ケルゼン『オット・バウアーの政治理論』(1924)çèéäüöê

  以下の論述は、オット・バウアーの近著『オーストリア革命』を、その豊富な内容の全面に亘って評価しようとするものではない。本書において顕著な位置を占めているのは歴史的論述であり、それは高い学問性をもつものであるが、本書評はそれにも触れない。本書評はもっぱら、政治指導者バウアーの著書に表明されている政治理論、特にその理論のマルクス主義政治理論との関係を考察の対象とするものである。ここでマルクス主義政治理論とは、マルクス、特にエンゲルスの国家論―国家の本質・生成・消滅に関する理論のことである。この理論によれば、国家は階級対立の結果として成立したもので、階級闘争特有の手段であり、その本質上搾取関係維持の組織である。従ってその国家は、被搾取階級による政治権力の革命的奪取と、それを基礎とするプロレタリア独裁、生産手段の社会化、階級対立の廃棄によって死滅する。この理論は最近共産主義の側から、しかしそればかりでなく、特にマクス・アドラーようなマルクス主義学者によっても、強力に唱道されている。

  以下の論述は、バウアーのこの著作がマルクス=エンゲルスの図式から顕著に逸脱していることを指摘するものであるが、それはマルクス主義文献内部の些細な欠陥や不整合を指摘するというような、矮小な意図に発するものではない。オット・バウアーは、科学的社会主義の単なる亜流ではなく、自力でその理論に新地平を開拓する権利・使命の持ち主であるから、彼の著作は科学的社会主義理論の発展という観点から、格別の重要性をもっている。

   オット・バウアーは、既に「序論」において、マルクス=エンゲルスが著作していた時期以後に、新たな経験的素材が生じている、と指摘し、「革命の中で、また革命によって、国家も変化し、民主主義も変化し、労働者階級の国家に対する関係も、民族(Nation)に対する関係も変化した」と言っている。しかしどうも、彼はこの新事態によって、マルクス主義理論そのものが修正を要するとは明言せず、マルクス主義的図式の枠内で論じているつもりでいる。彼が「国家とは本質上ブルジョワジーの手中にある搾取装置であり、プロレタリア階級国家というアンチテーゼによって自己廃棄へともたらせられる。それ故階級国家以外の国家は存在しえない」という理論を社会主義国家論の「通俗的解説」(landläufige populäre Darstellung)とよんでいる。実際にはマルクスもエンゲルスもこれ以外の国家論を説いておらず、両者がこのような国家論を学問上本気で信じていたことを疑った者などいないのに。オット・バウアーは、革命後プロレタリア政党とブルジョワ政党の連合政権が成立し、彼自身このドイツオーストリア共和国の外務大臣となったのだから、自分の役割を、マルクス主義者らしく、「ブルジョワジーの執行委員会」の一員とみているかというとそうでもない。厳格なマルクス主義純理論、永年唱え続けられてきた理論からすると、連立内閣などというものがまったくありえないことだということは、ごく最近まで自明のこととみなされていたのではなかったか。カール・レナーは、「プロレタリア国家というものも可能で、その内在的発展としての憲法改革・行政改革もまた社会主義への有効な道程である」と唱えていたが、バウアーは一九一七年においてなお、ボルシェヴィーキ政権発足の衝撃下で、フリートリッヒ・アドラーと協力して、このレナーの路線に反対する運動を展開した。社会民主党とブルジョワ政党が権力を共有する連立政権は、まったくレナーの思想の帰結である。なぜなら、レナーは、現代国家の力関係が、ずっと以前から労働者とブルジョワの均衡状態にあると認識しており、連立政権とはそのことの政治的表現に他ならないからである。バウアーは、一九一七年において、このレナーの立場を「オーストリア愛国イデオロギー」と呼んで、それに反対した。そして彼は、この年の社会民主党大会において、「社会問題は単なる行政の活動によって解決されうるものではなく、プロレタリアの政治権力奪取によってのみ解決可能となる」という反レナー的・「左派」的綱領を、採択させたのである。この綱領は、「社会主義の大義を、一国家の運命と結び付けるべきでない」というフリートリッヒ・アドラーの言葉と調和的である。これはまさしく、国家といえば搾取国家と、(搾取国家とともに一切の国家を廃止する)プロレタリア独裁以外になく、ブルジョワジーと協力して遂行する改革などはあり得ず、ありうるのは革命のみだというマルクス主義のの基本思想に沿ったものである。こういう行動をとったバウアーが、やがて、ブルジョワ政党が多数を占める議会によって選出され、その議会に対して責任を負う内閣、彼がかつて「社会的愛国者」として嘲笑したレナーを首班とし、ブルジョワ的大臣たちと席を共有する内閣の一員となったのである。このドイツ=オーストリア共和国は、何らの外的革命もなく、古きオーストリアから脱皮して出てきたもので、しかも社会民主党の強い影響下で生じたが、プロレタリア独裁とは似ても似つかぬものではないか。バウアー自身この国家について、「諸階級が国家権力を共有する」非階級国家であるという証明書を無条件に発行し、プロレタリアはこの国家を自分の国家だと感じ、共和国的愛国心をもってこの国家を愛しているとして手放しで肯定しているではないか。バウアーによれば、この国家はブルジョワ国家でもプロレタリア国家でもなく、マルクス=エンゲルスの理論には出てこない「人民共和国」(Volksrepublik)という立派な名称のものなのである。「かつて、どの階級も他の諸階級を支配するほど強力でなく、それ故全階級が横並びに共同で参加する共和国が存在した。そこでは人民の全階級が実際に国家権力に参与し、国家の力は人民の階級の力の総和である。それ故我々はこの共和国を人民共和国とよぶことができるのである」と言う。彼は他の個所で、これこそが「人民全体(Volksgesamtheit)の真の自治である」と言っている。こうしてバウアーは、国家を端的な敵対者としてではなく、対立を超えた善意の存在として捉えている。ということはその本質を一層鋭く洞察したともいえるであろう。彼はここに、プロレタリアの利益も配慮し、更に人民の統一体、「人民全体」の保護者ともなる国家というものを発見したのである。マルクス主義の階級闘争理論からすれば、「人民全体」などというものは、ブルジョワジーの唱える欺瞞的虚構であって、実際には存在しないものである。――未来の、階級対立なく、従って死活の対立問題が存在しない国家なき共産主義社会に至るまでは。

