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*『お題/宝石20』*
011*パール〔003〕
 トルマリンを、突き返されたと、スピネルは思った。
 とりもなおさず、それは、
 おまえになど、もう用はない、と、
 宣告されたようなもの。

 だって、一晩だって、
 持ち応えられや、しなかった。

 壊れた、玩具など。
 歌えなくなった、小鳥など。
 舞台に立てない、女優など。
 誰が、必要と、するだろう。

 スピネルは、サファイアの指輪を、
 トルマリンの横に置いて、屋敷を出た。
 薄衣の、夜着のまま。

 フローライトは、意識の外。
 忌わしい記憶ごと、黙殺していたかったのか、
 それとも、逆に。
 あまりに痛手が大きくて、
 はずすために触れる勇気も、出なかったからか。

 痛みの象徴を、首に下げたまま、
 スピネルは屋敷を、抜け出した。

 薄い夜着に、気休め程度の、肩掛け。
 素足。
 おぼつかない、足取り。
 目は、虚ろ。

 幽体のようなスピネルの姿は、
 誰にも見咎められず。
 いつしか、人通りの途絶えた、広場へ。

 思い出の、場所。
 公開審査。
 緊張の極致。うすれゆく聴覚。
 襲いかかる悪意の塊。

「彼女は、ぼくの家の女中だよ。それが何か?」
 瞬時に悪意をなぎ払う、若様の凛々しい一声。
 甦る聴覚。冴え渡る歌唱。惜しみない喝采。

「この劇場こそが、きみたちの、目に見える、誇りだ!」
 一座の、こけら落とし。
 建物全体を鳴動せしめた、若様の素晴らしい演説。
 人々に、そして、あたしにも、
 誇りと、勇気と、歓喜を、与えて。

 その後、あたしから。
 それらすべてを、根こそぎ、奪い去った。

 おそろしい、若様。だけど。
 あのかたを恨む気持は、不思議なくらい、
 湧いてこない。

 胸を苛むのは、ただ。
 我が身の、不甲斐なさ。
 一晩だって、持ち応えられや、しなかった。

 見開かれた瞳から、涙の粒がこぼれ、
 頬を伝って、地面を濡らす。

 泣きながら、スピネルは再び、ふらふらと、
 さまよい始めた。

 次に意識が戻ったとき。
 スピネルは「家」の前に、佇んでいた。

 遠い冬の夜。
 母に置き去られて凍えた、街灯の下。
 目の前に、長年、先生と暮らした、
 懐かしい我が家。

 窓に明かりが、灯っていない。
 おかしいな。
 でも、ここで待ってれば。
 先生が、きっと声をかけてくれる。

 夜が、明けたら。
 玄関の扉を開けて、ほうきを持って、
 先生が現れて、おはようと挨拶をしてくれる。

 そして、朝ごはんに誘ってくれて、それから。
 やりなおそう。最初から。ぜんぶ。
 ここで、待ってれば。
 先生が、声を。

「……ミリアム?」
 本名を呼ばれて、振り返る。
 失ったはずの聴覚が、その刹那、甦った。

「おい、まさか、本物?
 本当に、あの、ミリアムなのか?」

 声をかけてきたのは。
 先生ではなく、大家。

 一方、サファイアは。
「スピネルが、いなくなった!」
 半狂乱で、クリスタル邸に、押しかけ。

「どうしよう、ぼくのせいだ。
 あんな身体で、外へ出たりして、
 馬車にでも、轢かれたら。
 彼女、耳が聞こえないんだ。

 ぼくのせいだ、どうしよう。
 もしも変な男に、連れ去られたら。
 どうしよう、もう生きていけない。
 ぼくはもう、生きていけないよ、クリスタル!」

「サファイア、兄上、どうか落ちついて。
 ぼくも一緒に、探すから」

 ダブレットに着替えを手伝ってもらい、
 急いで身仕度。
 夜着から、外出着へ。

 つまり、クリスタルたちは、サファイアに、
 叩き起こされたのだ。

 着替えのため、自室へと引き返す前に、
 馬車を整えさせると共に、執事へ、

「兄上が早まった真似をしないよう、
 しっかり見ていておくれ」

 クリスタルは、抜かりなく指示。
 そして、手早く仕度を終え、馬車へと乗り込みながら、
「スピネルが立ち寄りそうな場所に、心当たりは?」

 問われて初めて、サファイアは、
 そのことに、思いを巡らせた。

 いつもの怜悧は、どこへやら。
 本来ならば、真っ先にそれを考えるべきだったのに。

 サファイアが真っ先に考えたのは、
 親友であり、義弟でもあるクリスタルに、
 助けを求めることだった。

 サファイアは泣きそうな顔で推理をし、
 ようやく、閃いた。

「スピネルが行くとしたら、先生の所だ。
 でも、今の彼女は、
 きっと精神状態も、普通じゃないんだ。
 耳も聞こえないし。
 だからちゃんとたどり着けるかどうか、わからない、
 ああ、スピネル!」

 また取り乱し始めたサファイアを、
 クリスタルは、懸命に、宥める。

「とにかく行ってみよう、その、先生のもとへ。
 道案内を、頼むよ。
 しっかりして、サファイア。
 場所は、きみしか知らないんだから!」
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2011/03/15