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『こいきな男ら掲示板(居酒屋こいき)』
に投稿・記載されたお話

御木宏美先生ご自身の作品
その2

(2000年1月〜2000年4月)
2000年01月05日 「無題」

「すげえ!」
木立の合間に延々と続く石段を見上げて、奎悟と京介が感嘆を上げた。
「ね、お父さん、先に走っていってもいい!?」
二人が悟に問う。悟は「ああ」と頷いた。
「よし、奎悟、競争!」
言うなり、京介が駆け出した。
「あ、待てよっ!」
一瞬、遅れて奎悟が追う。
「おまえら上に着いたら待ってろよ! 勝手に出歩くんじゃねーぞ!」
京平が叫んだ。
「はーい!」
元気な返事を残して、二人の姿はあっという間に木立に消えた。
「子供は元気だな」
「まったく」
京平と悟は顔を見合わせて苦笑した。
「あれ、瑞波は行かないの?」
気付いて進が声をかけた。瑞波は首を横に振った。
「ンなダリィことできるかよ。進といるほうがいい」
進は思わず笑った。負けず嫌いのくせに、こういうところはしっかりと瑞紀の性格を
受け継いでいる。
「シンもママとのぼるの!」
進哉が高らかに宣言した。
「はいはい」
進は苦笑しながら適当に応えた。この階段は5歳の進哉にはまだキツイ。
どうせ途中で「抱っこ」と言い出すに決まっている。
案の上、100段も上ったか上らないかというところで、進哉は石段の淵に座り込んだ。
「もう歩けないィ。抱っこォ」
ほらきたと大人たちは苦笑いを浮かべた。
「ダメだよ、シン。登るって言ったのは進哉だろ」
進の言葉に進哉はイヤイヤと首を振った。
「疲れたの。歩けない。抱っこ、ねえ抱っこォ」
両手を伸ばして抱っこをねだる。
「しょーがないな」
悟がため息をつきながら抱き上げた。
「エヘヘヘ」
今泣いたカラスがもう笑った。進哉は満面の笑みでVサインをした。


2000年01月30日 「幸せだったあの頃・・・。」

「ちょっ・・・、京・・・、あんまり動くなって・・・」
 甘い吐息をこぼしながら進が切れ切れに呟く。
 真夜中を回って、子供たちはとっくに眠っているとはいえ、もしかしたらスプリングの軋む音が聞こえているのではという不安は消せない。
 だが、杞憂しているのは進だけのようで、覆い被さった京平は胸にキスを散らしながら笑っている。
「明日、ガキどもに<パパたち昨夜なにしてたの?>って訊かれたら、なんて答える?」
 進はバカと拳を見舞った。
 とはいえ、本当に訊かれたらどうしようと考える。上の子たちは6歳。性教育にはまだ早い。ましてや男同士の情事なんて・・・。
 その時、京平が「ん?」と顔を上げた。
「京?」
「泣いてる・・・?」
 扉を振り返りながら京平は訝しそうに呟いた。
「え・・・?」
 進は耳を澄ませた。すると・・・。
 確かに子供の泣き声が聞こえた。
「進哉だ!」
 気付いた京平は叫ぶが早いか、進の上から身体を離した。進も慌てて身を起こす。
 二人はベッドの下に脱ぎ散らかしたTシャツやスウェットパンツを急いで身につけて、子供部屋に駆け込んだ。
「進哉!」
「進」
 部屋には一足先に悟が来て、進哉を抱いていた。彼の腕の中で、進哉は火がついたように泣き叫んでいる。
「どうしたんだ!?」
「わからん。熱はないようだが」
「シン、急に泣き出したんだ」
 奎悟が答えた。進哉と同じ部屋で寝ていた三人のお兄ちゃんも起き出して、心配そうに見上げている。
 悟の手から進は進哉を抱きとった。
「進哉」
 呼びかけると、
「ママァッ!」
 進哉は力いっぱい進にしがみついて来た。そして一層激しく泣き出した。
「どうしたんだ、進哉」
 進はあまりの激しさに痙攣するようにしゃくりあげている小さな背中を優しく叩きながら声をかけた。
「恐い夢でも見たのかな?」
 京介が呟いた。
 悟と京平が「あ!」と叫んだ。
「あれだ!」
 夕食の時に観ていた<世界の衝撃映像>。その番組を進哉も観ていた。大人たちにはたいしたことのない映像でも、まだ2歳の進哉には衝撃が強すぎたのだろう。その影響で夜泣きを引き起こしたとしても、不思議ではなかった。
「悪ィ、進・・・」
 二人は頭を下げた。
「ああ、いいよ」
 進は微笑いながら首を振った。
「こっちこそ、進哉のせいで皆を起こしちゃったね。ゴメンね、奎悟、京介、瑞波」
「進・・・」
「進哉は大丈夫だから。三人とももうお休み。明日、学校だろ」
 まだ心配そうな顔をしている三人に「大丈夫」と頷いて、進は泣いている進哉をリビングに連れて出た。
「イヤッ!」
 暗闇におびえたのか、進哉はさらに進の首筋にしがみついた。
「大丈夫だよ、進哉。なにも恐くないから」
 明かりを灯したが、進哉は離れようとはしなかった。
 進はソファに座った。
 京平が進哉の掛け布団を持ってきた。1月。暖房を切ってかなりたつリビングはすっかり冷えていた。風邪をひかさぬように、進ごとくるんでやる。
「大丈夫か?」
「うん」
 進は笑顔で頷いた。
「落ち着いたら連れて行くから、先に寝てて」
「・・・悪ィ」
 京平は拝むように片手を顔の前に立てて、部屋に戻っていった。
 進哉はまだ泣きつづけていた。
 進は小さなその身体をそっと叩いた。
「大丈夫だよ、進哉。オレがついているから。何も恐くはないんだよ」
 進哉が小さくしゃくりあげた。
「ママァ・・・」
 進哉はいつからか進をそう呼んだ。進は「うん」と頷いた。
「ここにいるよ、進哉」
「ママァ・・・」
 進哉はギュッとしがみついた。


