Odysseusの故郷Ithaca島発見?
▽英国の実業家Robert Bittlestoneが、Odysseus Unboundという598頁の大著で、Odysseusの故郷IthacaはPaliki半島だと主張した。Nicholas Kristofは、Bittlestoneに招かれて、Palikiを一緒に散策した。Homerosによれば、Ithacaは四つの島の最西部の低地の島である。ところが現在のIthaca島は、Ionia海の群島の東端の山岳島で、全然合わない。他方Paliki島は東側の大きなCephalonia島と陸続きであるが、Bittlestoneは、両島を繋ぐ陸橋は、昔水面下にあったのではないかと考えた。Straboが、「この半島は低地で、時に水没する」と言っている。それにこの島は、二つのplatesに押されて盛り上がってきており、1953年の地震で海抜が2 feetも上った。陸橋が昔水没していたという説には英国の地質学者John R. Underhillも好意的である。Homerosの叙述は細部に亘っており、Palikiと見事に一致している。BittlestoneはKristofを、Odysseusが上陸したと思われる北部の浜に案内した。多分ここに到着する前に停泊したのはCorfu島だろう。CorfuからPalikiに船旅をしてみると、Homerosの描く景色を連想させる。Homerosが描いた「海に突き出した絶壁の岬」もある。問題は、Homerosによればこの近くに二つ入口のある洞窟があるはずだが、今はそんなものはないことである。しかし長い間に地下に埋まった可能性もあり、Bittlestoneは「地下の洞窟が発見され、そこからHomerosの原典が出てくるのではないか」と目を輝かしている。Odysseusが上陸して赴いた豚飼育場らしいところは、現在は羊飼育場になっている。その先のKastelliはOdysseusの宮殿跡の候補だ、と。CambridgeのAnthony Snodgrass教授はそこで、先史時代の砦跡や土器のかけらを発見した。Bittlestoneの新説は、SnodgrassやHarvardのGregory Nagyなどの支持を受けている(Herald Tribune 3/12/2012)。
▽2009年6月25日のJapan Timesの記事:皆さん紀元前8世紀の詩人ホメロスの叙事詩、『イリアス』と『オデュッセイア』のことはご存知でしょうが、ギリシャ軍がトロイを征服した帰り、船が嵐に襲われて、イタケー王オデュッセウスは長い間地中海を漂流し、色んな島で女性に誘惑されたり、冥土でアキレウスの霊に会ったり、冒険を重ねます。
他方留守のイタケーでは、奥方のペネロペイアが、「もう亭主は死んだに決まっている、早く我々の誰かと再婚しなさい」と迫る求婚者たちのハラスメントに必死で抵抗して日々を送っています。そして遂にオデュッセウスは変装して帰国し、求婚者たちを徹底的にやっつけて、奥方と感激の対面をするのですが、その求婚者たちをやっつけた日が、紀元前1178年4月16日だということが判明したというのです。
魔女やら冥土やら、漠然たる夢物語の話から、突如として4月16日という日まで特定されて、「ほんまかいな」と首をかしげざるを得ませんが、マニャスコという古典学者とバイクージスという天文学者の協力で、その日が日蝕であったこと(『オデュッセイア』XXIII邦訳下巻p.291)、当然新月であったこと(XIV, p.42)、その6日前に金星が早朝出ていたこと(XIII,p.15)、29日前に「すばる」や牛飼い座が夕方同時に見えたこと(V,上巻p.141)、33日前に水星が夜明けに現れたこと(V,p131)などの記述から見て、まさしくこの日以外にあり得ないというのです。
『イリアス』や『オデュッセイア』の記述については、ホメロス創作説と伝承承継説が対立しており、僕は後者の熱烈な支持者で、具体的日時まで示されたことで、叙事詩はトロヤ戦争後間もない時期に史実に即して歌われたものだという説に有利ではないか、と感じられます。あの後しばらく、僕に会った人は誰も、このことの講釈を聞かされました。