  オット・バウアーは、エンゲルスが既に、連立政権国家を理論的に定式化し、その政治的正当性を示していた、エンゲルスの「鋭い理論的分析」は、相争う階級の力関係がたまたま均衡状態となる」場合についても考察していた、と言う。それは『家族・私有財産及び国家の起源』の一節なのであるが、この個所はバウアーの解釈とは逆の解釈も可能なのではないか。エンゲルスはそこで、従来のすべての国家が純然たる搾取機関であったことを述べた後、「例外的には相闘う階級の力が均衡し、国家権力が暫時両者に対し独立性をもち、調整者となるような外見を呈することもある」と言っている。即ち調整者的役割は外見(Schein)に過ぎないのである。彼はそういう事実が存在しうることを否定しはしないが、それは現実ではないと言うのである(1)。彼は続けて言う、「例えば貴族とブルジョワの力が均衡していた十七・八世紀の絶対君主制、また例えばプロレタリアとブルジョワジーが勝ったり負けたりしていたフランスのナポレオン一世時代や二世時代。そして、ビスマルクのドイツ新帝国こそ、支配者と被支配者がともに喜劇を演じたこの種の興行の最近の例である!ここでは資本家と労働者が争い合いつつ、没落したプロイセンの田舎地主に漁夫の利をかすめとられた」と。しかしこの「暫時」は三世紀も続いたのではないか。彼によれば、いずれにせよ国家の調停者としての役割は、滑稽なごまかしであり、国家自身が捏造を試みた外見に過ぎない。ところで、階級闘争論の社会学の見地から、諸階級から解放されたこの国家権力はどのように概念的に把握されるものだろうか。それとも「没落したプロイセンの田舎地主」は第三の階級なのか?はっきりしないところである。バウアーによれば、これが「通俗的解説」に対立するマルクス主義の「鋭い理論的分析」だというのだが、眉唾というところだろう。因みにエンゲルスは、その三行先で「国家は無産階級に対して有産階級を護る組織である」と言っている。従って、三世紀に及ぶ国家の調停者としての役割は、人々を騙すことができなかったということであろう。なぜなら、彼の見地からすれば、そもそも階級間の調停などそもそも存在しえないものだからである!更に数行後に彼は「文明の基礎は一階級による他階級の搾取であるから、すべての文明の発展は、継続的な矛盾の中で展開する。すべての生産の進歩は、同時に被抑圧階級、多数者の立場の後退である一階級の益はすべて必然的に他階級への害であり、一階級の解放は他階級の抑圧である」と言う。これこそが階級闘争理論の核心をなす思想であり、非通俗的・科学的な説明のつもりであろう。ここでエンゲルスは、近代文明は「一階級にあらゆる権利を与え、他階級にあらゆる義務を課する」もので、「資本家の益はプロレタリアの害である」という前提に立っている。その見地からすれば、すべての力は階級対立を尖鋭化する方向に向かう。逆方向に向かう力は、この理論に適合しないから、無視される。そうだとすれば、この政治思想の体系において、一国の政府において諸階級が政治的に協力するなどという思想が入り込む余地がないのは当然である。普通選挙権に関してバウアーが引用したこのエンゲルスの言葉に彼の思想が明確に示されている。社会民主党が連立内閣に辿りついたのは、まさしくこの普通選挙という経路を経てのことであった。エンゲルスによれば、普通選挙もまた支配階級の道具であり、ドイツにおいてそれをビスマルクが用いるかブライヒレーダーが用いるかの相違があるだけだ、という。まあそれは「労働者階級の成熟度を測る温度計」くらいの役には立つだろうが、「現代国家においてはそれ以上の意味を持ちえないし、将来も持つことはないだろう。それで充分なのだ。普通選挙権という温度計が労働者にとって沸騰点を示す時、労働者も資本家も、今どこにいるかを知るであろう」と。ここで示唆的に言われていることの意味は明らかである。資本家と共同で、平和的に国家権力を担当するのではなく、革命、プロレタリア独裁である。