2000年02月07日 「甘い(!?)失敗2」

「なんだよ、これ」
 ホコホコと湯気を立てている白い饅頭を前に、瑞紀が不信げに尋ねる。物体そのものが何なのかわからないのではない。問題は京平の説明だった。
「だから奎悟と瑞波の食い残し」
 繰り返された京平の言葉に、瑞紀と悟は顔を見合わせた。
「食い残しって、まったく食ってないじゃないか」
「食わなかったんだよ。オレ様がせっかく買ってきてやったのに」
 えらそうに答えて、京平はタバコを一服。二人はもう一度顔を見合わせた。
「だからってなんでオレたちが食わなきゃいけねーんだよ」
「なんで!? おまえらあいつらの親だろ!」
 ジロッと睨みつける。
「製造物責任法! 製造者は自分がこさえたモンに責任があるんだよ! アフターケアも製造者の責任だろーが!」
「ンだと!? 好きで作ったわけじゃねえ!」
 まるであれは事故だと言わんばかりの瑞紀の口ぶり。だが、悟も隣で頷いた。
 そう、Jr.に関しては、彼らは完全に被害者だ。セックスをしたのは誰だとか、避妊しなかったおまえらが悪いとか、この際、それは不問に処す。とにかくヤったことすら忘れた頃になって、いきなり「貴方の子供よ」と現物が届けられても処分に困ると言うもの。認知しただけでも誉めてくれと言いたいのが彼らの本音だ。ま、子供たちの手前、さすがにそれは口にしてないが。
 というわけで、三人はホコホコと湯気を立てている中華饅頭を間にはさんで、しばし睨みあった。
 そこにキッチンで夕食の準備をしていた進が出てきた。
「どうしたの、三人とも」
「進・・・」
 応えた瑞紀がテーブルに目をやった。その視線を追った進は納得した。
「それかァ」
 彼は苦笑を浮かべた。
「ゴメンね。京平が肉まんと間違えて、あんまんを買ってきちゃって」
「なに!?」
 悟と瑞紀は目をむいた。
「じゃ、これ、京平のミスかよ!?」
「しかもあんまん!?」
「う、うん・・・。だから進哉だけは食べたんだけど、他の子たちは食べなかったんだ」
 二人は揃って「ほー」と京平を見据えた。
「言ってくれるじゃねえか、京平」
「な、なんだよ・・・」
 背中に冷たいものを感じて京平はわずかにあとずさった。
「で、でもよ、オレはちゃんと京介の分を食ったぜ! あ、あとはおまえらだけだ! 奎悟と瑞波が残したんだから、親のおまえらが片付けるのは当然だろう!」
「京平」
 二人は声を揃えた。
「製造物責任法!」
「買ってきたヤツが責任とれよ!」
 京平の口の中に二つのあんまんが押し込まれた。



