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「悪趣味だな……」
思わずもれた呟きを聞きつけて瑞紀が笑った。
「こーゆーほうが流行るんだよ。カネと権力に溺れるブタ野郎には」
殺風景だった外観とは対照的に、店内は高級クラブを思わせた。厚い緋色の絨毯、クリスタルが煌くシャンデリア、革張りのソファ、壁にかけられた絵画はバブル時代なら億の値がつく名品だろう。
客の男は全員ネクタイを締めていた。国会中継に映っていた覚えの顔が何人かいる。違法な賭博場にいるというのに彼らは胸に金バッチをつけている。有名な俳優もいた。傍らに清純派の若手女優を連れている。それから実業家風の男。
どの顔も脂ぎり、眼は欲望に血走っていた。
店内のそこここでやりとりされるコイン型のチップ。恭章も年間に数百億という巨額のカネを動かす。儲けられるか否か。ビジネスは一種のゲームだ。勝者となるために綿密な作戦を立て、駒を動かす。恭章はその過程を楽しんでいた。
だが、ここにいる客たちはそれを楽しんでいる風には見えない。あるのはただ欲望だけ。
空調機は作動していたが、店内はその能力を上回る紫煙で白くもやっていた。さらに暑い。客の判断力を鈍らせるためにエアコンの温度を高めに設定しているのだろう。無意識のうちに恭章は喉元に手を持っていってネクタイの結び目を緩めた。
気付いた瑞紀が薄く笑いながら言った。
「お堅いサラリーマンにはやっぱマズイか」
「……いや……」
恭章は改めて店内を見回した。ダイス、ルーレット、カード。マシン以外の遊びは一通り揃っている。出入り口の脇に儲けられた小さなカウンターで、恭章はここに来る途中、キャッシュディスペンサーで引き出した二十万円をチップに換えた。瑞紀はとりあえず静観するつもりなのか財布を出さない。
「なにをする?」
問うその口元にやはり薄い笑みが浮かんでいる。親しみを感じる種類の笑みではない。美しく整いすぎた容貌と相まって背筋が凍りつくような戦慄を覚える。ふと恭章は何週間か前に静と見たミュージカルを思い出した。それは北の国の童話を現代風にアレンジしたものだった。雪の女王。彼女に魅せられたカイはこんな風ではなかったか。美しく冷たい美貌。
いつまでも無遠慮に注がれる視線に瑞紀が首を傾げた。けれども相変らず戸惑う素振りは見せない。見られることに慣れている。
「オレのツラになにかついてる?」
挑発するような嘲笑。恭章は心のなかで笑った。いったいこれまでに幾人の男がこの艶やかな麗人に惑わされたことか。
「いや……。そうだな、ルーレット」
突然、瑞紀がクスクスと笑い出した。どうしたと恭章は目で訊いた。
「なんでもねえよ。ルーレットね」
瑞紀は先に立ってテーブルに向かった。
ルーレットのテーブルは二台あった。人気のゲームらしく、一台のテーブルは満席、もう一台のほうもあと一人しか空きがない。
どうぞと瑞紀が手のひらを裏返しにして示した。黒いベストに蝶ネクタイのボーイが革張りの椅子を引いた。恭章は無言で腰をおろした。瑞紀が後ろに立つ。
そのときちょっとした衝撃がテーブルを走った。それまで勝負に熱中していた客たちが一斉に賭けるのを止めて、新しく入ってきた二人の青年を見た。その顔は一様に驚きと感嘆に満ちている。若く美しすぎるのだ。吸い寄せられるように恭章たちに視線を向けるのは客ばかりではなかった。ディーラーもだった。このテーブルのディーラーは恭章たちと同じくらいの年齢の青年だ。
瑞紀が面白がって恭章の肩に手を置いた。さらなる動揺がテーブルを走る。
正面と左右から注がれる視線。恭章はそのなかに顔と名前を知っている与党の代議士を見つけた。田舎臭さの抜けきらない男だ。
「ワシ、演歌しかわからんのだわ。なんて歌手か誰か知っとるか。俳優か?」
東北訛りの残る口調で同じテーブルの客に訊く。どうやら恭章と瑞紀を芸能人だと思っているらしい。この種の男は国の将来より故郷の公共事業費の行方のほうが気になるタイプだ。もっとも永田町の半分はその種の手合いだが。
