ケルゼンの世界
長尾龍一
フランシス・ベーコン
ハンス・ケルゼン(Hans Kelsen, 1881-1973)は、その国法学上の処女作『国法学の主要問題』(一九一一年)を次の言葉で始めている。
ヴエルラムのベーコンは、「大革新」(Instauratio magna)において、「本書を私見(opinio)ではなくopus(完結した作品)だと考えて欲しい」と言っているが、私も同様な願望をもって本書を公刊する。この願望には、以下に展開される一般国法学上の論述が、個々の帰結を個別的に評価するのではなく、体系的全体として、その一体性において評価して欲しいという願望も含まれている。それというのも、個々の問題の解決が全体系との関連においてのみ探求さるべきだという要請が、法学ほど切実な分野は存在しないからである。(Hauptprobleme der Staatsrechtslehre:
Entwickelt aus der Lehre vom Rechtssatze, 1911, p.III)
ベーコン(Francis Bacon,
1561-1626)は、中世的学の在り方と訣別し、経験的・帰納的基礎に基づいた新たな知の体系を構築することを唱えた人物で、上の引用は、アリストテレスの『学問論』(Organon)に代る『新たな学問論』(Novum
Organum)の序文を樹立しようとする綱領を述べた著書の序文にある。
ベーコンを承継しようという意志は、法学という中世的学問を近代自然科学の精神によって革新しようという意志と結びついているであろう。そのことは、本文の巻頭に、統計遺伝学者カール・ピアソン(Karl Pearson,
1857-1936)の『科学の文法』(Grammar of Politics, 1892)よりの引用(正確には第二版(1900年))を、モットーとして掲げていることからも窺われる。
ケルゼンは自然科学的志向の持主で、一九〇〇年ギュムナジウムを卒業した時には、大学で「哲学・数学・物理学」を学ぶことを志していたが、兵役によって頭が悪くなったと感じ、またそれでは高校教師くらいしか職の見通しがつかなかったことから、やむを得ず法学部に入学した。彼は一生それを悔やんでいた(zeit seines
Lebens bedauert)という(Rudolf Aladár Métall, Hans Kelsen : Leben und Werk, 1969,
pp.4-5)。
ケルゼンがモットーに掲げたピアソンの(英文の)引用は次のようなものである。
国法(civil law)は命令(command)と義務(duty)に関わるが、科学の法則(scientific law)は指示(prescription)でなく記述(description)である。前者は特定の社会で特定の時期にしか効力をもたないが、後者はすべての正常な人間に妥当し、(人間の感覚器官が同一の発展段階に留まる限りは)不変である。多くの哲学者は、法則は反復された知覚の連鎖であると考える。ところがこの連鎖が外界に投射(project)され、人間的条件に服さず、人間から独立した外界の一部と解釈される。こうなると、「自然法則は人間に認識される前から存在する」ということになる。不幸にしてこの考えは現代においてもなお一般的である。(Hauptprobleme, p.3)
ここでは自然法則は客観的世界の属性ではなく、認識主体の側の「知覚の連鎖」であると解釈されている。ケルゼンは、本文において、マッハ(Ernst Mach,
1838-1916)を援用しつつ、「自然法則は対象の中にあるのではなく、思考の定式(gedankliche Formel)である」と言っている(Hauptprobleme,
p.6)。
マッハ主義は、「存在することは知覚されることである」(Esse est percipi.)と唱えたバークリ(George Berkeley, 1685-1753)の現象主義(phenomenalism)の物理学版で、現象を超えた人格や実体を否定し、それらを現象に還元しようとする。例えば「原子は陽子と中性子から成る原子核と、それをめぐる電子から成り立っている」というような命題を、知覚によって知り得ないものへの言及で、知覚的世界を説明するための「理論的構築物」「フィクション」と解する。
