2001年01月07日 「無題」
目覚し時計の音がする。
京平は片腕を上掛けから伸ばして、サイドテーブルの上に置いたそれを引き寄せた。
霞む文字盤を間近で見つめる。
七時。
「……マジかよォ……」
わかってはいたが、実際その時間に起こされると泣きたくなる。
平日の起床時間はだいたい八時半から九時。一時間半も早い。ましてや今は一年でもっとも寒い季節。
蒲団のなかはたいそう温くて、ここから抜け出すには勇気が必要だった。
一瞬、しかとしてやろうかと思った。相手は人間の言葉を話せない動物。一日ぐらい放ったらかしに
しても、進に報告はしまい。
進は昨日から瑞紀と神戸に出張している。
目覚し時計はその彼がセットして行った。
「スズメたちにエサをやってね」
という言葉とともに。
愛しさに軽く引き受けた自分が悔やまれる。
ホントに無視してやろうか。
ぬくぬくとした蒲団のなかで京平は真剣にそう思った。なに、黙ってりゃわかりはしない。
そうだ、無視だ。
京平は上掛けを頭の上まで引き上げた。
けれども。
「忘れちゃダメだぞ」
真剣なバンビアイズが目蓋の裏に浮かんだ。
「……」
「あー、くそっ!」
京平は勢いよく上掛けを跳ねのけて飛び起きた。
進の部屋の窓の外で、コツコツとコンクリートをつつく音がする。
スズメたちは待っていた。
「あー、わかってるよ、今やるって」
冷え切った部屋の寒さに震えながら、京平は閉じた窓に向かって毒づいた。
その瞬間、スズメたちは一斉に羽音をたてて飛び立った。
京平は進がベッドの下に置いているタッパーを取り上げ、窓を開けた。
身を切るように冷たい風が吹き込んできた。
「うー、寒ぃっ!」
ブルッと震えながら、張り出したバルコニーに米を一掴み、蒔いた。
「ほら、メシだぞ。米のおまんまだ。寒いなか起きてきてやったんだから、ありがたく食えよ」
電線に並んだ小さな影に向かって、横柄に言った。
スズメたちは動こうとしなかった。
「なんだよ。オレ様が見ていたら食えねえってか。わーったよ、引っ込んでやるよ」
京平は窓を閉めた。
けれども。
まだスズメたちは動こうとしない。一羽たりとも。
進だと、最近は窓を閉める前から飛んできて食べ始めると言ってたのに、まったく動こうとしない。
そればかりか、まるで「危険だ、食べるな」と言わんばかりに、
一羽が羽音をたてて飛び去った。
すると、残ったスズメたちも一斉に四方に散っていった。
「……おまえら……、今度みつけたら、つくねにしてやる……」
一人残された京平は寒さと怒りに震えながら拳を握り締めた。
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2001年02月04日 「無題」
ピーコックに節分の豆を買いに行った進が鬼ばばになって帰ってきた。
「もうっ、だから京平と進哉を連れて行くのイヤだったんだっ!」
足音も荒く、膨らんだ『お買い物バッグ』を抱えてキッチンに入っていく。
リビングのソファで新聞を読んでいた悟は、あとから進哉を抱いて上がってきた京平に、どうしたと目で問うた。
京平は頭をかいた。
「いや、ウインナーがな……」
ウインナー。
なんとなく状況を察した悟はハンと笑った。
進の母親はかなり体裁を気にするタイプらしく、スーパーや百貨店の食品売り場で試食品を勧められても、絶対に受け取ってはいけないと進を躾ていたらしい。
そういう観念を植え付けられて育った進も、同じように子供たちに言っていた。
買わなかったら申し訳ないというよりも、受け取って食べることを恥かしい行為だと思っている。
それは悟にもあてはまる。進の家庭ほどではなかったが、彼も同じように母親から言われていた。
とはいえ、進哉はまだ三歳。大人の言うことが少しはわかるようになってきたが、善悪の区別はまだとてもつかない。
ましてや、そろそろお腹がすいてくる夕方に、目の前に食べ物が差し出されたら……。しかもそれは、焼肉やらウインナーやらミートボールと、たいてい子供が大好きなものばかりなのだ。
だから、今日も進哉が勝手に出歩かないように、進はカートに乗せたらしい。
赤ん坊を卒業した進哉は歩くと抵抗したようだが、進は耳を貸さなかった。
ところがである。
進が精肉を取ってカートに入れようと振り返ると、カートとそれを押している京平の姿がない。
ちょうど夕方の混雑時で、はぐれてはと進は急いで探し回った。
すると、京平は加工肉コーナーでニコニコとウインナーの試食を食べているではないか!
