長谷川三千子『バベルの謎』
「アダムは禁断の実を食した罰として楽園を追われ、カインは弟殺しの罰としてエデンの東に追われ、ノア以外の人類は、その悪の罰として洪水で滅ぼされ、バベルの塔は傲慢の罰として破壊され、人類は言葉を乱された。――我々の知る『創世記』の神は罰する神であるが、これはPの神である。ところがJの神は――、
旧約学の成果によれば、聖書巻頭の五書は、紀元前10世紀後半のJ(ヤハウィスト)、9世紀後半のE(エロヒスト)、6世紀後半のP(祭司作家)などの作品を、紀元前400年頃R(編集者)が編集したもので、RとPの思想的親近性の故に、「絶対的で倫理的な神」というPの神観を軸として聖書が編纂された。
本書は、西洋的言語観念の源泉を探る動機から旧約研究に入った「異教徒」哲学者である著者が、Jに注目し、キリスト教教義の常識を棄て、Jの構想に即して『創世記』中のJの部分を読み直した成果である。独学者の仕事だが、ヘブライ語とオリエント語についての相当の研究を背景とし、その大胆な仮説も、素人眼からは一応根拠ありげに見える。著者によれば、Jの神は応報者ではなく、人間に対し、子の運命を気遣い、子が「一対一の具体的関係」を結びうるまでに成長することを願う親の態度で臨んでいるという。
「神人地の三角関係」という、本書の奇矯なテーゼを理解する鍵は、本書の末尾近く(p.373)に短く触れられている、Jらが話したヘブライ語が、元来被征服のカナーン人の言葉だという事実であろう。ヤハウェはアブラハムに、故郷を離れて約束の地カナーンに行くことを命じ、その子孫は父祖の言葉を棄ててカナーン語を話すようになってしまった。
Jの神は、土と人間を引き離そうとする執念、土着性恐怖症にとりつかれた存在である。彼はアダムが、知恵の木を食して「土にかえる」ことを悟った故に楽園を追い、土の生んだ農作物を携えたカインを追い出して放浪させ、そして地に根差した都市のもとで、土着の言語を話すバビロン人の言葉を乱して放浪に追いやる。
しかもJの描いたこのヤハウェは、自らの性(さが)に悩み、ノアの洪水のような親子心中さえ企てた。Jの描いたバベル説話が、文脈の乱れと混乱を示しているのも、この苦悩の表現である、と。著者は、Jのドラマを「さまよえるユダヤ人」の起源神話として構成したのである。
ユダヤ=キリスト教の正統派的解釈を徹底的に排除し、Jをありのままの姿に復元することを試みた現代人に、米国の文明評論家ハロルド・ブルームがいる。彼はJをダビデの孫、ソロモン王の姪に当る貴族女性で、彼女は聖書を書く意図ではなく、王国の伝承をシェークスピア的ウィット、カフカ的アイロニーをもって再構成したのだという仮説を提出した(Harold Bloom, The Book of "J", 1990)。同書には、David RosenburgによるJ資料の全面的改訳(英訳)が掲載されている。(『法学セミナー』1996年5月号)