カント研究会編『自由と行為』
「カント研究会」は、既に10年の歴史をもつ、中堅・若手哲学研究者の集団である。上智大学の一室に毎月集まって2人ずつ報告し、各報告者について2-3時間の討論をする。その成果が逐次刊行されて、本書は第6巻目に当たる。
本書は、法哲学に縁の深い「自由」「自律」「倫理」などを論じた7つの論文と、3つの書評、1990-4年の「日本におけるカント文献目録(抄)」などが附されている。「目録」によれば、5年間にカントを主題とした単著18冊、論文三百数十点に及ぶ。私の研究対象のケルゼンやシュミットなど足もとにも及ばない。
カント実践哲学の中心概念「超越論的自由」は、久呉高之氏の序言によると、「得体の知れぬ暗冥さ」をもち、その「深淵を覗き込む者に、或る種の〈不安〉すら抱かせる。本書の著者たちは「カントが分かっていない人々」で、彼の所説を「小ぎれいに整理したりすることを意図していない」。彼らはカントの議論を「執拗に、とことんまで論じ詰め」「どのように〈カントが分からない〉のかを各自の仕方で確認する」という。
こうした著者たちに対しては、「『無知の知』を自覚しつつ、知的良心に厳格に忠実で、難解な古典の解読という浮き世離れした営みに献身しつつ生きる」研究者の模範として、襟を正さざるを得ない。
だが叱られることを覚悟の上で言うならば、2世紀に亘り何百人ものすぐれた研究者が理解できない難解さとは、著者が根本問題を解決できず、、しかもそのことを難解な文章の中に覆い隠しているのではないか、という疑問を抱かせる。
カントは、ニュートン物理学を宇宙に関する究極的な真理と信じていた。古典的神学によれば、世界の超越者としての神は、その超越的自由によってこの世界に介入する。その介入が奇跡である。
「人間精神は神の超越的自由の分有者である」という命題も古典的神学の説くところで、精神は肉体の属する物理的世界に小さな奇跡を惹き起すことができる。そうだとすれば、人間界はニュートン物理学がほとんど妥当しない、奇跡に満ちた世界だということになる。
この帰結の肯定はニュートン物理学の否定に連なり、その否定は倫理学の否定に連なる。これがカントの直面した困難である。このアンティノミーの前で迷ったカントは、結局それを解決できなかったのではないか。彼の説くtranszendentとtranszendentalの違い、超越的自由と超越「論」的自由の区別の中に存在する「得体の知れない暗冥さ」は、そのことの表れではないか。
本書の諸論文は、あまりにカント内在的で、もう少しカントから「超越する自由」をもってもいいのではないか。「カント研究」から「哲学」へと発展するためには、例えばニュートン的宇宙でなく、素粒子論的宇宙なら問題はどうなるのかというような、カント外在的な問いも発するべきではないか、と感ずる次第である。(『法学セミナー』1997年12月号)