2000年02月20日 「ユリーズん。」


(可愛い・・・)
 時間潰しに入ったデパートのアクセサリーショップで、進は足を止めた。
 目にとまったのは、シルバーのピンキーリング。小指用にしては珍しく太めで、表面に象形文字のような紋様が掘り込まれている。
「いいでしょ?」
 じっと眺めていると、店員が寄ってきた。
「高橋啓太っていう、最近ちょっと売れてるシルバージュエリーデザイナーの作品で、ハンドメイドなんですよ。彼の作品を扱っているのは、デパートではうちだけなんです。原宿にいけば、アトリエと一緒になったショップがあるんですけど」
 訊きもしないのに、店員はしゃべってくれる。
「へえ・・・」
 進は改めてディスプレイを覗き込んだ。
 たしかに文字の大きさは不揃いだった。そこに手作りの味がある。
「良かったらはめてみられませんか?」
「え・・・」
「いいですよ。試すのはタダですから」
 彼女は進の返事を待たずに、ケースからリングを取り出し、「ハイ」と差し出した。
 人あしらいの苦手な進は、苦笑しながら受け取った。
「どうですか?」
「・・・うん。いいですね」
 リングは進の指にピッタリとあった。
「周りの、文字ですよね。なんて書いてあるんですか?」
「さあ。私も読めないんですけど・・・。あ、でも、意味は<永遠の愛>だそうですよ」
「永遠の愛・・・」
「何やってるんだよ?」
 不意に、横から声がかかった。振り返ると、一緒に時間待ちをしていた瑞紀が立っていた。
「あ、ゴメン」
 進は慌てて指輪を外した。
「もう時間?」
「いや」
 瑞紀は進の手元に眼をやった。
「気にいったンなら買えばいいじゃん」
「ん、でも・・・・」
 進は苦笑した。
「これ、ペアリングだもん」
 そう。ショーケースの中に飾られていたのは、同じデザインの対のリングだった。
「それが?」
 瑞紀は店員に眼を向けた。
「別に一個でも買えるんだろ?」
「え、ええ」
 端麗な美貌を前に、店員は圧倒されながら頷いた。
「ほら」
「ん・・・。でも・・・」
 進は考えていたが、
「・・・やっぱりやめとく。引き離しちゃったら、リングが可哀想だもん。ペアなのに」
 ショーケースの中にそっと戻した。
「だったらアイツの分も買ってやればいいじゃんか」
「え・・・?」
 思いがけない言葉に、進は頬を染めた。
「アイツの小指のサイズは?」
「サイズ・・・」
 進は首を横に振った。
「知らない。何号か・・・」
 瑞紀はため息をついた。
「ったく、しまらねえ話だなァ。サイズぐらい知っとけよ」
 ぼやきながら彼はもう一つのリングを手にとった。自分の指にはめる。そちらの方が進がしていたのより一回り細身だったが、スルリと入った。
「お、ピッタリ。って、オレが合ってもしゃーねえのか。でも、けっこういいじゃん、これ。オレも気に入った」
 かざして見て、瑞紀はまんざら嘘でもなさそうな口調で言った。
「だろ? 高橋啓太って人のハンドメイドだって」
「へえ」
「瑞紀、似合うよ」
「バカ。オレじゃなくて、おまえらだろ」
 笑いながら瑞紀はリングを抜いた。
「あいつ、けっこう節が太いからな。12号か13号ぐらいじゃねえの?」
「かな?」
 進は首を傾げながら、店員に顔を向けた。
「あの、すみません、これの12号か13号ありますか?」
「・・・・」
「あの・・・?」
「すみません、これ、一点モノなので、ここにあるモノだけしかサイズがないんですけど・・・」
 進と瑞紀は顔を見合わせた。
 ということは・・・。
 二人の頭にある考えが浮かんだ。
 その時、店員がニッコリと笑った。

いかがですか、お二人でペアではめられては?



