資本の循環、あるいは商品変態において行われる社会的労働の“代謝”は、生産物の空間変換、現実の場所変換運動を必要としうる。一方では、流通は、商品の物理的運動がなくても行われうるし、生産物の輸送自体は、商品流通、あるいは直接的生産物交換がなくてさえも行われうる。しかし、また、「諸物の使用価値はそれらの消費においてのみ実現され、しかも諸物の消費はそれらの場所変更を、したがって輸送業の追加的生産過程を必要としうる」([151])。
したがって、輸送業に投じられた生産資本は、一部は輸送諸手段からの価値移転によって、一部は輸送労働による価値追加によって、輸送される生産物に価値をつけ加える。[151]
生産過程内部において、労働対象の場所変更と、それに要する労働手段と労働力とは、大きな役割をはたす。ある生産場所から他の生産場所への生産物の輸送も、それと同じで、規模をより大きくしただけである。これに、生産部面から消費部面へと生産物の輸送が続く。生産物はこの運動を完了したとき、はじめて消費のための完成された商品となる。
商品生産の一般的法則が輸送業にもあてはまる。すなわち、
与えられた距離の商品輸送に必要とされる労働量……が小さければ小さいほど、労働の生産力はそれだけ大きく、その労働量が大きければ大きいほど、労働の生産力はそれだけ小さい。[152]
輸送が商品につけ加える価値の絶対的な大きさは、他の事情に変わりがなければ、輸送業の生産力に反比例し、通過すべき距離に反比例する。[152]
輸送費が商品の価格につけ加える相対的な価値部分は、商品の容積と重量とに正比例する。[152]
けれども、これを修正する事情が数多くある。たとえば輸送は、物品の相対的な、壊れやすさ、変質しやすさ、破裂しやすさ、に応じて、大なり小なりの予防措置を必要とし、それゆえ労働および労働諸手段の大なり小なりの支出を必要とする。この点では鉄道王たちは、空想的な品種の形成の点で植物学者や動物学者よりも大きな独創力を発揮する。たとえば、イギリスの鉄道でとられている貨物の分類は、……一般的原則として、貨物の種々雑多な自然的属性を、同じくらいたくさんの輸送上の弱点と、よくある詐取の口実とに変えようとする意向にもとづいている。[152]
さらに、輸送費が物品につけ加える相対的な価値部分がその物品の価値に反比例することは、鉄道王たちにとっては、物品の価値に正比例して物品に運賃を課する特別な理由になる。[153]
資本主義的生産様式は、輸送交通手段を発展させることによって、個々の商品の輸送費を減少させる一方、生産物の大多数を商品に転化し、市場を局地的なものからより遠隔地へ拡大することによって、商品輸送に支出される社会的労働を増加させる。
商品の流通、通流する商品そのものが、商品の輸送ということに行き着く。輸送業の特殊性は、自立的な一生産部門を形成し、生産資本の一投下部面を形成する一方、流通過程の内部で流通過程のための生産過程の継続として現われる、という点にある。