形而上学的命題を経験命題に還元しようとする「還元主義」(reductionism)は、マッハ主義の後継者である「ウィーン学団」(Wiener Kreis)の論理実証主義の綱領であるが、人格概念や実体概念を解消しようとするケルゼンの志向と共通している。
ハーン(Hans Hahn, 1879-1934)、クラフト(Viktor Kraft, 1880-1975)、シュリック(Moritz Schlick, 1882-1936)、ノイラート(Otto Neurath,
1882-1945)、ミーゼス(Richard von Mises, 1883-1953)など初期の論理実証主義者たちはケルゼンと同一世代、ミーゼスは親友の経済学者(Ludwig von
Mises, 1881-1973)の弟で、友人であった。シュリックの著作『近代論理学における真理の本質』(Das Wesen
der Wahrheit nach der modernen Logik)
が一九一一年、『一般認識論』(Allgemeine Erkrnntnislehre)が一九一八年と、学界への登場時期もほぼ並行している。ケルゼンの学派(ウィーン法学派)に属していたカウフマン(Felix Kaufmann,
1895-1949)はウィーン学団の一員でもあった。
カント
ところで、冒頭に掲げたベーコンの言葉は、カント(Immanuel Kant,
1724-1804)が『純粋理性批判』(Kritik der reinen Vernunft,
1781)の冒頭に掲げたもので、学知を、ドグマティズムと経験論を克服した、新たな認識論的基盤の上に再構築しようとした彼の意気込みを反映している。ケルゼンは、この言葉を引用することによって、ベーコンのみならず、カントの学問的革新を承継しようとしたのである。
ケルゼンのマッハ主義的自然科学理解は、法学に直接には適用できない。それは上述のピアソンの引用にあるように、法学が記述でなく指示に関わり、命令や義務に関わるものだからである。そこでベーコン的革新に代ってカント的革新の出番となる。即ち自然科学の領域、『純粋理性批判』から、『実践理性批判』の領域へと場が移るのである。
ケルゼンはまず、法学の対象たる法と、自然科学が探求する法則との間の並行関係を指摘する。まず法も法則もGesetzという言葉を共有しているが、その理由は人類精神史の古層に由来する。最古の人類は、支配者の命ずる法に諸物が服従する法秩序のようなものとして自然をとらえた。それ故Gesetzという用語が法から法則へと受け継がれ、自然科学の発達によって、人間精神がそのような観念から解放された後にも、その来歴が言葉に残っているのである(Hauptprobleme, p.4)。
この法と法則の並行関係は、ケルゼンのカント主義的前提と関わっている。カント主義者として出発したジンメル(Georg Simmel,
1858-1918)は、当為(das Sollen)を根源的範疇(ursprüngliche Kategorie)とよんでいるが(Einleitung
in die Moralwissenschaft, 1892, p.8, Hauptprobleme,
p.7)、ここでの範疇とは、『純粋理性批判』における「悟性の形式」という意味ではなく、むしろ『実践理性批判』における「純粋実践理性の形式」に相当するものであろう。ここに理論理性と実践理性を並行関係においてとらえるカント哲学の枠組が承継されているように見える。
ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer, 1788-1860)は、「悟性の形式」としてカントが掲げた十二の範疇表は哲学的に無意味で、因果律のみが表象界の範疇だとしている(“Über die
vierfache Wurzel des Satzes vom zureichenden Grunde, ”Sämtliche Werke, Bd.I, p.77) 。ケルゼンが「存在」(das Sein)の範疇を当然のことのように因果律としていることには、ショーペンハウアーの影響があるのかも知れない。初期のケルゼンは、『国法学の主要問題』における彼の体系が、ヘルマン・コーヘン(Hermann Cohen,
