決戦レース
決戦は金曜日という歌があったが、今週の決戦は日曜日。
昼15時40分からは京都競馬場でネオユニバースの3冠をかけた菊花賞。
そして、夜18時30分からは福岡ドームで阪神日本一をかけた日本シリーズ。
そんな決戦の日は、朝からそわそわしてしまう。
土曜日の晩からサヨコの元に来ていたサイジョウは、日曜の朝らしくもなく目がパッチリと開き布団の中でもぞもぞしていた。
布団のぬくもりは気持ちいいが、待ち遠しくて寝てられない。
「サヨコー、今日どうなるかな?サヨコー。」
じっとしていられなくて、サヨコに声をかける。
「・・・・。」
だけどサヨコは無言のまま布団にもぐりこむように、寝返りを打った。その寝返りを打ったサヨコを覗き込み、覆うようにサイジョウはさらに聞く。
「ネオユニバースはやっぱり3冠行くかー。それともゼンノロブロイ?サクラ?どっちが阻むと思う?で、阪神は一体どれくらいの点差で勝つかな?」
「・・・。」
「サヨコ、聞いてるか?サヨコ。」
「・・・。」
「おーい。」
サヨコの背中を布団ごしに揺すり始める。
「ちょっと、サヨコ、聞けよ。」
「・・・。」
無視されてもなお、揺すり続ける。
「サヨ・・・。」
名前を呼ぶサイジョウをさえぎるように、サヨコがガバッと起き上がった。それに驚いて見上げたサイジョウの頬をつまんで、思いっきり横に引っ張りながら言った。
「い・ま・な・ん・じ・だ・と・お・も・って・る・の!」
ちらりとサイジョウが目の端の目覚し時計を確認する。
「ひちぢはん。」
頬を横に引っ張られて、へしゃげた声で答えた。
「そ・う・な・な・じ・は・ん。う・る・さ・い。わ・か・つ・た?」
サヨコが切れた目で一字一句区切りながら確認する。
半身起きた体は、昨夜のままで白い肌に紅い跡が所々に残っている。ぼさぼさの長い髪が胸こそ覆っているが、艶かしいことに変わりはない。
だけど、その上の顔が完全に怒っている。
ここで、妙な行動に出ると、この先一週間は口を利いてもらえず、それよりも、すぐさま部屋をたたき出されること間違いない。なので、サイジョウはがくがくと首を振った。
「全く朝から切れさせないでよね。気分が悪い。もうちょっと、あなたも寝たら。」
サヨコはそう言い残して、白い背中を再びサイジョウに向けた。その背中をあっけにとられて見ていると、
「寒い。」
と一言言って、寝具を体に捲きつけた。
サイジョウは仕方がないので、口を噤み、毛布ごとサヨコを抱き締め、目を閉じた。
サヨコを怒らせると、怖い。
特に寝ているサヨコは怖い。
まさしく眠れる獅子なのである。
再び目を覚ました時(結局そのまま二度寝をしてしまったらしい)サヨコは腕の中にいなかった。
ボーっとした頭をかきながら、起き上がると、サヨコが台所からコップを持ってきて入ってきた。
多分カフェオレだろう。
コーヒーの匂いがするが、サヨコはコーヒーが飲めない。
いつものようにノーメイクながら、髪にはくしが通っているし、服もきちんと着込んでいた。
「おはよう。起きたの?」
「おう。」
「寝ぼけ眼ね。」
サヨコがコップを持ったまま、ぼさぼさとかいたサイジョウの髪を少し直すように触った。
「今何時?」
「11時半。まっとうな時間よ。」
「11時半かー。寝たな。」
「全くあんな朝早くからもぞもぞしないでよね。」
「・・・すまん。でも・・・。」
「デモもストライキもありません!以後気をつけるように!」
サヨコがくだらないことをいいながら、真面目な顔してびしっと指を突きつけて、カフェオレを一口飲んだ。
「さ、シャワー浴びて、ブランチにしましょ。菊花賞もいろいろ練らなくちゃいけないんでしょ。」
「そうそう、菊花賞、菊花賞。選り取りみどりだからな。よっしゃ、シャワーを浴びるか。サヨコ、タオル。」
「自分でやれば。私はあなたの奥さんでもなんでもないんだから。」
「似たようなもんじゃん。」
「じゃんっていうな、馬鹿。それに似てもないです。」
