「古き神々」と「新しき神々」
[アイスキュロスにおける「神々の争い」] 『救いを求める女たち』におけるアイスキュロスは、従兄弟(いとこ)たちとの結婚を嫌ってアルゴスに遁れて来たエジプトの女たちを保護する「他国者の守護神ゼウス」(711)の手放しの礼讃者であるが、他の作品の中では、「古き神々」が、ゼウスに率いられた「新しき神々」に挑んだ抗争を描いている。
『オレステス三部作』においては、「古き神々」に属する復讐女鬼エリニュエスたちが、母親殺しのオレステスを庇おうとする「新しき神」アポロンを激しく非難する。
これ、まあ、ゼウスの御子さま あなたは、盗人だね。
お若いくせに、年寄った神たちを、馬の蹄におかけだった、
願人に情けをかけて、非道な男を大切にして、
親に対して、むごいことをした者だというのに。
(『慈みの女神たち』149-152(呉茂一訳))
また『プロメテウス三部作』(第一部のみ残存)においても、人間のために火を盗み出したプロメテウスを罰するゼウスの傲慢さが批判される。海神オケアノスの娘たちのコロスは唱う。
[呪わしいあなたのさだめ]
それもみな、ゼウスさまが有難くもない
自分勝手な掟によって威権をふるい、
古い昔の神々に、権勢づくの
思い上がった圧迫を加えられるため。
(『縛られたプロメテウス』402-5(呉訳))
この何れにおいても、結末においては、「新しき神々」は「古き神々」を抑圧し去るのではなく、後者の主張を一定限度容れて、妥協が行なわれる(失われた『プロメテウス』第二・第三部の内容について、高津春繁は、巻末解説で、恐らく「イオの子孫たるヘラクレスが現れて巨人神[プロメテウス]を解き放ち、ゼウスはこの自分の息子のこの英雄的行為を是認し、プロメテウスもまたゼウスに対する怒りを解いて、ここに和解が成立するのであろう」としている(『ギリシャ悲劇I』ちくま文庫、1985年、477頁)
ヘシオドス『神統記』によれば、神々の王クロノスは、息子たちに神界の王位を奪われることを恐れ、妻レアが孕んだ子の出産を許さなかったが、レアはクレタ島で秘かにゼウスを生む。父はやがてこの息子に王位を奪われるが、クロノス系の「古き神々」(ティタンたち)とゼウス系の「新しき神々」の間の戦争は、次のように描かれている。
両軍とも、たがいに腕力と力業を示しあった。涯しない海は、怖ろしくあたりに響き渡り、大地は物凄く鳴り響動(とよ)み、広い天は揺すられて呻きの声をあげ、高いオリュムポスの山はその根本から、ぐらぐらと激しく揺れた、不死の神々の攻撃の下で・・・。(677-681(廣川洋一訳)岩波文庫)
こういう叙述がずっと続いて、結局「古き神々」は敗れるのであるが、この激烈な闘争は、何らかの歴史的事実を反映しているのではないか。この点について従来の通説は、印欧語を話し、父権的社会構造をもち、天の父なる神を信ずるアーリア系のギリシャ人が、母権制的ないし母系制的社会構造をもち、地母神を信ずる非ギリシャ系の先住民族を征服した事実の反映であるとしている(Apostolos Athanassakis, Hesiod, The Johns Hopkins University Press, 1983, p.51)。
これは紀元前5000から3000年にコーカサス地方ないしウラル山脈西のステップにいた牧畜民(原印欧人)が移動を開始し、西ユーラシアを征服したという仮説と関わる。原印欧人は、モヘンジョダロやハラッパなどの古代文明を築いたインド先住民を征服して、上位カーストとなったが、同様の征服がペルシャ、アルメニアから小アジア半島(ヒッタイト)、南欧(ギリシャ、イタリア)、西欧(ケルト、ゲルマン)、東欧(スラヴ等)でも行なわれたというのである。
「高度の文明をもっていたインド先住民を、原始的牧畜民が征服し、それほど多人数でなかったはずの彼らが、西ユーラシアの広範な地域を支配したのであるから、彼らはよほど優秀な民族であったに相違なく、この白い肌のアーリア人こそ、世界の支配民族たる使命をもった集団だ」という信念は、ナチスばかりでなく、アフリカからアジアを植民地化した19世紀ヨーロッパ人が共有した信仰であった。
[Martin Bernal] マーティン・バーナルは、『黒いアテナ』と題する一連の著作において、このような図式を批判するとともに、それを擁護してきた西洋ギリシャ学を激しく攻撃した(Black Athena I, 1987, Black Athena II, 1991, Black Athena Writes Back, 1997.以下BAI,BAII,BAWBとして引用)。彼が指摘した点は色々ある。