1842-1918)のそれと類似しているというエヴァルト(Oskar Ewald, 1881-1940)の指摘を肯定的に受け容れた(Métall, p.)。コーヘンは、「純粋認識の哲学」と「純粋意思の倫理学」並行関係においてとらえており、理論理性と実践理性を並行関係においてとらえるカントの図式を承継している。ただ、実践理性の概念を「論理的に不可能」であるとして否定し(Reine Rechtslehre II, 1960, 419)、カントが実践理性を「意思」と同視していることを、本質的に異なったものの混合として批判したように(p.423)、ケルゼンがどこまでカント主義者かには、問題がある。
ともあれ、カントは英国経験論の衝撃(ヒューム(David Hume, 1711-1776)の懐疑)によって「アプリオリな総合判断」の可能性を疑い、純粋理性・悟性の形式に属する数学・幾何学・論理学においてのみそれが可能であるとした(論理実証主義は、これらも「分析判断」だとする)。従ってカントの世界は、主観の側の純粋形式と客体の側の経験のみから成っている。
ケルゼンはこの世界像を承継した。即ち、彼の規範的理論体系においても、無内容な規範の純粋形式と、それを経験界に適用した実定的規範と、その対象である経験的世界のみが存在する。そこから論理実証主義者たちが、物理的世界から形而上学的実体を消去しようとしたことに並行する彼の試み、即ち規範的世界から人格や実体を消去しようとする試みが生ずる。
規範的範疇
「人間は自然と社会という二つの環境の中で生活しており、自然を支配する法則が因果法則、社会を支配するのが道徳や法等の規範の法則である」と、これはある程度まで常識的な物の観方であろう。しかし(ケルゼン風)カント主義者の眼から見ると、これは認識の「コペルニクス的転回」以前の物の観方である。人間に先行して自然や社会が存在するのではなく、人間が因果律の範疇をもって経験的世界を見るとき、世界は自然となり、規範的範疇をもって世界を見るとき、世界は社会となる。初めに範疇ありき、である。
我々いわゆる「近代人」は、自然を因果律の範疇で、人間を規範の範疇で捉えているように見える。確かに例えば幼児が我がままを言って泣きわめくとき、「言うことを聞かない悪い子だ」と叱ったり打ったりするのは、規範的範疇で子供を理解している。しかしそれに対し「腹が減ったのだ。おやつをやったらおとなしくなるよ」と何かを食べさせるという態度は、因果的範疇で子供を捉えているのである。
おとなの犯罪者についても、応報刑論のように、「非難」という枠組でこれに対処するのは、規範的範疇によるもので、ロンブローゾ(Cesare
Lombroso, 1835-1909)やフェリ(Enrico Ferri, 1856-1929)のように、犯罪を遺伝や環境の産物として捉え、何らかの措置によって社会を犯罪から防衛しようと考えるのは、犯罪を因果的範疇で理解している。近代人は、自然をもっぱら因果律の範疇で、人間は因果律と規範という二つの範疇を併用しつつとらえているのである。
この範疇の先行という思想を徹底するならば、自然をもっぱら規範の範疇で捉えることも、人間をもっぱら因果律の範疇で捉えることもできるのではないか。ここに範疇史としての人類精神史という、ケルゼンの壮大な思想史理解となる。即ち、一切を規範的範疇で捉える「未開人」から、規範的範疇の対象を人間(と高等動物)に限定して、他は因果律で捉える「近代人」、そしてひょっとして人間の一切の行動を因果律で捉えるようになる「未来人」への推移である。これが彼の大著『応報律と因果律』(Vergeltung und Kausalität, 1941)(英語版『社会と自然』(Society and Nature, 1943))の描いた人類精神史である。
もっとも、「自然を因果律の範疇で捉える」とか「自然を規範の範疇で捉える」とかという言い方は正確でない。自然とは因果律で把握された対象であるから、前の命題は同義反復であり、後の命題は「近代人が自然とよぶものを規範の範疇で捉える」と言い直すべきである。規範の範疇で捉えられたものは、「自然」でなく「社会」である。
万象を規範的範疇で理解する「未開人」には自然はなく、社会のみが存在する。太陽も月も星も、山も川も海も、「人格」(Person)であり、「賞罰」「報恩」など「応報律」に従って「行動」している。呪術や神話は、そのような世界観によって支配されている。
「帰属」(Zurechnung)
ケルゼンによれば、規範的思惟の核心は帰属(Zurechnung)である。「帰属」とは何か?
