社内伝達



ねえ、金曜日会社帰りにおいしいもの食べて、映画見ようか?


サイジョウ:
サヨコがそんなことを言ったのは、水曜日の夜更けだった。
電気は消したすぐ後で、まだ蛍光灯は闇になじめずふんわり白く浮かび上がっている。
「暇なのか?」
そういうと、
「まあ、暇だと大きな声で言えるほど暇ではないけれど、残業せずに切り上げようと思えば出来るくらいは余裕がある。」
とサヨコがあくびをしながら言った。
「サイジョウ君は忙しい?無理そう?」
「いや、今のところ予定入ってなかったから大丈夫。6時には切り上げられると思う。」
「そう?おいしいタイ料理屋さんを教えてもらったの。なんだか無性にあのスッパアマカライ味覚を味わいたくて。よかった。」
「映画はどうして?」
「久々に見るものいいかなと思って。しばらく見てないでしょ。」
「確かに久々だよな。それにしても食事に映画なんて、会社帰りにデートか。いやー新婚さんって感じだな。」
「そう言われるとちょっと嫌なのよね。」
とサヨコが返す。
闇の中でも眉間のしわが見えるようだ。
サイジョウは手を伸ばして、サヨコの顔に触れた。
手探りでおでこに手をやって、眉間をさする。
「何?」
サヨコがこっちを向いた。
「しわ消し。」
「まあっ・・・」
とサヨコが続けようとするのを、サイジョウは封じ込めるようキスをすると、不満だわとばかりに胸を叩く。
サイジョウは片手でその手を絡めとり、角度を変えながらキスを続ける。
やがて、サヨコの指はサイジョウの指と絡まり、サヨコの眉間に再びしわが寄った。
先ほどと異なり、甘いそのしわにサイジョウはますますキスを深くしていく。
新婚さんの時間である。



ミカコ:

 サイジョウさんがご機嫌だ。
いつも快活な声が、今日はさらに弾んでいる。
サイジョウは異動で営業企画に行き、少し離れたが、同じ営業部。
その動向を見ることはたやすい。

12時をまわり、部の雰囲気も休みに入ろうかというのんびりとした雰囲気になりつつある。
ミカコは課長から、まとめてサイジョウに渡すよう言われていた書類が出来上がり、これを持っていったらお昼にしようと思っていた。
サイジョウさんは机にいるかしら?
そう思って、サイジョウのいるほうを見ると環シス部のイワサキがやってきて、サイジョウと机の横で話していた。
ナカムラさんもいないかしら?とじっくりと見渡したが今日はいない。
どうせイワサキさん、営業部に来るなら、ナカムラさんもつれてきてほしかったわとミカコは思う。
ナカムラとイワサキ、そしてサイジョウが仲がいいことは、ナカムラの話からよく分かる。
馬鹿ばっかりやっている男3人の様子は、おかしくかわいらしくて、ミカコは聞くたびに大笑いをしてしまうほどだ。
まあ、時々ではあるが、嫉妬をしてしまうほどに仲がいい3人だ。


近づいていくと、イワサキはどうやらサイジョウを飲み会に誘っているようだった。
「金曜、久々に飲みにいかないか?焼酎もおいしくなってきたしさ。」
「あー今週の金曜だよな。悪い、予定があって。」
「仕事か?後で合流でもいいぞ。」
「いや、サヨコと出かけるんで。」
そういってサイジョウがにやりと笑った。
「セガワさんとか?いつも家で会ってるだろ。」
「まあ、そうなんだけどさ。久々に会社帰りにね。」
もしかして、サイジョウさんのご機嫌は新妻とのデートのためですか?
ミカコが思ったように、当然イワサキも思ったようで
「・・・ごちそうさまです。」
と言った後、
「おまえって、愛妻家だったんだな。」
と付け足した。
そんなイワサキに「おうよ。」とはははと笑って、
「まあ、そんなわけで飲み会は次の機会に!」
と手を上げて、きっぱりと断った。
さすがにそのあけっぴろげな幸せぶりにイワサキも何も言えなかったようで、力なく
「仕方がないか、ナカムラと二人で飲むか・・・。じゃあ、次の機会に。」
と去っていった。

