希望
「信じられない。よかったー。もうどうなることかと思った。片岡、えらい、すごい。マジック2から長かったー。」
サヨコが興奮気味に叫んだ。
サイジョウは更に興奮している。
「本当にな。よくやった!お、ヒーローインタヴューだ。片岡―!!」
テレビの前でそこらにあった雑誌を丸めて、メガホン代わりに叫んだ。
「それにしても今日は道頓堀すごい騒ぎだろうね。」
「そりゃあ、18年も待ち望んでたんだから、仕方ない。マジックが減って、優勝するって分かってても、この興奮は倍増するな。イヤー、よかった。」
「今年はひと味違ってたね。それにしても、サイジョウ君はテレビの前で私と野球観戦してていいわけ?外に友達と出なくても。」
「今外に出たら、阪神ファンばっかりで大変だぞ。それに関西の至る所、警察ばっか。甲子園球場の周りなんか、300人の警備体制しくって言ってたしな。」
「これから甲子園球場えらい騒ぎになるだろうね。」
「押しかけると思うよ、これは。お、赤星―。よく打った!今シーズン偉かったぞー。」
テレビに釘付けのサイジョウをサヨコは見つめた。
ばっかだな、子どもみたい、と思いながらも、こんなに興奮している様子は見ていて嬉しいし、愉しい。
テーブルの上のつまみはなぜか阪神マークで彩られているもの一色だし、ピンチのたびに開けられ握りつぶされたビール缶も阪神タイガースのマークがついている。
これほどまでに、全てが阪神で染まっていることに驚く。
コマーシャルにはいると、サイジョウはサヨコの方に振り向いた。
「あーよかった。本当によかった。幸せ。後は、横浜が勝てばいいだけだ。それにしてもこの一勝が長かったな。あー、感無量。サヨコ、こっちこっち。」
怪訝な顔でサヨコが近寄ると、サイジョウはサヨコをぎゅっと抱きしめた。
「嬉しいから、チューしてやる。」
「はあ?何いってるの。」
文句を言おうとしているサヨコに構わず至るところに「チュー」していった。
くすぐって身をよじると、そこに何度もキスをする。
「ちょ、ちょっとサイジョウ君。ほら、ほらCM終わったわよ。」
サヨコが言うとサヨコを腕に抱えたまま、サイジョウは再びテレビに向き直った。
サイジョウはサヨコの肩に首を乗せて、さっきと同じように真剣にテレビを見ている。
相変わらず耳のそばで叫ぶのでうるさく、何度も身をよじったが離してくれなかった。
サヨコはこの試合阪神が勝てば優勝だと思っていたが、違った。
この試合に勝って、さらに横浜が勝たなくては優勝できないらしい。
試合に勝ってすぐ優勝の胴上げを見られると思っていたが、それはしばらくお預けのようだ。
「あー、サヨナラ勝ちなんてさすが阪神。」サイジョウが耳の後ろで嬉しそうに呟いた。
2時から始まったゲームは、なかなかヒットが出ずに、歯がゆい思いをした。
甲子園に集まった阪神ファンの応援は常よりもすごく、テレビの前でもその声援に驚く。
5万3千人集まったと言う甲子園球場。
ピンチになるたびに息をのみ、ビールの缶を開けたサイジョウ。サヨコも手に汗を握りながら見ていた
8回裏の片岡のホームランは、二人で手をたたいた。
9回裏の藤本のヒットからはもう息もつけなかった。
ただただ、手を握り締めて、祈った。
願うと言うより、そう、祈るに近い心境。
折りしもバッターは同点ホームランを打った片岡。
片岡の打った球は1、2塁間を抜いた。
次のバッターは5回裏の一点を演出した沖原。
敬遠。
敬遠か。サイジョウが呟いた。
1アウト満塁。
赤星。
今日は不調の赤星。
1ボールの2球目はキャッチャーミットに収まることはなく、ライトの頭上を大きく越えた。
「本当によくやった。」
サイジョウが感慨深げに呟いた。阪神戦から2時間半弱経って、ようやく優勝が決まった。
星野監督のインタビュー、グランドを満面の笑み、そして、時々涙を見せながら回る阪神タイガース。
トロフィーの重さを試す選手達。
どんなに言葉を尽くしても、この喜びは言い尽くせない。
「本当ね。まさか阪神の優勝を見ることができるとは思わなかった。よかった。」
相変わらず回された腕にサヨコがそっと手を置いた。
「ね。」
サイジョウに言うと、後ろからぐっと重力がかかった。
「?」
回された腕が深くなる。
「ちょ、ちょっとサイジョウ君?」
サヨコが後ろを向くと、バランスが崩れ、サヨコ諸共横に倒れた。
サイジョウがもぞもぞと動き、サヨコを抱えなおす。
サイジョウは寝ていた。
阪神戦が終ってから、テレビで続く今日の阪神戦のハイライトや横浜ヤクルト戦を見ながら、延々とビールを飲んでいた。
ビールを飲むだけではなく、拍手したり、声をあげたり、キスをしたりとなかなか大変だった。
それはこの瞬間のため。はらはらドキドキしながら、待ちきれなかったこの瞬間のため。
「もうビール飲み過ぎなのよ。」
サヨコが苦笑しながら、彼の腕をぱちりとたたくと、
「星野――、よくやった、待ってたぞー。」
とサイジョウは大きく叫び、ぎゅっと抱き締めた。
「ちょっと、サイジョウ君起きてるの?ちょっと苦しいんだけど。」
とさらに腕をたたくと、
「片岡―サイコ―。愛してるー。赤星―。」
とさらにぎゅぎゅと抱き締めてくる。
どうやら、夢を見ているらしい。
夢も阪神一色みたいだ。
「ちょっと、腕に抱えてるのは私よ、サヨコ。サヨコはどうなのよ。」
再び腕を軽く叩いた。
「サヨコ?うーん、サヨコは冷蔵庫。」
「は?なんで片岡が愛してるで、私は冷蔵庫なのよ。一体どういう夢を見てるのー。」
それからサイジョウはぶつぶつ言っていたが、やがて寝息を立て始めた。
「冷蔵庫ってなんなのよ・・・。」
サヨコもぶつぶつ言っていたが、寝ている相手に言っても仕方ないと口をつぐみ、一つため息をついてサイジョウに寄り添った。
2時から6時間近く。
さすがにサヨコも疲れた。
絶対にサイジョウが冷蔵庫に入っている夢を見てやるとぎゅっと目をつぶった。
だけど、まぶたの裏に浮かんだのは甲子園球場いっぱいの観客とマウンドに走り寄った阪神ナイン。
ラッキーセブンに待った青空いっぱいの風船。
ライトに照らされた甲子園のダイアモンドの中心で舞う星野監督。
甲子園は世界一だと言った伊良部の言葉が響いた。
本当に本当によかった。
結局私も阪神の夢を見そうだわ。
サヨコはそう思いながら、睡魔に身を任せた。
それは、この夏一番の幸せな眠りとなるだろう。