当然のことながら、前のカートに乗った進哉も。
それだけならまだしも、食べ終わった京平はその隣のミートボールの試食コーナーにも立ち寄ったのだった。
つまり二人は試食品の食べ歩きをしていたのだ……。
「もう絶対京平とスーパーに行かないからねっ!」
果たして進の怒りはおさまるのか。
「……節分の日に家に鬼招いてどーすんだよ」
呆れたお兄ちゃんズの声に、京平は頬を引きつらせた。
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2001年02月15日 「無題」
バレンタイン騒動が終わった翌日の午後。
「紫のカード? っと、あいつか。Y・Y? 世田谷区? あー、あいつね。横浜のKAORIとくれば、一人しかいねーな」
冬の柔らかな陽射しが差し込む窓辺で、瑞紀が山と積み上げたバレンタインのチョコや誕生日プレゼントのラッピングをといている。
今日は事務所は臨時休業。
京平と進は近くのピーコックまで買い物に出ていて、瑞紀は悟と二人きりだった。
ガサゴソと包装紙をめくっている瑞紀から離れて、悟はソファで新聞を読んでいる。
のどかなオフ。
キーという音がして、どこかの寝室のドアが開いた。
続いてパタパタと小さな足音。
進哉が裸足でフローリングの床をかけてきた。
「起きたのか」
悟が声をかけた。
バンビアイズが一瞬向く。けれどもすぐに進哉は瑞紀のほうに駆け出した。そして横からぱふんと抱きつく。
無視された悟が眉を寄せたがあとの祭り。
「ね〜、ママはァ〜?」
かわいいエンジェル・ボイス。
瑞紀は渋面を作っている悟に笑いながら答えた。
「京平と買い物に行った」
長い睫毛がかすかに震えた。大きな瞳が瑞紀を見つめる。
「シンくんはァ〜?」
「シンは昼寝してただろ」
瑞紀は柔らかくて小さな身体を太腿の上に抱き上げた。
進哉はイヤイヤと首を振った。
「シンくんはァ?」
なんで連れて行ってくれなかったのという驚き、悲しみ。
「しょーがないだろ。諦めろ」
瑞紀はそっけなく答えた。
けれども、二つの進哉には通じない。
「イヤァ。シンくんもォ〜!」
瑞紀の腿の上で地団駄を踏んだ。
小さなぷよぷよの足。
それでも踏まれたほうはたまらない。
「イテテテっ、シン、こら、そこはダメだっ」
たまらず瑞紀は悲鳴をあげた。
足が止まった。
「ちんちん、いたい?」
瑞紀は笑った。
「痛いに決まってるだろ。シンも踏んでやろうか」
膝頭でぐりぐりと押すマネをする。
進哉はキャッキャッと笑いながら身をよじった。
そして。
「ちんちん、イタ、ないない」
おとなしくなった進哉は瑞紀の股間をその紅葉の手でそっと撫でた。
のどかな光景。
ところが、ここに一人、怒りがおさまらぬ男がいた。
先ほど進哉に無視された悟である。
(おのれっ)
さて、ここで問題です。
悟は誰に対して怒っているのでしょう。
1.自分のものであるはずの瑞紀を触っている進哉に対して。
2.かわいがっている進哉に触られている瑞紀に対して。
3.その両方。
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2001年02月19日 「頭が春の妄想デス(^^;)」
「進、今年のひな祭りも、ちらし寿司とハマグリのお吸い物?」
日曜日、昼食作りのお手伝いの席で京介が言った。
「え? そうだけど・・・、イヤなの?」
「・・・イヤじゃないけど・・・」
口ごもり、京介は隣で皿を拭いている奎悟の顔を見た。するとこちらもなにか言いたげな表情で、けれども口ごもって視線を手のなかの皿に落とす。
「どうしたんだ? 二人ともちらし寿司好きだろ?」
「ん・・・」
幼い顔に物憂い表情を浮かべ中途半端な返事をして、二人はまた顔を見合わせた。
言えよ、と京介が奎悟の脇腹を肘でこずく。
おまえが言えよ、と奎悟が同じように答える。
さてはおねだりだなと進は思った。なんだろう。サンドイッチかピザでも食べたいと言うのだろうか。
男所帯で、進も決して料理が得意なほうではないが、子供たちには日本の伝統やしきたりを教えたくて、母親がいなくても一通りの経験をさせてやりたくて、祭事にはそれ用の料理を作ってきた。
「二人ともなにが食べたいんだ?」
柔らかく尋ねると、子供たちはハッと顔をあげた。進が微笑っているのを見て、勇気を得たのだろうか。
「あのね、あのね」
二人は同時に口を開いた。
「オレたち、ムール貝が食べたい!」
「・・・は?」
ピザとかスパゲティとかハンバーガーとか子供たちが大好きな軽食を想像していた進は思わぬ品物にぽかんと口を開いた。
「ムール貝・・・?」
「そう! ひな祭りって、貝を食べるんだろ? 去年、進たち教えてくれたじゃん」
「そ、そりゃ……」
「だから今年はムール貝が食べたい!」
「あのね、この前、瑞波が撮影所でパエリアっての食べたんだって。それにムール貝が乗ってたって。パエリアって黄色いピラフなんでしょ? ちらし寿司みたいなもんだよね。だからオレたち、今年はそれが食べたい!」
「それならちらし寿司とハマグリのお吸い物の代わりになるじゃん!」
二人は背を伸ばしながら口々にねだった。
「そうだけど・・・、でも、どうしてムール貝?????」
「う・・・」
「それは・・・」
ともあれ、二人の希望で今年のひな祭りのごちそうは、パエリアとスペイン風オムレツに鶏のからあげ、サラダと決まった。
そして迎えた3月3日。
「いいか、だから女のアソコってのはこんな感じでだなァ」
進が悟と瑞紀を呼びにキッチンを離れた一瞬、テーブルではムール貝を使った京平による実戦性教育口座が極秘に開かれていた。
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2001年03月01日 「ひな祭りのお歌で♪」
〜替え歌〜
<ひな祭りのお歌で♪>
灯りをつけましょ バスルーム
穴を開けましょ いい位置に
京と悟の 盗撮隊
今日も楽しい デバガメン
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ダメだァ〜っ、私に替え歌の才能ない〜っ(≧
≦)
ダルダルちゃま、ヘルプ、ヘルプ〜っ!
