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小説
リビアンスター( リビアの星)
<若き日の革命家・カダフィ大佐の話>
(パープル・サンフラワー第十四章) マルタン丸山
「カダフィ大佐(69)死亡・独裁42年幕。
リビア評議会全土制圧」。
「国民評議会が、殺害。反カダフィ派が表明。
映像と食い違い、論議も……」
と掲載された。
そして、
「シルト近郊にあるコンクリートの下水管の穴に隠れていた。
両足と頭にケガをしており、反カダフィ派の兵士と言葉を交わした後死んだ。
黄金色の銃2丁と自動小銃を持ち、ターバンを巻いていた。」
と、カダフィ氏を捕らえたという反カダフィ派兵士は、英BBCに語り、
「カダフィは、『撃つな、撃つな』と二度繰り返し叫んだ。」
と話した。
また、反カダフィ派組織・国民評議会のジブリル暫定首相は、20日夜、首都トリポリで記者団に対し、カダフィ氏の死因について、
「カダフィ支持者と反カダフィ派の戦闘中に頭に被弾した。」と述べた。
また、
北大西洋条約機構(NATO)の説明によると、
「現地時間20日午前8時半ごろ、シルト郊外で軍用車両約75台からなるカダフィ派の一団をNATOの爆撃機が確認。
市民を攻撃するのに十分な数の武器を携えていたため攻撃を加え、計11台を破壊した」といい、
「その直後、反カダフィ派部隊が小型ロケット砲などで3時間にわたり車列を攻撃し、激しい戦闘となった。」
このため、
「カダフィ氏は近くの下水用の穴に逃げ込んだ。
間もなく、反カダフィ派部隊がカダフィ氏を見つけ、片手に自動小銃、片手に拳銃を持って出てきた。
そして、そのあと次のように若い兵士に訴えた。
『撃つな、撃つな、息子たちよ、殺さないでくれ。』」
「カザフィ氏とは、一九六九年の九月一日に無血革命によってリビア王政を覆し「社会主義人民リビア・アラブ国」を樹立した革命児・英雄だ。」
栗須(くりす)は、ここまで新聞を読んで、42年前(1969年)のことを回想した。
アフリカの北部のシドラ湾からサハラ砂漠にかけてのリビア国。
この国は、一九五二年にイスラム教の民族解放の旗印で国連決議によってイタリア・イギリス・フランスの植民地から独立した国だった。
国王イドリースはイスラム教のサヌーシー派で、どちらかといえば欧米よりの政策をとっていたことも功を奏していた。
が、イドリースは、種族を率いて砂漠を渡り歩くのには優れていたが、一ヵ所に留まり「国」を治める能力はなかった。
彼は、欧米に軍事基地の提供で経済援助をうけるというやり方、いわゆる植民地時代と寸分も違わないやり方で細々と生きていた。
「国民」はいつまでたっても貧しい生活、たとえば海綿やエスパルトという麻薬に似た煙草の売り上げで生活していた。
そんなとき、良質の石油が発見され、植民地政策の流れを断ち切れかけた。
が、イドリース国王はその利権と引き換えに王政存続だけに終始した。
イギリス・フランスは、イタリアを掘り出して、二国だけの、東西に自由な活動地域を得て、そこに軍隊を置いた。自分たちの力を鼓舞(こぶ)するために。
「国民」はその恩恵を一切受けず、貧困は更にひどい状態になっていたのだ。
若き一人の将校は、その社会が許せなかった。大国の支配の基での国家は、「植民地」になり、国民が「奴隷」のようになることが、許せなかった。
そのカザフィ将校は、「無血革命」によって王政を覆し「社会主義人民リビア・アラブ国」を樹立した。「無血革命」は、他に例がないと言っても過言ではない「革命」である。
彼は、小国を蝕む大国を嫌った。大国に脅かされないためには、「独裁」しかない。
独裁は、人民を隔離し、密告・通報を生み、人民に恐怖を抱かせる。そして、その独裁は、いつか必ず滅び去る。歴史が証明している。
分かっているが、大国に対する脅えのために「鎖国・独裁」に走った。そして、今、カダフィは、「アラブの春」の革命によって処刑(殺害)された。
しかも、42年前の支配者である、イギリスとフランスのNATO軍によってである。
「アラブの春」・「リビアの春」は、本当に民主主義・自由主義・資本主義になりえるのか、を見詰めたい。
「人民を無視した政治を打倒する。」と叫んでいた彼が、42年後には、同じように叫ばれて撃たれた。
若き時の革命精神は、時が徐々に蝕み、己の欲だけに陥るのか。あの頃の彼は、間違いなく若きヒーロー革命児だった。
42年前の彼は、「無血革命」の英雄だった。若々しく溌剌とした男だった。しかも、人々から「リビアンスター(リビアの星)」とまで呼ばれていた。
「革命の歴史」のなかで、他にはない、そのカダフィ将校の名誉のために、その時のことを書き残しておきたいと、栗須は思った。
無血革命の英雄「リビアンスター」と「三人の男たち」の話を。
1969年、栗須(日本人)は、フランス人のダニーと、アメリカ人のビルと3人で、「チェ・ゲバラ」の捜索のために、アフリカの国「リビア」に飛んでいた。
中国の独裁者マオツオトン・ジュウシ(毛沢東主席)とアメリカの大統領補佐官キッシンジャとの約束(第11章「マオ・ジュウシの駆け引き」第13章「飛べ!低く飛べ!」)のためだ。
★★★★★1 リビア・トリポリ★★★★★
・・・・・・・・・・・ 1969年・リビア ・・・・・・・・・・・
「サラーム……。」
「何?」
「サムール・アレイ・クム。」
「何だって?」
リビア国際空港の入国審査員の濃い口髭が激しく動く。栗須(クリス)が黙りこくると、アラビア語訛の英語が一語ずつ区切られながら飛んできた。
「君の、上に、平安、あれだ。」
「サンキュウ・サムール・アレイ・クム。」
「ラー(ノウ)・ワ・アレイ・クム・ニッサラーム(あなたの上にこそ平安あれダ)。」
「インタ・イスワッ・ク・エー?」
「何?……アイ・キャノット・アラビー(僕はアラビア語ができないよ)。」
濃い口髭は、不機嫌になって、唾を撒き散らしながらぶつ切り英語で言う。
「あんたの、名前、じゃ。」
「栗須(クリス)。」
「フエア・カントリー?」
「日本。」
「なにしに、来た?」
「観光。」
「観光?……見る、ところなんて、ないよ、この、リビアは……。」
「砂漠を見に……。」
「地質、学者?」
「ラー、……。」
「石油?」
このまま身元調査が続くのなら、たまったものじゃない。
「アイワ(そうだ)オイルだ」
「どこの、ホテルに、泊まる?」
「まだ決めてない。」
「決めてない?それなら……。」
突然声を潜める。
「俺の所で、泊まるか?……ペンション、やってる、カミさんが……。」
「それはありがたいが……。」栗須は次に並んでいるダニーの方を見た。
「連れか?……O・K……奴と、話を、つける。お前、もう、行け。」
栗須は渡されたパスポートを持って扉まで歩きだす。振り向くと、ダニーが濃い口髭と話しだしている。彼ならアラビア語もできる。
ターンテーブルに一番乗りでやって来た栗須は、偽パスポートがばれなかったことにホッとしながら二人の男達を待った。
ダニー(フランス人)・ビル(アメリカ人)そして栗須(日本人)の三人は、ホンコンからドバイ経由でパリに行き、このリビアにやって来た。
ビルが栗須の肩を叩き、目でパスポートが無事に通過したことを告げる。
ターンテーブルからバックが降ろされた時、彼らの周りに、私服警備員らしい男たちが取り巻いていたことに気付かなかった。
消毒液の匂いが鼻をつく。
「ダニーが遅いが、まさかパスポートの件で……。」
「いや、大丈夫だろう。凄腕(すごうで)の中国人が作ったやつだから……。」栗須とビルが話し始めた時、
「失礼、御足労ですが、別室まで来ていただきます」
二人は両腕を持たれて、身動きがとれない。否応無く別室に引きずられて行く。
二重扉を押し開けて中に入ると、オフィース状の椅子に、ダニーが座っている。
「ダニー!なんでそこに座ってるの?」
「君たちと同じだ、と思うよ。」
ダニーがビルに答えていると、顔中髭だらけの警備員が言った。
「あんたたち、なぜ、リビアに来たの?」
「何故って、観光だよ。」
「それは、おかしいね、さっきは、石油って、言ってたよ。」
「聞いてたのか?さっきの話しを……。」
「そこにビデオテレビがあるだろう、いつも見てるんだ。」
「へぇー、β(ベーター)?それともVHS?」
ダニーが茶化した。
「イッツ・ア・ソニー!」
テレビコマーシャルの喋りで、警備員らしき男が答える。
「それは良い。長く撮れるからね。でも、VHSの方が安いよ!」
「国が出すから、いいんだ。」
「へえー、すべて国のお金?」
「まあね。君たちのことを知りたがってるのも、国だよ。」
「何もしていないぼくたちのことをかい?」
「いいや、何かするかもしれない君たちを、だよ。」
「何で、そう思うんだい?」
「隣の国で、数年前にあったからね。」
「隣って、エジプトだね。知ってるよ。シナイ半島をイスラエルに盗られちゃった。」
「そう、何が起こるか分からないからね、今の世は。」
「何も起こさないよ、ぼくたちは。人に会いに来たんだ。」
「誰に?」
「チェ・ゲバラ!」
「嘘だろー?チェ・ゲバラは、死んじゃったよ。いや、殺されたよ、アメリカに。」
「そうだったね。」
「何で、チェ・ゲバラがこの国にいると思ったんだい?」
「冗談だよ。なんで、あんたは、チェ・ゲバラのことを知ってるんだい?」
「チェは、若者のアイドルだったからね。」
「じゃ、一緒だ。気が合うね。……この国になぜ来たのか、本当の事を言おうか?」
「ああ、お願いしたいね。」
「アル、カブル、ジャマラ?」
ダニーが、突然アラビア語で言った。
「ハル、タルカブー、ナハー?」
相手の男が、口調を変えて答えた。
「アイワ!」
「ちょっと、待っててください。」
男達が、部屋の隅によって、何かを話し出した。
ビルと栗須は、狐につままれたようになった。
「分かりました。お引き取り下さい。どちらのホテルに泊まられるのですか?」
丁寧な言葉で、ダニーの側に寄ってきた。
「分からないんだ。どこか、いいとこ知ってる?」
「ロビーのインホーメイションまで、ご案内します。」
彼が先頭に立って、3人を二重扉から、ロビーのインホーメイションに連れて行き、女性にアラビア語で話し出した。
