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*『お題/宝石20』*
011*パール〔004〕
「そのムチ、もう必要ないだろ。
 離したら、どう?」

 馬車の中で、
 クリスタルがサファイアに声をかける。

 サファイアは、クリスタル邸まで、
 一人で馬を駆ってきた。

 滅多にないこと。というより。
 初めての、ことだった。

 サファイアは苦笑しつつ、白状。

「離せないんだ。手が硬直してて」
「こちらへ手を出して。ほどいてあげるよ」
「いい。このままで、いる」

 会話の最中も、
 サファイアは流れる車窓の景色から、
 目を逸らさない。

 夜陰にまぎれたスピネルの姿を、万が一にも、
 見逃さぬように。

「ここだ、止めて」

 馬車が完全に止まりきるのも待ちかねて、
 深夜なのに近所もはばからず、
 サファイアは玄関の扉を叩く。

 その家のあるじが顔を覗かせるや否や、
「スピネル、スピネルはこちらに来ていませんか?」

 夜分遅く、突然の訪問。
 その非礼を詫びもせず、いきなり、本題。
 普段のサファイアからは、ありえない事態。

 いいえ、という返答を聞くに至っては。
 玄関口で、ひざから、崩れ落ちてしまった。

 その、ただならぬ様子に、
「何事ですか。あの子の身に、なにか?」
 スピネルの養い親も、不安を煽られる。

「黙って、家からいなくなったそうです」
 茫然自失なサファイアの代理に、
 クリスタルが説明。

「なんですって?」
 養い親の顔色が、変わる。

「こちらに立ち寄っていないとすると、あなたのほうで、
 なにか、心当たりはありませんか?」
「まさか、とは思いますが……もしかしたら、
 昔、住んでいた、家へ?」

 聞くが早いかサファイアは立ち上がり、
 馬車へ取って返して、馬を一頭、解放し、
 それに飛び乗った。

「待てよ、サファイア!」
 クリスタルの制止は、無視。

 あそこには、あそこには、
 スピネルに色目をつかう連中が、うようよいるんだ!

 身上書に、そう書いてあった。
 それを読んで、サファイアは知っていた。
 だから、焦った。

 スピネルは、肩掛けくらいしか、持ち出していない。
 寝巻き、一枚。
 そんな薄着で、あの辺りをうろついて、
 もしも誰かに、見つかったら!

「ちっ」
 クリスタルは、温和な彼らしくもなく舌打ちをして、
 自分も馬を一頭、取り外し、跨る。

「わたしも行きます。馬を貸してください」
 そう言い出す、スピネルの養い親に、クリスタルは、
「では馬車に乗って、御者に道案内をしてください」

 前足を上げた馬を制して、
 その脇腹に蹴りを入れながら、指示。

 馬車を四頭立てにしておいてよかった、
 と胸をなでおろし、
 先を行くサファイアを見失わぬよう、注意を払う。

 信じられない。サファイアが。
 ひとを虜にすることは日常茶飯事であっても、
 みずからは、これまで誰の虜にもならなかった、
 あの、サファイアが。こんなに、なるなんて。

 サファイアを、これほどまでに、惑乱させるなんて。
 なんという女性なんだ、スピネル。

 クリスタルを驚嘆せしめた、当のスピネルは。
 大家に導かれ、
 いまや空き家と化した元の我が家へと、
 連れ込まれて、いた。
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2011/03/18