ええー、ナカムラさん誘っちゃうんですか?イワサキさん。
私も久々に会社帰りのデートしたい!!
ミカコは大慌てで、サイジョウの元に駆け寄った。
「あの、これ課長から頼まれてサイジョウさんに渡すように言われていた書類です。」
「ああ、一課長から。聞いてる。ありが・・・、もしかしてヒヤマさん、急いでる?」
「いや、え、ちょっとだけ。」
「そう。イワサキと話してたから、待ってもらったんだな。悪かったね。ありがとう。」
そういってさっきイワサキに向けたように、明るく手を上げた。
ミカコは一つお辞儀をして、自分の机に寄って、早足でお手洗いに向かった。
個室に入って、携帯を取り出す。
とにかく、イワサキがナカムラを誘わないうちに打たなくちゃとミカコは急いでボタンを押したのだった。



ナカムラ:

お昼休み。
ナカムラが携帯をチェックすると、新着メールが一通。
『私も金曜日デートしたいです!』
ミカコからだ。
なんだか、テンションの高いメールである。
私も?
一体、他に誰がデートするんだとナカムラが首を傾げていると、

「ナカムラくん。」
と妙に猫なで声のイワサキが声をかけてきた。
顔を上げると、すぐ後ろにいてびびった。
「おいっ、ひっそりと後ろに来るな。びっくりした。」
のけぞりながらそういうと、隣のタチバナがくすくすと笑った。
「悪い、悪い。あのさ、金曜だけどさ・・・。」
「多分予定が入るから無理。」
「えー、全部聞かないうちに断るなよ。」
「飲み会だろ。」
「そうだけど、ナカムラもかよ。ナカムラなのに。」
「ナカムラなのにとはなんだ。俺が金曜予定があって悪いかよ。」
「悪くないことはない。つまり、悪い。サイジョウも予定があるんだよな。」
「じゃあ、また今度でいいだろ。」
「今週の金曜、飲みたかったんだ。あー友達甲斐のないやつら。サイジョウなんてセガワとデートという理由で断られたんだぞ。」
それを聞いて、ミカコの「私も」の「も」の意味が分かった気がした。
「まさか、サイジョウとセガワさんが熱々の新婚さんになるとはな。」
「披露宴や飲み会で分かってただろ。」
「そりゃ、そうだといえばそうだけどさ。同期会とかでのイメージがあるだろ、イメージが。」
「とにかく、俺も予定があるからまた今度な。」
「えーー。」
と盛大にイワサキが声を上げると、タチバナがぷっと吹き出した。



コタニ:
 「サイジョウさんのところ、新婚さんで熱々なんですねー。」
隣でタチバナがミニトマトのへたをとりながら、言った。
金曜日はコタニが出張なので、木曜だが今日タチバナが来てご飯を一緒に作っている。
今日はおでんだ。
何が食べたいというとおでんとタチバナが言ったので、昨日の夜から作っていたのだ。
一人暮らしも長いと、割と手早くそこらへんは出来るようになる。
女だとか、男だとかは関係ないと思う。

タチバナがトマトを串にさして土鍋に入れる。
「あんまり煮詰めるとぐちゃぐちゃになっちゃうから、トマトは後で入れるんですよ。」
とが物知り顔で言う。
「いや、それ以前にどうしてトマトだ?」
「トマトのおでんって食べたことありません?」
「ない。」
「昔、テレビでナイナイの岡村がやってたんですよね。やってみると酸味が出汁がしみてマイルドになって中々おいしいんですよ。」
「ふーん。」
「本当ですよ。食べてみてくださいね!」
とコタニの返事が気に食わなかったのか、タチバナは勢いよく言った。


「それにしても素敵。あーやっぱり理想ですぅー、あの夫婦は。幸せそう・・・。」
トマトをほおばりながら、再びタチバナはセガワの話題を持ち出した。
今日の昼休みのイワサキたちの話はコタニも聞いていた。
二人のやり取りはいつ聞いても漫才のようで、中々まじめな顔して仕事を続けるのは難しい。
タチバナは盛大に吹き出していたっけ、と思い出す。
それにしても、ナカムラも金曜の夜予定があるといってた。
いつの間にかナカムラの関心はタチバナに重きを置かなくなっていた。
変わらずタチバナをかわいがってはいるが、もっと気になる人が出来たようだ。

セガワたちの新婚ぶりよりも、コタニとしてはそっちのほうがよかったとほっとする話題だった。
「ソウイチロウさん?」
「ああ、ごめん。なんだったっけ?」
ナカムラのことを考えて、タチバナをおろそかにしていたら本末転倒だ。
「もう、いいですっ。ソウイチロウさん、口あけてください。」
なんで?と聞いたら、絶対にタチバナは一言言わずにはいられないだろうと思ったので、素直に口をあけると、
「はい、あーん。」
と皮がしわしわになったおでんトマトを口に入れた。
「新婚さんみたいでしょ。」
とにっこりしたタチバナを見ながら、食べたおでんトマトは、やっぱりトマトであっておでんではないなと思ったコタニだった。


