短編幽霊
「霊能者の知り合いはいないか?」
久しぶりに会った友人の口から飛び出したその言葉は、私を驚かせるには十分すぎるほどに十分だった。
「幽霊にとりつかれたみたいなんだよ……」
少し怯えたような表情で周囲をうかがい、コップに手を伸ばすと一気に飲み干す。やや乱暴に置かれたコップのなかに水はすでになく、残された氷がからんと小気味のいい音を響かせた。
「幽霊?」
まさか、彼の口からそのような言葉を聞く日が訪れるとは。誰が見ても、コイツは学生時代にかなりスポーツをやりこんできたなと思わせる風貌と大きな声、そして礼儀正しい一本気な性格。幽霊など非科学的だと笑い飛ばしていたその彼が、今、幽霊の影に怯えている。
「そうなんだ。霊感があるという友人の知り合いや、有名な占い師や霊能者、神社仏閣、思いつくあらゆる手段を試してみたよ」
およそ私が知る限り、いつ何時も前向きだった彼は、やはり、社会人になった今も前向きだった。しかし、それでもどうにもならなかったのだろう。どうにかなっていたならば、話は過去形になっているはずで、基本的にそういった霊能者というものを信じていない私にわざわざ霊能者の知り合いがいるかどうかなど訊ねてくるわけがない。
「へぇ。お札は?」
「部屋の壁に貼ってあるよ」
「お守りは?」
「今も持ってるよ」
「おはらいは?」
「そろそろ二桁になるよ」
それはそれは。部屋にお札を貼ってあれば、お守りは所持しているし、おはらいなどそろそろ二桁になるほど受けている。それでも、退散しない幽霊とはいったいどんな幽霊なのか。実直にして、誠実である彼が如何にしてそのような強情な幽霊にとりつかれのか。所詮は他人事である面白半分な興味と好奇心を抑えることができなかった私は不謹慎にもそう訊ねた。
「それはそうと、どうして幽霊にとりつかれることになったわけだ?」
「面白がってはいないか?」
彼の言葉にはとんでもないとやや大げさとも思える真面目な表情で答え、首を横に振っておく。もちろん、本心はその逆だ。しかし、彼も私というものがわかっている。すぐに私の浅はかな演技と本心を見抜き当て、深いため息をつく。だが、それだけの会話とお互いの表情に安心をする。それは、かつてのいつもの調子、いつもの会話。彼は残業当たり前の企業に席を起き、私は夜勤など当たり前、いつ何がどうなるか予断を許さないような職についているから、なかなか会おうにも会うことができない。今日だとて、いつ呼び出しがあるかもわからない私のために、わざわざ彼が私の職場まで赴いてくれたのだ。しかし、お互いに進む道は違えど、私も彼も大学時代のあのときとまるで変わってはいないということだ。
「実は、三ヶ月ほど前に仕事の関係で引っ越したんだ」
「なるほど、引っ越した先に先住者がいたわけだな?」
転居した先がいわくのある物件だったという話はよく聞く。もとが墓場であったとか、殺人や自殺といった事件があったとか。最近こそ、殺人や自殺があった物件は告知されることが義務付けられているが、以前はそういうこともなく、人は知らずにそういった物件を購入し、恐ろしい体験をした挙げ句にそこから逃げ出すように引っ越し、最悪の場合、せっかくの我が家を二足三文で手放すこととなる。わかっていたら買わなかったという人も多いだろう。しかし、今だとて安心はできない。その告知義務は次に住む人にのみで、その次の人にはないということだから。
「いいや、違う。いや、もしかしたら、そうなのかもしれない」
彼は、いったいどちらなのだと問いかけたくなるようなことを言う。
「ある霊能者は家が原因だと言い、ある霊能者は会社の同僚たちと肝試しのために乗りこんだ心霊スポットがよくなかったと言った。さらに他の霊能者は先祖がもっと供養して欲しいと訴えていると言っていた」