「じゃんって言って何が悪い。馬鹿って言う方が馬鹿なんですー。」
「・・・サイジョウ君って、起きたて無駄にハイテンションだよね・・・。タオルはいつものところにあるから、早く入ってきてよ。」
「無駄にハイテンションってそんな言い方ないだろう。ふんだ。」
「ふんだって。よく言うわよ。シャワー浴びるんでしょ、ハイって返事したら?さっさと入ったら、目玉焼きの上手く出来た方あげるから。」
「半熟がいい。」
「鋭意努力する。」
「じゃあ、入ってくる。」
「タオル持っていってよ。」
サヨコはフライパンを取り出しながら、サイジョウの背に投げかけた。
シャワーを浴びてでてくると、布団は外に干してあり、テーブルには半熟目玉焼きとトースト、牛乳が並んでいた。
レースのカーテン越しの空は本当にいい天気。
天高く馬肥ゆる秋である。
馬肥ゆる秋、この言い回しがサイジョウは好きだ。
トマトのマリネが盛られたガラスの器を持って、サヨコが部屋に入ってきた。
「さあ、食べましょ。」
2人で合掌して食べ始めた。
ちらちらとスポーツ新聞の一面を見ながら、出馬表を見ていると、
「食べてる時は食事に集中して。新聞なんて見ないでよ、せっかく作ったのに。」
とサヨコに怒られた。
今日は朝から怒られ通しだ。
がみがみサヨコめ、と密かに睨むと、
「馬鹿サイジョウ。」
と言われてしまった。
後片付けはいつものようにサイジョウがして、カフェオレを作って部屋に入る。
サヨコはベットの上に腰掛けて、先ほどサイジョウが見ていた新聞を眺めていた。サイジョウはサヨコの足元に座り、ベットに広げられた新聞を覗きこむ。
「ゼンノロブロイが堅いかな。」
「ふーん。」
「いや、やっぱり2冠取っている強さを尊重してネオユニバースか?」
「ふーん。」
「だけど、日本の天才ジョッキー武豊のサクラプレジデントも捨てがたい。」
「ふーん。」
「サヨコ、気がないな。」
「私はサイジョウ君がここまで競馬にのめりこむことにびっくりしてるよ。」
「だって面白いじゃん。夏の旅行だって競馬でいけたようなもんだろ。」
「あれはビギナーズラックでしょ。あれからどうなの?始めてみて。」
「まあ、うん、こんなもんでしょ。」
「回収率悪そうね。」
「レースが面白いんだからいいんだよ。」
「まあ、好きなだけ悩めばいいわよ。私はこれからお掃除するから。」
サヨコがサイジョウの頭をガシガシと掻き回して、立った。
もしかして、俺って馬鹿にされてる?
ようやくサヨコが座った時は、3時20分になっていた。もともとやり始めたら、きちんとやり遂げるまでするので、お風呂場も流しもトイレもピカピカになっているだろう。サイジョウのいる部屋も2時ごろから掃除を始めて、ピカピカになっている。ベランダには洗濯物がはためく。
うちはどうなっているだろうと考えると頭が痛くなったので、その案件は奥にしまいこんだ。
「さすがに寒くなったわね。手が冷たくなったわ。ほら。」
サヨコが首筋に手を当ててきた。その手は血が通ってないと思われるほど冷たい。
「サヨコ、冷え症か?養命酒飲め。」
「冷え性じゃないわよ。今まで掃除してたからじゃない。それにしても決まったの?」
「ん。ザッツザプレンティとサクラプレジデントでいくことにした。」
「何?ザッツザプレンティって?ネオユニバースって言う三冠馬にするんじゃないの?」
「よく考えたら特に三冠馬見たいと思わないし、なんか、アンカツ豊コンビでくるような気がする。」
「アンカツ?」
「安藤勝巳騎手でアンカツ。」
「へー。」
テレビをカチャカチャかえるとNHKでも競馬中継をしていた。
「菊花賞ってすごいレースなの?」
「クラッシック最終レース。」
「ふーん。」
相変わらず気のない返事が返ってきた。
芝のコースに馬が出てきた。
「どんな気持ちがするんだろうね。」
「何が?」
「新聞に書いてあったじゃない。史上6頭目の3冠馬になるかどうかなんでしょ?そんな時のレースで馬に跨るってどんな気持ちなんだろうね。こんなにたくさんのお客さんの前で。」