(1) 「アーリア人のインド征服については、それを示す伝説上・言語上の強い証拠があるが、ギリシャのばあい、同様の征服を示す証拠が全く欠けている」(BAWB3)(もちろん、紀元前12世紀のドーリア人の南ギリシャ征服は、それよりずっと後世の事件で別問題である(BAII6-))。
(2) ギリシャ人に征服されたとされる先住民(Pre-Hellenes)の正体は、古典学者の間で神秘なままである(BAWB127)。彼らがエジプトないしフェニキアの血統や政治的・文化的支配下にあったとする仮説は、「充分な証拠がない」と否定されてきたが、これはヨーロッパ文明の祖であるギリシャ人を、自らの独創によって文明を築いた純血のアーリア人と信じこみたいという人種主義的動機によるものではないか。
(3) 古くよりギリシャにはインド=ヒッタイト系言語を話す住民が住んでおり、紀元前25世紀に印欧語を話す集団が到来する(BAII150)。その後この集団は、南方(エジプト)や東方(フェニキアなど)の強い軍事的・政治的・文化的影響を受け、人種的にも混血した。ドラヴィダ人を征服したインド=アーリア人の場合、サンスクリット語の語彙は印欧語を基本的に維持し、発音が土着語化したが、ギリシャの場合その逆で、発音は印欧的で、語彙は非印欧語に圧倒された。これはギリシャの印欧語族が、ドラヴィダ人のような被支配民族であったことを示唆している(BAWB123)。
(4) 1950年代に解読された「線文字B」はギリシャ語であることが判明したが、その文章には多くのゼム系(主としてフェニキア系)語彙が含まれている(BAII49)。言語学者たちはヒッタイト語などと発音などが少し似ていれば、すぐに語源として飛びつくくせに、エジプト語やフェニキア語との関連となると、俄かに学問的厳密性なるものを持ち出して、排斥してきたが、その誤りが示された(BAI48)。
(5) 紀元前五世紀歴史家ヘロドトスの『歴史』(2.102以下)には、エジプトのセソストリス王の「アジアからヨーロッパに渡った」大征服の記録があるが、これは第十二王朝(紀元前2000年頃)のセンウォスレット王(同名の王が何人かいる)の指すもので、ギリシャもその支配を受けたのではないか(BAII187ff.)。
(6) アイスキュロス『救いを求める女たち』は、エジプトから相争う二集団が相次いで渡来し、その一隊を率いたダナオスが、アルゴスの建国者となったとしている。これは東北からエジプトを占領して、紀元前18世紀頃から1570年まで支配した異民族王朝ヒクソスにから内紛に関わる古き民族的記憶を劇化したものではないか(BAI97)。
(7) エウリピデス『フェニキアの女たち』は、フェニキア王子カドモスがテーバイに渡来して、その王となった伝承をもとにしたものであるが、これもギリシャに対するフェニキアの影響、特にギリシャ本土にフェニキア移民の都市が存在したことを示唆しているであろう。その時期はダナオス渡来と同時期、即ち紀元前18世紀頃ではないか(BAII59)。
(8) 紀元前一世紀の歴史家(シケリアの)ディオドーロスは、アテナイの建国者ケクロプスが、エジプトよりの渡来人であるという説を紹介している(BAI111)。紀元前五世紀のアテナイでは一般にそう思われていたし、実際ありそうなこと(probable)である(BAWB98)。渡来は紀元前16世紀のことらしい(baii303)。
(9) ヘロドトスは「ほとんどすべての神の名はエジプトからギリシャに入ったものである」と言っている(『歴史』2-50、松平千秋訳)。アイスキュロス『救いを求める女たち』に見られるように、アルゴス王ダナオスはエジプトからの渡来者で、彼らは黒人であった(719)。そうであるとすると、アテナイの守護女神アテナの皮膚も黒かったのではないか、と。これが『黒いアテナ』という表題の由来である(もっともバーナルは最初『アフリカのアテナ』(Afrikan Athena)としようとしたが、出版社に押し切られたという(BAWB158))。実際古代エジプト壁画において、ヌビア人などの黒人とそうでない者とは描き分けられており、エジプト人=黒人という訳ではない。しかしバーナルは、西洋人の黒人概念が狭すぎるという(BAWB29))。
(10) プルタルコスは、スパルタの立法者リュクルゴスがエジプトに学び、軍人・職人などの階級を峻別する制度をそこから輸入したと言っている(Lykourgos 4-5)。紀元前9~8世紀のスパルタ美術はエジプト風で、王たちはヘラクレスの子孫と称し(ヘラクレスは神話上もアイギュプトスと血縁があり、ヘロドトス(2-43)もエジプト伝来だと言っている)、ピラミッド風の神殿を建てた(BAI53)。スパルタの制度がエジプトに倣ったものであることは、クセノフォンやイソクラテスも指摘している(BAI105)。