Rechnenは「計算」、zuがつくと、「費用のつけをまわす」というような意味になり、ヒース(Peter Heath)はこれをaccountingと英訳している(Kelsen, Essays
in Legal and Moral Philosophy, edited by Ota Weinberber, 1973, p.154)。功罪を評価して、賞金を出したり、罰金を払ったりするというのがもとのイメージであろう(Zurechnungには「帰責」という訳があるが、「功罪」の「功」の方が無視されている。「報い」は功罪を含む概念なので、「帰報」という訳語を考案したが、何となくなじまない。「帰属」も余りいいとは思えないが、横田喜三郎・清宮四郎などの先達に敬意を表して、これに従う)。
規範的思惟においては、ある人間の行為やそれに関わる事実を評価し、それに賞罰を加える。この行為や事実と賞罰との関係は、因果関係ではなく、独特の規範的関係で、これをケルゼンは「帰属」と名づけた。
ところが我々は、この両者の関係を人格(Person)の概念を用いて繋ぐ。例えば高速道路で交通事故があると、「これは過労で運転手を眠らせたトラック会社の責任で、従ってトラック会社に損害賠償を払わせる(どうしても支払わなければ会社財産を差し押さえて、競売に付し、売却代金を被害者に渡す)」ことになる。即ち法律要件に当る事故の責任をトラック会社に「帰し」、法律効果において会社に責任をとらせる(差し押さえ等の行為は「会社に向けられたもの」と解釈される)。要件と効果を結びつける規範があれば、規範的思惟は成立するが、何事も擬人化せねばやまぬ人間の思惟に潜むアニミズムの性癖によって、規範的恣意にはこのような人格概念が附随する。
この人格(Person)は、規範的思惟が作り出す観念的な帰属点(Zurechnungspunkt)であるが、我々はついこれを心身をもつ人間(Mensch)と混同する。人格が人間の比喩であるとすれば、比喩は現実と混同される。ここに規範的思惟の混乱の原因があり、規範的思惟の学である法学の混乱の多くもそれに由来する。従って法学の固有の規範的思惟を、この比喩から純化しなければならない。これが即ちケルゼンが意図するところである。
人間の規範的思惟の形式的構造の探求というケルゼンの綱領は、人類思想史の全体に及ぶ射程をもつ。
『社会と自然』(Society
and Nature : A Sociological Enquiry, 1943)において、ケルゼンは、アニミズムを規範的世界認識として性格づけ、そこでは世界の事象は「功と賞」「罪と罰」「恩と報恩」「加害と復讐」というような規範的関係として解釈されるとした。そしてそれには、現象の背後に人格(心=anima)が存在するとする人格的思考が随伴し、世界は死者の霊魂や精霊に満ちた人格的世界として理解される。山には山の神がおり、充分な儀礼をせずに山に入った者は、神の怒りによって、落石に撃たれたりする。懲罰は神の「意思」、落石は神の「機関」ということになる。
また論文「神と国家」("Gott und Staat," Logos, 11.Bd., 1922)等において、一神教的世界を規範論理の適用として再構成している。
、「国家の問題はつまるところの問題である」と言っている("Staatsunrecht, " p.16)。
法規範の普遍的形式
『国法学の主要問題』においてケルゼンが試みたのは、「法的当為の純粋形式」を体系化しようとする試みである。それは、法学論としては、実定法の価値判断に自己の価値判断を適当な混合率で混ぜて「学説」として主張する「法解釈学」とも、様々な実践的動機を隠秘に導入しつつ「学問」を装って展開される擬似学問(法教義学Rechtsdogmatik)とも異なる。それは法秩序の形式を、無内容ではあるが、いわば数学的明証性をもった体系として示すことにより、ドイツ国法学やパンデクテン法学の擬似学問性を明るみに出すことを目標としたものである。
この試みが、法解釈学以外の法学があり得るとは夢にも思わない法解釈学者たちに全く理解されず、また自らの持する擬似学問の学問性に何の懐疑も抱かない法教義学者たちに嫌忌されたことは想像に難くないが、必要以上に無理解と排斥を招いたことには、ケルゼン自身の責任もある。「反ケルゼン主義の諸源泉」を論じ始めれば一論文が成立するが、ここで唯一指摘するとすれば、彼が自らの形式的体系を「法学」(Jurisprudenz)そのものであるかのような論じ方をしていることもその一因であろう。次のような主張も、もう少し言い方を変えれば、多少はましな受け容れ方をされたのではあるまいか。