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2001年03月11日 「花の香りに包まれてすみねこ様のリクエストを」
「うひょひょひょひょひょ」
妙な笑い声に悟と瑞紀は顔を向けた。
音源は言わずとしれた京平。なにやらパソコンを凝視している。
「……」
二人は顔を見合わせて、どちらからともなくため息をついた。
京平がああいう声をあげるときは、下半身御用達ネタと決まっている。折りしも彼の純情な恋人は夕食を作りにキッチンに上がっている。おおかたこの隙にとネットサーフィンでもしていて、そのテのホームページを見つけたのだろう。
あいつも好きだねえと切れ長の双眸が呆れる。悟は苦笑した。
「なに見てンだよ」
仕事に厭きていた瑞紀が歩み寄った。
「お、姫サン。まあ見てみろよ」
京平は椅子を少し横にずらして空間を作った。背後から瑞紀が覗き込む。
細い眉が中央に寄った。
「おっぱい占い? なんだこりゃ」
「沙紀チャンがメールで教えてくれたんだ。見ろ見ろ、このぷりんぷりんと揺れるデカパイ!」
京平、すっかりご満悦だ。瑞紀は悟に顔を向けて処置なしと首を振った。
その間にも京平はマウスを操って設問に次々と答えていく。
おっぱいという単語に興味を引かれたのか、悟も立ち上がってやってきた。
二人が見ている前で京平は最後の答えを入力した。そして揺れる巨乳をクリック。
「うぉ〜! 幸運のオッパイはほんのりピンク色だぜ!」
事務所に京平の歓喜の雄叫びが轟いた。
「やったぜ! やっぱ進のおっぱいは幸せを呼ぶラッキーぱいぱいなんだよ!
OH my sweet sweet honey! 愛してるぜ、進ちゃん!」
京平は画面もそのままに、小躍りしながら進のいるキッチンへ向かって階段を駆け上がっていった。
「……」
残された瑞紀と悟は顔を見合わせた。
「……あいつバカじゃねえの?」
瑞紀の言葉に悟も頷いた。
「まったく気付いてないようだな」
瑞紀は開きっぱなしの画面に目を向けた。
「幸運はピンクのおっぱいで、ピンクの乳首じゃねーだろーが。進のおっぱいのどこがピンクなんだよ」
その夜。
「ん……」
闇に艶かしい瑞紀の吐息がこぼれた。
「さ…とる……」
曝け出した白い胸に顔を埋めて、先ほどから悟がしきりに乳首を愛撫している。
「なん…だよ……、今夜、しつけえぞ……」
「……」
「悟っ……」
「つっ!」
言ってもやめない恋人に腹をたてて、瑞紀は硬い髪を強く引いた。
ようやく頭を押さえながら悟が顔をあげる。瑞紀は強く睨んだ。
「ったく、なんだってんだよっ。犬みたいにぺろぺろぺろぺろっ」
「だがイイだろう?」
笑いながら悟が答える。瑞紀は眉をひそめた。
ふとある考えが閃いた。
「まさか……」
瑞紀はガバッと上半身を起こした。
「おい、瑞紀」
なにをするんだと言う悟に、ベッドの下からTシャツとトレーナーパンツを拾い上げて差し出す。
「着ろ」
「え?」
「いいから着ろ!」
睨み付け、自分は毛布を引っぺがして身体に巻きつけ、瑞紀は悟の部屋を出た。
「あ、瑞紀!」
慌てて悟があとを追う。
瑞紀がやってきたのは真っ暗な事務所だった。
灯りをつけるのもそこそこに、悟のデスクのパソコンのスイッチを入れる。
「瑞紀、なにしてるんだ」
追ってきた悟が声をかけた。
「……やっただろ、おまえ」
「な、なにを?」
「とぼけるんじゃねーよ。夕方、京がやってたおっぱい占い! おまえもやっただろ!」
「まさか」
悟は笑いながら否定した。けれども瑞紀は騙されない。
パソコンが立ち上がる間に、足元のゴミ箱に手を突っ込んでなにやらごそごそとやりだした。
「あ……」
悟の顔が引きつる。
しばらくして。
瑞紀はとろけそうな微笑を浮かべながら顔をあげた。
「このURLをメモった紙はなんだよ?」
「……」
悟は苦渋を浮かべながら顔をそらした。
瑞紀はインターネットに接続するとそこに書かれたアドレスを打ち込んだ。
笑みが深まる。
「やってもろおうか」
