ケルゼン『デモクラシー論』「訳者解説」(1977年)
宮沢賢治に『注文の多い料理店』という童話がある。
二人の狩人が山の中で道に迷い、空き腹をかかえていると、「山猫軒」という立派な西洋造りのレストランに行き当る。中に入ると「どなたもどうかおはいりください。決して御遠慮はありません」と書いてある。二人は喜んで次の部屋に入ろうとすると、「当店は注文の多い料理店ですからどうかそこは御承知下さい」と書いてある。「なかなかはやってるんだ」と次の部屋に入ろうとすると、「髪をきちんとして、それからはきものの泥を落として下さい」とある。「作法のきびしい家だ。きっとよほど偉い人たちがたびたびくるんだ」と感心してその通りにする。それから帽子・外套・靴を脱がされ、ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布等の金属類を置かされ、身体にクリームを塗らされ、変に酢の臭いのする香水をかけさせられる。ここまでは料理に電気を使うのだろうとか、自分に都合よく解釈していた二人も、「からだじゅうに壺の中の塩をたくさんよくしみ込んでください」というところまで来て、「だからさ、西洋料理店というのは、ぼくの考えるところでは、西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる家ということなんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが・・・」とやっと気がつくことになる。
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話変ってこちらは「自由軒」というレストラン。入口に「自由を愛する皆様方はどうかおはいり下さい。決して御遠慮はありません」と書いてある。「そうだな、自由の味ほど甘美なものはない、入ろうよ」と中に入ると、「当店は注文の多い料理店ですから、そこは御承知下さい」と書いてある。「おいしい料理だけになかなかはやってるんだ」と次の部屋に行くと、「これからさしあげるのは、高次の社会的自由ですから、チケットをお取りの上、アナキーの自由を脱ぎすてて下さい」と書いてある。「何だかはだかにされちゃったが、このチケットを出せばもっと立派な自由軒のタキシードか何かをくれる気かも知らん」とチケットを見ると「選挙券」と書いてある。次の部屋には「各政党のメニューがありますから、チケットをお好みのところへお入れ下さい」とある。「おやおや、チケットも取られてしまうのかい。早くご馳走が欲しいな」と次の部屋に行くと、急に手錠がかけられた。「これは皆様方の一般意志によってつくられた法律によるものですから、人民の自律という高次の自由の実現です。その証拠に手錠には『自由』の文字が彫ってあるでしょう」と説明されて、次の部屋に入ると絞首台がある。ここで「だからさ、自由ケンというのは来た人に自由を味わせるのではなく、来た人を自由に殺す店の権利なんだ。これは、その、つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが・・・」と騒いでももう遅い。
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ケルゼンが「共和国ジェノアで、監獄の門とガリー船の囚人の鎖に『自由』(libertas)の文字がきざまれている。これは単なる逆説ではなく、民主制の象徴である」[旧版p.14;新版p.9]というとき、その意味するところは、まさしく面白うてやがて悲しき「自由軒」の物語である。アナキズムの自由から出発した民主制の理念が、現実の民主制に到達してみると、散々に変質し、目減りしてしまって、両者の鮮度には、落語「目黒のさんま」の殿様が目黒で喰ったさんまと城中で喰ったのとほどの相違がある。しかし「自由軒」の最後の部屋に入ってようやく驚くのは、イデオロギーと現実を取り違えた愚者なのだ。民主制のイデオロギーは、アナキーの自由と国家の中の自由との交換を「高次の自由への上昇」とよび、選挙権者は非選挙権者を、多数者が少数者を、議会は国民を「代表」すると教えて、この目減りをごまかそうとする。このごまかしにひっかかった客が最後の部屋で慌てるのである。