もしかしたら父の佐伯に報告が行くかもしれないなと恭章は思った。そのときはそのときだ。それについて恭章はどうとも思わなかった。
ボーイがチップをトレイに乗せて運んできた。恭章の前に置く。代議士の前にも同じぐらいのチップの山があった。出所はポケットマネーではなく政治献金かもしれない。
ディーラーが象牙の玉を右手で拾い上げ、その手で回転盤を時計の方向に一回しした。回転盤は盤の下に取り付けられた車の力で勢いよく回り始めた。その上に今度は時計とは逆回しに玉を投げ入れる。玉と盤がぶつかるカンカンとした小気味よい音が響く。これから六秒間が賭けに参加できるチャンスだ。
客たちは思い思いの場所にチップを置き始めた。だが恭章は賭けに参加せず、ボーイにゲームがはじまってからの経過を記したカードを見せてくれと頼んだ。
ルーレットは確率と読みのゲームだ。ベテランのディーラーになれば自分の思った数字に玉を入れることができるので客は玉が投げ入れられてから賭ける。
回転盤が止まるたび一喜一憂する客を尻目に、恭章は数字の行方を念入りに調べた。ラスベガスでもゴールドコーストでも同じ方法をとり元金を二倍に増やした。そんな恭章を瑞紀は面白そうに笑いながら見ている。
十分近くかかって恭章はカードに記されていた数字をすべて暗記した。もちろんその間に行われた五回のゲームの結果も覚えている。それから恭章は改めて椅子に浅く座りなおし、背筋を伸ばしてチップを手にとった。
ルーレットは0から36の数字のどこに玉が落ちるかを読む。賭け方は十通りあって、一番簡単な方法は出る数字そのものずばりを予測する。これは当たれば36倍の配当がある。だが現実的には37の数字のなかから玉の入る数字を当てるのは不可能だ。そこでもっと確実な方法として、赤と黒、偶数と奇数、1から18までの前半と19から36の後半に賭けるやり方がある。この配当は二倍。それから1から36の数字を大中小に分ける方法と、縦三列に並んだ数字のどれか一列に賭ける方法がある。これは当たれば三倍。ほかに隣接する四つの数字の真ん中にチップを置く賭け方(確率4/36で九倍)、二つの数字の真ん中(確率2/36で十八倍)などがある。
恭章は手堅く1から12までと13から24までのダース二つにそれぞれ一万円ずつのチップを置いた。こうすれば0が出た場合をのぞき、全部の数字の三分の二に賭けているわけだから勝率は二対一で、24以下のどこかの数字に玉が落ちれば一万円ずつ勝つことになる。なぜその二つのダースを選んだかというと、直前の勝負が30、33、27と三回続けて大きな数字が出ていたからだ。
同じ方法で七回勝負して恭章はすべて読み当てた。
「すげえな、兄チャン」
右隣に座っているヤクザの幹部風の男が声を賭けてきた。
「二、三回ならわかるが、七回連続はフツー読めねえぜ」
どうやらずっと恭章の結果を見ていたらしい。恭章はクールに答えた。
「マグレですよ」
背後で瑞紀が笑っている。
この成功にいけると踏んで恭章は賭け方を変えた。横に三つ並んだ数字のどれか一列に賭けるTransversale、横二列のSixan、二数字のCheval、あらゆる賭け方を組み合わせてより複雑で配当の高い方法。そしてここでも五回、恭章はコンピュータ並みといわれる頭脳をフルに活かして出る目をことごとく読み当てた。
「どうなってんだ!」
右隣の男が叫んだ。十八倍のヒット。恭章の前に積まれたチップの山は最初の三倍になっていた。
本物の金髪のバニーガールが水割りをトレイに乗せてやってきた。
「イカガデスカ?」
瑞紀がとった。恭章の目の前に差し出す。
「いい」
「タダだぜ?」
「勘が狂う」
恭章はそっけなく答えた。また瑞紀が面白そうに笑った。そしてその水割りは自分で飲んだ。ほかの客たちもがぶがぶやっている。恭章は盤から目を離さなかった。ギャンブルにアルコールはタブーだ。集中力が散漫になる。店側はそれが目当てで酒を気前よく客に飲ませて気を大きくさせ、さらに多くのカネを使わせようと狙っている。