[アイスキュロスの「古き神」] このようなバーナルの説がどの程度妥当なのかは、素人の私にはもちろん判断能力がないが、一応それに従ってアイスキュロスの「古き神」と「新しき神」という問題を再考してみると、どうなるか。
そこでは、「古き神々」が非ギリシャ先住民の神々、「新しき神々」がそれを北方から征服した印欧語族の神々という図式に代って、前者が印欧語族の神、後者がエジプトやセム系の神ということになるであろう。そうすると、ヘシオドスの伝える新旧の神々の激烈な闘争は、エジプトによるギリシャ征服の反映で、恐らくヘロドトスのいうセソストリス王(第十二王朝のセンウォスレット王)による征服の反映ということになるかも知れない。
ここで注目すべきは、ゼウスの率いる「新しき神々」の人類に対する態度が、貴族の庶民ないし奴隷に対する態度に似ていることである。オクスフォード大学古典学教授ロイド・ジョーンズ(激情的なバーナル批判者メアリー・レフコヴィッツの夫君)は次のように言っている。
美・幸福・力の何れにおいても、神々と人間とは比べものにならない。・・・人間はゼウスの子孫ではなく、・・・人間の保護者はゼウスでなく、プロメテウスであるが、彼は旧世代の神で、ゼウスによって放逐された。『イリアス』やその他の文学において、神々が人間を見る態度は、軽蔑にいささかの憐憫をも混えたものである。アポロンは戦場でポセイドンに会った時「くだらない人間如きものにかかずらわって我々が争うのは下らないことだよね。人間なんて木の葉みたいなもので、野の果物を喰ってしばらく元気でいても、すぐに枯れて死んじゃうんだから」と言った(Iliad, 21:462-6)。ゼウスは「実際地上でうごめき、息をしているものの中で、人間ほど哀れなものはないのさ」と独語した(17:446-7)。
神々は嫉妬深く自分たちの地位を守ろうとし、人間が少しでもそれに挑戦したり、ないがしろにしたりする態度が見えようものなら、直ちに厳罰を加える。それはちょうど、原始的村落社会における、貴族の百姓に対する態度とそっくりである。(Hugh Lloyd-Jones, The Justice of Zeus, 2nd ed., 1971 .真方忠道・真方陽子訳参照)
ホメロスから悲劇に至るまで、ギリシャ文学には、神の気紛れで人間がひどい眼に遭う話に満ちているが、「新しき神々」のこのような態度は、征服者の被征服者に対する態度(例えば戦後日本人に対するマッカーサー司令部の態度)を彷彿とさせる。
「古き神」プロメテウスが、見るに見かねて、火を与えるという仕方で人類の救済に乗り出し、厳しい懲罰を受けたのも、「古き神々」が被征服者ギリシャ人の神であることを物語っているのではあるまいか。
仮にそうだとして不思議なのは、アイスキュロス『慈みの女神たち』の中で、「古き神」エリニュエスが「新しき神」アポロンを非難する言葉の中に、「神々の掟に背き、人間を大切にし」たという科白があることである(171)(tioは「大切にする」というより「まともなものとして扱う」というような意味か?)。『プロメテウス』においては「古き神」が人間の味方なのに、『オレステス三部作』においてはその逆なのは、どうしたことか。
この点を考えるに当って参考になるのは、ハンス・ケルゼンの小論「『神の妬み』の社会学的意義」(Hans Kelsen, “Die soziologische Bedeutung der Vorstellung vom ‘Neid der Götter,” Vergeltung und Kausalität, 1941.『ヤハウェとゼウスの正義』所収)である。それによれば、ホメロスにおける「神の妬み」とは、平民がその分際を越えて貴族の地位を脅かす場合と同様に、人間がその分際を越えて神々の地位を脅かすことへの懲罰で、貴族的秩序擁護のイデオロギーである。それに対し紀元前五世紀のアイスキュロスはヘロドトスの作品に現れる「神の妬み」は、強力過ぎる権力者・僭主に向けられる。これは貴族的「神の妬み」に対する民主的「神の妬み」である。
アイスキュロスにおいて、ゼウスなど「新しき神々」は、神々の僭主としてその傲慢が非難されており、批判の背後にあるのは民主的心情である。ここでは、米国の共和党と民主党が、民衆を味方にし、民衆の支持をめぐって相争うように、「古き神々」も「新しき神々」もアテナイの民衆の世論の前で対比されている。アイスキュロスは反民衆的立場を、『プロメテウス』では後者に、『オレステス三部作』では前者に帰しているが、これは民主社会において、これは各政党が相手を反民衆的として非難する状況に対応し、彼自身は中立的立場から、それを観察しているのである。民主主義アテナイにおいては、征服者も被征服者も、民衆という新たな立場から評価されるのである。
(ゼミ誌『衝撃のギリシャ』2001年より)