者たちによって支払われなければならない。しかし、互いに売買し合う資本家たちが、この行為によっては諸生産物も価値もつくり出さないのであるから、……右の事情に変わりはない。多くの事業では、購入者と販売者とは利潤の分け前によって支払われる。彼らは消費者たちによって支払われるという決まり文句は、なんの役にも立たない。[129]
W'―G'は、同時に、W'に含まれる剰余価値の実現である。G―Wはそうではない。それゆえ、販売は購買よりも重要である。[129]
商品は、一定の時間内に販売されなければ、腐朽し、使用価値と一緒に交換価値の担い手としての属性も失うので、商品資本としての機能も失う。すなわち、「諸商品に含まれる資本価値、およびこの資本価値に着生した剰余価値は、失われる」。このように、「商品資本の流通W'―G'には、諸商品そのものの実存形態によって、使用価値としての諸商品の定在によって、一定の制限が付されている」([130])。
商品体そのものの腐朽によって画される商品資本の通流時間の限界は、通流時間のこの部分の、言い換えれば商品資本が商品資本“として”経過しうる通流時間の、絶対的限界である。
その商品の腐朽しやすさのために、その販売市場が局地的性質のものとなる商品、すなわち、その「自然的性状のため商品としてのその通流時間の絶対的制限が……大きい」商品は、人口の多い場所、あるいは、輸送手段の発達によって地域間の隔たりが縮まる程度に応じてのみ、資本主義的生産のものになりうる。
しかし、少数の手中での、また人口の多い場所での、ある物品の生産の集中は、たとえば大規模なビール醸造所、搾乳場などの場合のような物品にたいしても、相対的に大きな市場を創造することができる。[130]