「……」
「言っておくけど、嘘を答えてもすぐにわかるからな。さっきの続きがしたけりゃ正直に答えるんだな」
悟はため息をつきながらパソコンの前に座った。
「なになに? 何もまとわず見た目と感触を味わわなければ治まらないタイプ? ふーん、幸運のおっぱいは京と同じほんのりピンク色ね」
「……」
「服の上からのオッパイなどオッパイと思っていません。触ってなんぼ、見てなんぼ。何個のオッパイに触れたか数にもこだわる。実戦のときは相手がどんな風に触られるとイイかまず考える。「うーん、そこ」なんていわれるとテクニックや時間を惜しまず最大級の力を発揮します。そんなあなたの幸運のおっぱいは男並みに小さいおっぱい。半年に5回はじっくり触ってナデナデしましょう・・・なるほどねえ」
「……」
「当たってるじゃねえか、この占い」
「……もういいだろう」
頬を染めながら悟は華奢な恋人を背後から抱き締めた。
が。
瑞紀はするりとその腕から抜け出た。
「瑞紀っ」
「気が変わった。今夜は一人で寝る」
「そんなっ! 正直に答えたら続きをしてもいいと言っただろう!」
「オレはしたけりゃと言ったんだ。させてやると約束はしてない」
「瑞紀っ!」
哀れ、伊達悟。
そしてここになにも知らずに幸せにおっぱいをチュパチュパやる男が一人。
「あんっ、京ぉ……」
「ぴんちち、ぴんちち♪」
さまざまな想いを秘めて、夜はふけていく♪
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2001年03月17日 「おねえちゃんたちへ」
〜進哉くんからのメッセージ〜
あのね、シンくん、ねんねするときね、いつもママのおみみをぎゅってするの。
ママのおみみね、やわらかくて、さわるときもちいいの。
きょーへいパパやさとるパパじゃダメなの。
ママのおみみなの。
シンくん、いつもえほんをよんでもらいながら、ママのおみみプヨプヨしてるの。
ときどき、ママ、いたいって。
でも、シンくん、ママのおみみさわるのすきなの。
それからね、みーちゃんとねんねするときはね、まあるくなるの。
そしたらね、みーちゃん、だっこしてくれるの。
シンくん、みーちゃんとねんねするのもだいすき!
だから、ママとシンくんとみーちゃんで、かわねっていったの。
そうしたらいつもきょうパパが うぉ〜 ってさけぶの。
パパうるさい。
まなべ しんや
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2001年03月21日 「こもりうた♪」
「大丈夫か?」
悟が眉を寄せる。
今夜は進がいない。仕事で明日の昼まで神戸に行っている。
杞憂の種は2歳の進哉だった。夜は進でないとダメなのだ。
「へーきへーき。シン、ママ遅くなるから、今夜は京パパが絵本読んでやるからな」
「うん……」
早くも進の不在に不安を覚えてグズグズ言い始めていた進哉を、京平が抱きかかえて自分たちの寝室に連れて行く。
その後ろ姿を見送った悟とお兄ちゃんズたちは顔を見合わせた。
上の三人はさすがに進が戻らないことを知っている。
進哉が気付かず朝まで眠ってくれれば。四人は祈るのみであった。
物音で進哉を起こさないように今夜は風呂も悟たちの部屋のを借りた京平は忍び足でベッドに歩み寄った。
時刻は夜中の一時を回っている。
(よしよし)
天使は大きなダブルベッドのなかでまあるくなって眠っていた。
くりんとカーブした睫毛の下に涙のあとがある。寝つきが悪くて、1時間近く「ママは?」とぐずっていた。おかげで京平は7冊も絵本を読むはめになった。
けれどもその努力もむくわれて、天使は夢のなかだ。ちっちゃな親指をくわえて、どんな夢を見ているのだろうか。
進に似た面差しに微笑みをこぼしながら、このまま朝まで寝てくれよと京平は心のなかで語りかけた。
だが。
起こさないようにそっとそっとベッドに入ったのに、なにがきっかけになったのか。
「……ママァ……」
(やべっ!)