国営のリビアホテルの名が入ったパンフレットを、ダニーに手渡し、表の扉まで、案内して、言った。
「タクシーに乗り、このパンフレットを見せれば、間違いなく連れて貰えます。リビア人は、みんな、親切です。サラーム・アレイ・クム(あなた方の上に平安あれ)。」
「ワ・アレイ・クムッサラーム(あなたの方にこそ、平安あれ)。」
3人は、空港の外に出た。灼熱が、彼らを襲ってきた。
「暑いね。ソ連が懐かしい。あのマイナス40度が。」
ビルが言ったのに対して、ダニーが茶化す。
「帰りたいの、シベリアへ。」
「いいや、もう二度とごめんだ。」
「ああ、暑いのは、いいね……。」
栗須が、口を挟んだ。
「……ダニー、さっき何を言ってたんだい?警備員に。」
「ああ、あれ、『アル、カブル、ジャマラ?』……。」
「ああ、それ、アル、カブル、ジャマラ……。」
「さっきの入国審査員から、聞いてないの?」
「あの、口ひげの審査員?」
「彼が、教えてくれたんだ。そいつの家に泊まるなら、教えるって……。」
「何を教えるんだ。」
「合い言葉さ。」
「合い言葉?」
「そう、国の要人だけが、知ってる合い言葉だ。」
「アル・カブ……。」
「アル・カブル・ジャマラ!」
「どういう意味?」
「たいしたことはない、『私は、そのラクダに乗る。』って意味だ。すると相手が、『あなたは、そのラクダに乗りますか?』って言う。『アイワ』と答える。アイワは、イエスって意味だ。」
「それが合い言葉?」
「単純だからいいね。」
栗須もビルも、『アル・カブル・ジャマラ』を、頭の中で繰り返した。
その時突然、男たちが、彼らを取り巻き、口々にアラビア語が飛び交う。
「ダニー……。」
栗須が、叫んだ。
「……彼らは、何を言ってるんだい?遣られるんじゃないかい?」
「泥棒でも、スリでもないよ。『荷物を持とう。』『ホテルに案内する』などだ。要するに、彼らは、アッラーの教え通り、『1日1善』を行おうとしてるのだ。」
「なんて言って断るんだい?」
ダニーが、その質問に対して、右手を前に出して振って言った。
「ラー、ラー、ラー……。」
ビルもダニーも同じように真似をして、男たちをかき分けた。
ダニーが、思い出したように言った。
「チェンジマネーをやってないぜ!」
3人は、急いで回れ右をして、空港ロビーに戻り、インホーメイションの中の両替所の前に並んだ。
栗須は、ふと、我に返って辺りを見回した。3人以外は、すべて口ひげかあご髭を生やした男達だった。みんな同じ顔に見える。
その時、一人の男が、彼らの側に来て、話し掛けた。栗須は咄嗟(とっさ)に右手を振って言った。
「ラー、ラー。」
男は、片言の英語で言った。
「待たせた。俺が、案内する。……忘れたのか、俺だよ。」
栗須は、男の顔をまんじりと見たが、思い出せなかった。
ダニーが言った。
「さっきは、有り難う。お蔭で助かったよ。」
「ラー、ラー。チェンジマネーはいらない。俺が案内する。俺のカミさんのペンションへ。」
そこで、栗須は初めて、この男が濃い口髭の入国審査員であることに気付いた。栗須は、思わず『アル・カブル・ジヤマラ』の一部を口に出しかけて、押さえた。
男が、言った。
「そうだ。さあ、レッツ・ゴーだ!」
3人は、列から離れて、その男の後に付いて歩き出した。
白いシャツに着替えた入国審査員は、建物の裏通路から、人がほとんどいない駐車場に3人を連れて行って言った。
「これ、俺の車。乗んな。」
古いルノーだった。3人は、黙って乗り込んだ。
入国審査官は、自分の名は、『ナビーダ』だと言って、エンジンをかけた。
都市部の下町方面を走り、車は、白く塗られた土塀の家の前に止まった。
降りるやいなや、中からムハッガバートの黒いベールを被った女性が現れた。分からぬ言葉で、3人を家の中に導いた。
「俺のカミさんだ。顔は見せられないが、美人だぜ。入んな。」
カミさんは、大声で何かを話している。
「何を言っているのですか?」
ビルが、尋ねた。
「カミさんは、大喜びだ。客は、久しぶりだからな。」
「いつ頃から?」
ダニーは、意味ありげに尋ねた。
「半年になる。俺の給料が安いからね。カミさん、新しい何とかの布のベールを欲しがってる。」
部屋に通されて、ティーを飲み出した時、ダニーが写真を見せた。あの、チェ・ゲバラらしき男が、テントの柱にもたれて立っている写真だ。
「知ってる?」
ナビーダが、写真を手にとって眺めた。口髭をモグモグさせて言った。
「よく知ってるよ!」
「なぜ?」
「おれが撮った写真だから!」
「あんたが?」
「そう、キャラバンのテントの前でチェ・ゲバラに似てるから。」
「彼は、チェ・ゲバラ?」
「違うねぇ。似ているけど……。チェは死んでるからね。よく間違えられるって言ってた。」
「似ているね。」
「似ているけど、彼は、違う。彼は、行商に来ているんだ。だから、キャラバンにいる。」
「誰のキャラバン?」
「いえない。」
「なぜ?」
「約束だから。」
「だれと?」
「その男と。彼の商売の邪魔になる。」
「この写真、撮ってから、誰かに売った?」
「売ってない。この部屋に飾ってあったんだが、男が来て、『おカミさんが、首飾りを欲しがってるから、買ってあげてほしい。』って、金を置いて写真を持っていった。」
「どんな男だった?」
「普通の男だ。チェを尊敬してるって言ってた。」
「俺たちと同じだ。チェに似てる写真の男に会いたいなぁ。」
「会えるといいね。」
「案内してくれる?」
「さあね。」
「どうしたら、会わせてもらえる?」
「さあね。……カミさんが、ムハツガバードの布が欲しいっていってるけど……。」
「分かった。あんたのカミさんにその布をプレゼントするよ。」
「それなら、会えるかもしれない。元の場所にいたらだけど……。」
「移動するの?」
「キャラバンだからね。」
「いつ、会える?」
「連絡を取らないとね。」
「ありがとう。お願いするよ。」
「じゃ、食事にする?うちのカミさん、料理が上手なんだぜ!」
「それは、有り難いね。」
「ちょっと、待ってて。」
ナビーダが上機嫌で部屋から出て行った後、ビルが言った。
「彼は信用できる?」
「分からない。が、頼るしかない、今は。」
「分かった。」
「チェの手がかりは、彼しかない。」
栗須が口を挟んだ。
「キッシンジャーから預かった写真は、彼が撮ったと言ってたが……。」
「多分、そうだろう。写真を見て、彼は何の驚きもしなかった。」
「彼のカミさんに聞くか?」
「それも面白い。本当のことが出てくるかも……。」
「しかし、リビア語は、分からない。」
「どうして?」
「俺の知ってるアラビア語は、コーランのアラビア語とエジプト語だ。リビア語は、また違っている。」
「アラビア語って、みんな同じじゃないの?」
「みんな、違うんだ。コーランのアラビア語は、教育によってすべてが共通で、誰でも分かる。しかし、各地域で日常喋っている言葉は、すべて変化して、その地域独自の言葉になっている。」
「そうか、標準語と方言、あるいは、古典語と現代語の違いか。」
「その通りだ。」
その時、ナビーダが部屋に戻ってきて、別の部屋に案内した。
その部屋には、真ん中に料理が並んでいた。
ベールを被ったままのカミさんが、リビヤ語で説明し出した。
ダニーは、意味が理解出来ないジェスチャーをした。
アラビア語とは、また異なったアクセントである。ナビーダが英語で通訳していく。
「キャベツの葉に詰め物をしたマフシー、パンのフブス、羊肉串焼きのカバーブ、オクラとトマトとニンニクとタマネギと羊の肉を煮たバーミヤ、ナツメヤシから造ったアラブ酒……。」
一口、口に入れて続けた。
「アラブ酒は、酒じゃない。酒は禁止だが、これは酒じゃない、飲み物だ。この中で一番旨いのは、バーミヤだ。カミさんの十八番ってやつさ。」
ナビーダが、右手を使って器用にフブスのパンにバーミヤをくるませて、食べ方を教えた。
三人は、右手で同じように真似ながら食べ出した。
「旨い!」
ダニーが叫び、栗須もビルを叫んだ。羊の肉にトマトの味が絡み、タマネギの甘さが生きて、臭みは一切なかった。
「だろう!おれのカミさんの味だ。串カツのカバーブも美味しいぜ。」
栗須は、ナツメヤシの飲み物を口に入れて、咳き込んだ。
「それは、強い飲み物だから、チョビチョビ飲んだ方がいいよ。」
「分かった。」
栗須は咳き込みながら続けた。
「……話しは変わるけど、……あの写真の男だけど、リビア人?」
「違うよ。スペイン人かイギリス人か、そのハーフだ。」
「いつも来るのかい?」
「いいや、今回が初めてだ。だけど、知り合いがいるんだ。」
「知り合い?」
「そうだよ。その知り合いと俺は友達だよ。」
「あんたの友人?」
「そう、おれの親父と彼の親父は、友人なんだ。だから、俺と彼とは友人で、その彼の友人が、写真の男だ。だから、俺と写真の男とも友人なんだ。わかった?」
「分かった。あんたの友人に会いたいね。」
「どっちの友人だい?」
「どっちも。」
「欲張りだな。」
「わざわざ、会いに来たんだから……。」
「会ってどうするんだい?」
「どうもしない。ただ、写真の男がチェ・ゲバラなら、チェには友人が居て、その友人が彼の消息を知りたがってね。手紙を預かってるんだ。それを渡して……。」
「そうすると、あんたたちは、チェの友人の友人かい?」
「まあ、そういうところだ。」
「その友人って、俺も知ってるかい?」
「知ってるかも。」
「リビア人?」
「いいや」。
「アラビアン?」
「いいや。」
「スパニッシュ?」
「いいや、チャイニーズ。」
「チャイナ?」
「そう。」
「へぇー、チャイナねぇ。」
「名を知りたい?」
「聞いて分かる?」
「さあ、どうかな?」
「言ってみる?」
「マオ・ツオトン。」
「マオ・ツオトン?」
「マオ・ツオトン・ジューシー。」
「毛沢東主席?」
「そう、よく知ってるね。」
「まあね。会ったことないけど、有名だ。この世の最悪の独裁者、って言われている。あんたたちは、会ったの?手紙がどうとか言ってたけど。」
「そう、預かってきた。」
「それじゃ、マオの友人のチェに会いたいだろうね。」
「そう、会いたい。」
「アッラーのお恵みがあるといいね。俺も『一日一善』だから、頑張ってみるよ。」