「なるほどな。原因になりそうなことがたくさんあることはわかったよ」
このまま聞いていると、さらに原因となりそうな話をしてくれそうに思えた私は短く彼の話を切りあげる。
「それで、とりついたという幽霊はどういったものなわけだ? 濡れたワンピースに長い髪の美女か?」
「俺にはそういった具体的な姿では見えないんだ。霊感の強い同僚や霊能者にはハッキリとした姿で見えるらしいけどな。俺には、目の端にふっと映るといえばいいのか……白い影のようなものとして見える。今も……見えている」
それは驚いた。今も見えているのか。
「これといって害はないが、どうにも気になってな」
彼は深いため息をつく。そのため息の深さが彼の憂鬱を物語っているような気がした。
「そうだろうな。ところで、話は変わるが仕事の関係で引っ越したと言っていたな。栄転か?」
「ああ。栄転だ。成績が良くってな。早くも管理職だぜ」
少し照れたような顔で彼は言った。この若さにして管理職。たいしたものだ。
「なるほど。それはおめでとう。で、俺のところへ連絡は来ていないわけだが」
「悪い、悪い。携帯の番号は変わってないから、それでいいかと思ってさ。だいたい、おまえは手紙も年賀状も書かない不精者だからな。俺の住所が変わってもなんら困ることなどなかろうよ」
しかし、それとこれとは別の問題だろう。
「そう言ってくれるな、来年は出すよ……おそらく」
「そう言って何年も過ぎてきたわけだが。来年も来ないとみた」
彼はそう断言し、笑う。私との会話で少しは気がまぎれたらしい。だが、今も彼が言うところの幽霊は見えているのだろう。
「さて。おまえは幽霊などというものはまるで信じていなかったわけだが、ここに来て、おまえはその影に怯えている。今も、見えているということだが……霊能者は自分で探したのか?」
「いや、会社の先輩が紹介してくれた。なんか霊感があるらしくてさ。教えてくれたのも先輩だよ」
彼の口ぶりからすると紹介してくれた先輩との関係は極めて良好そうだが、彼は実直にして誠実。そして、少しばかり世間知らずだ。
「先輩は上司か?」
「いや、仕事上では部下だ。……それがどうかしたのか? ともかく、いい霊能者を探してくれないか? おまえは仕事上、かなりの人脈がありそうだし。幽霊自体は怖くはないが、気になって仕方がない」
私は小さくため息をついた。これは非常に恐ろしい話だ。同時に、嘆かわしくもあるわけだが。
「おはらいもそろそろ二桁、効果もないしな。もう半分は諦めて、コイツと一緒に生きていこうかなと思っているんだよ。実害はないしな」
コイツというのは、幽霊のことを示しているのだろう。だが。
「駄目だ。放っておいては実害がある」
私を呼び出す放送がかかった。急患か、それとも容態が悪化したか。ともかく、良い方向ではないだろう。
「じ、実害があるのか? 確かに、ある霊能者が放っておくとあの世に連れて行かれるから、お守りを買えって言っていたんだが、さすがに二百万は……」
二百万か。大きく出たな。だが、つくならば、小さな嘘よりも大きな嘘の方がいい。人は大きな嘘の方がより騙され、騙されたことにも気づきにくい。騙されたと信じたくない気持ちがそうさせる。
「そんなに出す必要はない。保険もきくしな。そもそも、貯金はもうないんだろう? 後ろでじい様が泣いているぞ。騙されてばかりのこの子が不憫でならないってな」
「え?」
私の言葉に彼は背後を振り返る。だが、何も見えなかったのか、すぐに私のほうへと向きなおり、私を見つめた。
「おまえに必要なのは、霊能者ではなく、医者だ。このまま受付に行って診療予約を入れてこい。では、またあとでな」
私は立ち上がると彼の肩を軽く叩き、返事を待たずに歩き出した。