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ケルゼンはこうして民主制のイデオロギーを仮借なく剔抉し、現実の民主制の自由抑圧的・寡頭制的性格を指摘する。この点でケルゼンは、モスカやミッヘルスの「寡頭支配の鉄則」に接近する。しかしケルゼンは、この目減りした民主制も、なお専制支配とは本質的に異なるという。それは両者が世界観的背景を異にするからである。専制支配は、絶対的価値が存在し、それは少数者のみの認識し得るところであるという絶対主義の世界観に立つ。それ故その少数者は、「多数でなく権威を」として、民衆の声に耳を閉ざす。そこから支配者の超共同体的性格、無答責、反対派の絶対的弾圧というような性格が生ずる。
それに対し民主制は、絶対的価値は不可知だという相対主義的世界観に立ち、それ故指導者は暫定的に共同体の中から選ばれた特別な職務の担当者に過ぎず、民衆の批判を受け、民衆に対し責任を負う。反対派も絶対的悪ではないから、その存立は容認され、未来における支配権獲得の可能性が与えられる。与党と野党の関係は敵対関係ではなく、その対立はやがて妥協によって折り合うべきものである。ケルゼンは、「私が民主制の支持者たるべく意を決したのは、民主政体と相対主義的世界観との結びつきの故である」と述懐している(『デモクラシーの本質と価値』(西島訳)155頁)。
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ここで問題となるのは、民主制の基礎として挙げられた自由と、その世界観的基礎として挙げられた相対主義との関係である。筆者はかつて、この両者の関係に矛盾があるとし、ケルゼンは自由をその相対主義の例外としていると述べたことがあった。即ち「ケルゼンの民主制論はこうして相対主義以前に人間の根源的自由という価値判断を前提している。この自由自体を相対化するならば、もはや自由は隷従に対し、民主制は専制制に対して何の優位ももたないものとなる。ケルゼンの相対主義は自由の理念をその適用の例外としている」と述べたのである(鵜飼信成編『ハンス・ケルゼン』五三・四頁)。
しかしこれは些か浅慮であった。それは自由の原理と相対主義を相独立した別の原理だと考えたからである。同書において述べたように、価値相対主義の概念にも、「価値判断は相対的である」という認識上の主張と、「諸々の価値判断に対し相対的に振舞うべし」という実践上の原則とがある。後者は、個人主義と結びつくならば、「各個人がその価値観に従って行動することを容認すべし」という原則となる。他方ケルゼンのいう平等の原則と結びついた自由の要請、即ち「各人は平等に自由たるべし」という要請は、「各個人は自由に行動することを容認すべし」という原則となるから、両者は同一に帰する。
両者が同一であるならば、先に述べた「ケルゼンの相対主義は自由を例外としているか」という問題も、実は自由主義の自己矛盾、相対主義の自己矛盾という古典的問題の一事例に過ぎないことになる。即ち「自由主義は自由を例外とするか」、自由の敵に対しても自由を容認するかという問題、及び「相対主義は自己自身を例外とするか」、即ち相対主義を否定する者に対しても相対主義的に振舞うべきか、という問題である。
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この自由主義の自己矛盾は、左右に強大な「自由の敵」たちをかかえていた戦間期独墺の民主制の陥った重大なディレンマであった。この「自由の敵」たちが、その煽動によって民意を掌握することに成功すると、「民意により、民主的手続きによって、民主制が廃棄される」という「民主主義の自己矛盾」に到達する。
