ったく、勘弁してくれ。このジークフリート様が、やつに憑いて刑務所暮らしか!?
冗談じゃない!
おれはやむを得ず、小僧を助けることにした。あぁ、もう一度言うが(そして、何度叫んでやってもいい。そんな気分)、やむを得ずだ。
ホントならやつが捕まろうが吊るし首にされようが、おれはお構いなし。ポップコーン片手にふかふかのクッションの上に寝そべって、一連の逮捕劇を“高みの見物”してるところだ。文字通りな(おれなりの配慮だ。気づかれないユーモアほど悲しいものはないからな)。
だが、おれは降りてきた。
小僧の死を、おれは見届けなくちゃならないからな。たとえ火の中、水の中、もちろん、高〜い壁の中までも。ハァ。
これ自体は、掟じゃない。あの忌々しいリュークとかいう野郎のせいだ。クソッ。
だが、その件はあとでゆっくり話してやる。今はもっと大事なことがある。
そう、演出だ。登場シーンのな。
不気味でおどろおどろしく、小僧がすくみあがるような。それでいて、知的で威厳たっぷりに、だ。
まずは舞台の準備だ。地面には氷の膜がピキピキと音をたててはり、むせかえるような硫黄の煙がたちこめた。闇の中でぼんやりとした黒い影が身もだえしてあばれだし、ささやき声やぶつぶつと文句をいう声が聞こえてくる。ゴミバケツがガタガタと震えだした。
舞台はととのった。硫黄の煙が帯の形をとりはじめた。そこから巻きひげのような細い煙が何本も出たかと思うと、舌のように空気をひとなめしてひっこんだ。煙の帯は噴火した火山の煙のように、星の見えない夜空に向かってのぼっていく。そして、その動きがとまった瞬間、煙の真ん中からおれのギョロッとした黄色いふたつの目があらわれ…。
そこで、おれは妄想から我に返った。あ〜、ダメだ。
おれは肝心なことを忘れていた。おれは今、魔法も幻術も死神大王に封じられてるんだった。かつてヨーロッパでいくつもの武勇伝を作り上げてきたおれが、今じゃ死神大王の飼い犬……か。ハァ。
そうこういってるうちに、やつは袋小路にまで追い詰められた。さすがの小僧の顔にも、昼間の学校では、いや、夜の顔でも見たことのない恐怖や焦りの表情が浮かんでいた。額から頬へと伝うぐっしょりとした汗が、表通りから洩れてくるネオンの灯りににぶく光った。
潮時だな。しょうがない。おれは、きわめて質素な方法に頼ることにした。壁から剥がれて側に落ちていたコンクリートの破片を拾いあげると、カラスの集団に放り投げた。もっとも、野良猫もカラスもおれの気配は感じていた。やつらは鋭いからな。で、硫黄の煙のかわりに、おれはカラスの羽根の中から現れることになった。
魔法が使えないって、惨めだな……。
だが、人間どもは猫やカラスを悪魔の化身だと考えてやがる。今の小僧には、これで十分だろう。
そんなおれの淡い期待を、やつは無惨にも裏切った。憎らしいほどに(いや、実際、憎々しいんだが)、完璧に。
「う…うわっ!!」
最初の一瞬こそは、やつも驚きのあまり、顔から血の気がひいていた。尻もちをついて無様な格好だ。ここ数日間で見慣れた、耳にかかったサラサラとした黒い髪はクシャクシャになり、ふだんはオシャレに着崩した黒いノースリーブのフルジップスウェットは、いまや右肩からだらんと垂れている。スニーカーブーツの踵まで覆うルーズなジーンズには泥が撥ねていた。もっとも、これは小僧の夜のファッション(もちろん、いつもは泥はついてない。そのくらいは察してくれ)。昼間はもっと、こざっぱりしてやがる。まぁ、詰め襟だから当然なんだが、それでももっと派手なやつらがいるなか、ホックを外したりシャツをズボンから出す程度のかわいらしい抵抗に止まっていた。以上、尾行調査報告。
小僧のびびった顔を見て、おれは期待に胸を膨らませた。うまくいけば、やつはおれにノートを返してくれるかもしれない。それも、おれにピッタリな、荘重なデザインの万年筆付きで。これなら、あのリュークの野郎も文句は言えないだろう。
人間にはノートは扱えない。報告終わりっ。ってな。
だが、小僧はおれを見据えながら立ち上がると、顔には血の気が戻り、口元には笑みまで浮かべやがった。ちょっと待て。計画外れだ(別におれは何も狙ってない…念の為)。
「へぇ、おまえが死神見習いか。待ってたよ」
おいおい、リュークの野郎! 小僧にどこまで吹き込みやがった!? だいたい、おれは好きで死神をやってるわけじゃない! 渋々、死神大王に従っているだけだ! それを、この小僧はいちいち『見習い』までつけやがって!
それにしても、この落ち着きよう。リュークの野郎からどこまで教えられてるか知らないが、並の人間じゃこうはいかない。なんてったって、魔王と呼ばれ恐れられた、このおれと向かいあっているんだからな。こいつ、何者だ?
もちろん、その答は数日前から出ていた。今もおれの目には、笑みを浮かべた憎たらしい顔の上に、やつの名前と寿命が見えている。
「あいさつがまだだったね。僕はカグラ タクト。神が楽しむと書いてカグラ。タクトは指揮や発揮の揮だ」
【死神は人間に死神の目で見える名前や寿命を教えてはならない。これは人間界の混乱を避ける配慮である。】
やつのおかげで、おれがこの掟に違反する心配はなくなった。そう、やつの名前は、神楽(カグラ) 揮(タクト)。この小僧こそ、これから起こる一連の災厄の、コンダクターとなる男……。