京平は慌てて起き上がった。
クスンクスンと進哉は喉を鳴らし始めた。目は閉じている。まだ完全に起きてはいない。
京平は電光石火の早業で進のパジャマに着替え、進哉の隣に横たわった。小さな頭を胸に抱き寄せ、背中をポンポンと叩いてやる。
抱き寄せたのは顔を見られないようにするためだった。
案の定、見慣れたパジャマの柄に進だと思ったのか、
「マァマ……」
進哉はぐずりながら甘えるようにすりよってきた。大丈夫だと声をかけてやりたいが、そうしたら一発でばれてしまう。京平はぐっとこらえて、優しく背中を叩き続けた。
けれども。
「イテッ!」
突然、耳たぶを引っ張れて京平は声をあげた。その瞬間、しまったと思ったが、あとのまつり。
驚いた進哉が顔をあげた。次の瞬間、
「ママァっ!」
進哉は火がついたように泣き始めた。
(あ〜あ……)
京平はためいきをついた。諦めてベッドから身を起こし、抱き上げる。
「進哉、いい子だから、な、ねんねしような」
だが、なにを言っても、進じゃないとわかった進哉は一層激しくママを求めて泣くばかり。
京平のほうが泣きたくなった。
騒ぎを聞きつけて、悟と瑞紀がやってきた。
「おまえ、なに着てンだよ」
京平の恰好を見て、瑞紀が呆れたまなざしを送って寄越した。京平は苦笑いを浮かべた。
「途中までうまくいってんだけどなァ」
けれども進哉は「ママ、ママ」と泣き叫ぶ。
「誤魔化そうとするからだ」
そっけなく言い捨て、瑞紀は京平の手から進哉を抱きとった。
「姫サン」
「いいからおまえらはもう寝ろ。役立たず」
冷たい言葉に京平と悟は顔を見合わせた。
瑞紀は進哉を抱いて、リビングのソファに座った。
隣のソファの背もたれにブランケットがかかっていた。子供たちが寝たとき風邪をひかさぬようにといつも置いてある。小さな身体をくるむ。
進哉はまだぐずっていた。
瑞紀はおもむろにハンディフォンを取り上げると、メモリーに入れた進の携帯電話の番号を押した。
『……はい……』
受話器の向こうから掠れた声が気だるげに答えてきた。
「悪い、寝てたか」
『ん……。進哉、泣いてるの?』
声が聞こえたらしい。
ああ、と答えて、瑞紀はぐずっている進哉の耳に受話器を押し当てた。
「ほら、シン、ママだ」
「ママァ…」
進哉は一層泣き出した。すがるように受話器にかじりつく。
進の苦笑が微かに聞こえた。
『どうしたんだ、シン。恐い夢見たの?』
「ママッ、ママッ」
『大丈夫。明日の夕方には帰るから。瑞紀のいうこと聞いて、いい子にしてて。ね?』
「ママァ…」
『真鍋進哉くん、お返事は?』
進哉はしゃくりあげながら「あい」と答えた。
瑞紀は笑いながら自分のほうに受話器を戻した。
『ゴメン、瑞紀、夜中に迷惑かけて』
「高くつくぜ?」
進は苦笑した。
『進哉のこと、頼むね』
「ああ」
じゃあと言って、電話が切れた。
ハンディフォンをテーブルに放り出し、瑞紀はしゃくりあげている小さな天使を抱き締めた。
「大丈夫だって。明日には帰ってくるよ。土産持ってな」
「……ピカチウ……?」
瑞紀は笑った。
「それは京平と悟にねだれ。さっ、早く寝ろ。そうしたらそれだけ早く進に会えるから」
「……ほんと……?」
「ああ」
そして瑞紀はゆっくりと優しく背中を叩きながら小さな声で歌いだした。
きみの姿が 泣いているようで 胸が痛いよ
振り返るのは 終わりにしよう
いつまでも 愛している
今夜きみは僕のもの
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2001年03月28日 「4分の3」
「うーん……」
眉間に縦皺を寄せてお兄ちゃんズが悩んでいる。
リビングの床に車座になった三人の前にはカスタード入りのどら焼が3個。友達のお母さんにもらったのだ。お土産に。
対して人間は4人。
「……」
瑞波の膝の上にちょこんと座った進哉が不安そうにお兄ちゃんたちの顔を見回している。
もらえるのかな? もらえるのかな?