栗須が、バーミヤに握手を求めた。バーミヤは、摘んでいたキャベツの葉のマウシーを口にほりこんで、握手を交わした。ダニーとビルとも握手を交わし、アラブ酒で乾杯した。
夕方まで、彼らは眠った。暑いあつい太陽だった。
夕方、バーミヤが、髭面の老いた老人を連れてきた。片言の英語で、バーミヤの父親の友人だと名乗った。
老人は、キャラバンが南東500キロのリビア砂漠にいて、ここから早く行って3日以上は掛かるらしかった。キャラバンのいつもの行動パターンなら、そうだと言った。老人は、イギリス軍基地に食糧を配達する仕事で、片言の英語が喋れるらしい。ほとんどリビア語訛りのある英語で、辛うじてそう理解した。
そして、そこに行きたいなら、友人を紹介するという。
「いくら必要かね、そこに連れてもらうには?」
ビルがゆっくりした英語で言った。
「金は、いらない。『一日一善』、だからね。だけど、友人に、実費を、渡してやってほしい。」
「実費は、いくらだい?」
「安いものだ。ラクダ三頭の、借り賃、3ディーナール(約3ドル)とあんたら3人分の水と食事代で、20ドルかな……。」
「安いね、3人分で。」
「リビアは、みんな、貧しいんだ。」
「石油がでるのに?」
「石油は、一部の人間だけに、富をもたらす。我々は、石油基地によって、キャラバンの移動が拒まれている。一部の人を除けば、みんな、貧しい。」
「一部って?」
「ムハンマド・イドリース・アッサヌーシー一族だ。」
「それは、誰?」
「もちろん、国王一族、だよ。」
「石油の儲けを……。」
「そう、みんな、国王のものさ。」
老人は、口を曲げて渋い顔をしながら、笑った。
「早く、エジプトのように、成りたいね。」
「ナーセル?」
「ナーセル大佐だ。」
「尊敬している?」
「もちろん、だよ。」
「リビヤにも、欲しいね、ナーセル大佐が。」
「そう、みんな、望んで、いるよ。」
老人は、3人の顔を見ながら、話しを変えた。
「ラクダに、乗ったこと、ある?」
3人は、首を振った。
「ラクダ、かわいいよ。人の心、わかる。ラクダに、身を任せる。揺れるけど、快適だ。」
「いつ、ラクダに乗れる?」
「明日でも、いいよ。」
「じゃ、契約しよう。ラクダの借り賃を払っておくよ。」
「ラー、ラー、帰ってからでいい。」
「じゃー、よろしく。」
老人と3人は、握手をかわした。
★★★★★2 リビア砂漠★★★★★
次の朝早く、バーミヤの車で町外れまで行き、ラクダの溜まり場で、昨夜の老人と出会った。老人は、ムッハという老人を3人に紹介し、3人にガラビーヤ(白い布)とターバンを着せながら言った。
「昼は太陽から、夜は寒さから、君たちの身を、守ってくれる。」
着せ終わった後、一人ずつに言葉を掛けながら、ラクダの手綱の仕草を教え、そして言った。
「サラーム・アレイ・クム(あなた方の上に平安あれ)。」
3人は、礼を述べ、
「ワ・アレイ・クムッサラーム(あなたの方にこそ、平安あれ)。」
と答えて、ラクダの眼を見た。
まつ毛の長いつぶらな瞳を見ながら、ラクダを膝間付かせて上に乗った。
ムッハが、大声で言った。
「アルカブー!!」
出発の合図だ。
4頭のラクダは、前足を立てて後ろに踏ん反り、次に後ろ足を立て、起き上がった。
小さなキャラバンは、砂漠を目指して進み出した。
一時間ほどで、回り一面が砂漠になった。リビア砂漠が延々と続く。
朝方は、太陽に向かって進み、昼からはその太陽を背にして進んだ。休憩は、ムッハ老人がメッカの方角に祈りをする時だけだった。ただひたすら前進して、第一日目の野営になった。
3人は、言葉数も無く、回りをラクダに囲まれて眠った。
ムッハ老人の声で、朝、目覚めた。フブスのパンを口に入れ、水を飲みながら、また、ラクダに乗って歩き出した。
この日も、太陽に向かって進み、昼から背にして、第二日目の野営になった。
3人は、益々無言になり、昏睡状態で朝を向かえた。
三日目の朝、石油基地の煙突が、何本も聳え立っているのが見えたが、そのまま進行した。
昼頃、顔を白い布で覆った数人の男達が、彼らの側にやって来た。
3人は、咄嗟(とっさ)の事を考えて、身構えっていた。アラビアンナイトの中に出てくる盗賊かも知れなかったからだ。
ムッハ老人が、一人の男と話し出したが、すぐに彼らは前方にラクダを走らせた。3人は、ラクダの速さに仰天した。
ダニーが、ムッハ老人に、アラビア語で、
「今の男達は、誰か?」
と尋ねた。
が、その答えとは違って、
「嵐がくるらしい。」
と、答えてラクダを急がせた。
昼過ぎから、砂嵐が彼らを襲ってきた。細かい砂が彼らの前進に打ち付けた。前方は、ほとんど見えなかった。4頭のラクダをロープで繋いで前進した。が、ほとんど方角が分からず、ムッハ老人は、第3日目の野営を決めた。
次の日は、砂嵐のために僅かな前進だけで、ラクダに囲まれて過ごした。
3人は、ただ、じっと毛布の中に潜り込んで、砂嵐が過ぎ去るのを待った。
が、そのまま、第四日目の野営も同じ場所で過ごした。
次の日もまた砂嵐のために、身動きが取れなかった。
ムッハ老人は、水が少なくなってきた事を、3人に告げて、第五日目の野営に入った。
だが、次の日もまた、砂嵐だった。
ムッハ老人は、決心して出発した。
3人は、不安な気持ちで、ムッハ老人のラクダの後に付いて進んだ。すべてをラクダに任せて進むしかなかった。
第六日目の野営で、水がほとんど無くなってしまった。絶望の女神が、彼らを襲いだした。ムッハ老人は、アッラーの神に祈り眠った。
次の日、四人は数人の男達に起こされた。砂嵐で、彼らが何者かも分からなかった。
しかし、羊の胃袋で造られた水筒が、彼らを救った。
男達は、四人を自分たちの真ん中に入れて、進み出した。
砂嵐が、相変わらず襲い掛かっていた。だが、人間が増えることで、精神的な安心感が沸き上がってきた。
自分たちは、砂嵐に対する闘争心が生まれてきた。
すると、不思議なことに、砂嵐は、その力を弱めていった。
夕方、大きなテントの前にたどり着いた。
彼らは、転がり込むように中に入った。倒れ込んだところを何人かの手でテントの回りのベットに運ばれ、眠り込んだ。
明くる日、砂嵐は音もなく逃げて行って、灼熱の太陽が世界を取り戻した。
朝、3人は、温かいラクダのミルクとチーズとパンによって、生き返った。
テントの中には、顔髭が一段と長い長老らしき男が、回りのベットの中央に座り、左右には、口髭の若者が五人程、中央のカマドの回りに白いベールを被った女性が3人いた。
ダニーがアラビア語で礼を述べ、ビルと栗須(くりす)も、その言葉を真似て礼を言った。リビア語が返ってきたが、ほとんど意味は分からなかった。
ムッハ老人は、我々の目的のキャラバンは、あと半日か一日で追いつける事を、彼の掌と指の関節の長さで示した。水と食糧と貰い、昼には出発することを3人に告げた。
前日までの状況は一変し、灼熱の太陽が彼らの頭上から照りつけた。ラクダに身を任せて、ひたすら砂漠の中を行進した。果てしなく砂漠が続く。
太陽が西に沈み掛けた時、遙か彼方にテントが、ぼんやり眼に入った。
ムッハ老人が、指をさして、
「ゲラール!」
と叫んだ。
間違いなく、そこには、大きなテントがあった。ラクダの足を早めて近付くと、ラクダが数十頭と大きなテントが四つ程、円く輪になるように建てられていた。
数人の若者が、彼らに近付いて来て、ムッハ老人と会話し、一つのテントに案内した。
中の正面の椅子に座った、顎髭が特に長い長老らしい人物が、イタリア語で彼らに話しかけてきた。
「私の名は、アル・ムハンマドだ。アル・ムッハ老人が、君たちをこのテントに案内してきた。疲れたろう。今日は、暖をとってゆっくりなさるがいい。」
ダニーが、丁寧にイタリア語で、礼を述べて言った。
「イタリア語がお上手ですが、どちらで学ばれたのですか?」
「学んだのでないよ。この国は、20年前まで、イタリアが支配していた。私達が生きていくには、イタリア語が必要だった。西部の街トリポリでも東部の街のベンガルでも。取引は、イタリア語だったからだよ。」
「何を取引なさっているのですか?」
「昔は、あらゆる生活必需品を、リビア砂漠を移動して取引をしていた。ところが、石油によって、我々の生活は、一変した。悪くなった。今の取引は、ラクダや海綿やエスパルト草ぐらいだ。石油が出ると、アスファルトの道路が出来、我々の移動地域が寸断され、禁止され、縮められている。」
「分かります。ここに来るまでに、石油基地が眼に入りました。」
「イギリスやフランスが経営している基地だ。我々とは無関係のところで、支配されている。何の恩恵もない。アッラーの土地からアッラーのお恵みを吸い上げて、どこかに持ち去ってしまう……。」
長老は、言葉を詰まらせて続けた。
「……初めてお目に掛かるお客人に、詰まらぬ話しをしてしまった。今日は、ゆっくりなさって、明日、皆さんの話をお聞きしょう。」
そう言って、回りの者に合図を送った。4人は、別のテントに案内された。
次の日、昼の食事の時に、長老は、アル・アブクラーという中年の男を紹介しながら言った。
「彼は、英語が話せる。イギリスの基地で長く働いていた。10数年前、私の息子に英語を教えるために来てくれた。」
3人は、口回りに髭を生やした、アブクラーと挨拶を交わした。
「君たちは、人を捜しに来たそうだね。」
ダニーは、写真を取りだして見せた。
「この人物の消息を知りたいんだ。チェ・ゲバラかどうかを知りたい。」
「知ってどうするのだい?」
「中国の主席から、手紙を預かっている。それを渡したい。」
「この男は、チェ・ゲバラではないと思うよ。ただの商人だ。」
「そうかもしれない。だが、ここに来た限りは、会ってみないと帰れない。」
「それもそうだ。明日、君たちに、長老のアル・ムハンマドの息子を紹介することになるだろう。」
「明日?」
「今日の夜、彼はここに来る。だから明日会えるかもしれない。君たちの知らない人物だ。」
「名は?」
「ムアンマル・ムハンマド・アル・カダフィ。」
「カダフィ?どこかで聞いたことがあるな。」
ダニーは、ビルと栗須の顔を見たが、二人とも思いつかなかった。
「1942年生まれだ。リビアの青年将校だ。」
アブクラーは、敬礼の真似をして、続けた。
「彼は、リビアの星になる。」
