ある夜のお話
イツココタニ
20時。イツコの部屋にて。
「タチバナ見ないのか?」
「見れません。怖くて。」
「何のために俺を呼んだんだ。」
「・・・。課長、日本シリーズの最終日に、残業しようとしているなんて信じられませんよ。みんな帰ってたでしょ?」
「確かに、蜘蛛の子散らすみたいに終業時間にいなくなったな。だが、帰って行ったやつらの5分の1は日本シリーズに託けてだな。」
「課長はもし私が電話しなかったら、そのまま残業するつもりだったんですか。」
「ああ、一通り終わるまで。」
「信じられません。この試合を前にしてそんなこと言えるなんて。課長、血が流れてますか?」
「・・・。タチバナってそんなに熱烈な野球ファンだったのか?それなら、指の隙間から見てないで、きちんと見れば。」
「だから見れませんっ。」
「タチバナってジェットコースターのっても、顔を伏せて、訳の分からないうちに終点までつくタイプだろう。」
「うっ。」
「お化け屋敷に入って、目をつぶったまま駆け抜けて、何も見ずに出てしまうタイプだろう。」
「・・・いじわる。一人じゃ怖くて見れないから課長呼んだのに、一緒に見てくれてもいいじゃないですか。」
「これじゃあ、俺1人で見てるみたいじゃないか。一緒に見るつもりなら、隣に来たら?」
コタニが部屋の隅にいるタチバナを振り返って呼んだ。
タチバナは小さくなって指の隙間からテレビを見ていた。
サヨコサイジョウ
22時。サヨコの部屋の前。
「ちょ、ちょ、サイジョウ君、どうしたの?」
チャイムがなったのでドアを開けて出ると、サイジョウがいきなりもたれかかってきた。
お酒の臭いとたばこの臭い。
「今日はナカムラ君達と飲みに行ったんじゃなかったの?」
「うん、行った。」
「とりあえず入る?」
「うん。」
「もう・・・。サイジョウ君。落ち込んでるとは思ったけど、ここまでとはね。」
「うん。」
「そんな姿見てたらこっちは落ち込んでられないわね。」
「・・・サヨコも落ち込んでるのか。」
「そりゃあね。星野監督の胴上げ見たかったな。」
「そうだよな。」
「うん。今年はパリーグの年で、甲子園での試合が3試合だったけど、もし4試合甲子園であったとしたら変わってたと思うし。やっぱりホームグラウンドってすごいね。それにね、阪神タイガースというチームじゃなかったらここまで見なかったと思うんだ。そんな魅力的なチームの試合を見れて、応援できたのがよかったと納得させようとしているところ。」
「うん。」
「日曜も言ったけど、こういうたくさんの観客の前で背水の陣でゲームが出来る人を尊敬するわ。」
「うん。」
「サイジョウ君・・・。何か温かいもの入れてあげるから、うんうん言わず、座ったら。全部飲んだら聞いてあげるから。」
「うん。」
サイジョウは小学生のように少しうなだれながら素直に頷いた。
ナカムライワサキ
生中360円の居酒屋にて。
「サイジョウ帰ったな。」
「がっくり落ち込んでたな。」
「落ち込んでたな。はあー。俺も帰って慰めてもらおう。」
「はあー。俺も帰るか。」
「おっ、ナカムラ、彼女出来たのか?タチバナ?」
「・・・イワサキ、わざと言ってるだろう。」
「いや、誰に慰めてもらうのかなーと思ってさ。」
「ふふふ、実は俺、密かにダイエーファンだから慰めてもらう必要ないんだよね。サイジョウには言いづらかったけどさ。会社でも何となく言いづらい雰囲気だろ。すげえ強かったと思わないか?ダイエー。」
「・・・よかったな。阪神ファンの俺は彼女に慰めてもらう気だったから、ナカムラに言いづらかったんだよね。じゃあ、心おきなく1人で飲め。サイジョウも今頃、彼女に慰めてもらってるんだろうな。よかったなー、逆じゃなくて。」
「あはは、何とでも言え。ダイエー、優勝したからいいもんねー。おう、俺は1人で飲んでやるよ。」
「・・・悪かったよ、ナカムラ。そうだよな。おまえ、せっかく応援してたチームが優勝したんだから思う存分楽しめよ。彼女いなくてもそんなの関係ないさ。いくら俺やサイジョウが彼女とラブラブでいちゃいちゃ過ごすとしても関係ないさ。」
「イワサキ・・・。言ってる途中で、気持ち変わっただろう。」
「へ?そんなことない。さ、帰るか。キョウコに電話してっと。じゃあな。」
「ちょっと、俺も帰るわ。おい、おまえ、わざと勘定書忘れていっただろう。」
「いいだろ。祝い酒でおまえのおごりで。」
「いいわけないだろ。しかも、イワサキ、サイジョウから預かった金まで持っていくな。おい、イワサキ―。」
*
10月27日の夜の出来事。