この自由主義・民主主義の自己矛盾は、ケルゼン自信の人間的悲劇にも連なっている。彼は自由主義的で民主主義的なオーストリア憲法の起草者であり、そしてその憲法を保障すべき憲法裁判所の判事であった。その憲法は、左右二大政党の妥協を可能にするように考案されており、当初は右派のキリスト教社会党と左派の社会民主党の連立政権が成立した。しかるにこの連合は破れ、前者においては党内右派が、後者においては党内左派が主導権を握って、その距離をいよいよ拡げていった。彼は党員ではなかったが、カール・レンナーの率いる社会民主党右派に連なっていた(ドイツ社会学会の討論において、その報告への諸批判に対し、辛辣に応答している彼も、レンナーに対してだけは極めて好意的に答弁している[旧版p.139;新版p.96])。ケルゼンの社会民主党的立場は、例えば職能議会論に対し、その背後に労働者を分断しようとする意図を看取しているところに窺われる[旧版p.73;新版p.51]。何れにせよケルゼンは、後のオーストリア・ファシズムに連なる勢力によって憲法裁判所判事を罷免され、祖国をあとにすることになる。筆者はかつてこのケルゼンの運命を、絶対主義的なユダヤ教徒とキリスト教徒の中にたって「真理とは何か」を問うピラトに喩えたことがある。
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ドイツに移ったケルゼンは、ワイマール体制の末期に当たる1932年4月に、「民主主義の自己矛盾」の問題について、次のように述べている。
多数の意志に抗し、暴力にさえ訴えて主張される民主主義は、もはや民主主義ではない。民衆の支配が民衆の反対に抗して存立しうるはずがないし、そのようなことは試みるべきでもない。民主主義者は、身を忌むべき矛盾に委ね、民主制救済のために独裁を求めるべきではない。船が沈没してもなおその旗への忠誠を守るべきである。自由の理念は破壊不可能なものであり、それは深く沈めば沈むほど、やがて一層の情熱をもって再生するであろうという希望の実を胸に抱きつつ、海底に沈み行くのである。(鵜飼編『ハンス・ケルゼン』p.255;『著作集I』p.113)
憲法学者の樋口陽一氏はこの個所を、「これほど自分の選びとった価値に賭けた美しい言葉は、そうはあるまい」と評しておられる(『朝日ジャーナル』1977・8・12)。確かに民衆自身が民主制を放棄するならば、誰かが代ってこれを救ってやるという訳にはいかない。民主制の「救世主」こそ、却って民主制の破壊者となるであろうからである。「自由陣営」の多くの反共国家の現状はそのことを示している。従って独裁性の苛酷な経験を通じて、民衆自身が自由の価値を再認識する以外に方法がないというのである。ケルゼンは更に次のように言っている。
現在反民主制の旗を振っている知識人たちは、自分の乗っている枝を鋸で挽いているのだ。彼らの求めている独裁性が現実のものとなり、彼らがそのもとで生活せざるを得なくなったならば、彼らは独裁制を呪い、かつてかくも誹謗した民主制への復帰を希求するであろう。(鵜飼編、p.254;『著作集』p.112)
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人間の心の中に自由や自立の欲求がある以上、反自由主義的諸勢力もまた、現実の体制を実際以上に自由であるように描き出そうとする。ここで最も愛用されるのは「代表」の擬制である。ムソリーニはイタリア民族の代表であり、ヒトラーはドイツ民族の代表である。それ故彼らが支配することは民族の自律であり、「真の自由」であるという。ミッヘルスのようなすぐれた社会学者が、一般的には代表は擬制であるが、カリスマ的指導者においては擬制ではないという珍奇な議論を唱え、ケルゼンから「物言わぬ大衆の『暗黙の合意』だけしか援用し得ぬ専制支配の代表理論こそ、議会民主制の場合よりずっと甚だしい擬制ではないか」と厳しく反論されている(旧版p.135;『著作集』p.94)。
マルクス主義はその窮極的目標がアナキズム的な国家死滅の状態であるだけに、現実の反自由主義的な寡頭支配体制を蔽うに一層自由主義的・民主主義的な擬制の用語を多用する。「解放」「民主集中制」「人民民主主義」「プロレタリア独裁」等の概念は、すべて一にぎりの支配層を人民やプロレタリアの代表者とみなす擬制の上に成立している。「真の解放を求める方は、どうかお入り下さい」という「解放軒」の看板を見て中に入り、「つ、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、ぼくらが・・・」と叫びながら殺されていった人々の数は無数であり、今でもインドシナ半島から、このような悲鳴がきこえてくる。