「リビアのスター?」
「ああ、リビアンスターだ。エジプトには、ナーセル(大統領)がいる。革命によって支配している。アメリカにもソ連にも付かない、中立政策をやっている。人民のためにね。」
アブクラーは、昼めしのエーシュのパンを口に頬張り、彼らにも勧めながら続けた。
「カダフィは、ナーセルを尊敬している。十四歳の時から……。1954年のイスラエルとの戦争で敗戦してから、ナーセルがエジプトを救った。革命によって。」
ラクダのミルクを混ぜたお茶を飲んで、また、続けた。
「『いつか彼のようになりたい』、とセブハの小さな町に住んでいた時、アル・ムハンマドの息子は言っていた。おれも応援している。」
また、パンを口に入れて続けた。
「リビアは、イタリアの長い植民地から、第二次世界大戦によって抜け出した。そう思ったら、今度は、イギリスとフランスに占領されてしまった。……。」
やや沈黙があって、また続けた。
「……イドリース国王は、国民のためと言いながら、両国から援助を貰い、しかも、良質の石油の利権を、他国支配の国際石油資本に委ねた。自分の存続だけのために。」
ため息をつき、そら豆をコロッケにしたタアミーヤを口に入れて、また、続けた。
「一部の人間だけが豊かに生活し、多くの人間が昔のままの、いや昔以上に貧しい生活をしている。いつか、変わらないとね。」
3人は、黙ったまま頷いた。
次の日、アブクラーは、眼の精悍な口髭の一人の男を連れて来た。
彼は、流暢なイギリス英語で、
「自分がアル・ムハンマドの息子で、カダフィ将校。」
と挨拶をして言った。
「皆さんのことは、ほとんど知らない。何がどうなっているのか。」
ダニーが、英語で言った。
「その通りです。俺たちも数ヶ月前まで、このリビアに来るとは、思ってもいなかった。しかも、一年前までは、3人は会ったこともない。偶然にこうなった。」
アラブ酒を口に入れて、ダニーは、ソ連の収容所から中国に脱走し、ベトナムから香港に渡り、キッシンジャーから写真を預かってきたことを簡単に話した。
そして、マオ・ツオトン(毛沢東)の手紙を出した。表に「チェ・ゲバラ」と書かれ、裏には、「毛沢東」と漢字で書かれた手紙だ。
カダフィ将校が、言った。
「この筆跡は、マオに間違いない。……1962年、ソ連の社会主義国家成立40周年の時、私は、モスクワにいた。ちょうど二十歳の時だ。ローズ財団のイギリス留学が実現し、その合間を利用して『旅行』という名目で、国には報告せず内緒で出かけた。」
そこまで言うと、小声で続けた。
「……今も報告していないのだが……。その式典には、『キューバのカストロ』、『南米のゲバラ』、『中国のマオ・ツオトン』が来ていた。同じホテルだったから、一晩中語り合って、意気投合した。」
カダフィ将校は、テントの上を見ながら、その当時を回想するようにして言った。
「そして、キューバは、カストロとチェによって革命が成功した。人民のための革命が。
マオツオトンは、中国で踏ん張っている。良いか悪いかは、判断は分かれる。しかし、マオは、一人で頑張っている。ソ連の援助を得ることなく……。……残るは、俺のみになった……。」
カダフィ将校は、間を於いて言った。
「……今、考えていることがある。今は、語れないが……。」
ダニーが答えた。
「分かりました。俺たちは、マオ・ツオトンから、あなたとモスクワで出会っていることは聞いていた。今、あなたの言葉で確かに思い出した。俺たちは、チェ・ゲバラの消息を知りたい。……この写真は、チェ・ゲバラですね?」
「これは、世間には出回っていない写真だ。」
カダフィ将校は、写真を見てから言った。
「バーミヤの部屋に飾ってあった写真だ。だが、誰かが、持っていった。」
「それが、キッシンジャーの手に入っていた。」
カダフィ将校が続けた。
「回りまわってか、直接か……。」
3人の顔を見ながら、カダフィ将校が言った。
「皆さんは、信用出来そうです。我々将校に、短い休暇が許可された。明日、我々が『オアシス』と呼んでいる所に行くが、一緒に行きますか?」
「オアシス?」
栗須が言うと、カダフィ将校が答えた。
「そう、我々が言うところのオアシスで、他の人にとってオアシスかどうか、分からない。」
「行ってみたいですね。あなたの言うオアシスへ。」
ビルは、笑みを浮かべて言った。
「じゃ、明日一番に出発しましょう。」
3人は、カダフィ将校と分かれて、テントに帰った。
次の日、十一頭のラクダが、テントから猛スピードで、太陽に背を向けて走り出した。
十人の男達を乗せたラクダと、荷物だけを載せた一頭のラクダだった。
祈りの時間以外は、休む事無く走った。
その日の夕方、砂に埋もれた廃墟らしい所にたどり着いた。
男達は、野営の準備をし終えた時、3人は、男達を紹介された。すべてリビア軍の将校達だった。
カダフィ将校が言った。
「我々は、休暇の時ここに来て、訓練をしている。とある場所を想定して。君たちもやってみるかね?空砲だから、大丈夫だ。」
3人は、衣服を戦闘服に着替え、将校達の後について、行動を起こした。
かがみ跳躍から始まり、ロープ登り・渡り、斥候(せっこう)、伏撃(ふくげき・待ち伏せ)、奇襲、徒手格闘、小銃射撃等、二時間続いた。
将校達と3人は、くたくたになってテントに潜り込み、夕食をむさぼるように食べた。
夜、リビア語で、「理論」のディスカッションが始まった。3人には、皆目意味が分からなかった。
一時間程立って、ディスカッションが終わり、カダフィ将校が3人に英語で言った。
「この『理論』は、社会の中心は、一般庶民・大衆が中心であることを基本にしたもので、司法・立法・行政が一体になって成立している。そして、そこにコーランの教えが重なって、全く新しい『理論』になる。」
「ソ連のような社会主義国家ですか?」
ダニーが、やや批判の気持ちを込めて言った。
「いいや、それとは違う。全国民、部族や家族の血縁集団を中心とした『人民委員会』のようなものがすべてを統括する体制だ。」
「それなら、良いですね。我々3人は、ソ連のやり方でひどい目に遭ってきた。」
「そうらしいですね。私たちは、このサハラ周辺、及びイスラム圏全体を考えています。」
「イスラム世界が、植民地支配から脱却する理論?」
「そうです。植民地的支配の弊害をすべて除去する。」
「そうすると、すべての西側社会と戦いになる……。」
「なるでしょう。かつては、サハラ部族世界で築かれていたムスリム同士の連帯感が今こそ必要です。オアシスやキヤラバン隊商路を介した、社会的・経済的共存です。」
その時、カダフィ将校の横に座っていたシャルド将校が、英語で言った。
「我々は、今いろいろな『理論』を模索しています。ソ連的なものには反発がある。だから、エジプトのナーセルか、キューバのカストロやゲバラ的か、それとも中国のマオ的か。皆さんは、中国にも行かれた。教えてください、『中国の文化大革命』を。」
ビルが、自分たちが経験した中国の文化革命の悲惨さを語った。シャルド将校が言った。
「そうでしたか。残念です。我々は、カダフィ将校からマオの話しを聞いていましたので、『文化大革命』が成功していると思って喜んでいました。」
シャルド将校がカダフィの顔を見たとき、カダフィ将校が言った。
「本当に残念だ。……彼は、一人だったからね。『自分以外に信頼する人間がいない。』と言っていた。助けに行けるものなら行きたいが……。」
少し間を於いて続けた。
「……君たちが、もしマオ主席と出会うことがあったなら、よろしく伝えてほしい。我々は、我々の理論である、『ジャマヒーリヤ(大衆)理論』で前進すると。この理論は、カストロそしてゲバラ理論と同じだ。」
「分かりました。いつになるか分かりませんが、合った時には必ずお伝えします。」
次の日、夜明けの祈りが終わってから、廃墟の一番奥の部屋で、小銃の実弾訓練が行われた。ただし、顔・心臓が描かれた的以外を狙う、特に脚・腕を狙う訓練だった。顔・心臓部分に近いと減点され、手足なら加点された。
3人は、全く初めてであったが、シャドル将校の指導は、的確であった。
自分の身を守り、相手を絶対殺さないことが、この練習訓練だった。
両手で銃を握り、呼吸を一瞬制止し、瞬きせずに引き金を引く。だが、無呼吸状態を何度も繰り返し、頭が朦朧(もうろう)としてくる。
これを二時間繰り返し、終了した。
★★★★★3 オアシス★★★★★
カダフィ将校が言った。
「昼食に間に合うように、オアシスに走りましょう。」
片付けを済ませ、ラクダは全速力で西に向かった。
小一時間走って、ヤシの木や真っ赤な花のアメリカディゴやオリーブの木々に覆われた場所が現れた。砂漠の中に信じられない風景が眼に焼き付いた。まさしく、映像や写真で見たことがあるオアシスと呼ばれるところだった。何人かの人々がすれ違い、挨拶を交わしている。同族の人なのかどうかは、分からなかった。言葉そのものが理解できなかった。
ラクダは、川が流れる奥で留め置かれ、彼らは、煉瓦で造られた一軒家に入っていった。奥の広場に懇々と湧き水が流れる所で、顔を洗い、3人は将校達の後について、テーブルのある大きな部屋に通された。そこには何人かの男達が居り、挨拶を交わした。
テーブルには、パンのフブスやキャベツの葉に詰め物をしたマフシー、羊肉串焼きのカバーブ、羊の肉を煮たバーミヤ、それにナツメヤシから造ったアラブ酒などが置かれてあった。
カダフィ将校が、全員がコップにアラブ酒が注がれたのを見届けて、神に祈りを捧げ、全員に神の恵みを捧げた。
テーブルの料理は、見る間に無くなり掛けた。女達が次の料理を運んできて、男達は、ようやく落ち着いて英語で会話を始めた。
栗須が、言った。
「皆さんは、英語が実にすばらしいですね。どちらで学ばれたのですか?」
「ほとんどが、アブクラー先生ですよ。もう何年にもなります。」
シャルド将校が、答えた後、みんなはアブクラー先生を絶賛した。
食事の後、次の部屋へ移動し、エスパルトの水煙草をみんなで吸い始めた。
シャルド将校が言った。
「この煙草は、身体の疲れを癒してくれる。後は、ぐっすり眠れば良い。」
長い煙管の先に、水の下から泡が立ち初め、その煙を一息吸った。喉辺りに強い刺激があたり、次に頭の脳が揺らぎだした。