2000年02月27日 「成長記」

あと半月ほどで桜も咲く淡春の土曜日。
進哉が昼寝についた午後のひと時、進はリビングで育児書を読んでいた。
瑞紀は例によって昨日仕事に出たきり戻ってこない。悟は沖縄ロケの仕事が入った瑞波を羽田空港まで送っていった。奎悟と京介は京平と調布までサッカーの試合を見に行っている。進哉に知られると、サッカーなどわかりもしないくせに「シンくんも行く」とねだるのが目に見えているので、三人は昼寝の間にこっそりと抜けていった。起きたらひとしきりグズられるだろうことを進は覚悟した。
(それにしても・・・)
お兄ちゃんたちの成長の早さに比べて、進哉の幼さはどうだろう。四つ違いということを差し引いても、進には進哉が特別甘えん坊の子供に思えた。
昨日のことだ。四人とも仕事が終わらずに保育園のお迎えが遅くなった。
進哉を預けている保育園は六時まで迎えに行かなければならない。やむなく進は携帯から保育園に電話をかけ、迎えに行くのが三十分ほど遅れる旨を告げた。応対に出た園長は快く快諾をしてくれた。
上の三人が零細の時から足掛け七年の付き合いになる園長は、家庭の事情をよく理解してくれていて、これまでもたびたび特例で面倒を見てくれた。
かと言って、その親切に甘えるわけにもいかない。進は地下鉄を降りると、ダッシュで保育園に向かった。陽が長くなったとはいえ、六時を回るとさすがに辺りは暮れなじみはじめる。小学校に通うお兄ちゃんたちも、もうとっくに帰ってきてるはずだった。夕食までのつなぎにと、出しなに菓子パンを置いてきたが、食べてるだろうか。そちらには一緒に出ていた悟がやはり走って帰っていった。
歩いて十分ほどの距離を、走りに走って、進は保育園の中に駆け込んだ。
年齢ごとの部屋は灯りが消えて真っ暗だった。六時を回ると、まだ残っている子供たちは全員園長先生の部屋に集められる。
「遅くなりましたっ!」
「遅えよ、進」
聞き覚えのある声がした。見ると、奎悟と京介と瑞波がいるではないか。
「え!? どうしたの、三人とも!?」
「遊びに来てやったんだよ」
瑞波の応えにポカンとする進に、園長先生が微笑いながら状況を説明してくれた。
三人は六時を回った頃やってきた。保母たちは最初、三人が進哉を迎えにきたと思ったらしい。園では小学校五年生以上でないと、引き取りは認められない。三人はまだ二年生。それを告げると、「知ってるよ」と答えた。
「でもさ、ここで一緒に遊ぶ分にはかまわねえだろ」
三人は進哉が寂しがっているんじゃないかと心配して、やってきたのだった。確かに残っていたのはすでに進哉一人だった。
いくら園長先生や保育士が一緒にいるとはいえ、友達はみんな母親に連れられて帰っていく中で、一人取り残されるのは寂しかろう。
現に三人が来るまで、進哉はしきりに玄関を気にしていたそうだ。
「オレたちも経験あるからさ」
「でも、オレたちはいつも三人一緒だったから」
「そう。でも、進哉は一人だもんな」
だから来たのか。進哉が寂しくないように。
「あのね、ママ、シンくんちぃちゃんたちと遊んでたから、ぜんぜん寂しくなかったよ」
誇らしげに報告をする進哉の言葉を聞いて、進は胸が熱くなった。
「ありがとう、奎悟、京介、瑞波」
照れくさそうに肩をすくめる三人を目を細めて見ながら、園長先生が「三人ともいい子に育ったわね」と言った。
進は何度も頷いた。
そんなことがあった翌日だから、ことさら進哉が甘ったれの赤ん坊に思えるのだ。
そんな進の危惧を察したのか、別れ際、園長先生が「シンくんも立派なお兄ちゃんになってますよ」と言った。
だが、進は信じられなかった。

思い煩ううちにいつのまに眠ってしまったのか。
フワッとなにか軽いものが自分の腹の上に乗せられる感覚に進は目を覚ました。誰かがポンポンと腹を叩く。
「ねんね、ねんね」
耳元で舌ったらずな進哉の声がした。
目を開けると、腹の上に先ほど取り込んだ進哉の保育園の布団が丸めて置いてあった。
「ママ、起っきしたの? まだねんねしなきゃダメなんだよ。シンくん、ポンポンしてあげるからね」
また「ねんね、ねんね」と言いながら進の腹を軽く叩いた。寝かせてるつもりなのか。
進は笑い出した。
「ママ?」
進哉はきょとんと進を見た。進はその小さな身体をギュッと抱きしめた。
まったくいつのまに<布団をかける>なんてことができるようになったのか。丸まってはいるけれど。
進哉は進が眠っていると思って、そばにあった布団をかけてくれたのだ。
幼い幼いとばかり思っていた進哉のなかに芽生えていた他人を思いやる心。
「知らぬは親ばかりなり、か・・・」
進哉、大好きだよ。そう言って進は進哉をギュッと抱きしめた。