   ところがバウアーが薔薇色に描いているのは、まさしくこの資本家との権力共有なのである。彼がドイツ=オーストリア共和国を真の人民共和国であると性格づけたのは、それが単に形式的でない、生きて働く(funktionell)民主制だと考えるからである。彼が、ドイツ=オーストリア共和国は真の人民共和国(Volksrepublik)であると言うのは、それが単に形式的な民主制ではなく、「生きて働いている」(funktionell)民主制を体現するものと信ずるからである。政府の社会民主党系閣僚は、すべての政府の政策について事前に関連の労働者組織と合意しているから、政府は(職業や職場に従って、即ち社会的・経済的働きに従って分類された)国民の実効的統制下にある、と言う。そのような組織原理が多数決原理を排除するものであれば、「民主的」なものと言えるのか、という問題もあるが、それはさておくとして、マルクス主義者が、個々の社会集団を社会集団全体に対して果たしている役割から意義づけるそのような有機的社会観念に立脚し得るのか、という問題がある。マルクス主義の階級闘争理論によれば、プロレタリア階級は、その機能上の相違とは無関係な同質的集団であり、その唯一の集団が排他的支配権を要求するもののはずである。マルクスやエンゲルスは、その排他的支配権を、プロレタリア階級が資本家階級に対して圧倒的多数を占めるという事実によって、繰り返し正当化している。「全体に対して果たす役割」という思想を基礎とする有機的社会理論を一貫すると、手工業労働者と頭脳労働者の貢献度の測定基準、特に私有財産制が廃棄されていない社会における企業者の貢献度の測定基準は何か、という問題に行き当らざるを得ない。私有財産制は、バウアー自身も述べているように、廃棄不可能なものであり、プロレタリアが権力を掌握しても、彼らはそれを自発的に廃棄することはあり得ない。この測定基準の問題に答えることは、マルクス主義者には困難なことである。既に「社会的全体」という概念は、労働者を資本家と並ぶ部分的機能の担い手に過ぎないとするもので(「役割」(Funktion)の概念は「全体」なしには不可能であろう)、階級闘争理論とは思想的・概念的世界を異にし、調整し難く対立するものである。マルクス主義の見地からすれば、諸機能が統一的全体の中で有機的に共存する状態は、共産主義の実現した未来社会においてのみ存在しうるものである。

