天皇機関説事件

   はじめに

   自動車はアクセルとブレーキで成立っている。アクセルが「俺の邪魔ばかりする」とブレーキを憎んで、これを破壊しようとしたら、それは自滅への道である。ブレーキとは批判的知性、特に自己批判的知性である。日清・日露・第一次大戦の戦勝の後に、日本はブレーキ破壊の衝動にとらわれて自滅した。陸軍がシベリヤ出兵の失敗を隠蔽した、というようなことがブレーキ破壊の発端であろう。「天皇機関説事件」も、そのようなブレーキ破壊活動の一段階である。 エリートたちは、「エリートがブレーキを握っていれば、大衆には世界はアクセルだけで動いていると信じさせておく方が都合がいい」と考えた。久野収のいう「顕教」「密教」の使い分けである。だが教育の普及によってエリートの権力独占が崩れ、両者の「棲み分け」が崩れ、ブレーキ破壊衝動に駆られた大衆がエリートの密室に乱入してブレーキを破壊してしまった。ブレーキを破壊しようとする衝動は自滅への衝動である。これには軍事エリートの政治教育に「密教」でなく「顕教」を施し、ブレーキの重要性を教えなかった軍隊教育にも問題がある。

   非西洋世界の諸民族は、西洋にこじ開けられて、西洋的世界システムに強引に取り込まれた「開国」のトラウマを、心の底に怨念として持ち続けており、鎖国回帰への願望が意識下に潜んでいる、という説がある。この怨念は、背が低く言葉が不自由な日本人の、留学先で体験する屈辱などによって補強されている。日本では洋行帰りであることをひけらかし、極めて西洋的な知性の持主のように思われている知識人も、時に応じてこの怨念を暴発させる。この暴発によって昭和十年代の「新尊王攘夷時代」が到来した。天皇を「機関」と呼ぶことが神聖冒涜であるとして、相対的には合理的な美濃部達吉の国法学説を葬った昭和十年の「天皇機関説事件」は、この「新尊王攘夷時代」の幕開けである。

   カール・シュミットは「政治神学」という概念を政治思想に導入した。彼によれば、人間界は集団的な敵対関係の世界、大量的な生命の遣り取りの世界である。大量の人間を殺戮し、自らの生命をもその闘争に捧げるためには、個人の生命を超えた価値への信仰が必要となるであろう。政治集団としての国家はそのような信仰体系においては神であり、国家は宗教集団でもある。明治国家における天皇教(国体論)は、敵を殺し、自らの生命をそのために捧げることを求める政治宗教である。自滅への衝動に駆られた国家宗教の信者たちは、天皇を国家機関として捉える非宗教的な国家論(天皇機関説)を、国家宗教の敵とみなし、これを抹殺しようとした。

   岡田啓介内閣の閣僚たち、美濃部の著書を検閲した内務官僚、美濃部を刑事被告発者として取り調べた司法官僚たちは、最初は問題を軽く考えていた。事態が深刻化してからも、美濃部、あるいは金森徳次郎を犠牲にして内閣の危機を乗り切ろうとした(学問の自由などということは、彼らにとって三次的・四次的な考慮事項に過ぎなかった)。軍事国家でもあった日本にとって、殺し、殺されることの正当化としての国家宗教が、学問的国家認識より遥かに重要であることは、その国家のエリートである彼らにとっても当然の前提であったから、政治神学としての国体論に対しては、本質的な抵抗はできなかった。

    「グローバル・スタンダード」の中で生きようとした幣原外交を葬り、満洲事変における中国ナショナリズムとの武力対決政策、国際連盟脱退による世界世論からの孤立政策を選んだ日本の思想界・言論界は、「万邦無比の国体」という標語の下で、外来の事物の中で、槍玉に挙げ易そうなものを挙げる流行の下にあった(制度から武器まで欧米伝来のものである軍隊の西洋かぶれは、槍玉に挙がらない)。美濃部が貴族院の弁明演説などで、「国家法人説・君主機関説は欧米法学界の通説だ」という趣旨を強調したことは、攻撃者にまさに好餌を提供し、「鳥も鳴かずば撃たれまい」と論評された。「西との戦い」(the war against the West)を推進しつつあったナチ・ドイツの成功も、「反英米グローバル・スタンダード」運動に順風を送った。

   当時物理的暴力の担い手である陸軍内部の内紛が、発火点に近づいていた。観念的に国家宗教を信奉する「皇道派」は、天皇機関説狩りにも活躍したが、その敵は「密教」の担い手である西園寺公望元老・高橋是清蔵相・齊藤実内大臣・岡田首相・一木喜徳郎枢密院議長などであった。昭和天皇もその有力な一員であったが、天皇を攻撃できないため、彼らを「君側の奸」と呼んで敵視し、ほどなくその物理的抹殺の挙に出たのである。「二・二六事件」との関連で見るならば、天皇機関説事件はその派生現象という面もある。一木・金森・美濃部という天皇機関説事件の攻撃対象は、彼らの攻撃対象の中では二級の存在であった。

   占領下に始まる戦後啓蒙の世界では、美濃部は殉教者、その迫害者たちは悪玉であったが、米国主導のグローバリズムに対する敵対諸勢力(リビア、イラン、北朝鮮、ミャンマー、ベネズエラ、そしてタリバンなどのアラブ過激派、更には露中、盧武鉉?)が注目を集めつつある現在、多少とも昭和十年代の日本に類似の現象が広く見られる。このことが何らかの意味で、当時の日本についての再解釈の契機となるのかどうか、それは若い世代の歴史意識に問いたいところである。