「イスラム圏では、酒は禁止だが、エスパルトは、禁止の国は少ない。麻薬のように中毒にはならない。疲れた時や、ケガをして痛みが有る時に吸うと身体に良い。」
と一人の将校が言った。
「もちろんアラブ酒さえ認めない国もあるが、それぞれの国の習慣に任されている。」
カダフィ将校が、次の理論の勉強時間がきたことを、みんなに知らせて立ち上がって部屋を出て行った。
3人は、水煙草の残りを吸いながら、ソファーにもたれ掛かり眠った。
小一時間ほどして、ダニーが、小用のために起きて手洗いに行った時のことだった。
ダニーの左横に口髭のみの一人の男が用を足した後、脚を引きずるように部屋から出て行った。彫りの深い男だった。どこかで会ったように思えたが、思い出せない。
食事の部屋に将校一団が戻ってきて、また食事になった。その時、さっき厠(かわや)で出会った男が混じっていて、同じように食事を始めた。誰も彼を紹介せずにいた。
話題は、まず、ダニーの「パリ革命(第四章・轟〈とどろ〉き・ダニーの話)」のことや「ソ連の酷寒の作業(第五章・ラーゲルの吹雪)のことが話された。
次に、栗須が「プラハの春(第二章・カットグラスの輝き)」のことや「中国の現状と光子(第十章・若き紅衛兵の嘆き、第十一章・マオジュウシーの駆け引き)」のことを話した。
また、ビルが「ベトナム戦争反対のワシントン広場の集結と奨学金でのイギリス留学(第七章・アッシュの手引き・ビルの話)」などを話した。
将校達は、自分たちの知らない映画の世界の話のように、興味深く聞いていた。
カダフィ将校は、自分も「ローズ財団」の留学生制度に合格してイギリス留学した時、ソ連に行き、マオ・ツオトンやカストロ、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)、そしてチェ・ゲバラ、と一晩中語り合ったことをまた話した。
全員が意気投合して、時間を忘れる程になっていた。
そんな時、ダニーが、突然、便所で出会った彫りの深い口髭の男に言った。
「もし間違っていたらお許し願いたいが……。」
ダニーは、そこまで言って間をおき、男の顔を見詰めながら続けた。
「……あなたは、チェ・ゲバラさんではないですか?」
ビルと栗須は、驚愕(きょうがく)しながら、その言葉につられて、男の顔を見た。
髪は短く刈られ、あご髭もなく口髭だけの男で、彫りは深いが、あの写真のゲバラとは、違っているように見えた。
全員が、その男の顔を見ていた。男が、英語で言った。
「なぜ、私をそのように思えるのですか?」
「私は、チェ・ゲバラを尊敬しています。自分の部屋に何枚も写真を貼っています。あなたは、その写真のどの角度からもゲバラさんですし……。」
ダニーは、水を飲んで、続けた。ビルも栗須もダニーの口元を見詰めた。
「……ですし、失礼ですが、あなたの右の眉毛とこめかみの間の薄い痣(あざ)ですが……。」
男は、右手の人差し指と中指でその部分を指さした。
「そうです。あなたの子供の頃の写真には無かったと思いますが、大学時代の写真にそれが現れた。」
男は、答えた。
「あなたは、ゲバラのことを良く知っている。実は……。」
回りを見渡して続けた。
「実は、あなたの言う通り、私は、『ゲバラ』です。」
その言葉に、部屋の中のカダフィー将校以外の男達は、めいめい驚愕の声を隠せなかった。
男は、続けた。
「あなたは、そこまで私のことを研究してくれていることに、感謝しますよ。この傷は、大学入学直前に、軍事訓練に参加した時に転んで付いた傷に、花か何かの花粉が入り込んで、今も痣として残っている。昔より薄くなったが……。」
カダフィ将校が、また回りを見渡してから、あとを続けた。
「みんなに隠していて悪かったが、彼がチェ・ゲバラだ。」
将校達は、立ち上がって敬礼した。
一人が言った。
「今まで、理論と実践を教えていただいていたが、まったく気づきませんでした。」
他の将校達も同じ事を口々に喋って、ゲバラと握手を交わした。
ビルも栗須もダニーも、彼と握手を交わした。
ダニーがゲバラに言った。
「ゲバラさん、脚が悪いようですが、あの時のですか?」
「そう、あの時のです……。」
そう答えて、ちょっと天井を見上げた。それは、「あの時(第十三章・飛べ!低く飛べ!・チェゲバラの話)」のことを思い出しているようだった。チエ・ゲバラが続けた。
「両足だからね、撃たれたのは……。カダフィ将校が、私を呼んでくれてね。ここで、二年近くになる。ここは、水が良い。傷を癒してくれる。」
ゲバラは、ガラビーヤの白い布を足下からまくり挙げた。両足の太もも当たりに、まだ赤くなっている手術の縫い目の痕がくっきり浮き出ていた。
「痛みますか?」
栗須が尋ねた。
「ちょっとね……。」
栗須が、自分のガラビーヤの中に手を入れて、油紙の袋を取りだし、その中から小さな粒を二つ取りだした。
「これは、『プッリーヨチェ』と言って、北極のエキスモーが使っている貴重な薬です。オットセイの胃袋から取りだした、何万年も前の『海草』です。体温の調節から皮膚傷・内臓関係、あらゆるものに効き目があります。使ってみませんか?」
「分かった。ありがとう。使ってもいいのかね?」
「ええ、もちろんです。あなたのためなら……。」
栗須は、紙に包んで、ゲバラに渡した。
ダニーが、ガラビーヤの服の中から、一通の封筒を取りだして言った。
「マオツオトン・ジュウシ(毛沢東主席)から手紙を預かっています。」
ダニーは、ゲバラに手紙を手渡した。中には、マオ自筆の中国語と、マオの妻のマウキンウン(第十一章「マオツオトン・ジュウシの駆け引き」・マオの五人めの妻)の英訳の手紙が入っていた。
ゲバラは、ゆっくり読み始め、眼を潤ませて言った。
「有り難い。私は良き友に恵まれている……。」
そうして、手紙を、カダフィ将校に渡した。将校は、英字の手紙を見詰めて言った。
「本当だ。モスクワの語らいが、我々を結びつけている。」
ダニーが、続けて言った。
「我々3人に、何かできる事はありますか?マオ主席との約束があるのです。『ゲバラが困っていたら、助けてやってほしい』。と」
「君たち3人は、良い友になりそうだね。」
ゲバラが、そう言いながら3人を見詰め、続けて言った。
「『今のままで十分な生活だ。髭を剃って、別人になってさっぱりしている』、と伝えてほしい。」
「なぜ髭を剃られたのですか?」
「私が誰か分からなくするためだよ。しかし、君に見破られた。また、伸ばすとするか……。マオツォトンジュウシに、手紙を書くので渡してほしい。君たちは、中国に『光子』さんを残したままだったね。すぐに行ってやってほしい。」
「ありがとう、ございます。すぐに戻りたいと思います。」
「君たちは今後どうするつもりですか?」
「まず、光子さんを救出して、それから、ベトナム戦争終結・米国と中国の締結。その後は、考えていません。」
カダフィ将校が言った。
「8月の下旬に、このリビアにもう一度来ませんか?あなた方に、見て貰いたいことがあります。」
「8月……。」
「今年の『ダマダーン(断食)』は、7月20日前後から8月18日前後までです。イスラーム歴の第九月にあたります。暑くて辛いダマダーンになりそうです。去年は、八月真っ只中だった。33年に一度回ってくる。イスラムは、太陰暦で、一ヶ月が28日です。しかも新月が確認出来てダマダーンが始まります。」
カダフィ将校は、背筋を伸ばして続けた。
「これは、イスラムにとって大事な行事です。日の出から日没まで、水も食糧も一切口にしてはならないのです。子供と妊婦以外のイスラム教徒は、すべて守ります。食事が出来ない貧しい民と同じ生活を一ヶ月するのです。そこで、現在の生活の有り難さが分かる教えです。但し、日没後は、普段の三・四倍は食べますがね……。」
そう言って、カダフィ将校は、笑いながら続けた。
「ダマダーンが終わた後、このリビヤに戻って来ませんか?」
「リビアに……。」
「あなた方に見て貰いたいことがあります。」
カダフィ将校が、ゲバラの方を見た。ゲバラは、頷いて言った。
「そう、君たちがよければね。」
次の日、カダフィ将校一行と共に3人は、オアシスを出発した。ゲバラは、マオツォトン宛の手紙をダニーに渡し、そのままオアシスに残った。
真っ赤な花のアメリカディゴやヤシの木やオリーブの木々を振り返り、灼熱の砂漠を、十一頭のラクダが、猛スピードで走り出した。
このオアシスに来たときと同じく、十人の男達を乗せたラクダと水と食糧を入れた荷物を載せた一頭のラクダが、北の方角の首都トリポリに向かった。
この灼熱の太陽も砂漠も来たときと同じだが、彼らの気持ちは、全く違っている。真っ暗闇から、一筋の明光が見えてきたからだ。
3日間野営した次の日の朝、カダフィ将校は、後2時間ほどで町に着くことを告げ、人目があるからと、先に出発した。
3人は、ゆっくりラクダに揺られて、昼前にラクダの溜まり場にたどり着いた。
そこに、道案内をしてくれたムッハ老人が、笑顔を見せながら3人を向かえた。
ビルが、ラクダを引き渡して、約束の20ドル以外に、10ドル紙幣を彼にお礼だと言って渡した。
ムッハ老人は、片言の英語とゼスチャーで、ナビーダに車で向かえに来るよう、電話して来ることを、3人に告げた。
一時間もすると、ナビーダが入国審査官の制服のままでやって来て彼らが無事だったことを喜び、車に乗せて言った。
「目的は、果たせたのかい?」
「いや、人違いだった。」
ダニーが助手席でそう答えた。ビルと栗須は、ダニーの後ろ姿を見ながら黙っていた。
「それは、残念だったね。またの機会があるから、がっかりせずにな。」
「有り難う。ところで、今日、パリ行きの飛行機はあるのかな?」
「今日?確か16時にあったと思うが……。パリから来た飛行機がその日に帰るからね。一日1便だ。」
「じゃ、我々は荷物を持ってそれで飛び立つよ。」
「分かった。まずは、家まで走らせる。」
砂漠から別れを告げ、下町に車は入り、白い壁のナビーダの家に着いた。
中から、ナビーダのカミさんが飛び出して来て、3人を迎え入れた。
ビルが、ナビーダのカミさんに礼を言ってから、ナビーダに言った。
「宿泊代と諸々の手配代をまとめて、いくら払えばいいかな?」
「50ドルでどうだい?」
「安いね。」
