不変資本(生産諸手段に転換される部分)のうち、労働諸手段にあたる部分(工場建物、機械など)は、反復される労働過程で機能を発揮し続け、損耗の程度におうじて生産物に価値を移転する。この価値移転量は、平均計算によって決まる。
この移行は、生産手段が生産過程にはいり込む瞬間から、それがまったく摩滅し死滅して、同種の新品によって補填または再生産されなければならない瞬間にいたるまでの、この生産手段の機能の平均的持続時間によってはかられる。[158]
原料や補助材料などの生産諸手段は、労働過程のなかで生産物の形成要因となり、完成された生産物に転化され、商品として生産過程から流通過程へ移行する。それにたいして、労働諸手段としての生産諸手段は、それらが機能する限りのあいだ、その現物形態としては生産部面に「縛り付けられ」、それらが機能し損耗するにつれて、それらの価値の一部分だけが生産物に移っていき、商品生産物の構成部分として流通過程へ移行する。このように、労働手段としての不変資本のこの部分の独自性は、第一に、その使用形態でではなしにその価値だけが、生産物に移転するにの応じて、少しずつ流通することであり、第二に、労働手段が機能する全期間を通じて、残りの価値部分は現物形態とともに、つねに生産部面に固定されたままだということである。
この独自性によって、不変資本のこの部分は、固定資本という形態を受け取る。これにたいし、生産過程に前貸しされた資本のうちの他の素材的構成諸部分は、すべて、それと対照的に、流動資本を形成する。
生産諸手段の一部分であり、労働諸手段の機能によって消費されたり、労働工程をささえるために消費される「補助材料」は、素材的には生産物にはいり込まず、その価値が生産物価値の一部分を形成する。この点で、補助材料は固定資本と共通している。この事情が、一部の経済学者たちを惑わして、固定資本と不変資本を混同するとともに、補助材料を固定資本の範疇に入れてしまうというあやまりに陥らせた。しかし、補助材料は、どの労働過程でもその全部が消費され、そのつど同種の新品によって全部が補填されなければならず、その現物形態が固定されているわけではない。
生産諸手段のうち、原料などは、それが素材的に生産物に転化するいうことから、一部分は個人的消費にはいり込みうるさまざまな形態を受け取るが、これにたいして、固定資本である労働諸手段は、それらが機能しなくなるまで、生産物にたいしてその現物形態とで相対するということから、生産的にのみ消費され、個人的消費にはいり込むことはできない。
ただし、輸送諸手段は例外である。輸送手段がはたす生産的有用効果である「場所変更」は、たとえば同時に旅行者の個人的消費にはいり込む。旅行者は、場所変更という有用効果の消費に支払う。
化学工業では、使われる主要材料と補助材料のいずれもが生産物の実体として再現されないので、それらの区別はあいまいになるが、労働諸手段と補助材料、原料との区別でもそういう場合がある。たとえば農業における土地改良素材がそうである。これらの素材は、一部が生産物である農作物にはいり込むが、それらの作用は数年にわたり配分される。すなわち、素材の一部分は生産物にはいり込み、他の部分はもとの形態にとどまって固定されて、生産諸手段として機能し続ける。これは固定資本の形態であるといえる。一方、酪農でも同様のことが言える。牛は役畜としては固定資本であるが、食用にされれば労働手段としては機能せず、こんどは流動資本としての機能を帯びる。
すなわち、不変資本のある一定部分に固定資本の性格をあたえるのは、労働過程において果たす機能のあり方と、その価値が流通する独自な様式にある。
本来の意味での労働手段ではない生産手段、たとえば補助材料、原料、半製品などが、価値の引き渡しにかんして、それゆえその価値の流通様式にかんして、労働手段と同じ事情にあるとすれば、その生産手段も同じく、固定資本の素材的な担い手であり、それの実存形態である。[161]
生産諸手段商品のように、ある使用価値が、労働過程から生産物として出てきて、他の労働過程にはいり込むことは、一般的に行われていることだが、たとえば、ゆくゆくは労働手段として機能するであろう機械商品が、完成された商品として売り手の生産過程から出てくるだけで、それ自体が固定資本であるわけではない。機械は、買い手の生産過程において労働手段として実際に機能してはじめて固定資本となる。
労働手段の耐久性が増すほど、すなわち、労働手段の使用価値が失われるのが緩慢であればあるほど、それだけ不変資本価値が労働手段に固定されている期間が長くなり、生産過程で使用される資本と生産過程で消費される資本との差額はそれだけ大きくなる。
この労働手段の固定性を物理的不動性と混同し、「物理的不動性が固定資本の直接的諸属性である」と錯覚した「経済学者たち」がいるが、船舶など、それ自体固定資本でありながら、物理的可動性をもつものがあるので、明らかに誤りである。
さらには、固定資本のその価値の流通する独自な様式から、そのような傾向をもつ諸物それ自体をすべて固定資本として扱い、流動資本と区別するという混乱も生じる。そもそも生産諸手段は、どのような社会的生産様式のもとで行われるかにかかわりなく、あらゆる労働過程において労働諸手段と労働対象に分けられる。労働諸手段と労働対象との区別が、固定資本と流動資本との区別という新たな形態に反映されるのは、資本主義的生産様式の内部ではじめて生じることである。
