
記 録 色 々
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□出身地: 福井県福井市生れ。NHK昨年の大河ドラマ「まつと 利家」に出て来る柴田勝家と市が秀吉軍に攻められ 自害した所が越前北の庄(現在の福井)で勝家を祀 る柴田神社がある。 □年 齢: 1943年2月生れ。 終戦時は満州におり当時2歳。現地の記憶はない。 □家 族:妻と子供(1男2女)とマルチーズ1匹 □住まい:横浜市南区別所 □趣 味: デジカメ写真をパソコンに入れて鑑賞すること。 狭い庭で草花を育てること。 ゴルフで沢山(?)叩くこと。(目標スコアは90) |
| U.My Machine (パソコン) |
□メーカー:富士通 FMV DESKPOWER LX50 T/D □購入年月:2007年2月更新 □仕様: CPU Celeron D 3.2Ghz メモリー 512MB HDD 400GB □ネット: 12M ADSL OCN □周辺機器: エプソン製プリンター(PM A-820) カシオ製デジカメ(EXILIM EX-Z3) □パソコン暦:約6年位。 今までの使用機種NECと富士通とDELL。 |
| V.満州について | 終戦は、はるか遠くになり、その時代を知る人は少ない。 昭和の年号も平成に変わった。戦前、中国大陸に夢を 託し満州に渡った人がいた。その中の一人に私の父が いた。 父義隆は、川端市太郎とつたの夫婦の次男として大正3年 5月2日に産まれる。成長し福井商業高等学校を卒業。 昭和14年に満州事変で召集を受け、鯖江の36連隊に 入隊する。1年くらいの軍隊生活を経て、昭和15年に小林 栄子と結婚し、小林義隆となる。 昭和18年に高谷幸治氏に誘われて、耐火煉瓦製造南満 鉱業株式会社に入社するため、渡満した。 母は、姉2歳と生まれて半年の正人を連れて、満州に渡り 会社の社宅に落ち着いた。しかしその当時、第二次世界 大戦は風雲急を告げだしていた。 社宅は、大連から汽車で4時間くらいのところの大石橋で あった。 大石橋は交通の要衝で、日本の米原みたいな所と母は 言った。現在では敦賀から大連に船が出ているそうだ。 また成田からの大連までの直交便があり、3時間もかから ない。一度行ってみたいと思っている。 日本の敗戦により幼子3人を抱えた母は、大石橋から奉天 を経て無蓋の汽車で1週間ほどかかって、新京近くの小さな 港町コロ島に到着し、日本への帰還船を待ち、九州へと帰る ことが出来た。コロ島に着くまでの逃避行は社宅仲間と特に 梶原さんに幼子をリュックの上に載せて貰い、大変世話に なったとのことである。残留孤児にならなかったのが不思議 なくらいである。この梶原さんは佐賀の人で戦後炭鉱で働き 炭鉱の閉山に伴いブラジルに渡って音信が途絶えたとの ことで、亡くなった由。 |