短編ビデオ(1)
平穏な日々をつき崩す出来事は、やはり平穏な日々に隠れている。
その日も、なんということはなく一日が始まり、なんということもなく終わるはずだった。
だが。
「新作、楽しみにしていますよ」
電化製品店で掘り出し物を見つけた帰り道のことだった。いつものように通りを歩いているとサラリーマン風の男が近寄ってきた。そして、通りすぎざまにそう囁いた。
「……?」
いったい、なんのことか。それがわからない俺は振り返り、通りすぎたサラリーマン風の男の背を見つめた。こんな風に声をかけられたのは初めてだ。
新作?
なんのことだ……?
あいつは俺を確認したあとに、そう言った。それも囁くような小声で。まるで周囲に聞かれてはマズイとでもいうように。
人違い……? それとも……?
気になった俺はわざわざその男を呼び止めた。普段なら、まずしない行為だ。
「おい、あんた」
男を追い、その肩に手をかける。
「こんなところで堂々と声をかけないで下さいよ。あなたと繋がりがあると思われたら、いろいろと厄介だ」
男は少し困ったような顔で言う。だが、最初に近寄って来て声をかけてきたのは、明らかにそっちだ。俺じゃない。
「あんた、俺を知っているのか?」
「だから……! 声を小さく……端で話しましょう」
男はきょろきょろと辺りを見回したあと、建物と建物の間、所謂、路地裏へと歩き、俺を招いた。仕方がないので、そのあとに続く。……何を警戒しているんだ、この男は。
「あなたのビデオは見ていますよ」
ビデオ? 俺が撮ったビデオ? 俺が映っているビデオ? ……どちらであれ、撮った覚えもなければ、撮られた覚えもない。そうなると、盗撮……しかし、俺が女であるならともかくとして、男では……そういう趣味なのか?
いや、問題はそこではない。
問題は。
「俺のビデオ?」
「ええ、そうですよ。あなた……」
男の顔に警戒とも疑惑とも言えない表情が浮かぶ。怪しまれている。このままでは去られてしまいそうだ。怪しまれないように相手にあわせつつ、情報を引き出さなくては。
「いや、どれを持っているのかなと思って」
すると男の表情が安堵へと変わった。
「全部、持っていますよ」
ほう。複数あることは間違いないということか。
「それはどうも。どのあたりが気に入っている?」
「そうですね、思いのままにさばくあの手つき、そして、表情、素敵ですよ……」
……うっとりと悦にひたるような表情で言われてもな。しかし、さばく手つきとはどういうことなのか。魚でもさばいているというのか?
「それ、どうやったら手に入るかな?」
「え?」
何を言っているんだという顔をされた。が、それは予測済みだ。
「自分の手には入らないんだよ。だけど、見てみたいなと思って」
「そういうもんなんですか……それじゃ、私が持っているものをダビングしてさしあげましょうか? ……あ、違法ですよね、上の人たちに知れたら……」
俺は人指し指を唇の上に乗せた。そして、にこりと笑みを浮かべてみせる。……内緒にしておく、ということだ。それに、雰囲気からすると違法な内容のように思える。すでに違法なのだから、違法も何もあったものではない。
「そうですか? それじゃあ、明日……明日、そこの喫茶店で正午に」
「ありがとう。明日、正午だな」
こうしてわけがわからないままに取引は成立した。我ながら適当だとは思うが、まあ、いい。とりあえず、男の口ぶりからすると、俺が撮ったビデオではなく、俺が映っているビデオのようだ。
部屋にカメラでもつけられたか?
最近は、盗撮した映像をライヴ中継しているものもあると聞くからな……だが、女ならわかるが、俺は男だ。生中継をしてもなんら面白いことはないはずだ。ほとんど家にはいないのだから。いや、まて。家の画像だとは限らないか。職場……いや、職場だとしても面白くないことは変わらない。
ともあれ、明日になればわかるか……。
次の日、男は時間どおりに約束の場所へ訪れた。八割は現れないと思っていたのだが、予想に反して律儀にも男は現れた。
「ああ、こんにちは」
男はにこやかに挨拶をしてくる。それもなんだか不思議だ。
「これが、約束のものです」
俺の正面に腰をおろしながら男は紙袋を取り出した。そして、俺へと丁寧に差し出す。大きさからいってビデオテープであることは間違いない。
「わざわざどうも。礼におごりますよ」
「いえいえ、あなたにおごってもらうなんて……それにしても、ビデオのときより、穏やかなんですね。違う人のようだ」
まじまじと俺を見つめながら男は言う。どうやら、ビデオのなかの俺は穏やかならざる人物であるらしい。下手に答えて疑われるのもなんなので、黙って曖昧な笑みを浮かべておいた。
適当なことを話して男と別れ、家へと戻る。そして、早速、ビデオを再生させてみることにした。なんのラベルも貼っていない市販の録画用ビデオテープ。それをビデオデッキへと入れた。
再生。
砂嵐のような画面のあと、何かが映りはじめた。わりとどこにでもありそうな部屋が映る。少なくとも、そこは俺の部屋ではない。
『……や……やめて、お願い……助けて……私が悪かったから……謝るから、誰にも絶対に言わないから……』
不意に映った映像は、壁際まで追い詰められた女の怯えた顔。隠し撮りのような撮り方は素人の手によるもののように思えた。
『この部屋には入るなとあれだけ言った。おまえはそれに頷いた』
女を追い詰めている男が言う。背中しか映っていないから、顔はわからない。……俺ではないな。だが、この声……どことなく親父に似ているような気がする。
『だが、おまえはこの部屋に入った。約束を破ったわけだ。その言葉を信じられると思っているのか?』
男が手に持っているものは、斧だ。なんとなく、展開が予想できた。命乞いをするも、女は無残にも惨殺される……そういう流れだろう。
『お願い……お願いだから……殺さないで!』
やはり。その台詞のあとに命が助かった展開を見たことがない。その台詞を口にして生き残れるのは、ヒロインだけなのだ。それは脇役が殺されるためにあるような台詞なのだから。
画面は俺の予想どおりに展開した。助けを求めた女は、斧で腕を切断され、足を切断された。そして、腹を裂かれたあと、首を落とされた。
「……」
少し気になることがある。巻き戻してもう一度、見てみた。
これは……本物か?