2000年03月01日 「Congratuiations!」


(まったくテレビだ、電話回線だと贅沢な)
 休日の午後、悟は一人で事務所のパソコンに向かって図面を引いていた。
 描いているのは新しいペントハウスの設計図。上の三人が小学校に上がって、個室が欲しいと言い出しので、立て替えることにしたのだ。持ち主の京子も快く了解してくれた。
 ところが、いざ設計が始まると、子供たちからは「各部屋にテレビを設置してくれ」だの、「ゲーム機でインターネットをやるから電話回線を引いてくれ」だの、「もちろんドアは鍵つきだろうな」だの、勝手な注文ばかり。かくて何のための個室だと、冒頭のボヤキになる。何も言わないのはまだ3つの進哉だけだ。

 コトン、コトン。
 背後の螺旋階段を誰かがゆっくりと下りてきた。やけに軽い足音だ。
 振り返ると、進哉がおぼつかない足取りで、両側の手すりを握り締めて一段一段慎重に下りてきていた。
「進哉!」
 悟は慌てて立ち上がって駆け寄った。
 途中で抱き上げる。
「どうしたんだ? 危ないから一人で下りてきてはいけないと言ってるだろ」
 こら、と睨んでみせると、進哉は愛くるしい顔で笑った。
「あのね、シンくん、お願いがあるの」
 この笑顔には弱い。
「お願い?」
 案の上、悟は叱ることすら忘れている。
 進哉はこっくりと頷いた。
「あのね、シンくん、ダンボが欲しいの」
「う・・・」
 悟は思わず引いた。
 現在、彼の前で「ダンボ」は禁句だ。京平と張り合って股間にマジックで「ダンボ」を書き、瑞紀に思いっきり蔑みの目を向けられたのがトラウマとなっているらしい。
 もちろん進哉はそんなことなど知る由もない。
「パァパ?」
「い、いや・・・」
 不思議そうにコクッと小首を傾げる愛し児に、悟は慌てて首を横に振った。
「な、なんでもないよ。そ、それより進哉、ダンボって・・・」
「あのね、こォれ」
 一瞬、悪夢が脳裏をよぎったが、幸いにも進哉は右手に握り締めていた紙を差し出した。
 黄ばんだ古新聞だった。
(なんだ・・・?)
 悟は片腕で進哉を抱いて、もう一方の手でそれを広げた。
 2000年2月の日付だった。進哉が生まれた年だ。
 進哉自身が破いてきたのか、1面の上半分だけで、切り口はジクザクになっている。
 左側にカラー写真が載っていた。丸い石造が写っている。横に「飛鳥で亀石が出現」と見出しが出ていた。
 写っている石造は確かに亀の形をしていた。甲羅の部分が丸く繰り抜かれて、頭と尻尾には水を流す細い穴があいている。
(そういえば、当時そんなニュースが流れたっけ)
「これがどうしたんだ、進哉?」
 悟は進哉に顔を向けた。
「あのね、新しいおうち作るんでしょ。シンくんね、お風呂、ダンボがいいの」
 悟はハッとした。
「そうか!」

 かくして、設計図が引かれたわけだが、子供たちの風呂場だけはどんな仕様になっているのか、完成まで内緒にされた。

 そして、
「なんだよ、これ!?」
 風呂場に入った子供たちはあんぐりと口を開けた。
 そこにあったのは、
亀石ならぬダンボの浴槽だった。
 頭を抱えるお兄ちゃんたちの横で、進哉だけが嬉しそうに歓声をあげていた。