シンくんもたべたいな。
「うーん……」
3人がまた唸った。
分ける方法が見つからないのだ。4人にどら焼が3個。奎悟と京介が1個をまるまる食べて瑞波と進哉が半分こでは不公平になるし、自分たちが全員半分ずつで進哉が半分を3個独り占めというのもおかしい。
「……やっぱもう1個ちょうだいっていえばよかったな」
「誰がそれいうんだよ、京介」
「オレ、絶対ヤだからな」
奎悟と瑞波の反論に呟いた当人は黙り込む。そして3人はまた揃って「うーん……」と唸った。
悩んでいるのは進哉もだ。
おいしいお菓子を前にして、お兄ちゃんたちが食べようとしないのかわからない。
もしかしてシンくんにないしょでたべるのかな。
そんなことしないとおもうけど……。
けど……。
「シンくん、たべる!」
「あっ、進哉っ!」
待ちきれず手を伸ばした末っ子にお兄ちゃんたちは慌てた。
「ダメッ!」
京介がパシッと手を叩き、つかんだどら焼を取り上げる。
「……」
そんなに強く叩いたわけではないが、されたほうは驚いた。見開かれたバンビアイズが京介を見つめる。
下唇がふるふると震えだした。と、次の瞬間、
「うわぁ〜んっ!」
派手な泣き声をあげながら進哉はソファにいた進のもとに駆けていった。
「あ〜あ」
瑞波がバカと京介を睨んだ。京介は唇を尖らせる。
「だってよぉ」
「だからって叩くことないだろ」
奎悟にもたしなめられて京介はますますふてくされた。
「やっぱりおばちゃんが悪いんだ。もう1個くれりゃいいのに」
「しょうがないだろ。うち、進哉がいるって知らないんだから」
奎悟、京介、瑞波、進哉、4人にどら焼が3個。
3人は頭を抱えた。
「ママァ〜っ」
「はいはい」
膝の上に顔を伏せて泣きじゃくる進哉をあやしながら進は苦笑した。
お兄ちゃんズは相変わらず悩んでいる。
6歳の子供にはまだちょっと難しいかな?
ヒントでも与えてやろうかと腰を浮かしかけると、悟がそっと押しとどめた。
伊達?
振り返ったバンビアイズに、悟は行くなと軽く頭を左右に振った。
「でも……」
進は気遣わしげに再び子供たちのほうに顔を向けた。
その時だった。
「これ、4つに割ってみたらどうなる?」
それは本当に偶然だった。奎悟が1つのどら焼を手にとって、試しに半分に割り、それぞれをもう2等分して4つに分けた。
その瞬間。
「あっ!」
3人は同時に叫んだ。
「いけるいける!」
京介と瑞波は残った2つも4等分し始めた。そして、
「こうして1個ずつ!」
「1人3個だ!」
3個ずつ、4ヶ所に分けられたどら焼を見て、奎悟がハッと顔をあげた。
「これって4分の3っていうんじゃないか?」
京介と瑞波も「あっ!」と顔を見合わせた。
「そうだよ! これ、4分の3だ!」
「3つを4人で分ける時は4分の3だ!」
「進哉、ほら、おいで!」
奎悟が泣きじゃくっている進哉を抱いて運んでいった。瑞波が受け取って、膝の上に座らせる。
「ほら、進哉、見てごらん」
先ほどのようにいきなり取られないように、後ろから小さな手をしっかり握りしめて、お兄ちゃんたちは末っ子の前にバラバラになった3個のどら焼を置いた。
「こうして1つを4つに分けて」
「1人3個ずつ」
「シン、4分の3だ」
「……」
それがどうしたと3人を睨みつける進哉に、京介と瑞波と奎悟は声をあげて笑った。
リビングに響く朗らかな子供たちの笑い声に、進は苦笑気味に口もとを弛めた。
少し前まではなんでも手を貸してやらねばならなかったのに。知らない間に、子供たちは少しずつ成長している。そのうち進たち親を鬱陶しいと感じる日も来るだろう。
ちょっと淋しいかな。
感傷的な気分に浸りながら、進と悟は顔を見合わせて微笑いあった。
けれども。
「おい、オレも食いてえ! 5分の3にしろ!」
「ええ〜っ!?」
京平の乱入に響き渡ったお兄ちゃんズの悲鳴。
「ンなの今さらできるかよっ!」
「できるっ! おまえらだけ食おうったってそうはいくかっ!」
「進っ!」
進の子育てはまだまだ続く。
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2001年04月02日 「すみねこさん HAPPY BIRTHDAY」
「瑞波くん、大丈夫!?」
背後からマネージャーの伊関がスーツケースを引きながら追いかけてくる。
ガラガラ。
キャスターの耳障りな音に顔をしかめながら瑞波は足を止めた。
(だりぃ……)
春休みに合わせて入れられた海外撮影の帰り。ようやく春めいた日本と常夏の島グアムの気温差に、瑞波は体調を崩していた。
追いついた伊関が額に手を当てる。
「まだ熱はないわね。どんな具合い!? このまま病院行きましょうか!?」
立て続けに浴びせられる質問に、瑞波はうんざりとしながら「いいよ」と答えた。
「でも……」
伊関の顔が歪む。それを無視して瑞波は歩き出した。