ビルがそう言って、10ドル紙幣5枚と、別に10ドル紙幣を2枚出して、カミさんのベール代に、と渡した。ナビーダとカミさんは、大喜びして彼らの荷物を持って車に詰め込んだ。
車は、リビヤの国際空港に向かって走り出した。
空港では、ナビーダがすべて手配をしてくれ、彼らは、パリ行きの機上の人となった。
「ダニー、さっきチェ・ゲバラを『人違いだった。』と言ったのは……。」
栗須が、そこまで言うと、ダニーがすかさず答えた。
「ナビーダが、白か黒かまだ分からない。ゲバラの写真が、キッシンジャに渡っていたからね。」
「CIA?」
「分からない。何が、どうなっているのか……。ただ言えることは、『我々は、ゲバラには会えなかった。写真は人違いだった。』なら、ゲバラは安全だ。リビアの将校と我々以外は、誰も知らない。知れば、また殺し屋が彼を襲う。」
3人は、そのまま眠りについた。
★★★★★4 パリ ★★★★★
オルリー空港に着いた3人は、夜のパリの明かりに、心を沸き立たせた。
栗須が、宿泊について提案した。
「ユース・ホステルにしないか?」
「ユース?」
ダニーがびっくりして叫んだ。栗須が説明した。
「去年、ユースを利用してヨーロッパを回ろうと思ってた。ところが、こんな風に予定変更になってしまった。ヨーロッパのユースに泊まりたくて……。」
「そうだな。俺たちは、みな学生だからな。ユース・ホステルが似合ってるな。」
ビルが賛成した。ダニーは、しぶしぶ了解した。ユースの二段ベットが、収容所を思い出させるのではないかと思ったからだ。
インフォーメイションでダニーが「モーリス・リベル」ホステルを聞き、メトロ①の「モーリス・リベル」で降りた。
公衆電話で予約をとり、3人は、パリの穏やかな空気を味わった。3人部屋一人87フラン(約3ドル)で、学生割引が10パーセントだった。
「しまった。俺たちは、学生証明書をもってない。」
彼らは、とっくに没収されていた。
その日、彼らは、それぞれ、ユース会員入会金とシーツ代と一泊朝食付きで287フラン(約10ドル)を払った。
栗須が申し訳なさそうにしていたが、これによって彼らは、あることに気付かされた。
彼らは、現在、「無登録学生」になっていたことだ。それぞれの国の大学に連絡せねばならない。
受付を終えて部屋に行った。二段ベットではなく、シングルベットが横に3つ並んでいたのを見て、ダニーが喜んだ。
シヤワーを浴びて、3人は、これから8月までの四ヶ月間の行動を話し合った。
ビルが、言った。
「それぞれの大使館で、正規の『パスポート』を取得することが先決だ。自分たちのは、どれほど精巧なものであっても『偽パスホート』だ。」
「中国製『偽パスホート』。」
「紛失の場合の再発行は、どれくらいの日数がいるだろう?」
「問題がなければ、3日から1週間か。」
「俺たちは、問題がいっぱいあるけど……。」
「本国から指名手配はされていないから、大丈夫だと思うよ。」
「それが終わったら、『北ベトナム』と『中国』と『アメリカ』のそれぞれの大使館を回らなくては。また忙しくなりそうだ。」
3人は、その夜、それぞれ久しぶりに夢を見た。
ダニーは、パリの夢を見た。凱旋門からシャンゼリゼ通を歩き、コンコルド広場を右に曲がってセーヌ川の岸辺を……、だが、自分がパリの真ん中に居ながら、外からパリの自分を見詰めているだけで、どうにもならない夢だった。
ビルは、イギリスの大学の事務所で、「ローズ財団」の奨学金が打ち消され、返金を求められて四苦八苦している夢だった。
栗須は、北京にいる光子が、「糾弾」によって打ちのめされ、栗須に救いを求めている夢だった。
次の日、3人共、寝起きの悪い状態で食堂に行った。世界中の若者が、集まっていた。
クロワッサンとサラダとコーヒーで、ようやく目が覚めてきた。
3人は、その日の宿泊予約をして、表通りのモーリス・リベル通に出た。
まず、「ポラドイロ写真館」で写真を調達し、彼らは地下鉄で、パリ8区のオテル・ド・ボーヴォーのフランス内務省に、足を運んだ。そして、ダニーは住民票とパスポートを申請した。3日掛かる事を知って、ダニーはがっかりした。
この分だと栗須の日本は何日必要か、とダベリながら、地下鉄クールセル駅からすぐの日本大使館に行き、栗須が、パスホート紛失届けと再発行用紙を提出した。係の女性は、その日の夕方には出来上がる旨を日本語で答えた。
3人は、驚きの声を上げ、コンコルド広場の最後のアメリカ大使館に向かった。四階建ての頑丈な建物に入った。今度は、ビルの番だった。
紛失届けとパスポート申請を窓口で提出して待っていると、横のドアーから大使館員らしい男性が、ビルに話しかけてきた。
「誠に恐れ入りますが、あなたの名前と生年月日とアメリカのご住所を教えて頂けますか?」
ビルが答えると、その男性は、他の二人には、待つように指示し、横のドアーにビルを招き入れた。ダニーも栗須も、狐に摘まれたような思いで、締められたドアーを見詰めた。
数分経って、ビルが、部屋の横の中庭から二人を呼んだ。二人は、立ち上がって中庭の方に行くと、ビルが、中庭の端の部屋に二人を案内した。
中には、なんとホンコンで別れた、アメリカ国家安全保障担当大統領補佐官「ヘンリー・A・キッシンジャー」が椅子に座っていた。
二人が部屋に入ると、キッシンジャーは、立ち上がって二人と握手をして、二人の無事を喜んだ。
「昨日、イギリスを回って、今朝この大使館に来たところだ。偶然君たちと同じ日になった。再会出来て、大変喜んでいるよ。」
そう言って優しい笑みを浮かべた彼は、すっと顔の笑みを消して言った。
「ところで、チェ・ゲバラは、どうだった?」
分厚い眼鏡の奥から、3人の顔を見比べた。
「残念ながら、ゲバラではありませんでした。それで、早く帰ってきました。」
ダニーがそう答えると、キッシンジャーは、少し間をおいて言った。
「そう、それは残念だった。マオ主席との約束は果たせなかったね……。そうすると、今度は、私との約束に取りかかることになるかな?アメリカと中国の対話……。」
「そうなると思います。なにしろあなたからは、大量の軍資金を頂いていますから……。」
「それは、よかった。必要な軍資金は、私が出資するよ。私個人からのマネーだが……。」
「分かっています。我々は、正規のパスホートが必要で、今日各大使館を回っていました。」
「ビル君のパスポートは、今作らせているからすぐに手に入る。君達はどうだね。」
ダニーと栗須を見ながら言った。
「3日いるそうです。」
「私は、今日の夕方に出来上がるそうです。」
「それは、早い。だが、もうすぐ日本は、大変なことになるかもしれないね。」
キッシンジャーは、含みのある言葉を述べた。
「学生紛争?」
「そう。どう、転ぶか分かりづらい。他国も頭を悩ましている。が、今は、どの国も大変な状態で、日本には手を貸す余裕がない。」
「そうかも、しれません。」
「話は変わるが、今晩夕食を一緒にしよう。ホテルは、どこかね?」
「モーリス・リベル・ホステルです。」
「じゃ、そこをキャンセルして、私と同じホテルにしよう。遠慮はいらない。リビアの疲れを取ってもらって、次は、北ベトナムと中国が待っている。」
キッシンジャーは、机の電話で大使館員を呼んで、モーリス・リベル・ホステルからコンコルド・サン・ラザールホテルに公用車で回るように告げ、部屋を予約させた。
大使館員が部屋に来ると、キッシンジャーは、3人に夕食の時に再会する事を告げ、大使館員にホテルで彼らに洋服を購入することも命じた。
部屋を出ると、先ほどの表の部屋に案内され、ビルは、新しいパスポートを受け取った。
そして、駐車場に回り、公用車に乗り込んで、パリの街を走った。
流れは、すべてキッシンジャーの手に委ねられた。
3人は、その流れに黙って乗った。
その日の7時に、3人は新品のスーツを着て、コンコルド・ラザール・ホテルのレストランでフランス料理のフルコースに舌鼓を打っていた。舌平目のムニエルにしても、牛フィレ肉のステーキとフォアグラの絶妙な味にしても、彼らは生まれて初めて食べるおいしさだった。
キッシンジャーは、3人の食べっぷりに満足した。自分も久しぶりに食欲が湧いてきたのだ。
ワインをお代わりして、リビアの砂漠の話を彼らから聞いていたキッシンジャーは、大学で教鞭を執っていた時を思い出した。彼らのように生き生きとした若者が彼の回りにいつもいて、その若さを自分のエネルギーにしていた。
キッシンジャーは、苦労人だった。
1923年ユダヤ系ドイツ人として裕福な家庭に生まれたが、10歳の時、ヒトラー政権になったため、アメリカに家族で亡命し、夜間の学校に通う傍ら、昼間の稼ぎで家族を養った。
20歳の時、アメリカに帰化。ニューヨーク市立大とハーバード大で「国際政治学」を学び、ドイツ語訛りの英語でハーバード大の教師を続けた。
彼の説く「安全保障条約」は、ケネディーが取り込み、昨年の1968年にニクソン大統領が誕生した時、大統領から直接説得されて、現在の「アメリカ国家安全保障担当大統領補佐官」に抜擢されたのだ。
ドイツ語訛りの英語を誇りのように、キッシンジャーは、若者達に語りかけた。
「リビアは穏やかだが、隣の国エジプトとイスラエルの戦争も、そろそろ終わらせないとね。中東全土に飛び火する。」
「ソ連は、どう思っているのでしょう?」
ビルが尋ねた。
「ブレジネフ第一書記は、内より外が好きらしい。君たちは内に入って、スターリン時代と変わっていないことを経験してきたが、私が大統領補佐官になってから、何度か彼と接触している。詳しくは言えないが、外に目を向けている。上手くいけば、道が出来そうだ。君たちがマオ主席やホーチミン主席に尽力をつくしてくれるように、個人的に間に入って活動してくれている者がいてね。ありがたいことに……。」
キッシンジャーは、コーヒーを飲みながら続けた。
「……君たちは、それぞれ大学がある。退学はしない方がいい。何年掛かっても卒業はしとくべきだ。」
「私もそう考えています。学生紛争が治まれば……。」
「日本の大学は、ほとんどが閉鎖されている。一月の東大安田講堂事件以来。後一年は続くかもしれない。来年の『日米安全保障条約』の継続までは……。今は、国も学校も学生も身動きが取れなくなっているからね。アメリカも同じだが。その点、パリはすっかり静かになった。ダニー君がいなくなったからかな?」