ディーラーがバニーガールになにか囁いた。恭章はイヤな予感を感じた。客があまりツキすぎると店側は奥の手を出す。案の定、バニーガールは店の奥にある扉の向こうに入っていった。
潮時かと恭章は思った。ディーラーが玉を回し入れる。客たちがチップを思い思いの場所に置いた。恭章は賭けなかった。結果は0。
客たちの口から落胆のため息が一斉に漏れた。そこの数字の上には誰も賭けていない。チップが没収される。恭章だけが被害を免れた。
バニーガールが入っていった奥の扉から初老の男が出てきてディーラーの肩を叩いた。ディーラー交代である。恭章は立ち上がった。
「終わり?」
瑞紀が訊いた。
「ああ」
「アンタならまだいけるぜ?」
「いや。流れが変わった。これ以上欲を出したらツキに見放される」
初めて瑞紀がつまらなそうな表情を見せた。恭章は苦笑いを浮かべた。
「ビジネスでもっとも難しいのは引き際のタイミングを見極めることだ」
「誰のセリフ?」
「オレのボス」
瑞紀が肩をすくめた。
恭章は背後を振り返った。替わったばかりのディーラーと目があった。相手は愛想よく微笑みを浮かべてどうぞと空いた椅子を勧めてきたが目は笑っていない。恭章は無視して瑞紀に向き直った。
「今度はきみの番だ」
瑞紀は革のパンツのポケットに両手の親指を突っ込んで口元を緩めた。
「ルーレットは趣味じゃねえんだ。かったりぃ」
「ならなんでも好きなものを」
瑞紀が向かったのはブラックジャックのテーブルだった。
ここはほかのゲームに比べて客が少なかった。席は六つあるが客は二人だけ。同じカードでもポーカーやバカラのほうが客はついている。瑞紀は左端の椅子に座った。ディーラーが機械的に言った。
「ハウスルールで10はスプリット可能、17以上も叩いていい」
ディーラーが瑞紀の顔を見た。チップがないことに恭章も気付いた。
恭章を振り返った瑞紀がニヤリと笑った。
「さっきのカネ、倍にしてやるよ」
恭章は思わず笑った。これだけ堂々と言われると怒る気も起きない。
恭章はルーレットで稼いだチップを元金も合わせて全額瑞紀の前に置いた。これには瑞紀のほうが驚いたようだった。
「度胸あるぜ」
「どうせあぶくゼニだ」
恭章はクールに答えた。
「OK。だったら一発勝負と言ってもついてくるか?」
恭章は肩をすくめた。
「好きなように。情人なら心中も悪くない」
瑞紀が笑った。
ほかの二人の客は呆気にとられている。六十万の一発勝負だ。二人はどちらも賭けるのを止めた。ディーラーと瑞紀のさしの勝負である。
ツキを大切にする勝負の世界では普通、座る場所もこだわるが、瑞紀の隣に座っていた男が一つ隣に移動して、恭章に席を空けた。恭章はそこに腰をおろした。
三人が見守るなかカードが配られた。
ブラックジャックは客とディーラーの数字を比べて、合計が21以下で大きいほうが勝ち。21を超えてしまうと負け。
最初にまず二枚ずつ配られる。一枚は表向き、もう一枚は裏向きに。瑞紀のカードは表がダイヤのクイーンだった。これは10としてカウントする。
瑞紀が伏せられたもう一枚のカードをチラリと見た。そして言った。
「ステイ」
続いてディーラーが同じようにカードを見た。そして彼はそれを裏返した。ディーラーのカードは8と9だった。彼は瑞紀の目を見つめた。
恭章はディーラーが迷っていると直感した。
瑞紀は三枚目をとらなかった。ということは伏せられたカードは最悪8か9か10、あるいはAと考えねばならない。対してディーラーのカードは17。
もう一枚取るべきか否か。瑞紀の表情は平静だった。
ディーラーは束になったカードから一番上のカードを引き抜いた。
5。
自爆である。
瑞紀がニヤリと笑いながら自分のカードをめくった。その瞬間、恭章もディーラーも二人の客も呆気に取られた。
3。
六十万のチップが倍になった。二人は笑いながらテーブルを離れた。
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