池田温・劉俊文編『日中文化交流史叢書2』「法律制度」
本書は『日中文化交流史叢書』全十巻中の第二巻に当たり、日中両国の研究者各六名の作品を収録している。第一章古代は律令制度の継受、第二章近世は享保期明律研究の意義と影響、第三部近代は清末における日本法導入の試みと満州国民法の制定経過、第四章は元号制と弁護士制度の日中比較を論じている。何れも興味深いが、特に小口彦太「満州国民法典の編纂と我妻栄」は、考えさせられるものをもっている。
満洲国は発足当初より法制度整備に尽力したが、1935年から基本法典編纂に着手した。「審核員」とよばれた顧問は、民法は穂積重遠・我妻栄、商法は松本烝治・田中耕太郎、民訴法は池田寅次郎、刑法は泉二新熊、刑事訴訟法は小野清一郎であった。小口論文はこの中で我妻栄の民法典起草活動を検討している。
著者によれば、我妻は中国への積極的な関心を欠き、立法作業は「自分の民法学の応用編」という位置づけで会った。成立した法典(以下「満民」と略す)は、日本民法の引き写し、せいぜいその「不備についての解釈論上および判例上の修正を組み入れる以上のものではなかった」という。
日民180条が占有に「自己ノ為メニスル意思」ということへの我妻の批判は、「事実上の支配」のみで足りるとする客観主義として条文化され、日民378条以下の滌除制度は、抵当権者の利益に不当な不利益を与えるという批判のゆえに採用されず、日民534条の危険負担における債権者主義に対する学界の批判は債務者主義に結実した。妻の無能力(14条)は当時の日本の良識を背景として除去された。
不動産登記を対抗要件とする日民177条の規定に対し、満民は登記を効力発生要件とし、登記に公信力を与えた。これは登記制度未整備の満州国においては非現実的規定であった。我妻の主観的意図はともかく、日本人の土地取得を保護する機能をもった。
満民は入会権を総有とし、成員の分割請求権を否定したが、後に行なわれた慣行調査によると、中国農村には日本の入会のような地縁的共同体は見られなかった。「日本人の思い込み」による立法錯誤のようである。
実定法学者は、一度は立法者になりたいという願望をもつものらしく、代表的法学者たちの、満州国や汪精衛政権における立法活動も、彼らのそういう願望の実現であろう。著者は「日本の中国侵略に、我妻栄をはじめとして錚々たる法学者たちが加担したという事実を重く受けとめておくべきであろう」と言っている。
坂上康俊・大津透両氏の律令論は、国史学卸の研究の専門性に感嘆した。則天武后の統治が、光明皇后・孝謙天皇の体制の模範とされたこと、天皇の礼服が伝統的に白なのに、中国皇帝のは、赤い服に日月七星や猿・虎などを描いた「あまりに異質」なものだったので継受されなかったなど、初耳なことに満ちている。(『法学セミナー』1997年8月号)