大学クラス会(東京大学昭和32年入学文科一類4組B)
2010年2月10日浅草吾妻橋アサヒビール会館22階
入学当時はドイツ語履修者が多く、59人の多人数。
現在までの物故者(9名):山本(1968年心臓病)中西(1975年喘息)藤沢(1978年脳腫瘍)池田(1983年癌)山下(1988年)畠山(1995年食道癌)大森(1996年胃癌)森井(2003年急性心筋梗塞)半間(死亡年・病名不詳)
出席者24名:遠来者(鈴木(北九州小倉)福家(高松)塚田(水戸))
議員 (現参議院議員松村龍二、前衆議院議員柳澤伯夫、元衆議院議員塚田延充)
病気(幹事御巫氏より報告、及び出席者本人の報告)
A君:先日前立腺癌手術。
F君:前立腺癌発見され、治療中。
K1君:脳出血長期療養中。
K2君:筋委縮性側索硬化症療養中。
K3君:2007年脳梗塞で倒れ療養中。
K4君:夫人が脳梗塞で倒れる。
M君:食道癌が発見され、近く手術。
N君:脳梗塞。電話に奥さんが出た後、本人も。言葉やや困難。
O君:咽頭癌再発。
長尾関係 近況通知(事前にmail)
Einsteinの相対性原理はNewton-Kant 的時間・空間観を破壊し、Heisenbergの 不確定性原理は「自由意思と決定論」と いう主題に問題提起した。20世紀末に発 見された「暗黒物質」「暗黒エネルギー」
はどのような哲学的問題を提起してい るのかと、能力外のことを考えています。
3分間挨拶(本来しゃべりたかったことを付加)
一番最近from cover to coverに読んだのはCaroline Alexanderという女流のギリシャ研究者のホメロス論で、非常に面白かった。一つには、トロヤ戦争があった13世紀から二・三世代経ってギリシャの王朝文化 が突如崩壊し、いわゆる「暗黒時代」に入るのだが、この時期に大勢のギリシャ人が本土からトルコの西岸に移住した。ホメロスもこの移住者の末裔で、叙事詩に歌われているのは、今は滅びた故国の先祖たちの英雄伝説であること。「移住民の祖先伝説」というところに米国人は共感を感ずるらしい。「ギリシャ悲劇」が余りにも救いのない話ばかりなのも、英雄たちが王朝文化滅亡直前世代の人々であることと関係があるのではないか。
第二には、トルコ西岸のイオニア植民地はトロヤに近く、ホメロスも戦争の現場に行って見ているに相違ない、ということ。
そして第三に、従来ホメロス、特に『イリアス』は、主人公のアキレスが「故郷に居て安穏な長寿を選ぶか、短命だが英雄としての名声を選ぶか」を迫られて、後者を選んだ物語で、生命よりも名誉を重んずる騎士道精神・武士道精神を歌ったものと考えられてきたが、著者によると実はその逆であるという。生命よりも名誉を重んじて戦った英雄たちの大部分は、何一つ報いられない。アガメムノンは帰国するや不貞の妻とその愛人に殺され、オデュッセウスは船が難破して散々な辛酸に遭い、僕の考えでは故郷の青年たちをみんな死なせて一人帰国し、妻への求婚者たちという国の貴族青年たちを皆殺しにして、故郷に居られなくなって漂泊の旅に出る(本website「『オデュッセイア』の政治学」)。アイアスは狂い死にする。まして敗戦国トロヤの英雄たちは、アキレスに殺されて、妻はアキレスの息子の妾にされ、息子は王族の血筋を絶やすために殺されたヘクトルを始め、皆散々な目に遭う。そして何よりも『オデュッセイア』において、冥土(ハデス)を訪れたオデュッセウスがアキレスの霊に、「ここで亡者たちの王様でいるのも結構いい境遇ではないか」と問うと、アキレスは「とんでもない。こんな所にいるより、地上で最低の農奴生活の方がましだ」と答える。