木野主計『井上毅研究』

   本書は12の論文から成る。私はこの5月、往復3時間の通勤中、毎日少しずつ読み進み、10日ほどで読了したが、どの論文からも新鮮な発見をした。

   「諸子ヲ読ハ、誠ニ余力ヲ虚シクセザルマデナレバ、本業ヲ欠テ、彼ヲ求ムベカラズ、暇少ナキ人ハ読マズトモ欠ルコトナカルベシ」(儒学古典以外の中国古典思想家の研究は、暇潰し以上のものではなく、そのために儒学研究を犠牲にすべきではない。暇のない者は読むに及ばない」(p.51)。

   法制官僚・政略家井上毅の素養には、法家・兵家など「諸子」の影響が大きいように推測されるが、若き井上のこの一節は、彼の思想的背景が正統派朱子学であることを示している。著者も「家族論・・・等の社会の最も基礎的構造部分において、井上の論は程朱学以上に出ることはなかった」と指摘している(p.55)。

   幕末仏学を志し、フランス留学後仏法の研究・紹介に尽力した彼の仏法的背景は、明治14年政変以後の独法推進者のイメージに隠れて注目されていないが、仏法の知識は抵抗権思想にまで及び、植木枝盛にも影響した。また彼は西南戦争中、出身藩熊本城の防衛戦に深く関与、戦後復興にも尽力し、熊本の友人たちとの交友も永続した。

   14年創刊の官報を、社説抜きの純粋の「官誌」としたのも彼で(p.408)、「日本主義」の代表者陸羯南とは、官報局以来親しかった。陸は21年官報局を去り、新聞界に身を投じたが、これは井上との連携プレーではないかという仮説を著者は提出している(p.413)。

   一巡査がロシア皇太子を襲った「大津事件」に際し、皇族謀殺罪として死刑を科そうとした政府の圧力に抗して、大審院長児島惟謙が、罪刑法定主義と司法権独立を護ったことは有名だが、政府内で超法的措置に反対し、伊藤などを説得して、政府の決定を逆転させ、児島の抵抗を勝利させたのが井上である。また自由党の宣言文に政府侮辱の文言ありとして、警察当局が板垣退助等を告発した25年の事件に際し、井上は強くこれに反対、伊藤・山縣両元老などを説得して、訴追を中止させた。

   論文「南進論の系譜と井上毅」は、帝国主義者井上を側面照射している。行政権・立法権・司法権・検事・告訴・公正証書・陪審など多くの法律用語が井上の考案によるという指摘も、箕作麟祥などに注意を集中してきた日本近代法律用語史への重要な貢献であろう。もっとも藤井貞文に従って、「万世一系」の語を明治5年森有礼米国派遣の国書が我が国における最初の使用例であるとするのは(p.382)、明治2年岩倉具視の三條実美宛書簡(坂本是丸『明治維新と国学者』p.7に引用)から見て疑問であろう。

   本書から我々は、「明治国家形成のgrand designer」井上毅、及び彼をめぐる明治期前半の重要な多くの史実のみならず、「物を書く以上は、新たな発見や視点を学界に提供すべきである」という学問の作法を教えられる。

                                         (『法学ゼミナー』1995年8月号)