  バウアーはまた、革命後に樹立されたドイツ=オーストリア共和国における独特の統治方法を讃美している。即ち、民衆を秩序の枠内に留めるために政府が用いる手段は暴力でなくて精神である、という点である。この秩序は、経済的に見ると、革命前のオーストリアと同様の資本主義秩序、即ち生産手段の私有を保障する法秩序である。バウアーは、連立政権がプロレタリアを抑制するために何らの武力も用いず、労働者たちは国際情勢を洞察してプロレタリア独裁の樹立を自制したこと、政府は大衆のこの洞察と自制を精神的方法によってのみ達成した、ということを格別に強調している。もっともドイツ=オーストリアが何の武力も持たなかったわけではもとよりない。社会民主党が最初に勢力を傾注したのは武力の組織化であった。しかしこの軍隊は、もっぱら社会民主党支持者と共産党支持者から成るもので、社会民主党の総理大臣がプロレタリアに敵対して用いるはずがない。しかしまた、社会民主党員である陸軍大臣は、その指揮する軍隊について、それがプロレタリア以外の民衆に向けられる可能性を否定出来ないであろう。ドイツ=オーストリア共和国においては、その方が多数者なのである。それ故階級国家は暴力で、人民国家は精神で、とは言い切れないはずである。ところでバウアーは、革命政府の任務はプロレタリアが革命を起すことを妨害(verhindern)(彼自身はもう少し柔らかく「防止」(verhüten)と言っているが)することだと言っている。「人々は四年間の戦争で野蛮になっており、そこへ新たな自由を獲得すると手のつけようのない暴力行為に走りがちだから」、それを防がねばならぬ、と言うのである。ずいぶん勇敢な発言で、立派であると言えよう。こういうことはかつては革命を恐れる「ブルジョワ」が口にしたことで、権力の座にある者の言い草でもある。まあ革命家も権力の座に就けば同じことを言うことも事実だが。社会主義の大義が、私有財産を保障する連立政権の統治下の国家と関わり合って妥協的なものとなることを拒否する「マルクス主義者たち」は、バウアーに対して、「ドイツ=オーストリア共和国のプロレタリアは、政治権力の奪取と言う綱領を『好き好んで』放棄した訳ではない。この国の社会革命を不可能にしたのは、確かに自国の軍隊ではないかも知れないが、資本主義的な隣接諸国の軍隊ではないか。この資本家の国際的団結という事実を見れば、ドイツ=オーストリアにおける諸階級の力の均衡などを云々するのは視野狭窄ではないか」と反論するであろう。そういう議論にも相当の理由があることは否定できない。確かに、この国において軍隊が無産者に敵対したことはないが、司法・警察など国内に向けられる実力装置がほぼ手つかずのままに残った資本主義的経済秩序の維持のためにずっと活動してきていることも否定できない。しかしなお、バウアーの言っていることは基本的には正しいのだ。プロレタリアは、自前の武力で、相対的に無力となったブルジョワジーを抑え込むことも不可能ではなかったかも知れないが、国際的反響を考慮して自制したのである。しかし仮にそうだとすれば、(マルクス主義者風の状況叙述をするとして)資本家階級の方も同様に、動員しうる軍事力をプロレタリア階級の政治的・経済的搾取のために利用するということはしないのではないか。社会立法や、特に労働者階級の政治的同権は、労働者階級とは反対側の勢力が武力を独占していた時代に実施されたのではなかったか。ここでも「精神対暴力」という対置は社会関係の叙述において無制限に妥当するものではないということが示されている。「力」もまた結局精神によって発動する。精神もまた力であり、力の内に、力を通じて発動するのである。

  ドイツ=オーストリアは、一九二〇年十月以降、純然たるブルジョワ政権に支配されている。ところがバウアーは、この体制も「階級国家」と呼ばず、「人民国家」と呼んでいる。そしてそれは正しいのだ。なぜなら、階級間の実際の力関係が連立政権という外面的表現をとるか否かは二次的なことだからである。そして実際ブルジョワ諸政党が政権を掌握して後も、この力関係は全然変化していない。ところがバウアーは、一九二二年十月のジュネーヴ条約以後、「ブルジョワジーの復権」の時代に入ったと考えているかのように見える。即ち、彼はこの条約を、ブルジョワジーが、「外国貨幣の助けを得て、国内の階級支配を確立しようとする試みだ」と言っている。

