KelsenSchmitt日本国家

●Kelsenは人類の法秩序を集権・分権という枠組の下で、一つの相対的なsystemとして捉える。

諸々の権限がelevatorのように上ったり下りたりし、時にある場所に大きく権限が集中したりす

る。それでも相対的集中なのだが、人間はそれを人格・実体として観念するから、そこに全権限

が集中したかのような錯覚をする。「中世Europeの普遍的秩序が解体して、上位に権威を承認し

ない主権国家の並立体制になった」という叙述も擬人的誇張であり、実際には17世紀のEurope

て相対的に分権的な秩序である。「imperiumdominiumが分離し、公権と私権の間の中間的権威

が排除された」というのも、実体化的比喩のもたらした比喩的表現であり、実際には両者の間に

中間的権力や共有の諸形態が介在している(http://book.geocities.jp/ruichi_nagao/Kelsen-Schmitt.html)

前近代の極東法秩序において、(少なくとも白村江以後は)日本は相対的に独立し、孤立した

systemであったから、これを擬人的・実体化的単位とする思想は存在する。この日本の中での諸

政治的単位は、集権的になったり分権的になったりしながら推移した。その中である程度の集権

的なまとまりを国家として捉えることもできるであろう(戦国期・江戸期には藩が「国家」と呼

ばれることがあった)。日本人たちは、時代により、思想により、こういう諸集団の、ある時は

あるものを、他の時は他のものを、「国家」に相当するものとして、儒学などを参照しつつ論じ、

また忠誠対象としてきた。これがKelsen的に捉えた日本国家史である。

●Schmittは、1941年の論文において、Staatは「特定の歴史的時代と結びついた、特殊西洋的な

概念」であると言っている。それはJean Bodinに代表される16世紀後半のフランス思想が、その

独自の「合理主義」をもって作り出した、陸上を分割した政治systemであるという。「幾何学的

厳密性をもって画定された国境観念」などというのも、Descartesを生みだした時代精神の産物で

ある。しかし他方にこの時代、海洋自由の原則を基礎とする英国の「海の帝国」が成立しつつあっ

たという。この「陸と海」の秩序というmodelは極東史理解にどういう意味をもつか。「特殊西洋

的概念としての国家」観念を極東に導入した意味。

●Schmitt1932年の論文において、西洋帝国主義が「文明」概念によって世界を「文明」「半文

明」「非文明」に三分し、その各々に主権国・半主権国・植民地という地位を割り当てた、という。

中韓日は「半主権国」という地位を割り当てられ、不平等条約を押し付けられた。そこから主権国

家の地位を獲得するための「条約改正」が明治の国家目標になり、1898年に達成する。そこで「主

権国家の権利」に基づいて、西洋諸国に「半主権国家」と扱われていた朝鮮を実質上「植民地」に

格下げした。更には中国の一部を植民地化しようとし、遂には東アジア全体を覇権下に置こうとし

た。丸山眞男は「超国家主義」という言葉は二つの意味をもつと言っているが、「超国家主義A]

Ideologieをもちつつ、「超国家主義B」を実現しようとした日本が惹起した憎悪は現在もなお生

々しく存続している。だが現代中国は、もっと大規模に、同じことを実践しようとしている――

と。