 しかし、それから数年後、悟は第二次反抗期を迎えた進哉に、
「悟パパって趣味悪いね」
 と言われる羽目になることは、この時は想像だにしてなかった。

 伊達悟、もうすぐ40歳、どこまでも不運な男である。



2000年03月18日 「ユリーズ」


進と瑞紀は『芦屋』との仕事でまた神戸に来ていた。今回の出張は二人きり・・・。

「妙だな」
「なにが?」
 部屋に入るなり瑞紀が呟いた言葉に、進は首をかしげた。
 瑞紀はそれには答えずにグルッと部屋を見回した。『芦屋』の本社から歩いて十分、神戸一の繁華街三宮に建つそのホテルは、かの震災で全壊し、昨年立て直されたばかりの新しいホテルだった。ビジネス向けなので広くはないが、室内はクリーム色で統一されていて明るい雰囲気の部屋だ。
 突然、瑞紀が壁を調べ始めた。顔を寄せてクロスの継ぎ目をじっと見つめていたかと思うと、ほっそりした指で撫でてまわる。
「瑞紀・・・?」
 不可解な行動に、進の中で不安の灯がともった。
「どうしたの・・・?」
 瑞紀が振り返った。
「出るぜ、ここ」
「え? なにが?」
「ゆーれい」
「・・・・!?」
 進は飛び上がった。
「へ、変なこと言うなよっ!」
「変じゃねーよ」
 瑞紀は平然と答えた。そして室内をグルッと見回しながら、
「入ってきた時、ヤな感じがしたんだ。そしたら案の上、壁のクロスが張り替えられてる。建て替えたばかりなのにおかしかねーか?」
「そ、それは・・・」
「おそらく客から苦情がきて、内装だけでも明るくしようと最近張り替えたんだろ。と言うわけで」
 トンと瑞紀は壁を叩いた。
「出るぜ、この部屋」
「・・・!」
 進は固まった。
 瑞紀は恐怖に引きつった進の顔を見て面白そうに笑った。
「なんてツラしてんだよ。このテのホテルには幽霊の五人や十人、当たり前だろーが。枯れ木も山の賑わいって言うだろ。出てきたら、冷蔵庫の酒出して接待してやれ」
「え、接待してやれって・・・。瑞紀、どこかに行くの?」
「おまえと一晩一緒にいてもしょーがねーだろ。街、うろついてくるから、おまえは勝手に寝てな」
「み、瑞紀っ!」
 キーを持って出て行きかける瑞紀を進は慌てて掴み止めた。

 進の必死の願いによって、その夜、何とか瑞紀は夜遊びを思いとどまってくれた。
 だからと言って、男二人、ツインルームですることもなく、仕方なくそれぞれのベッドに寝転がってテレビの映画鑑賞となった。
 それがまずかった。この夜、民放の某局で放送された作品は、日本の映画市場もっとも怖い作品と評された「リング」だったのだ。
 進がそれに気付いた時は遅かった。いくら変えようと瑞紀にねだっても、
「オレ、これ観たかったんだ」
 の一言で片付けられてしまう。
 身も凍る二時間が過ぎたとき、進の顔色は真っ青を通り越して、土色になっていた。一方、瑞紀のほうは白っとしたもんで、ネコがエサを食べた後のような満足げな表情をしている。
「進、先に風呂使っていいぞ」
 枕にもたれて携帯電話のメモリーボタンを押しながら、瑞紀が声をかけた。進は恨めしげに睨んだ。
「・・・一緒に入ってよ」
「はぁっ!?」
 瑞紀は思わず振り返った。
 進は枕を膝に抱いて、ベッドに尻をつけてペタンと座っていた。バンビアイズが濡れている。
「ひ、ひとりで入れない・・・」
「・・・・」

 かくしてユリーズがビジネスホテルの狭いユニットバスの中で密着してつかっている頃、青山のペントハウスではやはり同じ映画を観たケモノーズがこちらも仲良く一つの風呂に入っていた・・・。
 この事実を彼らはどちらも知らない。