パシュカーニスという法哲学者は、このような「解放軒」の看板を真摯に信じ、その客引きまで務めた一人であった。彼はマルクスの国家死滅論を徹底させ、社会主義体制においては法もまた死滅すると述べた。1929年ケルゼンは彼の理論に対し詳細な批判を試みた。彼はほどなく「アナキズム的偏向」を非難され、粛清された。その頃訪れたある日本人に対し、ケルゼンは「パシュカーニスの批判をしたんだが、反論を待っているうちに、彼自身が粛清されてしまって・・・」と憮然として語ったということである。
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ケルゼンは「自由の理念は破壊不可能」であるとし、「それは深く沈めば沈むほどやがて一層の情熱をもって再生するであろう」と希望している。それにしては、現代世界においても、沈みっぱなしの自由が多すぎる。それはなぜか。
その説明はケルゼン自身が与えている。人間には「自意識を傷つけることによってのみ可能な服従をも喜びとする」心理、「権威への服従」の衝動が存在する。「愛が同時に憎悪であるように、服従への衝動は同時に他人を自分に服従させようとする願望でもある」。「自ら神に服従しようとする者は、常に他人をもこの神に服従させようとするものである。自らを卑下することの甚だしく、我が宗教的献身の狂信的であればあるだけ、神はいよいよ高められ、この神のための闘争は情熱的となり、神の名において他人を支配しようとする衝動は限りないものとなる」、と(『神と国家』pp.34・5)。
そもそも自由への衝動は根源的であるといっても、それは自分の自由に関してであって、他者にも平等に自由を与えようとする衝動なるものが存在するかどうか。ホッブズは、人間は本来平等であるが、自己の知恵に対する自惚れの故に、誰もが自分は世俗の人間よりすぐれた存在であるという(Leviathan, ChapXIII)。従って自由への欲求と権力意志を比べると、多くの人々において、後者の方が圧倒的に強いのではないか。あるいは、「自由でありたい」という自然的衝動なるものは、ヒットラーやムッソリーニやスターリンのように自由でありたいという衝動に行きつくのではないか。
更に、権力意志以外にも、自由以上に根源的と見える欲求はいろいろある。「自由か然らずんば死を」というような自由の闘士は古来比較的少数であり、古代の敗軍の戦士たちは、自由よりも声明を選んで奴隷となった。現在の日本でも、受験戦争の勝者たちの大半は、独立自営の中小企業主よりも、組織の歯車となる大企業への就職を選ぶし、女性は、(大部分は単なる従属の生活が待っているにも拘らず)「結婚」の一語で自由な独身生活を棄てる。エルンスト・トーピッチュは、「人間の人間に対する支配という民主的感情にとって堪え難い事実」という言葉を、「ケルゼンの法理論・イデオロギー批判の目的を焦点に如く集約的に表現する標語」であるとしている(『神と国家』p.5)。しかし餓えや孤独や自尊心(特に集団的自尊心)の毀損をもっと堪えがたく感ずる人々の方が多いのだ。
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自由への衝動は、人間性のもつ様々な欲求の中の一つ、そして必ずしも第一位でない一つに過ぎないこと、他者に平等の自由を与えようとする欲求などは、およそ人間の自然的本性の中には存在しないこと、これらのことが事実であるとすれば、自由を原理とする民主制が、近似的にでも地上に実現していることは驚くべきことである。ケルゼンは、「言葉の厳密な意味に解するならば、かつて真の民主制は存在したことはなかったし、今後も決して存在しないだろう」「仮に神々から成る国民があるとすれば、その国民は民主的に支配されるであろう。このように完全な統治は、人間には適さないのだ」というルソーの言葉を好んで引用する(旧版pp.34,118; 『著作集』pp.24,72)。確かにルソーとは別の意味において、これは正しい。それだけに、民主制は常に危機のうちにあるということもできる。特に餓えや孤独や自尊心既存への恐れが、自由の喪失への恐れ以上に人々の情念を駆り立てる時には。(Aug.17, 1977)