Putin
Putin
殺人鬼の愛人
エリツィン退陣の頃、「ロシアの権力者は禿とふさふさの交替だ」という仮説が好んで語られた。レーニンは禿、スターリンはふさふさ、フルシチョフは禿、ブレジネフはふさふさ、ゴルバチョフは禿、エリツィンはふさふさ、さて次は?」というのだが、第一候補とみられたプリマコフ前首相がふさふさなので変だなあと思っていたら、忽然と救世主プーチンが現れた、というよくできた話である(「救世主」とはこの仮説の救い主という意味である)。
この仮説は更に精緻化され、アレクサンドル二世は禿、ニコライ二世はふさふさ、またスターリンの後マレンコフは額が広く、ブルガーニンはふさふさ、ブレジネフの後もアンドロポフが禿、チェルネンコがふさふさと完成度を高めた(http://book.geocities.jp/ruichi_nagao/RussianRulers.html)。
だが多少腑に落ちないのは、マレンコフは額が広いとはいえ、禿とは到底いえず、スターリンの後継者候補の中では、側頭部と後頭部に多少毛が残っているのみのベリヤの方にずっと「正統性」があることである。
ベリヤが粛清されたのは私の高校時代のことで、大見出しとともに、冷血の貴公子といった容貌の写真が夕刊の一面を飾っていたのを思い出す。ところが忘れもしないそれと同じ写真が、美女の写真と並んで、『デイリー・テレグラフ』(7/22/04)に載っている。秘密警察の長として、スターリンの大量殺人を執行したこの人物の最後の愛人ニーナ・アレクセイエヴァさん(87)をモスクワのアパートに訪ねたインタヴュー記事である。彼女は今でも色気があり、ちゃんとお化粧をして口紅をつけて出てきた。写真からでは六十台くらいに見える。
「私は大勢の男を失恋させたのよ。あなたもこの私でなく写真の方を見てね」
「ベリヤは私に首ったけで、女房同然に扱い、スターリンに紹介すると言っていた。彼が死んだら私をファーストレディーにするつもりだったのね」
彼女は若い頃共産党員としてクーラク(富農)狩りに参加したがこの体制に嫌気がさし、結婚して二人の子供があったが、やがて離婚。そのあと合唱隊に入り、海軍将校と再婚していた。ラジオ関係の仕事をしていた時、向かいのビルの窓越しにベリヤに見初められ、リムジンで使者がやってきた。その当日からベッド入りした。
ベリヤが何十人の女を手籠めにしては殺していることは知られており、建物の下に死体が埋めてあるといわれていた。殺されるかと思ったが、「私にはとてもやさしく、趣味などを尋ねて、フランス香水など高価な贈り物をくれたの。君に会えると僕は幸福だ、とか言って。でも私は好きになれず、早くこの関係が終わればいいと思っていたわ。それに怖かったの。ある時、手洗いでヘアピンを落とした。腰をかがめて拾った時、この壁の向こうに女たちの骨があるんだなと感じたりして」。
情事はいつも昼間で、毎週、時には週に何回も迎えが来た。夫が待っていようとお構いなしだった。夜は、ボス・スターリンの仕事時間、即ちベリヤの仕事時間だからだ。
1953年スターリンが死ぬと、間もなくベリヤは逮捕された。
「それなりに悲しかったわ。彼は本当に私を愛してくれたし、私は何にもお返しをしてなかったから。それにこんな重要人物に惚れられたのが嬉しくなかったというと嘘になるわね」
つまり、「禿―ふさふさ交替法則」が正しく働いていれば、彼女がファーストレディーになったであろうということである。
ところで、そのベリヤの名が『ルモンド』(9/4/04)に現れた。チェチェン・ゲリラによる北オセチアの学校襲撃事件の解説記事において、1943年12月から44年7月までに、スターリンはコーカサス諸民族200万人をカザフスタンとキルギスタンの間のステップ地域に強制移動させたが、その際飢餓、疾病、虐待によって半数が死亡した。その移動の指揮に当ったのがベリヤであった。それから十年以上経ったフルシチョフ時代に、その中で「刑期が終った」と認定された者は帰国が許されたが、依然残留している者もあるという。 (「欧米新聞拾い読み」 『ケルゼン研究II』pp.303-5)
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