本当はもう一歩も動きたくない。今すぐ座り込みたい。
身体中が痛い。どこがと言えないけれど、筋肉が、間接が、とにかく身体中がだるくて痛い。
涙が溢れそうになって瑞波は慌てて唇を噛み締めた。
泣くなんて、そんなみっともない姿はさらせない。
伊関がついてくる。心配げな顔をしているのがわかる。けれどもそれに応えることすら億劫だった。
前方に成田エキスプレスの表示が見えてきた。
瑞波はため息をついた。家まではこれに乗って、山手線に乗り換えて、新橋でもう一度地下鉄に。
遠い。青山まではまだ果てしなく遠い。
国内の仕事なら、羽田までいつも悟父さんの車が迎えに来てくれるのに。
成田は遠すぎた。おまけに今日は平日。最近、父親たちは忙しそうだ……。
軋む身体に食い込むバッグを揺すり上げ、瑞波は崩れそうになる自分に鞭を打った。
伊関の携帯が鳴った。
「はい? え? そうなんですか!?」
甲高い声がうざったい。
「瑞波くん!」
伊関が叫んだ。
(なんだよ……)
その時だった。
瑞波は人ごみをぬって足早にやってくる人を見た。
スーツの上に春らしい少し薄手のトレンチコートを羽織って、携帯電話を耳に押し当てながらやってくる長身の男。
「父さん……」
「すみません、遅れて。早めに出たつもりだったんですが、道が渋滞してて」
息を弾ませながら悟が伊関に言った。
「いいえ! 来ていただけて助かりました!」
涙声で伊関が答える。悟は瑞波に目を向けた。
「大丈夫か?」
落ち着いた低い声。
「まだ熱はないようなんですが、向こうに着いたときからもう具合いが悪そうで。気温差がありますし、風邪だと思うんですけど……」
大切なお子さんを預かりながらこんなことになってしまって、と伊関は恐縮する。
大きな掌が額に触れる。温かい。頼もしい手。温かい眼差し。
「……」
どうして来たの、と瑞波は目で問うた。
けれども、悟は微かに笑っただけでそれには答えず、
「車、駐車場に停めてますので、どうぞ。事務所までお送りします」
「そんな、とんでもない!」
伊関は慌てて手を振った。
成田エキスプレスの駅へと向かった伊関を見送って、二人は駐車場に向かった。
「大丈夫か?」
荷物を持った悟が隣を歩く瑞波に声をかける。
瑞波は少し躊躇ってから、うん、と頷いた。悟はなにも言わない。
「駐車場……遠いの……?」
「ここからだと少し歩くが」
そう、と瑞波はため息をついた。成田空港はでかい……。
不意に目の前に大きな背中が現れた。
「父さん……?」
戸惑う瑞波に悟は微笑いながらおんぷしてやろうと言った。
「え!? い、いいよっ。一人で歩けるっ」
8歳になっておんぶなんて、そんな恥かしいことできない。本心はもう一歩も動きたくないけれど。
「……」
唇を噛み締める瑞波の髪に、立ち上がった悟の手がくしゃりと絡んできた。
「がんばれ」
「……ん……」
瑞波は小さく頷いた。
駐車場に見慣れたランドクルーザーが停まっていた。
「後ろで寝るか?」
ドアを開けながら悟が言った。
瑞波は首を横に振った。
遠いし、忙しいし、絶対来てくれないと思っていたのに。
「……前がいい」
悟は瑞波の顔を見つめ、それから微笑いながら「OK」と後部席のドアを閉めた。
悟が開けてくれた助手席に瑞波はよじ登った。がっしりしたシートに身体を沈み込ませると、背もたれを少し倒された。仰向けになった身体の上にトレンチコートがかけられる。
今まで着ていたのでぬくもっているコートに包まれると、急に身体がぼんやりしてきた。
熱が上がってきたのか。
後ろを回って、悟が乗り込んできた。ドアが閉まる。
「具合い、悪くなったら言えよ」
信頼できる落ち着いた優しい声。
うん、と答えながら、瑞波は首だけをめぐらして辺りを見た。オーディオの前に瑞紀がよく聴いている女性歌手のCD。
悟が携帯をかけている。
「ああ。拾った。今から帰る。寝かせているから」
声の調子で相手が瑞紀だとわかる。
ゆっくりと車が動き出した。
家に帰れる。
「……ありがと」
目蓋を閉じながら瑞波は小さく呟いた。
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2001年04月13日 「春はあけぼの」
「……」
進はため息をついた。
進哉がいない。二段ベッドのなかにはピカチュウが寝かせてある。
「まったくっ」
保育園に行く時間が迫っているというのに。
まだぐっすり眠っているお兄ちゃんたちを起こさないように、足音を忍ばせて部屋を出る。隠れる場所はわかっている。
時は四月。学生はみんな春休み。けれど仕事に休みはない。だから進は進哉を保育園に預けていた。新三年生になる上の三人はもう放っておいても大丈夫だが、4歳の進哉はまだまだ手がかかる。かといって、大人たちの誰かが必ず事務所に残っているというわけにもいかない。