ダニーの方を見ながら、キッシンジャーは笑いながら言った。
「25パーセントのベースアップは、静かになりますね。私自身には何の恩恵もないが、労働者と家族は喜んでいるようです。富の分配が必要です。」
「それは、どの国でも言える。支配者が強欲になればなるほど、世間は騒がしくなる。」
次の日、三人は、エグゼルマン通りの北ベトナム大使館を訪れた。ダニーが受付の女性にフランス語で、大使に会いたい旨を伝えた。
「予約はしてありますか?」
との返事に、ダニーが言った。
「こちらの大使には、予約をしていないが、本国のホーチミン首相とは、予約してある。問い合わせてほしい。」
「分かりました。しばらくお待ちください。」
受付は、そう言って、電話をした。
すると、右側の部屋からベトナム人らしい清楚な男性が現れ、部屋に案内した。
「皆さんのことは、本国から連絡を受けています。よくいらっしゃいました。お待ちしていました。私は一等書記官です。」と言いながら、名刺を手渡した。
「それは、嬉しいことです。今日参りましたのは、アメリカのキッシンジャー大統領補佐官からの伝言を伝えに参りました。お伝えしても良いでしょうか?」
「勿論です。」
「では、『パリで近々に和平交渉を始めたい。』とおっしゃっています。そして、『交渉に入るために、どのような手続きをすればよいか?』とおっしゃっています。」
「『どこかのホテルで、大使級のクラス、最低月に一度。通訳と筆記者を交えて四名、一回目以後は、その時に次の日取りを決定する。』で、話しを進めたいと思います。」
「分かりました。では、一回目は、いつ頃に……。」
「八月では……。一回目は皆さんもご一緒してくだされば、これまでの経過が分かると思います。いかがですか?」
「八月の中頃なら、パリにいます。」
ダニーは、ビルと栗須の顔を見た。
八月下旬は、リビアだが、中旬なら大丈夫だ、という顔つきをした。二人は、頷いた。
すぐに、キッシンジャ補佐官に電話連絡した。
次の日ダニーは、内務省で新しいパスポートを受け取り、その足で、ジョージ通りの「中国大使館」の前に行き、二人と落ち合って中に入っていった。
受付で、大使館に面会したい旨を伝えて、ロビーで待っていると、どこかで見たことのある中国人が側に寄ってきた。
栗須が、声を上げた。
「チョウ(張)さんじゃないですか?」
相手は、喜びながら笑顔で言った。
「うれしい、覚えていてくれましたね。私はチョウです。ありがと、ありがと。」
栗須と握手をし、ビルとダニーとも握手をした。二人は、その時、この人物を思い出した。香港のシラトンホテルで、毛主席の連絡係として、毛主席の書類と手紙を渡されたのだ。
「お待ちしていました。リビアに行かれた後、戻られたら必ずここにいらっしゃると確信して待っていました。さあ、大使は今ご不在ですが、部屋にご案内します。」
そう言ってチョウは、三人を奥の部屋に案内した。
椅子に座らせて、すぐに話を持ち出した。
「大変ご苦労されたと思いますが、成果はいかがでしたか?」
ダニーが答えた。
「お陰様で、毛主席にお見せできるものが、手に入りました。連絡を執っていただけますか?」
「勿論ですとも。今日連絡して、返事は明日ではどうでしょうか?」
「分かりました。明日、伺います。」
「こちらから、お伺いします。コンコルド・サン・ラザールホテルでしたね?」
三人は顔を見合わせて驚きの表情を見せた。
「申し訳ありません。皆さんがオルリー空港に戻られた時から、手前どもの者が皆さんの身の安全を考えて、行動させて貰っています。」
「尾行?」
「別の言葉で言えば、そうなります。」
「気付かなかった。」
「気付かれていれば、尾行にはなりません。」
「その通りだ。」
「皆さんの身に危険があるときには、守らせていただきます。」
「ありがたい。では、明日ラザールホテルで。」
三人は、別れの挨拶をして、大使館を後にした。時々振り返ってみたが、誰もつけてはこなかった。
次の日、早朝、ホテルにチョウから電話が入った。
「本国と連絡が執れたが、今から、中国に行く用意はできていますか?」
「明日なら、出発出来る。」
そう答えたダニーは、電話を切った後、すぐに、電話を取りながら言った。
「我々のパトロンのキッシンジャー補佐官に電話をしておくよ。」
と言って、大使館にダイヤルを回した。
交換手に、キッシンジャーへの伝言を頼んだ。
キッシンジャーからは、すぐにホテルに返事があった。
「中国に行くなら、手紙を言付けたい。今夜届ける。よろしく頼む。」
伝言を聞いた後、ダニーが二人に言った。
「明日からまた忙しくなる。今日は、ゆっくりパリを観光案内しょうか?」
ビルと栗須は、にっこり笑って賛同した。二人は、パリに二度来ているが、二度とも空港とホテルと各大使館だけ行き来して、まだパリの観光地には、行ったことがなかったのだ。
凱旋門から放射線に伸びた道路は、ナポレオンが整備した世界でも美しい街だ。石畳の道路のゴミは、早朝の清掃ですべて下水道に流され、建物の石は、二十メートルの地下から採掘され、二百年を掛けて造り上げられた。
ダニーは、ホンダのレンタカー会社に行き、スクーターを3台借りて、パリの街を走った。
真夜中には、パリの街を飲み歩いた。3人に取っては、初めての付き合い方だった。
早朝、ホテルに帰ると、この間のアメリカの一等書記官が彼らをロビーで待っていた。
キッシンジャーからの手紙と分厚い封筒を受け取った。封筒には、ドル紙幣が数十枚入っている。
その後、チョウがホテルのロビーに来て、出発の用意をして欲しい、と言う。
「朝の飛行機で、ドゴール空港からパキスタンに飛びます。」
「パキスタン?」
「そうです。パキスタンが、我々の活動拠点になります。」
「なぜ?」
「中国と国交を樹立している、数少ない国家だからです。」
3人は、二日酔いの寝不足の目で頷いた。その後は、チョウの指示の通りにした。
パキスタン・イスラマバード空港。
タラップから空港内に入ると、消毒液の匂いが、彼らの鼻を突き刺した。1時間の飛行機点検整備の待ち時間だったが、彼らは、別室に案内され、脇にはパキスタンの警備兵が、寄り添っていた。
眠ろうとすると、すぐにマイクが入り、機内に入った。そして、3人は、また、ぐっすり眠りに入った。パリの疲れを忘れるかのように。
★★★★★5北京★★★★★
北京国際空港に降り立ち、部屋からフロアーを通り、外に出る。と、目の前にフランス製大型リムジンカーが停止していた。数名の解放軍兵士が待ち構えており、敬礼してドアーを開ける。栗須とダニーとビルが中に乗り込み、ソファーのようなシートにどっしりと座った。
半年前と同じコースを走る。あの時は、拘束された囚人に等しい状態だったが、今は、国家の要人待遇だった。回りの警備が厳重であると同時に、リムジンの窓はすべて黒い防弾ガラスだった。
リムジンカーは振動もなく、走りだした。一時間程走って、ちょっとした街の中に入り、車は停止した。
降りると飯店がそそり立っていた。が、その時、メインストリートの向こうから大勢の人々が声を張り上げてやって来た。先頭には、藁(わら)をすっぽり被り、頭に三角巾を巻いて、後ろ手にロープで括(くく)られた二人の男が長い棒で叩かれながら歩いて来た。
解放軍兵士が先を案内して中に入ったが、ダニーが英語で言った。
「あの『糾弾』が、今もやり続けている!」
「あの『リー・ズンシィン』が言ってた『糾弾』、そして、『下放』!」
栗須は、目の当たりに見たこの『造反』に、またもショックを受けた。
飯店の中で、雑炊と肉蔓と前菜という簡単な食事をすませた栗須達は、またリムジンに乗り込んで走りだした。二時間ほど走ったところで、『万里の長城』の下をリムジンは、スピードを落として城門に近付き、ゆっくり通り抜ける。
三十分程で、今度は橋を渡り広い道路に出た。
突然、人間の大群に出会い、車はスピードを落とした。クラックションを鳴らし続ける。人々の眼は、険悪な表情だ。大群の先頭には、やはり十人前後の白服を着て、後ろ手にロープで括られ、頭には三角巾、胸には、漢字で書かれたプラカードを吊されている男女がいた。
「紅衛兵」は、大群を横に退かせ、後ろ手のロープに繋(つな)がれた人々を、足でけとばしながら横に退かせた。数人が転んだが、足で蹴り続けて移動させる。
また、リムジンはスピードをあげて南下し、大きな道路で右におれた。道路脇に「東長安街」、と書かれている。
少し走った時、解放軍の一人が中国語で言った。
「ここが『テイエンアンメングウアウチャン』です。」
それと同時に標識が、『天安門広場』にかわる。
車はスピードを落とす。広場を通り抜け右に折れる。そこには城門があり、その上には、10メートル四方の巨大な『マオツオトン・ジュウシ』の肖像画が、掲げてある。肖像画が、彼らを笑顔で迎え入れているように見えた。その門の下を、笑顔でリムジンが通る。
その門の上には『天安門』と大きな漢字が書かれてある。
そのまま車は北に進む。次に『午門』の下を通り、『紫禁城』が、飛び込んできる。
すぐ左に折れ、突き当たりを右に、そして、左に折れると橋があり、『中南海』と書かれた標識にたどり着く。橋の周りは解放軍兵士が、自動小銃をもって警戒している。
車は停止する。解放軍兵士が、二・三重になって車の回りを囲む。助手席の兵士が車から降りて、警備兵舎に入る。数分して車に戻って来た時、包囲していた兵士は後ろに退く。車は発進して橋を渡り、美しく整備された住宅街を走りだす、ゆっくりと。すべては、半年前と寸分違わず、同じ進行だ。
車は例の門の前で停止した。門は中から開かれ、車は吸い込まれて行く。停止し、ドアーが開かれる。
栗須達は降り立つ。
「よくいらっしゃいました。どうぞこちらへ。」 突然、緑の軍服に紅衛兵の腕章を巻いた、あの美しい中国人女性「マウキンウン(孟檎雲)」が英語で言って、家の中に案内する。
3人は、やはり緊張した面持ちで、輝く大理石の上を歩く。そして、奥の部屋に通された。
ペルシャ絨毯(じゅうたん)の上にテーブルと大きな藤椅子、壁にはベルギー絨毯が額に入れられ飾ってあり、部屋の隅には、一メートル以上ある明朝時代の陶器の壷が置かれた部屋で、やはり、半年前で同じだった。