法学が形式を、形式のみを認識するものであるとすれば、法概念も一貫して形式的要素のみを問題とすべきである。それ故構成的法学(konstruktive
Jurisprudenz)において、法概念に形式的要素と実質的要素を結合することによって、法学の「スコラ的」形式主義を避けようとする傾向は排斥されねばならない。純粋に形式的な方法に対しては、それが生の現実を理解せず、現実の法生活を解明しないために「不満足な結果」しかもたらさないというような非難が繰り返し浴びせられるが、それは法学の本質についての全くの誤解に基礎を置いている。法学はそもそも現実を理解したり、生活を解明したりすることを任務としないのである。形式的法概念を無内容だと非難することは、現実の物体の形状を把握しないからと、幾何学を非難するのと同様である。・・・
イェリネックは、「法を純粋に形式的に構成するなどということは不可能事である」と言い(Die rechtliche Natur der Staatenverträge, 1880, p.43)、また「現実の生活状況を全く無視して、学問的に有意義な結果に到達することは不可能である」とも言っているが(Gesetz und Verordnung, 1887, p.235)、賛成できない。(Hauptprobleme, pp.93-94)
この言い方はミスリーディングで、これではまるで、哲学的ドンキホーテのシュタムラー(Rudolf
Stammler, 1856-1938)のようである。こういう言い方をせずに、「構成的法学は法学の一部に過ぎず、私のなそうとしている法の純粋形式の定式化は、極めて限定された任務しかもたない。しかしそれが各大学で学問として重々しく講じられ、権威ある大著として世に出ているドイツ国法学やパンデクテン法学の擬似科学性を明らかにすることにより、どれだけの破壊力をもつかは、仕上げを見て欲しい」と言えば、やはり反撥する人々は反撥するであろうが、誤解に基づく反撥は、よほど少なくなったと思われる。実際彼は、二年後に公にした雑誌論文「国家不法論」("Über Staatsunrecht," Zeitschrift für Privat-und öffentliches Recht der Gegenwart, 40.Bd.,)において次のように言っている。
私の研究成果は形式的なものである。しかしあらゆる法秩序に妥当し、法の観念自体から導き出される普遍概念が、すべての特殊的・内容的要素を捨象した、純粋に形式的な方法以外のものによって構成されると考えるような人、またそのような概念の価値を疑問視し、普遍的法概念の論理的に完結した体系を創造しようとする試みを下らない遊びごとと看做すような人は、縁なき衆生である。また原則的には普遍的概念を構成するための規範的・形式的方法を容認するが、法実務への誤った顧慮によって首尾一貫する勇気(Mut der
Konsequenz)を失い、何らかの妥協的解決に媚を呈し、厳格な論理の帰結をいい加減に逃れようとするような人物も同様である。
私が「論理的に過ぎる」という批判をしばしば耳にする。こんなことは学問において言うべきことではないし、特にこの場合はそうである。それが私に対する唯一の批判であるならば、私はそれを誇りに思う。・・・私が論理の可能性を過大評価していることはできないはずである。私はその純粋に形式的性格を充分自覚しているつもりである。・・・論理の有効性は極めて限局されたものだ。しかしその狭い領域の中では、論理は唯一絶対の女王である。(pp.3-4)
普遍的法概念の論理的に完結した体系を創造する、というのが、ケルゼンの意図である。カントの体系において、理論理性の領域は、抽象的・形式的な範疇と、それによって経験を認識する経験科学があり、実践理性の領域も、形式的な定言命法とそれを現実に適用する諸原則が存在する。それと同様に、ケルゼンの体系においても、法の一般理論と実定法学が存在し、後者の領域についても、彼には初期の『オーストリア帝国議会選挙法註釈』(Kommentar zur österreichischen Reichsratswahlordnung, 1907)や、『オーストリア公法』(Österreichisches Staatsrecht, 1923)、『国際連盟規約論』("Contribution à la révision juridico-technique du Statut de la Société des Nations")、『国際連合の法』(The Law of the United Nations, 1950)など多くの業績がある。『国法学の主要問題』は、法の一般理論という規範の領域において、「純粋形式」の体系を構築しようとしたものである。