そう思った理由は、画面が一度も途切れないからだ。映画というものは、大抵の場合、視点が切り替わる。同じ場面だとて、上から見たところ、横から見たところ、主人公の視点……だが、これはずっと同じ視点。そして、画像に止めた気配が見られない。少なくとも、一回のリテイクもなしに最初から最後まで通して撮ったということだ。
映っている女にしても、男にしても、妙に生々しい。台詞も息づかいもすべてが妙に生々しい。
なんとも言えないままに最後まで見てみた。女を切り刻んだ男が振り向く。
……その顔は、俺だった。
「!」
思わず、画面に釘付けになる。よくよくその顔を見てみる。
馬鹿な、そんなわけがない。俺のはずがない。こんなビデオに出演した覚えはない。
顔は俺にそっくりだった。髪形もほとんど同じ。だが、やけにその目は冷酷に思える。あの男が言っていたとおり、穏やかではない。……だいたい、やっていることが穏やかではない。
俺とそっくりの男が、ビデオに出演している……?
世の中には自分と同じ顔が三人はいるという話を聞いたことがある。それが本当だとして、すでにひとりはこの世にいない。残ったふたりのうちのひとりがこれだということだ。まあ、それはいい。
問題は、そこではない。
このビデオは誰によって制作されたかということだ。すべては素人っぽいが、殺人シーンだけは、よくできている。作り物だとは思えないほどに。そうなると、必然的に本物という考えが浮かぶが……しかし。
ふと、頭に過ったのは殺人ビデオの話だ。
世の中には本物の殺人を映したビデオがあるという。娯楽のために人を殺し、その経過を撮影する。そして、それを買い求める人間がいるという、いってみれば都市伝説だ。本当のようでいて、本当ではない話。
だが。
需要があり、それが金になるとわかれば、なんであれ供給されるような世の中だ。殺人ビデオの噂もなんとなく頷けてしまう。少なくとも、あの男はこれを持っていた。これの新作を待ち望んでいた。……需要はある。
そして、これがここにあるということは、供給もされているということだ。しかも、シリーズ化されて、続編を待つ存在さえいる。
どうしたものだろうか。
深入りはしない方がいいと冷静な部分の俺が囁く。だが、一方で好奇心とも義憤ともいえる感情があることも確かだ。このまま放っておけば、また誰かが殺されるかもしれない。とはいえ、このビデオが真実であれば……そうか、真実であるか、どうか。……それだ。
このビデオが真実であるのかどうか、それを確かめよう。これが作り物であればなんら問題はなく、俺は平穏な日々へと戻れる。このままではいつまでもこのことを気にしてしまいそうだ。
そうと決まれば、どこから調べるべきだろう……と考えていると、電話が鳴った。受話器を取ると、馴染んだ声が俺の名前を呼んだ。
『あ、司? よかった、いたんだ。ちょっと時間ある?』
電話は幼なじみの了からだった。
「あまり、ない」
夕方から打ち合わせがある。これから支度をして出かけなければならない。
『え……そ、そうなんだ。ごめん、じゃあ……』
あまりに露骨な残念そうな声に、思わず笑いたくなる。
「だが、多少は取れる。……家か?」
電話がなくても、出かけに了の家へと立ち寄るつもりだった。渡さなければならないものもある。
『うん。でも、平気?』
「ああ。今から行く」
そう答えて受話器を置いた。そういえば、今日は宅配便が届く予定だったな……。打ち合わせはいつも突発的に決まり、こちらの都合などまるでおかまいなしだ。とはいえ、仕事柄、それも仕方がないのかもしれない。
ビデオを棚に置いたあと、支度をして家をあとにした。