ブラウン管の向こうからファンファーレと共に大きな歓声と拍手が聞えた。
「胃が痛くなりそう。」
「それを跳ね除けて騎乗できるから一流と呼ばれるんだろうな。」
「孤独だよね。すごいな。」
「だけど、今思ったけど、誰でも形は違えど、きっとそんなレースを一度はするんじゃなのかな。」
「えっ?」
サヨコがこちらを向いた気配がした。
だけどそちらを向かず、ブラウン管の向こうの緊迫した雰囲気を見つめたまま言った。
「例えばさ、就職の最終面接もすごいレースだよな。人によっては違うこともあるだろうけど、何十年も勤めることになる会社にいけるかどうかなんだからさ。結婚もそういう意味じゃあ、まさしく人生のメインレース。しかも終らないんだからすごいよなー。」
「なるほど、そういう考え方ね。私も一度はそのレースを乗り越えてきたんだ。」
「おっ、ネオユニバースが入った。」
サヨコが視線をブラウン管に戻すと、馬がちょうど飛び出すところだった。3000メートルの長丁場。騎手と馬が呼吸を合わせ、一番を目指して駆けていく。それをサイジョウとサヨコは息を詰めて見守った。
2回目の京都の3コーナーを曲がったところでネオユニバースがあがってくる。
サクラプレジデントはじっと時を待っている。
ザッツザプレンティは先に飛び出した。
直線に入り、観客は最高潮に沸いた。
サイジョウの手が新聞を握り、乾いた音がした。
ザッツザプレンティ、アンカツの見事な騎乗が勝利の冠をその手につかみ、
ネオユニバースは最後の冠を手に入れることが出来なかった。
「すごいな。アンカツ、さすが。」
「サイジョウ君、結局勝ったの?」
「いや、サクラがどうなったのか分からない。」
「サクラ、テレビに映ってた?」
「いや、映ってなかった。あっ、だめだ。掲示板に上がってない。」
テレビには黒い電光掲示板にオレンジで数字が挙がっている。確かにサクラの10番はあがってなかった。
「ま、いいか。なんだかすごいいいレース見れたしさ。」
「なんか、諦め早くない?」
「いつも勝てるとは限らないから。それよりもこんなすごい舞台でそれに相応しいレース見れたことがよかった。」
「へー、そんなもんなの?勝てなきゃ意味がないような気がするけど。」
「勝つことは大切だけど、それだけが大切なわけじゃない。例えば、おいしいものを一銭も払わずに食べられたけど、後味の悪いデートもあれば、寒い公園でたこ焼きを分けて食べたけど愉しいデートもあるだろ。」
「それとはちょっと違う気がするけど、納得してあげるわ。負けたサイジョウ君がそれでいいならいいものね。」
「そう、それでいいんだ。さあ、次は日本シリーズに向けてビールでも飲みますか?」
「こんな昼間っから?それにビールは昨日飲んでしまってないわよ。買い物に行かなくっちゃ。ちょっと運動代わりに荷物持ちについてきなさい。」
「えー。」
「じゃあ、サイジョウ君のビールもご飯もなしね。さあ、何食べようかな。じゃあ、行ってくるから。」
サヨコはさっと財布を持って立ち上がった。
「分かった分かった。行くよ、荷物持てばいいんだろう。」
「そうそう。さあ、手をつないで行く?気持ちいい秋晴れよ。」
外に出ると、一週間前のようなふんわりとした風ではなくて、もっと目の詰まったような風が吹いていた。
あれだけ香っていたきんもくせいの香りももう風には乗ってこない。
秋の空には雲が流れていた。
朝見たのと同じ、高い高い空。
「日本シリーズもいい試合になればいいな。」
「そうそう、第7戦ってテレビ東京が放映権取ったんだって。何が何でも第7戦まで持ち込んでほしいってコメントしてたの読んだわ。それが第6戦は引き分けでもいいっていうところが、テレビ東京泣かせない?」
サヨコがうつむいて笑った。
決戦レース。
昼のレースはザッツザプレンティが掻っ攫っていった。
夜のレースはどっちが掻っ攫っていくだろう。
楽しみだ。
サイジョウは温かいサヨコの手を握りながら、秋の空ににやりと笑った。