2000年03月25日 「みづき様、続きは?」


「はぁ・・・んっ・・」
 普段皮肉な言葉ばかりを吐く唇が濡れた吐息をこぼす。白いピロウに散った薄茶の髪が左右に振られ、シーツの上の細い脚は引き締まった腰に絡みついた。
 身体の奥に打ち込まれた灼熱の楔。
 押し開かれた身体は焦れていた。壁に手をつき、立ったままの姿勢で背後から思うさま貫かれ熱い喜悦に酔っていたのは先程のこと。その余熱覚めやらぬまま突入した二度目の情交は、しかし、最奥まで貫いただけで動きを止めてしまった。
 一度融かされた内壁は、いっぱいに銜え込んだ熱い脈動に刺激され、波立ち始める。意識と無意識の両方がおりなす微妙なざわめきにともすれば理性をさらわれそうになりながら、京平は目を細めて組み敷いた相手を見つめた。
 淫らに悶えるオス猫は恐ろしく美しかった。
 そこには日頃のきついイメージはかけらもない。彼の印象の大部分を占めていた皮肉屋の印象は見事なまでに剥ぎ取られ、代わってそこに存在するのは快楽に飢えた美しい野獣だった。
 白くきめ細かい肌は妖しい陰美の朱に染まり、色薄い唇は血色となって濡れた吐息を漏らしている。鋭い瞳は艶かしい快楽に酔いしれ、しなやかな四肢は淫らな欲望のリズムを刻む。
 それはいっそ見事なまでの豹変だった。彼のこの姿を知るのはこの世でただ二人。
 不意に苦い思いが胸の奥に灯った。
 愛してるわけじゃない。どちらも想いは他にある。ただ暇と欲情を紛らわすためだけの遊び・・・のはずだった。だが、自分以外にこの姿を知る者がいると思うと、嫉妬に似た感情が胸の奥に灯るのはなぜだろう。
「・・い・・いかげんに・・しろ・よっ・・」
 いつまでたっても動き出さない相手に焦れたオス猫が振り返って睨んだ。
「時間ねえだろっ。さっさとしろっ」
 見惚れたのもつかの間、いつもの毒舌を吐くオス猫に京平は苦笑した。まったく色気のない。そんなものをこの関係に期待するだけ無駄だとわかってはいるが。
「・・・・っ!」
 不意に深く身体をすくい上げるように突き動かされて、瑞紀は声にならない悲鳴をあげた。腰が跳ね上がり、シーツを握り締めていた指がとっさに首にすがりつく。
「あぁ・・・」
 背筋を突き抜ける快感の波をやり過ごして、瑞紀は首に回した腕を己の方に引き寄せた。
「来いよ・・・。もっと深く・・・」
 切れ長の瞳が妖しく揺らめいた。それとともに内部にも変化が起きた。意識してか無意識か。柔らかい、うねる波のような轟が熱い奥から間断なく沸き起こり、京平の情炎に火をつける。微妙な動きに危うく取り込まれかけられ、京平はとっさに唇を噛み締めて己の中の炎に耐えた。
「どうした?」
 見上げる瑞紀の口元に妖しい微笑が浮かんだ。硬い髪に差し込まれた指は愛撫するようにさまよう。
 挑発的な態度に京平は苦笑した。

 きっかけが何であったか。二人ともとうに忘れてしまった。
 それでも今この瞬間の出来事は紛れもない二人だけの事実だった。

「ん・・ぁ・・ん・・・」
 締め付けるリズムにあわせて紅い唇がほどけ、そこから切ない喘ぎがこぼれる。少し苦しげに寄せられた細い眉。
 京平はゆっくりと律動を刻んだ。

 起こされたオスの本能。
 それを待ちわびる飢えた狂獣。

 はたしてこの関係は何と言うのか・・・・。
 二人は知らない。



2000年04月09日 「無題」


夕食が終わると早々に奎悟は部屋に閉じこもった。
 京介や瑞波の顔と顔を合わせるのがイヤだった。赤ん坊の頃から常に一緒にいて、三人で成長してきて、兄弟以上の存在だったのに、最近二人の存在が疎ましい。
 奎悟は嫉妬と焦りを感じていた。ずっと自分は長男だった。身体の大きさも、成績も三人の中で一番だった。進には「奎悟は本当に頼りになるね」と信頼されていた。だが、最近、知らないうちに二人が自分を追い抜いて成長しているような感じがする。置いていかれたんだろうか、と思った時、言いようのない不安や焦りを感じた。
 奎悟は常に追いかけられる立場だった。群れをまとめる先導者だった。だけどその支配力は徐々におよばなくなっている・・・。
 京介は最近、音楽に熱中し始めた。父親たちには言ってないが、彼はひそかにプロを目指していると奎吾は感じていた。瑞波は相変わらず忙しく芸能活動をやっている。本人は興味はなさそうな顔だったが、何でも器用にこなす彼に、奎悟は瑞紀の血を見た。
 それぞれが、それぞれの道を決めて歩いている。
 では、自分は?
 自問した時、奎悟はこれと言って目標がないことに気付いた。父親の影響を受けて、幼い頃から剣道をやっていた。でも、それはクラブ活動止まりだった。それを生涯の仕事にしようとは思わなかった。では、サラリーマン? それとも父親たちの事務所を継ぐ?
 誰もそんなことは出ださなかったが、もし継ぐとすればそれは奎悟だろう。そんな雰囲気が家族の中にあった。奎悟もこれまでそうかな、と漠然と考えていた。でも、京介のように本当に心からそれをやりたいのかと訊かれると、自身にもわからなかった。
 だから二人を見るたび、置いていかれたような焦りを感じた。それが奎悟を苛立たせた。

