●学徒出陣

大東亜戦争を語り継ぐ


●ドキュメンタリー・最後の早慶戦
BSジャパン ドキュメンタリー 30
映画ラストゲーム公開記念
戦前、早稲田大学と慶應義塾大学による早慶戦は全国を沸かせる人気であった。
しかし戦争が始まると、アメリカ生まれの「野球」は、敵国のスポーツとして政府から弾圧を受ける。
両大学の野球部員たちは「野球の灯を消さない」と必死の抵抗をするが、徴兵猶予解除が決定し学徒出陣をすることとなってしまう。
出兵を前に「最後にもう一度野球がしたい!」との熱い思いが、様々な壁を越え、「最後の早慶戦」の実現へと実を結んでいく。


●59年目の特攻秘話・心優しき島

フジテレビ ザノンフィクション
学徒出陣兵

●陸軍特別攻撃隊・学徒兵許されざる帰還
NHKスペシャル 50分
2007年10月21日


昭和18年10月21日、2万5千人の学徒が雨の神宮外苑を行進した。「出陣学徒壮行会」。学業の断念を余儀なくされ、多くの若者たちが、太平洋戦争の激戦地へと送られていった。その中で、飛行兵を志願した者の多くが、爆弾を積んだ飛行機もろとも敵に突撃する“特攻兵”となった。
昭和18年、ガダルカナル島からの撤退など戦況は急速に悪化。翌19年に万策尽きた海軍が、特攻作戦をレイテ沖海戦で敢行した。これに続き、陸軍も特攻隊を編成。そこに多くの学徒兵も投入された。パイロットとしての訓練は、わずか1年。さらに陸軍は、主な兵器を本土防衛に回したため、特攻隊の装備はほとんどが旧式のものだった。最後の戦闘となった沖縄戦。陸軍特攻隊は、慣れぬ海上で成算なき攻撃を繰り返し、300人を超える学徒兵が海に散った。陸軍の特攻作戦はどのように遂行されたのか。陸軍特攻の司令官が残した日記と元特攻兵の証言を軸にその真実を浮き彫りにする



●最後の一枚・戦没画学生『命の軌跡』
にんげんドキュメント
NHK総合テレビ:8月12日(金)午後11時00分〜

「戦没画学生は何を思いながら最後の絵を描き、出征していったのか。
 戦争は、画学生から何を奪っていったのか。
 終戦から60年目の夏、遺族や友人の証言と取り組みから『最後の一枚』までの命の軌跡をたどる。」

新日曜美術館で「無言館」・・戦没画学生の最後の絵が展示されている・・が紹介されていた。冒頭の中村萬平さんの「霜子」の絵。芸術大学時代にモデルであった霜子さんと出会い、結婚し子供が腹の中にあるときに出兵し、その子供が生まれると霜子さんが亡くなり、本人も1年数ヶ月後、戦病死する。その「霜子」さんを描いた絵が無言館にある。画家とモデルという濃密な時間を絵に固定していると感じる。戦争という悲惨な物語もあるが、

二人の絵を描いたときに過ごした時間は永遠であったろう。その様な濃密な時間を過ごすことが出来たことに、無言館の館主窪島さんも言っていたが、「嫉妬」する。また、戦地に行く前に、妹を庭に浴衣姿で何時間も座らせて、妹を描く兄。(和子の像) 館主窪島さんが言っていたが、「絵というものは一番大切なものを描くんですよ。」 一番大切なものをカンバスに固定するという行為が絵を描くことだろう。うまい下手はなく、一番大切なものを残す。戦争の悲惨さというものもあるんだろうが、残された時間を、一瞬を、一生懸命生きようとした人たちの一瞬を、無言館で共有したくなった。






●散華の世代からの問い・元学徒兵 吉田満の生と死
1960年 ドキュメント 50分
「青年たちは、何のために戦ったか」。悲しく、無念さを抱いて散っていった仲間の死を見つめた作家、吉田満の同世代の問い「戦艦大和の最後」の著者・吉田満氏は、戦艦大和の生き残りでもある。彼は死の床で、なお書き続けたのが「青年たちは、何のために戦ったか」であった。その彼が、散華した同世代の学徒兵の代弁者として、戦後の日本に向けて放った数々の問いかけや提言を集大成し、現代の風景のなかで検証していく。

●国策映画・学徒出陣
1943年 文部省映画 15分