第2部:資本の流通過程
第1篇:資本の諸変態とそれらの循環
第6章:流通費

第1節
純粋な流通費



1 購買時間と販売時間

商品から貨幣への、および貨幣から商品への、資本の形態変化は、資本家の立場からは、彼が市場で売り手および買い手として機能する時間、すなわち販売時間および購買時間である。この時間は資本家の営業時間の一部である。

商品から貨幣への、および貨幣から商品への過程では、同じ価値の転換、あるいは、買い手から売り手へとその定在の変化が生じるだけである。これらの変態は買い手と売り手との取り引きであり、相応の時間と労働力を要するが、価値を創造しはせず、価値の形態変換を媒介するにすぎない。すなわち、購買時間および販売時間は、なんらの価値も創造しない。

購買と販売は、それ自体としては不生産的であるにしろ再生産に必要な一機能である。この機能が、多数の人々の副次的業務から少数の人々の専属業務に転化されても、機能そのものの性格は変わらない。

一人の商人(ここでは、諸商品の形態転化の単なる代理人、単なる購買者および販売者とみなされる)は、彼の諸操作によって多数の生産者たちのために購買時間および販売時間を短縮するであろう。その場合は、彼は、無益な力の消費を減少させ、または生産時間の解放を助ける、一機械とみなされうる。[133]

この代理人を「自分の労働を売る人」(労働者)であると仮定するとしても、彼の労働の内容は価値も生産物も創造しない。

彼の有用さは、不生産的機能を生産的機能に……転化することにあるのではない。……彼の有用さは、むしろ、社会の労働力および労働時間のうち、この不生産的機能に拘束される部分が減少することにある。[134]

彼が賃労働者として、「毎日、8時間労働の価値生産物を受け取って10時間にわたって働く」ものと仮定しよう。2時間の剰余労働は、8時間の必要労働と同様に価値を生産しない。10時間のあいだ彼の労働力は流通機能において消耗され、生産的労働には使用されない。彼の2時間の剰余労働によっては、社会は、余分の生産物あるいは余分の価値をなにも取得しない。ただし、彼が支払いをうける費用は、10時間から8時間に、1/5だけ減少する。社会は、この流通時間の1/5になんの等価物も支払わない。

雇っている資本家の立場からすると、この2時間を支払わないことによって、資本家の「収入からの控除」は、その分だけ減少するから、資本家にとっては積極的利得となる。

「自立的小商品生産者」たちにとっては、購買時間と販売時間は、生産時間の削減、「生産的機能の合間に支出される時間」として現われる。

購買時間および販売時間に費やされる流通費は、価値を商品形態から貨幣形態に移すために必要な費用であるが、どのような事情の下でも、形態変換される価値にはなにもつけ加えない“空費”(「生産に直接貢献しない費用」)である。

資本家の事業の範囲が拡大し、独自な流通当事者を賃労働者として雇い入れる場合、流通過程で支出される一定の労働力および労働時間は、追加的な資本投下として現われる。この資本の部分は生産物も価値も創造せず、その分だけ生産的に機能する範囲を縮小する。

[132][II 206]の「燃焼の仕事」の例がよくわからないので、あちらこちら参照中。参考に、以下引用しておきます。

この燃焼の仕事は、燃焼過程の必要な一契機であるとはいえ、なんらの熱も発生させない。たとえば、石炭を燃料として消費するためには、それを酸素と化合させなければならず、またそのためには石炭を固体状態からガス状態に変えなければならず(というのは、燃焼の結果である炭酸ガスにおいては石炭はガス状にあるからである)、したがって、物理的定在形態または物理的状態の一変化を生じさせなければならない。化合して固体の一全体をなしている炭素諸分子の分離、および個々の原子への炭素分子そのものの分裂が、新たな化合に先行しなければならない。そして、これには、ある一定のエネルギー支出が必要なのであり、したがってこのエネルギー支出は、自己を熱に転化するのではなく、熱から差し引かれるのである。

2 簿記

簿記の機能には、労働力と労働手段が支出されるが、生産物も価値も創造しない。

資本は、総循環過程を進行しつつある価値としては、計算貨幣の姿で観念的にとらえらえ、その運動は簿記によって、確定され管理される。

こうして、生産の運動、とくにまた価値増殖の運動――この場合に諸商品は価値の担い手としてのみ、その観念的な価値定在が計算貨幣で確定されている諸物の名称としてのみ、現われる――は、表象のうちに象徴的な模写を受け取る。[135]

記帳行動が、たとえば農民の頭のなかで行なわれるか、生産時間外で片手間に行なわれるか、小商品生産者たちによって行なわれるか、それとも資本家の機能として大規模な生産過程内の機能として行なわれるか、さらには、特殊な代理人の機能としての自立化によって行なわれるか、いずれの場合であっても、簿記の機能の一般的性格そのものは変わることはない。すなわち、簿記で消費される労働時間および労働諸手段は、追加的消費を表わしており、必要な労働時間であり労働諸手段ではあるが、彼が生産的に消費しうる時間、ならびに、生産物形成および価値形成にはいり込む労働諸手段からの、控除をなす。

資本家の会計活動の場合には、可変資本(労働力=簿記係や事務員などの人件費)や不変資本(労働諸手段=ペン、インク、紙、机などの事務所経費)の投下を必要とするが、「資本のこの部分は、生産過程から引き離されて、総収益からの控除である流通費の一部になる」([136])。

同じ流通費の一部であっても、簿記から生じる費用と、単なる購買時間および販売時間の費用とのあいだには、ちがいがある。売買時間の費用は、商品生産社会という特定の生産社会形態からのみ生じるのにたいして、簿記の費用は、あらゆる生産社会形態から生じ、生産過程が社会的になるほど、すなわち、手工業経営および農民の分散的生産から、資本主義的生産に、さらに共同的生産(社会主義的共産主義的生産)へと発展するにつれて、いっそう必要になる。しかし、その費用は、「生産の集中につれて」社会的なものに転化するほど、減少する。

3 貨幣

金銀のような特定の商品が貨幣として機能し、流通過程にとどまるのは、商品生産という特定の社会形態でのみ生じることである。資本主義的商品経済のもとでは、商品生産がより一般的形態となっているから、社会的富のうち商品として機能する部分が絶えず増大し、流通手段、支払手段、準備金などとして機能する貨幣もまた増加し、不生産的形態として拘束されていく。貨幣は流通部面のなかでますます摩滅してゆくから、持続的な貨幣の補填が必要となる。「より多くの社会的労働……の、より多くの金銀への転化を、必要とする」。「この補填費は、資本主義的に発達した諸国では相当な額にのぼる。なぜなら、一般に富のうち貨幣の形態に拘束される部分は膨大であるからである」([138])。この補填費は、資本主義的商品経済のもとにおいて生じる流通費であり“空費”である。この流通費は「資本主義的生産の、発展につれて増大する」。



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