翌日。
出張先でセガワに会いに行った。
たまたま出張がセガワの支社だったので、結婚式のお礼を言いにだ。
経理部を覗くと、変わらずてきぱきと仕事をしているようで、電卓の音といい、指示を飛ばす声といい、いつものセガワだった。
「セガワさん。」
近くによって声をかけると、驚きながらもすぐに立って
「コタニさん!お久しぶりです。」
と一礼した。
「久しぶり。今日、出張で来たから、御礼を言いに。」
「出張ですか?もしかして、見学?」
「そうそう。こっちの支社で新システム導入したから、その見学。」
「お疲れでしょう、コーヒーでもどうですか?」
と席を立ち上がった。
「いや、忙しそうだし、大丈夫だから。」
というと、
「ここでは、せかせかしますし、もうそろそろ休憩したかったんで、付き合ってもらえませんか?」
と返す。
では、というわけで、休憩室でセガワにコーヒーをおごってもらった。
「そうそう、御礼を言いに来たんだ。結婚式ではお招きありがとう。いい式だったな。」
「こちらこそ、お忙しい中来ていただいてありがとうございました。」
「丁寧にお礼状までいただいて。本当に天気もよくて、料理もおいしくて、面白くて、花嫁も美しくて、いい式だった。」
「コタニさん、お上手ですね。でも、そういっていただけて嬉しいです。」
「サイジョウにもよろしく伝えて。」
「はい。」
「あ、そうそう。今日はデートなんだってな。うちの課で仲がよくて羨ましいと言ってた。」
「えっ・・・。」
セガワが絶句した。
「あ・・・。」
それを見てコタニも絶句した。
しまった。
こういうプライベートなことは例え夫婦になったとはいえ、言わなくてもいいことなのに、昨日のタチバナがうらやましげに言ってたことが耳に残っていてつい言ってしまった。

「ごめん。言わなかったことにしてくれ。」
「はい、聞かなかったことにします。」
セガワを見ると真っ赤になっていた。
幸せには変わりなさそうだとその様子を見て、コタニは思ったのだった。



サヨコ:

 顔から火が出るかと思った。
何がどうなって、あの口の堅いコタニから今日の予定のことが飛び出たのか。
原因のルートは一つしかなかった。
サイジョウ→イワサキ=ナカムラルートに間違いない。
いくら、夫婦になったからとはいえ、仲が悪いよりもいいほうがいいとはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしい。

確かに会社帰りに外に出るのは久しぶりで楽しみにしていた。
わくわくもしていた。
だけど。
社内に触れ回ることではない。
サヨコは思い返すたびに恥ずかしくて熱くなってしまう頬に手を当てて、サイジョウを待っていた。


外で待つには少し肌寒い季節になっていた。
そんなことも気づかないまま、日々を過ごしていた。
何度もこうして待ち合わせた。
手袋を忘れて手をこすりながら待ったこともあったし、突然の呼び出しに何様よと思いながらも会える嬉しさに心がせくような気持ちで待ったこともあった。
もうすぐかな?と思って時計を見ると、指輪が目に入った。
今までのサヨコと外見的な違いは指輪だけだ。
手の甲を少し上げて、まじまじと指輪を見た。
今自分の指にある指輪と対の指輪をサイジョウがつけていて、そのサイジョウは自分に会うために時間を過ごしている。
自分もサイジョウに会うために時間を過ごしている。
不思議だなと思う。
違う人間なのに、この指輪を通じて繋がっているみたい。


そう思った途端、昼間コタニが言った
『うちの課で仲がよくて羨ましいと言ってた。』
というセリフがが、ぽんと頭に浮かんだ。

中々認めたくないし、そんなこと人に知られたくないけれど!


「サヨコッ。」
サイジョウがかけてきた。
「待ったか?手冷たいな。」
すぐにサヨコの手をとり、大きな手で包み込む。
「サヨコ?」
仕方がないか。
今日はすぐに手をつないで包み込んでくれたことに免じて、小言は言わないでおきましょう、サヨコは思った。
「幸せだしね。」
とサイジョウに向かって言うと、
「幸せだしな。」
といきなりのセリフに異議を挟むことなく笑って返してきた。
どうしようもない大馬鹿なカップルだけど、新婚さんだし仕方がないかといつもサイジョウが言うような軽いせりふを思い出し、嬉しさや幸せを胸にきゅっと詰め込んで、サヨコはサイジョウの手を握って歩き出した。