そして、正面の藤椅子が回転し、その椅子に、緑の軍服と赤地に黄色の腕章を巻いた太ったマオツオトン・ジュウシ(毛沢東主席)が、座っている。
ビルと栗須とダニーが、声を揃えて、英語で言った。
「マオツオトン・ジュウシ、お久しぶりです。」
マオは、左手を挙げてそれに応えた。
マウキンウンが、奥からお茶を運んできた。ダニーが尋ねた。
「ポーリータィー?」
マウキンウンは、微笑みながら答えた。
「はい。お嫌いですか?」
「いえ、大好きですが、報告を終えてからの方が……。」
マオキンウンが、急須を布に包み直した。
「マオツオトン・ジュウシ、これが、チェ・ゲバラの手紙です。」
と、ダニーが、内ポケットから封筒を取りだして、差し出した。マウキンウンが、それを受け取り、マオツオトンに手渡した。
マオは、ゆっくり封を切り、手紙を取りだして開き、マウキンウンに手渡した。マウキンウンは、英語で書かれたゲバラの手紙を、中国語に訳して伝えた。
内容は、こうだった。
「親愛なるマオツオトン。君の私への友情を読み、有り難く思っている。私は、一度死んだ。そして、今ようやく生き返ってリビアで生きている。カダフィー同士の力により生き返った。後の余生をカダフィーの革命に捧げる。マオツオトン、君のこれからの活躍を願っている。人民のための革命たれ。アディオス、マオツオトン主席。チェ・ゲバラより。」
マオは、身動きせずに籐椅子の中に沈んでいった。マウキンウンも3人の男達も、ただじっとしていた、魔法にかけられたように。
数分過ぎて、ダニーは、キッシンジャーの手紙をマオ主席に渡した。
マウキントンが、やはり、英語を中国語に訳していった。
「敬愛なる、マオツオトン閣下。私は、アメリカ合衆国大統領の銘を受け、あなたに重要な伝言を致す名誉を授かりました。
中国と米国は、長い期間、不幸にして音信を絶っておりましたが、今回、ニクソンアメリカ合衆国大統領は、閣下にお目に掛かり、両国の友好な親善を推し進めて参りたい所存でございます。
ご連絡頂けますならば、すべては、閣下のお心の通りに如何ようにも取りはかります旨、よろしくお願い申し上げます。 敬具。」
マオは、また、身動きせずに、籐椅子に沈んでいった。
マウキンウンと3人の男達も、やはり、ただじっとしていた。
数分後、マウキンウンがゆっくり立ち上がり、ドアーから部屋を出て行った。 3人は、ただじっと座っていた。
その後、マウキンウンが、一人の女性を部屋に連れてきた。光子である。
栗須は立ち上がって、国民服を着た光子と抱き合った。数ヶ月ぶりの再会だった。
しばらくして、マウキンウンは立ち上がって、ポーリーテイを入れ始めた。部屋中、まろやかな香りが漂い、彼らを包んだ。
マオは、ポーリーテイを一口飲み、マウキンウンに何かを告げた。マウキンウンが、英語で通訳した。
「『チェ・ゲバラには、了解したことを伝えてくれ。少しずつだが、そうなるようにしていく。』と、おっしゃっています。また、キッシンジャー大統領補佐官には、『近いうちに、こちらから、連絡させい頂く旨』とのことで、ございます。」
ダニーたちは、お礼の言葉をマオに述べた。
マオがまた、口を開いた。マウキンウンは、同時通訳で言った。
「『光子さんを、君たちにお渡しする。よろしく頼む』とのことです。」
光子は、涙を流していた。
その後四人はマオの部屋を退出し、客人用宿舎に移り、くつろいだ。
夕食は、関東風料理が彼らを歓迎した。
次の日、四人は、リムジンカーで空港まで送られ、中華民国の飛行機で、パキスタンのイスラマバードに行き、ホテルで、これからの計画を話し合った。
★★★★★6 ワシントンDC&ボストン (ビル)★★★★★
次の日、パキスタンのイスラマバードから、それぞれが、自分の目的地に向かうことになった。
ビルはパリ回りでワシントンへ、ダニーはパリに、そして栗須と光子は、香港経由東京行きの飛行機に……。
8月15日に、パリで落ち合うことを約束しあっての出発である。
ビルは、一年半ぶりのワシントンDCに帰ってきた。
観光客が例年より多く訪れていることが、地下から地上に上がるエスカレーターの混みぐあいで知れた。
自宅に帰る前に、役所でローズ財団からの奨学金で留学している「ロンドン大学」に復学する手続きをした。そして、我が家に足を踏み入れた。
妹が、ビルの首に飛びついて行き、大喜びだった。ただ、妹の顔色が以前よりも悪くなっているのに気付いた。
心臓ペースメーカーか、それとも移植が必要な心臓は、妹の身体を蝕んでいた。
が、「ペースメーカー」なら安いが、「心臓移植」なら、1万ドル(360万円)は必要である。ブルーカラーの1~2年の平均収入程である。
ビルは、自分の机の上に置かれた1年数か月の封筒の山を、一部ずつ封を切って読み始めた。
その中に、聞き覚えのない薬品関係の会社のものが混じっていた。覚えのない会社の封筒の中に、次のような文面があった。
「……以上の観点から、この度株主さまには、最大限のお礼を兼ねて、下記の無償をお贈り致したいと決定致しました。……」
『6月末日の記載ある氏名の株主に、1株に対して200パーセントの無償をする。』
ビルは、その意味がよく理解できなかった。
まず、ジャスダックのこの企業名に見覚えがなかったし、記憶にもなかった。
しかし、ビルの名義の持ち株1000株が、無償によって20万株に変更されているのである。
新聞の株欄で確認すると、1株25ドルとあり、20万株なら500万ドル(日本円1800万円)になる。
ふとビルは、あることを思い出した。
「まさか……。」
と独り言を述べて、自分の部屋に行き、手箱を開けた。
その中には、ビルがイギリスに留学に行く時に整理して入れた書類がある。
一枚ずつ確認しながら、一通の封筒を持って先ほどの居間に戻った。
封筒には、ある証券会社の名前が書かれてあった。
封を開けて、何枚かの書類をめくり、ある書類のある部分に目が惹き付けられた。
『……医療専門の心臓移植学会直営株式会社……』
と書かれてあった。
次の書類に、日付とビルの名前があり、
「1000株・・・$1200―」
とあった。
その時、ビルは一年前のことをはっきり思い出した。
ローズ財団から、一年間の「ロンドン大学」留学費用として、1万2千ドルが彼の口座に振り込まれ、その十分の一の1200ドルを、妹の心臓手術のために、「心臓移植学会」直営の小さな会社の株を買っていたのである。
それが、1年半で、具体的な業績をあげ(すべての心臓移植が成功し)、年間の収入は膨大な数字になっていた。
そして、1株に対する200%無償を実行したのだった。
アメリカでは、企業の株主が、会社にとっての絶対的権利があり、それに報いるのが経営者であることが徹底されている。
ビルは電話を取って、スタンフォード大学付属病院に電話を入れた。
そして、妹の名前を述べて、
「以前、免疫適合性検査をして貰っており、心臓移植の申込みをしたい」旨を伝えた。
すると、先方は、
「マサチューセッツ総合病院でも心臓移植は行われており、ワシントンからなら、そちらの方が近いので、そちらで申込みをしてみてはどうか?」
というものだった。
ビルは、考えた。
マサチューセッツ州のボストンなら、飛行機で1時間である。
「紹介状をマサチューセッツ総合病院に送って貰いたい。」
と頼み、すぐにマサチューセッツ総合病院に健診の予約を入れた。
株を売れば、妹の手術費に充てられる。
スタンフォード大学のサムウェイ教授らのメンバーに感謝した。
すぐに妹にそのことを告げたが、嬉しさと手術の不安が交錯し、彼女は泣き崩れていた。
母親がなだめながら言った。
「人生は、決断することで初めて改善されるのよ。あなたの心臓も改善されるわ。」
数日して、ビルは妹を連れて、ボストンのマサチューセッツ総合病院を訪れた。
心臓移植の担当は、イギリスのオックスフォード大学の教授で、スタンフォード大学のサムウエイ教授と共に、世界で初めて「ハート・トランスプラント(心臓移植)」を成功させたスタッフだった。
病院では、すぐに「免疫適合性検査」を始めるために、妹を入院させた。
この検査が「心臓移植」には、初期の最も重要な検査で、患者(レシビエント)の血液と提供者(ドナー)の血液が、ぴったり適合するかの中心作業である。
ビルは、母親に病院のことを頼み、病院の周りのブロッソム通りをのんびり歩いた。
1年半ぶりのアメリカの自由の喜びを満喫して歩いた。
誰からも束縛されることなく好きに歩き回れる、これほどの喜びが他にあろうか?
左のサイエンスパークの芝生を眺めながら、通りを歩いて「ホリデーインホテル」に入り、予約をいれた。妹の検査が数日かかるらしかったからだ。
チェクインにはまだ早いので、外に出て右に回り、ワンロックを過ぎて右を見たとき、心臓が破裂しそうなものを見た。
5~6メートルはある高さの塀がずっと続き、壁には「SUFFOLKCOUNTYJAL(サフォーク郡刑務所)」と書かれてあった。
ビルは、体中から冷や汗が流れた。
1年前のソ連のシベリア刑務所の過酷な酷寒労働が彼を包んだ。
息苦しいものが込み上げ嗚咽(おえつ)した。
ここはアメリカ合衆国だ!!
彼は、自分に言い聞かせた。
3日後の、早朝、マサチューセッツ総合病院からホテルに電話がかかった。
すぐに病院に来てほしい、という内容の伝言である。
ビルは、すぐにホテルからマサチューセッツ総合病院に走った。
妹に異変が起こったのでは、という不安が彼を襲った。
ところが、ドクターから、ドナー(提供者)が現れた、ということだ。
今朝、総合病院から目と鼻の先の位置にある、ボストン北駅前のトラバース通りで、交通事故があり、脳死が判定された、20歳の女性である。
ビルは、母親と相談し、妹にも確認して、立会人としてサインをした。
心臓移植の心臓は、摘出後、6時間しか保存時間がない。心臓は、すでに確保されている。
妹は、軽く手を振って手術室に入って行った。
そして、4時間後、手術は成功した。
・・・・・・・つづく・・・・・・
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