  しかし一層仔細に見ると、(仮に条約の意図がそうだとして)、バウアーの叙述自体から見ても、この試みは失敗している。なぜなら、その前もその後も、社会民主党は国防軍を支配し、主要な労働者組織、特に鉄道労組を支配しているからである。それに、仮に連立内閣が続いていたとしても、その内閣が外債を拒否することができなかったであろうこと、そして外債に付された条件を受け容れざるを得なかったであろうことは、疑いのないところである。その条件とは、財政統制等であるが、それなしには借款は与えられなかったのである。連立政権ならば、外債についてもっとましな条件を目指せたかもしれない、国内資本への課税によって外国資本への依存を抑え得たかもしれない、というのはありうることであろう。しかしそれはニュアンスの相違に過ぎない。ウィーンの社会民主党政府も、債権によって為替相場を安定させたからこそ経済政策・社会政策を遂行しえたのである。労働者にとってもクローネの安定は給与価値の安定をもたらすから、それによる経済状態の改善は軽視すべきでない。通貨の安定がもたらした一時的な不況は、労働者に劣らず経営者にも打撃であった。バウアーが、ジュネーヴでの成果によってブルジョワ政党が自信をもったとして、「ジュネーヴ条約は魔杖一閃階級間の力関係を逆転させた」と彼らが感じているとしているのは、些か誇張である。バウアー自身、その二ページほど後で、プロレタリアは連立内閣時代と同様の実力を有しており、ブルジョワジーの復権は実現していない、と認めているではないか。それより何より、バウアーはなお連立政権の可能性があると考えているのである。

  もっともここでは、個々の現実問題の政治的評価は大した問題ではなく、重要なのは、バウアーが階級関係の「均衡状態」と呼んでいるものが、敗戦の直接的結果として生じたものではなくて、戦争よりずっと前、プロレタリアの力の上昇に伴って始まった長い緩慢な変化の産物であることである。階級闘争論者たちのお決まりの叙述からすると、「革命以前にはブルジョワジーが全権を掌握していて、プロレタリアは全く無力であった。前者は後者を無制約的に支配していた。革命の結果として、均衡状態が成立したのだ」というのだが、事実はプロレタリアが団結を強め、ブルジョワジーの権力を一歩一歩奪取して、革命よりずっと前にその「支配力」を抑制しており、両階級関係も、(「ブルジョワ国家」とよばれる立憲君主制下においても)支配・被支配の関係ではなく、並列的に対立する勢力となっていた。従って戦前の国家でも、既に両階級はある意味で権力を分有していた。そこでは一階級が他階級の生活条件を一方的に決定するほど強力ではなく、法秩序の内容も妥協の産物となっており、(バウアーの言葉を用いれば)国家権力は「国民内の全階級の力の総和」となっていた。一九一八年の政治的革命が、プロレタリアに権力をもたらしたことは疑いないが、それ以前の国家は搾取的階級国家で、その後は民主国家だとして対置し得るほど根本的な革命であった訳ではない。戦前の何十年間かの内に、労働者の生活水準は向上し、その時期の普通選挙・社会政策的立法がもたらしたものは、戦後改革が労働者にもたらしたものより遥かに大きい。社会政策立法の発展は戦争によって中断されたが。戦後の改革は、戦争によってもたらされた窮乏の故に、成果に自ずから限界があったということもある。更にいえば、連立政権時代の国家について、階級間に「力の均衡」があったと言えるかどうかも問題である。経済体制は依然資本主義国家であり、搾取関係は、かなり緩和されたとはいえ、存続していたのであるから。戦後改革の成果の強調者たちは、経済的実態から目をそらして外面的な政治形態の変化を過大視しているのではあるまいか(8)。マルクスならずとも、「バウアーさん、もっと経済的現実を直視しなさい」と言いたくなるのではないか。

