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*『お題/宝石20』*
011*パール〔005〕
 窓から射し込む月明かりによって、
 照らし出されている、居間の食卓。

 かつて、ここで、先生と、弟妹たちと、
 なごやかに、食事を楽しんだ。
 ささやかな糧を、つつましく分け合って。

 今は。
 しんと静まり返り。
 あえかな月光の帯の中。
 微細な埃が、舞い踊るばかり。

 大家はスピネルを、食卓の上に腰かけさせた。
 舞台照明が主役を照らすように、
 月光の帯が、スピネルの輪郭を、輝かせる。

 月の後光をまとうスピネルへ、
 恍惚と語りかける、大家。
 女神を崇める、狂信者の、まなざし。

「おれ、おまえの舞台を観に行ったんだぜ。
 最初は、家族や近所の連中と。
 それから一人で、何回も、通いつめたんだ。

 ちょっと前まで、近所のガキ相手に、
 ごっこ遊びしてた、あのミリアムがさ、桧舞台で、
 堂々と主役を張ってるなんてなあ……そのうえ、
 あの若様に見初められて、玉の輿だ。

 もう、おれなんかには手の届かない、
 遠くへ行っちまったんだなあと、
 がっかりしてたところなんだぜ。

 それなのに……こんなことが、あっていいのか。
 夢じゃないのか。
 本当に、あの、ミリアムなのか?」

 大家は、スピネルの頬へ、おずおずと手を伸ばす。
 その頬を両手で愛しげに包み込んで、
 感嘆の、ため息を洩らす。

 ああ、本物だ。
 一度、ふれたことがある。
 ずっと忘れられなかった、あの肌だ。

 みずみずしい水蜜桃のような、ハリとツヤ。
 上等の絹織物みたいな、手触り。
 やわらかさ、ほのあたたかさ、たちのぼる色気。
 もう、たまらない。

 おとなしく、従順で。
 抵抗もせず、されるがまま。
 恥じらいのためか、こちらを見ようとも、しない。
 なんて、しおらしく、女らしいんだろう。

「うちの女房とは、えらい違いだ」
 大家は、本音をぶちまける。

「あいつは、もう女じゃない。
 子供を産んだら、すっかり母親だ。
 母親以外の何者でも、なくなっちまった。
 子供にかまけて、おれのことは、おざなりだ。

 触れられるのも、嫌だとよ。
 だのに浮気したら、怒りやがるんだ。
 させてもくれないくせに、勝手なこと言いやがって。
 ちくしょう、おれは男なんだ。
 まだまだ、枯れてやしないんだ。

 なあ、おれって、可哀想だろ。
 なぐさめてくれよ、ミリアム。
 おまえが必要なんだよ。

 受け止めてくれよ。
 あっためてくれよ。
 おまえみたいな女がいいんだ。
 おまえみたいな女が、ずっと欲しかったんだ……」

 大家はスピネルに抱きつき、食卓へ押し倒した。
 おれは、なにを言ってるんだろう。
 ミリアム、おまえは何故ここに、いるんだろう。
 若様と、なにか、あったのか。

 だが、そんなことは、どうでもいい。
 いま、この、瞬間の。
 この、手触り。この、ぬくもり。
 この香り、この味、この刺激さえ、
 感じていられれば。

 一方、スピネルは。
 自分の上で、
 快楽に溺れる男の体躯に押し潰されながら。
 一瞬ごとに体内から、さざ波が。

 さざ波は、ちがう、と言っていた。

 ちがう。こんなのじゃない。
 あたしの肌に触れてもいい、手のひらは。
 こんなに、武骨じゃない。がさつじゃない。
 べたべたと脂ぎってなんか、いない。

 手当たり次第、自分勝手に動き回るんじゃなくて。
 もっと、繊細で、しなやかで、
 計算と配慮が、行き届いていて。

 洗練されていて。
 的確で、執拗で、意地悪で。
 死ぬほど怖ろしくて、危険なほどに、甘美。

 最初は、ささやき程度。
 いまや、絶叫。

 ちがう。
 ちがう。
 こんなのじゃない。

 鼓膜の裏で、鼓動とともに、大反響。
 まるで頭の中を大槌で叩かれているみたい。

 たまりかねてスピネルは暴れ出し、
 ついに男を、食卓の上から、転落させた。

「なっ……いきなり、どうしたんだよミリアム」
 動揺する男を、冷徹に見下して。
「あたしを傷つけていいのは、若様だけ」

「なにを言ってるんだミリアム。
 おれはおまえを傷つけたりしない、
 ただ、可愛がってやろうと」

「可愛がる?」
 愛らしい水蜜桃の頬には、あまりにも不釣合いな、
 侮蔑の笑み。

「あんたに可愛がられるくらいなら、
 若様に殺されたほうが、ずっといいわ」
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2011/03/21