仕方ないのだ。
だが、そんな大人の都合など理解してくれないのが子供。進哉もここ数日、「にいたんがおやすみなら、シンくんもほいくえんやすむ」と駄々をこねている。それを無理矢理放り込んでいたのだが。
今朝はついに抗戦に出られた。
(京介と奎悟は熱出しても皆勤賞狙ってたのに……)
どうしてあの子だけ聞き分けがないんだとため息をつきながら進は隣室の前に立った。
ドアは閉じられている。一瞬躊躇い、それからそっとノブを回すした。
室内はまだ薄暗い。
進は静かに窓際のベッドに歩み寄った。物音一つしないけれど、人の気配は感じる。
盛り上がった上掛け。
そばに立った進は笑った。
ダブルベッドに誰かが寝ている。羽毛布団と枕の間にほんの少しのぞいている茶色い髪。
その向こうにもう一つ小さな山があった。
(頭隠して尻隠さず)
「進哉っ!」
進は勢いよく羽毛布団をはぎ取った。その瞬間、
「うわっ!」
悲鳴は進のものだった。
「ゴ、ゴメンっ、瑞紀っ!」
一糸まとわぬ身体を目にして、進は慌てて布団をかけた。
「……」
端から切れ長の双眸がのっそりとのぞいた。
「進……、おまえ、なんかオレに恨みでもあるのか」
「ち、ちがっ、進哉、保育園に行く時間だからっ」
進は真っ赤になりながら答えた。
睨みつける瑞紀の向こうで小さな山がもそもそと動いている。
「もうっ、進哉、出てきなさい! 保育園、遅れるぞ!」
「……」
「進哉!」
応えはない。
進はため息をついた。引きずり出してくれる、と目で瑞紀に合図する。
瑞紀はおもむろに山に視線を移した。
「……おい、ちびシン、なにゴソゴソ動いてんだ」
「進哉、オシッコだろ」
「……にゃい」
くぐもった声が答えた。
「なにがないだよっ。早く行ってきなさい!」
「ない〜」
「進哉!」
声を荒げる進に、瑞紀が小さな身体をひょいと抱き上げた。
「いや〜んっ」
バタバタと暴れても所詮体格が違う。瑞紀から進へ。
床に下ろされた黄色いピカチュウパジャマのチビっ子は膝をすり合わせてモジモジ。
「ほら、早くトイレに行っておいで!」
進がポンと尻を叩くと、案の定、大慌てて駆け出した。
「まったく」
苦笑を滲ませながら進は改めてベッドに目を向けた。
「ゴメンね、瑞紀、起こして」
だが、応えの代わりにいきなり手をつかまれ、強く引き寄せられた。
「瑞紀っ!?」
彼の上に寝転んだ進は慌てた。
間近で見つめる切れ長の眼が狡猾に笑った。
「冷えちまった。温めてくれ」
その頃、キッチンでは。
「進、遅いな。京チャン、腹減ったぜ」
「進哉がぐずっているんだろ」
箸で茶碗を叩くなと睨み、悟はまた新聞に目を向けた。
その時、
「あ〜っ! ママっ、ずるいっ! シンくんもっ、シンくんもみーちゃんとチュウするのっ!」
次の瞬間、
悟は痛む心臓を押さえてテーブルに突っ伏し、京平は「うぉ〜っ!」とむなしい雄叫びをあげた。
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2001年05月01日 「HAPPY BIRTHDAY 進哉」
進ママ手作りのケーキにロウソクが一本。
といってもスポンジは『倉田美術館』の琴乃ちゃんに焼いてもらったものだけど。
みんながきみを愛してる気持ちをいっぱい伝えるハート型。
それにきみの無垢な心のような真っ白い生クリームを塗って、家族の数だけのイチゴを飾った。
仕上げに文字を覚えたばかりお兄ちゃんたちが『おたんじょうびおめでとう』と書いたチョコを乗せて。
ハッピーバースデイ 進哉。
とっておきのエンターテイメント。
瑞紀が古いアコースティックギターで『HAPPY
BIRTHDAY TO YOU』を爪弾いてくれた。
お兄ちゃんたちはビックリ。進もビックリ。
やられたと頭をかかえる京平の隣で、当人は苦笑。
発案者の悟は微笑った。
そしてもう一人。進の膝の上で、今日の主役が手を打って喜んでいる。
「ハッピーバースデイ トゥー ユー♪」
進が歌い始めた。
お兄ちゃんたちが続く。それからパパたちも。
家族みんなの大合唱。
主役はもう手を叩くどころじゃなくて。大きなバンビアイズをさらに丸くして、自分に向けられる賛歌を聴いている。
歌の途中で京平がロウソクに火をつけた。
黄色い炎がみんなの心を物語るように歌にあわせて楽しげに踊る。
「ほら、進哉、フーして」
拍手とともに進はケーキのほうに小さな息子を押し出した。
進哉はキョトン。
「ほら、フー」
見本に、柔らかいほっぺにフッと息を吹きかける。
フッ。
甘い息が進の鼻先を掠める。
「オレじゃないよ。ほら、シン、ケーキにフーして」
もう一度。ケーキに顔を向けさせ。
フー。
HAPPY BIRTHDAY 進哉
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