  一九一八年から一九二三年の間のドイツ=オーストリア共和国が「もはや階級国家でない」と言う者は、十九世紀後半以後の発展を経た現代国家のすべてについて「階級国家でない」と言わなければならないだろう。そして量的相違しかないものについて質的・原理的対立を見るマルクス主義的方法を卒業しなければならないだろう。革命前の「階級国家」と呼ばれるものと、革命後の連立政権下の「真の民主国」と呼ばれるものも、程度の差に過ぎないこと、この「真の共和国」と「社会主義の理念にまったく適合した状態」との相違も程度の差に過ぎないことをやがて悟ることになるであろう。この間の距離は、革命によって跳び越えなくとも、改革への努力によって乗り越えることができるのである。バウアーは明らかにこの民主共和国を肯定的に描いていて、そこには社会主義の理想への漸次的接近の条件が整っているはずなのに、彼がその基礎の上に「革命」「プロレタリア独裁」への展望を云々しているのは不可解である。そこで革命や独裁が絶対に不可能ではないかもしれないが、民主共和国こそ、革命や独裁に条件を提供するものではなく、その逆ではないか。バウアーはそれにも拘らず、均衡状態は過渡的なものに過ぎず、両階級は争い続け、遂にはプロレタリア革命に至る」と論じて、この革命的展望を放棄しない。これはマルクス主義の定式を現在から棚上げして未来に移すもので、実際には政治的手段としてはお役御免になった政治理論を撤回し、変化した状況に適合する別の手段に道を譲らせようとするものに他ならない。マルクス主義の政治理論は、 反国家的自由主義は、国政に影響力を持たない小反対派の理論であり、国家相手に闘い、イデオロギー的には国家一般を敵視する無政府主義になる。それはちょうど、ブルジョワジーが政治的に無権利で、国家機構を支配する貴族層との闘争において無力な反対派に過ぎなかった段階に反国家的自由主義を政治的イデオロギーとして奉じたのと同様である。もっともこの自由主義は国家を全く否定する無政府主義とはならなかった。なぜかといえば、ブルジョワジーが無権利状態なのは政治上であって、経済上は無権利状態でなかったからである。彼らは国家を、自分たちの私有財産の保護者として、有益なものと考えたのである。ブルジョワジーは、やがて成長して国家権力に入り込んだ時、反国家主義的立場から、極端な国家主義的立場に転向した。プロレタリアの政治的イデオロギーも、無力な反対派でなくなり、単独で、あるいはブルジョワ政党と連立して政権を担当することになれば、あるいは否応なしにやがて政権に参加するような状態になれば、それと全く同様なことが起る。この瞬間に、マルクス主義の政治理論は、社会主義にとって狭すぎることが判明する。マルクス主義政治理論は、権力闘争において、その権力を有効に用いるに当って障碍となる。こうなれば、プロレタリアのイデオロギーにおいても、国家は単なる資本主義の道具から、社会主義の道具へと移行する。この瞬間こそ、プロレタリアがこの国家が「我が」国家でもあり得るし、実際「我が」である、と悟る瞬間である。

  こうして社会主義運動の政治的イデオロギーは、「マルクスからラッサールへ」の転向を完成した。オット・バウアーのこの著作は、そのことを示す重要な徴候の一つである。 

(1) 因みに、エンゲルスはこのように国家が外見上社会の諸階級から独立する現象、いわゆる国家の社会的地位を国家の本質的要素であるとしている。頻繁に引用される個所においてエンゲルスは言う、「それ故国家は決して社会に外から押し付けられた力ではない。・・・国家はむしろ特定の発展段階における社会の一産物である。それは、社会が調整不可能な対立のうちに分裂していること、社会がそれを悪魔祓いすることができないことの告白である。経済的利害をめぐって争い合う諸階級のこの対立による不毛な闘争により、諸階級、そして社会が消耗し尽くさないために、その対立を抑え込み、『秩序』の中に留めるための、外見上社会を超えて立つ力が必要となった」、と。しかし対立を抑え込むことなどできるはずはないだろう。なぜなら国家は「外見上」諸階級の上に立つのみで、実際には階級の他階級に敵対する道具に過ぎないのだから。ところがエンゲルスは続けて言う、「そしてこの、社会から発しながら、社会の上に立ち、社会からいよいよ離れていく力が、国家なのである」、と。これが国家なのか!ここには、社会的諸階級から解放されて、階級対立を調整する国家の役割に対するエンゲルスの動揺する態度が現れている。