松本清張「鹿地亘事件」(文春文庫)[未完](ページ数のないものは秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』より)
1903.5.1. 鹿地亘(本名瀬口貢)生る(115)。
1926.12 鹿地、新人会入会。
1927.3 鹿地、東大文学部国文学科卒。
労農党東京中部支部書記長。
1928.4 鹿地、無産者芸術家団体協議会(ナップ)中央委員。
1929.2 鹿地、プロレタリア作家同盟(ナルプ)中央委員。
1932.1 鹿地、日本共産党入党。
1932.4 鹿地、ナルプ書記長。
7-9 鹿地、拘置。
1933.2-9 鹿地、拘置。
1934.3.12 鹿地、リンチ共産党事件で検挙(115)。
9. 鹿地、入獄。
1935.10.3 鹿地、転向出所。
10.11鹿地、判決(懲役2年、執行猶予5年)
1936.1 鹿地、上海渡航。
1937.11 鹿地、香港に移る。
1938.3 鹿地、漢口に移る(軍事委員会政治部設計委員)。
1939.5 鹿地、重慶へ。
1939.12 鹿地ら日本人民反戦同盟結成。
1941.8 日本人民反戦同盟解散。軍事委員会政治部鹿地研究室創設。
1946.5 鹿地、博多に帰国。
1947.4 鹿地、参議院選挙に立候補、落選。
1947 春 三橋、モスクワ郊外で暗号などスパイ技術の教育をうける。
1947.12 三橋、シベリアより舞鶴港に帰国(122)。
1948.1月上旬 三橋、CICより元岩崎邸に召喚され、米軍spyとなることを誓って1万円を受け取る(123)。
1948.1.12 三橋、「レポ」(ソ連人らしい男)と上野で会合(121・2)。
1.17(?) 三橋、「レポ」より3万円を受け取る(123)。
1948. 8 佐々木克己、三橋の「レポ」となる(122)。
1949.3下旬 三橋、ソ連代表部で無線送信の任務を授けらる(123)。
8. 三橋、信濃町駅前で「レポ」佐々木に会い、2万円を受け取る(124)。
1950.11 佐々木自殺(122)。
1951. 8 三橋、ソ連代表部から指令を受ける(124)。
8.31(三橋によれば)鹿地、三橋の「レポ」となり、鵠沼で会う。以後都合10回会う(122,12)。
1951.11.25 鹿地、鵠沼にて拉致される。岩崎別邸に監禁。光田が監視(111)。
29 鹿地、川崎新丸子、東銀川崎クラブに移される。山田が監視(111)。
12.2 鹿地、自殺未遂(113)。
12.末-1初 鹿地、家族に交通事故に遭ったと手紙。この頃から態度が紳士的になる(113)
1952 2月末 キャノン「私の任務は終った」とガルシェーに後事を託す(114)。
7月 鹿地、代官山に移される(114)。山田、茅ヶ崎から米海軍給与部に移る(117)。鹿地の捜査願い(118)。
11.23 『週刊朝日』鹿地の失踪を報ずる(115・6)。
11.24 山田退職(117)。
12月 鹿地、沖縄に連行。軍用機で戻る(114)。
12. 6 鹿地夫人(池田幸子)、猪俣浩三に鹿地の救出と山田の保護を依頼(117)。三橋、指定場所に暗号文がなく、「発覚」と不安になる、と(122・3)。
12. 7 鹿地、釈放(114)。
12.10 三橋逮捕(121)。斎藤、米軍関係者から鹿地「自供書」を受け取った、という(119)。
12.13 斎藤、衆院法務委員会で、「三橋は身の危険を感じて自首してきた」と報告(121)。
12.27 吉田茂、「その件は沈静しつつある」と発言
12.28 「鹿地・三橋事件捜査報告書」
1953. 8. 4 衆院法務委員会、鹿地、三橋を証人喚問(124)。
1953.11 鹿地、電波法違反で起訴さる。
1961.11 東京地裁判決。鹿地懲役2箇月、執行猶予一年。
1968.2 鹿地、日中友好協会常務理事。
1982.7.26 鹿地亘死す。
池田幸子114-7,
猪俣浩三 117,
内山完三 113,115,117,
榎本 118,
郭沫若 115,
ガルシェー 114,
キャノン 112,114,120,
小林 125,
斎藤昇118-9,
佐々木克己 122,124,
ジミー(白系露人?)114,
宋慶齢 115.
孫文 115,
高橋(ジャック)114,
田中(ビル)(別名光田)112,114,120,
陳誠 115,
三橋正雄 120-6,
山田善二郎 112-3,116-8,
魯迅 115,