1948年: 長春の飢餓

   長春に立て籠った国民党軍を包囲した林彪指揮下の中共軍は、1948年6月から10月まで、飢餓戦術に出て、少なくとも一般市民16万を餓死させた。「勝者が歴史を書く」。中共にとって都合の悪いこの歴史は抹殺され、長春においてもタブーとされてきた。

   香港大学教授龍應台は、この事件を取材し、今年9月台湾から出版した『大河大海:一九四九』の中でその惨状を描いている(同書は直ちに大陸で禁書とされた)。

   包囲の最初は途方もない価格を払えば食物も買えたが、夏の終りには「厚い金の指輪で一枚のビスケットを買う」状態となった。それからは「腐った高粱、玉蜀黍、木の皮を食った。一週間も物を食わないと眠くなる。眠ったらお陀佛だ」。米機が飛来して食糧を落としていくこともあるが、国民軍に略奪される。国民軍は銃を突きつけて民衆から食物を奪った。貧民街の十分の九の家族は餓死して消滅した(85歳の老人)。

   夏の終りには枕を開いて、中の玉蜀黍の殻を食い、それから皮製品を煮て食った。9歳の息子と6歳の娘が死んだ時、親も立ち上がれなかった。中共軍が進撃してきた時、「私は餓死寸前で寝ていた」。兄弟姉妹も隣人も餓死し、私も這うことさえできなかった(当時25歳だった86歳の女性)。

  15歳で中共軍に徴兵された兵士で現存している人物は、「彼らは敵だから死なせろ」と言われたと回想している。彼は後に、学生時代党員の親類を侮辱したとかいうことで労役に服した。76歳の彼は「若者たちはこの長春で何が起こったのか全然知らない。知っているのは党のプロパガンダだけだ」と苦々しげに語った。

  公式の歴史には、長春は「一発の銃声もなく解放された」としている。1989年に出版され、ただちに発禁となったZhang Zhenglu(張正隆)のWhite Snow, Red Blood(雪白血紅)の中で、著者は「長春は広島に似ている。死者数は大体等しい。その人命を広島では9秒間で、長春では5ヶ月間で奪った」と言っている。(Andrew Jacobs)(Herald Tribune, Oct.3, 2009)

☆遠藤誉氏が6-7歳でこの飢餓を体験し、この事件を成人して研究した記録『?子(チャーズ)』(文春文庫)参照。?子とは国民党支配下の市内と包囲する中共軍の中間地帯で、ここで多数の人々が餓死した。1990年私も、高橋満氏と、?子の跡を訪れたが、今では何も残っていない。

☆張正路『白雪紅血』と書いたものは、張光雲氏(専修大学助手)のご指摘により、本文のように訂正した。同氏に感謝したい。