「奎悟」
 ノックの音と共に、瑞紀の声がした。
 今は誰にも会いたくない。奎吾は無視を決め込んだ。
「いるんだろ、奎悟。開けろ」
 瑞紀は幾分腹立たしげに命令した。渋々奎悟は歩いていってドアを開けた。派手なシャツに皮のパンツをはいた瑞紀が立っていた。
「・・・なに?」
 言葉少なに奎悟は尋ねた。瑞紀はジャージ姿の奎悟を頭から足の爪の先まで眺めた。そして、
「着替えて、降りてこい。外にいる」
「え? あ、ちょっと・・・!」
 叫んだ時には、ドアは閉まっていた。
「・・・なんだよ・・・?」
 奎悟は呆然と呟いた。

 それでも、言われたとおり奎悟がジーパンにはきかえて一階に下りると、瑞紀は路上で待っていた。路肩に2ドアのレビンが止まっていた。
 乗れ、と瑞紀は顎をしゃくって合図した。そして自分は運転席に乗り込んだ。
 わけがわからないまま、奎悟は車道に出て、助手席に乗り込んだ。レビンは今時珍しいミッション車だった。
 どこに行くとも告げずに、瑞紀は滑らかに車を発進させた。

 レビンは夜の首都高を千葉方面に向かって走っていた。
 瑞紀は相変わらずどこに行くとも言わなかった。助手席の奎悟は少々居心地悪げに身をよじった。こんな風に瑞紀と二人きりで車に乗るのは初めてだった。面倒くさがり屋の瑞紀は家族で出かけるときも、決してハンドルを握ろうとしない。だが、初めて体験した瑞紀のテクニックはなかなかのものだった。曲がりくねった首都高を、ブレを起こすことなく滑るようにすすんでいく。
 二十分ほど走って、瑞紀は高速を降りた。着いた所は葛西のトラックターミナルだった。広大な敷地に、生前と区画された倉庫軍が続いている。時間が時間だからか、倉庫はすべてシャッターが下りていて、路上に他の車の影はなかった。瑞紀はその一角で車を止めた。
「瑞紀・・・?」
 不思議そうに見る奎悟の前で、瑞紀はエンジンを切り、キーを抜いた。
「やってみろ」
「え?」
「運転。できンだろ」
 そう言うと、瑞紀はキーを奎悟に寄越し、車を降りた。奎悟は唖然とした。だが、どうやら瑞紀は本気らしく、車の前を回って、助手席にやってくる。
 奎悟は急いで降りた。ボンネットの前を横切って運転席に走った。
 乗り込むと、瑞紀はすでに助手席に座っていた。
「やり方、わかるな?」
 肯定的な問いかけに、奎悟は無言で頷いた。幼い頃から車に興味を持っていた。清里の別荘に行った時、父親の悟が敷地内で少しだけ運転させてくれたことがあった。でも、これはその時とは違う。おまけにミッション車。
 ゴクリと唾を飲み込んで、奎悟はキーを回した。エンジンがかかった。ギアを一速に入れ、サイドブレーキを解除した。アクセルを踏み込む。車はゆっくりと動き出した。
 少し走って、クラッチを踏み込み、二速にチェンジ。うまくいった。奎悟はさらに三速に上げた。
 コーナーが迫ってきた。減速。シフトを落とす。立ち上がってまたシフトアップ。
 奎悟は夢中になって動かした。
 瑞紀は何も言わなかった。最初は前を見ていた。それから少しシートを倒して、目を閉じた。すべてを奎悟に任せていた。
 奎悟はターミナル内を何周も回った。

 一時間ほど動かして、奎悟は最初の位置で車を止めた。
「気がすんだか?」
 眠っていた瑞紀がうっそりと問い掛けた。奎悟は大きく頷いた。
「・・・瑞紀・・・」
「ん?」
「・・・オレ、レーサーになりたい。ラリーやりたいんだ」
 思い切って振り返った。鋭い瞳がじっと奎悟を見つめていた。
「・・・ダメ、かな?」
 おずおずと奎悟は言った。
「ま、無理だな」
 瑞紀はあっさりと答えた。
「瑞紀・・・」
 打ちひしがれる奎悟に、瑞紀はもう一度目を向けた。
「ダメかななんて言ってるうちは、なれっこねえ。絶対なってやるという根性のある人間だけが生き残れるんだよ」
「瑞紀・・・」
 奎悟は呆然と目を見開いた。
 そして・・・。

「・・・うん・・・」


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