ある生産手段が、労働過程内に比較的長く、たとえば、反復される一生産期間を形成する労働期間に固定されているだけで、そのことがその生産資本を固定資本にするのではない。すべて、生産資本は、生産資本として機能するあいだは、その素材的姿態や機能、価値の流通の仕方がどうであろうと、生産過程に滞留し固定されている。たとえば、種子は、約1年間生産過程に固定されている原料にすぎず、固定資本ではない。生産資本が生産過程に固定されているということ自体は、固定資本と流動資本を区別するものではない。
一般的に労働手段は、生産過程でその機能を果たすように準備されるやいなや、場所的に固定される(たとえば、機械がそうである)。または、最初から場所に固定された形態で生産される(土地の改良、工場建物、溶鉱炉、運河、鉄道などがそうである)。一方、機関車、船舶、役畜などのように、ある労働手段はつねに場所を換え動きながら、つねに生産過程にある。これらのいずれも固定資本として機能する。ともあれ、それら労働諸手段が場所的に固定され、土地に根ざしているという事情は、その独自の役割を割り当てる。これらの土地に固定された労働手段は、他の領域に送ることはできないし、世界市場の商品として流通することもない。この固定資本の所有権限は替わりうるし、観念的に世界市場で流通することもできるが、だからといって、労働手段が存在する土地を領有する諸地域の経済における固定資本部分の割合が変わることはないのである。
固定資本はその独自の流通によって、その価値も独自の軌跡を描く。現物形態での固定資本が摩滅によって失う価値部分は、生産物の価値部分として流通し商品から貨幣に転化する。したがって労働手段の価値は、その一部分が現物形態に固定されたままであり、他の一部分は、この形態から貨幣として分離する。労働手段の貨幣形態から使用形態への再転化は、労働手段が消耗し尽くし同種の新品で補填されなければならない時間によって、決められる。
かりに、1万ポンンド・スターリングの価値をもつ機械の機能期間をたとえば10年とすれば、この機械に最初に前貸しされた価値の回転時間は10年である。……10年の終わりにはその価値は全部貨幣に転化され、そして貨幣から機械に再転化されるのであり、したがってその回転は完了したことになる。この再生産時間の始まるまで、機械の価値は、さしあたり貨幣準備金の形態で徐々に蓄積される。[164]
不変資本のうち補助材料および原料からなる部分と、労働力に投下された可変資本部分は、固定資本とはまったく異なる軌跡を描く。
補助材料および原料は生産物の形成においてその全価値を移転し、その価値も全部生産物によって流通し、貨幣に転化し、また貨幣から商品の生産諸要素に再転化し、つねに現物で更新される。
労働力は一定の期間を限って買われ、慣習的な期限でつねに更新される。労働力が機能中に生産物につけ加え、生産物の流通とともに貨幣に転化される、労働力の価値の等価物は、つねに貨幣から労働力に再転化される。
このように、不変資本のうち固定資本を形成しない構成部分の価値と、労働力の価値とは、全部が生産物に移転し、この生産物とともに、流通過程を経過し、恒常的な更新によってつねに生産過程に合体されており、その価値の回転の仕方は共通である。
生産資本のこれらの構成部分――生産資本価値のうち労働力に投下された部分と固定資本を形成しない生産諸手段に投下された部分――は、それらに共通な回転のこの性格によって、流動資本として固定資本に対立する。[165]
流動資本の一部として機能する可変資本は、その形態としては、労働力を使用する代価として支払われる貨幣であり、労働者の必要生活諸手段の一般的等価形態であるから、その素材的内容としては、労働者の必要生活諸手段であるといえる。ただし、この労賃という一般的等価形態で資本家が買うのは労働者の労働力であり、この労賃という一般的等価形態を受け取り、それらを自らの生活諸手段に換え、生活を維持し、自らの労働力を再生するのは労働者自身である。可変資本が投下されるのは、労働者の生活諸手段にたいしてでも、労働者の労働力自体にたいしてでもなく、労働力と等価の価値にたいしてであり、この価値部分こそが、固定資本にたいして流動資本と規定されるのである。
たとえ賃銀の一部分が労働者に生活諸手段で“現物”で支払われようとも、それはこんにちでは二次的取り引きである。彼は自分の労働力を一定の価格で売るのであり、そのさいには、彼はこの価格の一部分を生活諸手段で受け取るという協定がなされる。このことは支払いの形態を変えるだけで、労働者の現実に売るものが彼の労働力であるということを変えはしない。[166]
流動資本は、固定資本の大きさによって与えられている生産の規模に応じて、固定資本よりも短い期間に回転する。なお、労働力は、それ自身の価値とともに剰余価値をつねに生産物につけ加え、資本価値と同時に剰余価値も回転するのであるが、このことはしばらく保留し、資本価値の回転のみを取り上げる。