つまりは生命よりも名誉を選んだ自分はバカだった、と言っている。ホメロスは「名誉のために死ぬなんてばかげたことだ。君死にたまふことなかれ」と言っているのだ、という。Elshtainという女流の政治学者が、「女性が平和主義だなんて嘘で、結構戦争好きだ」と強調していて(本website「女性の好戦性」)、著者のAlexander女史もトロヤ戦争の英雄たちに惚れ込んだ好戦的女性かと思って読んでいたら、そうでなかった、彼女は二つの世界大戦やVietnam戦争・イラク戦争などの戦記ものなどに言及しつつ、軍人の英雄主義の空しさを論じていて、ホメロスの現代的意義にも洞察を示し、非常に面白かったです。
[御巫君より「それはそうと、「暗黒物質の話も少ししろよ」との注文あり]
1972年にアメリカのRubinという学者が、銀河系の運動を数量化しようとしていたら、全く計算が合わないことに気づき、銀河系を構成している星やなんかとは別の巨大な質量が存在しないとおかしいということになった。Wikipediaの「暗黒物質」を見ると「宇宙全体の物質エネルギーのうち、74%が暗黒エネルギー、22%が暗黒物質で、人類が見知ることが出来る物質の大半を占めていると思われる水素やヘリウムは4%ぐらいしかない」とかいっている。我々が習ってきた物理学では世界がアトムからできているとか、素粒子が一番基礎的単位だとか言っているのは、この4%の部分について言っている訳で、宇宙論の革命が起っているんじゃないか、法哲学などというのは哲学の中心から遠く外れたカスのような下らない領域だが、そこにもこの影響が及んでくるんじゃないか、とそんなことを少し考えてみてるんだけど、これから少し勉強して、万一来年まだ生きてたら報告したい。
[吉田君が「最近駒場に行ってみたら、すっかり建物が建て替わっていて、昔の面影が殆どないが、運動場だけは昔のままの広さであって懐かしかった」という発言あり、手を挙げて次のような発言をした]。
なぜ運動場が元通り残っているか、そのことをご説明したい。1960年代、大学紛争でキャンパスは大荒れだったんだが、そういう時には勉強ばかりしている学者先生はからきしダメで、体育の先生方が身体を張って活躍して下さった。内ゲバその他事件があるたびに出動して下さり、学部長以下大学執行部はまったく体育教室には頭が上がらなくなっていた。そうしている内に体育の大ボスの西尾貫一先生という、身延山に僧房をもっておられるとかという高僧が、定年退職された。1977年三月の最後の教授会には、慣例によって西尾先生がお別れの挨拶をされたのだが、その中で「一坪たりとも運動場を潰すことは認めない」と決然として仰った。これが「西尾遺言」というもので、その後もずっとこれを破る勇気のある人は出ず、吉田君が感心したような状態が続いているんだな。
[私語]女房に死なれて一人暮らししている(もう6年半以上)のは僕一人などで、同情して色々言ってくれる。そこで僕は、以下の発言をした。
長患いして死ぬのはかなわないので、PPK(ピンピンコロリ)で行きたいと思ってるのだが、餅を喉に詰まらせて死ぬのが一番いいんじゃないかと最近考えている。直前まで飲んだり食ったり機嫌良くしていて、ころっと死ねば、本人も延々と寝た切りということもなく、周りの人たちも介護の必要もない。ところがこの間『日経』に、日本での入浴事故死は交通事故死より多い、70を過ぎたら酒を飲んで風呂に入ってはいけない、ドブンと跳び込むのは危険だ、というようなことが書いてあった(「俺も読んだ」の声あり)。なるほど、酒をがぶがぶ飲んで風呂にドブンと飛び込めばいいんだと、いいところに気がついたので、餅と風呂のどっちがいいか今悩んでるところだ。