『オデュッセイア』の政治学

長尾龍一

紀元前132世紀における東地中海の海洋秩序は、統一政府もなければ警察力もなく、多数の海洋都市国家の角逐する「力の支配」の世界であった。イタケーはそのような海洋都市国家の一つ、しかも小国であった。『イリアス』第二章の「船のカタログ」によれば、トロヤ戦争に参加した船の数が、アガメムノンのミュケーナイが100(松平千秋訳(上)p.69)、クレテとアルゴスが各々80(pp. 72,80)、ネストルのピュロスが70(p.70)、メネラオスのラケダイモン(スパルタ)とアルカディアが各々60(pp.70,71)、ボイオティアとアキレウス率いるミュルミドネスが各々50(pp.66,74)であるのに対し、イタケーは僅か12隻である(p.72)

このような世界においては、海軍と海賊の違いは、規模を除いては殆どない。アレクサンドロス大王が捕えた海賊を叱責したところ、海賊が「私はあなたのやっていることをこぢんまりとやっているに過ぎません」と答えたとアウグスティヌス『神の国』にあるが、アウグスティヌスは北アフリカ港町の住民で、カルタゴ人の子孫だという。カルタゴは地中海随一の海洋国家フェニキアの植民市である。

海賊の常識的定義は「海上を横行し、往来の船や沿岸地方を襲って財貨を強奪する盗賊」(広辞苑)であろうが、ホメロスにおいてはleistesと呼ばれている。求婚者たちをやっつけた後、オデュッセウスは妻のペネロペイアに「この屋敷の中のわしの資産は、そなたが面倒を見てくれ。思い上がった求婚者どもが散々に乱費した家畜については、大方はわしがどこかから掠奪(leissomai)してきて埋め合わせよう」(『オデュッセイア』松平訳(下)pp.295-6)と言うが、このleissomaileistesの動詞形である。

小国イタケーは海賊国家でもあった。オデュッセウスはパイエケス国アルキノオス王に冒険談を語った際も、トロヤからの帰路イスマロスで「町を陥して男たちを殺し、女房たちや莫大な財物を町から捕獲し、誰にも不公平のないようにして、戦友たちに分配した」と誇らしげに言っている(()p.220)。また作り話とはいえ、「九度にわたって、兵と快速の船団を率いて異国に侵入し、莫大な戦利品を得た」とエウマイオスに語っている(()p.46)。またその話の中で、彼の統制に反してではあるが、部下たちはエジプトの田畑を荒らし、女子供をさらい、男たちを殺した(()p.47.アンティノオスに話した作り話も同様()p.139)

ピュロスを訪れた息子のテレマコスが、豪華な食事の接待を受けた後、ネストルに「あなたは何らかの用件で旅をしているのか、それとも海賊か」と尋ねられるが(()p.62)、海賊の可能性のある者にも、晩餐をふるまったのである。しかもテレマコスも海賊であることをを否定していない。オデュッセウスもキュクロプスに同じ質問をされているから(()p.229)、外来者は一応海賊との疑いをかけられたものらしい。

同様の海賊行為は、小都市の専売特許ではない。冥土に降りたオデュッセウスは大国ミュケーナイの王アガメムノンの亡霊に、彼が死亡した理由を尋ねて「牛や見事な羊の群をさらわんとした際とか、または城を陥して女どもを奪わんとして戦ううちに、敵の手にかかって果てたのか」と語りかけた((上)p.295)。トロヤ戦争自体が財貨と女の略奪に終っており、大海賊行為でもある。

オデュッセウスが求婚者たちを殺戮したのが紀元前1178416日だったという説が唱えられている。女神アテネが「夜を長かれと」暁の女神を足止めしたという記事(()p.290)が日蝕を意味し、その日はアポロンの祭礼の日、即ち新月で((下)pp.190,214)、イタケーに到達して間もないオデュッセウスが豚飼いエウマイオスに「先の月が過ぎ、新しい月が始まる頃に」帰国すると言っている(()p.42)。この新月・日蝕が上記の日に当るというのである。傍証としては、早暁の金星(()p.15)、牛飼座・オリオン・大熊座(()p.141)、早暁の水星(ヘルメス)などの記述から計算するとやはり同じ日が決行日だという(Japan Times, June 25, 2008)

紀元前1180年頃に小アジア半島を支配していたヒッタイト帝国は解体した。その年はオデュッセウスの漂浪中ということになるが、それ以前の十年・二十年の時期が衰亡の末期であることに間違いはなく、ギリシャの戦略家たちが、トロヤが後ろ盾を失いつつあることを見て、エーゲ海の制海権を奪おうとしたことは考えられる。そこで各国に呼び掛けて「連合艦隊」を組織したのである。イタケーにはスパルタのメネラオス王自ら誘いにやってきて、後に求婚者の一人となるアンピメドンの家に宿泊した(()p.304)

このようにして各国はトロヤに艦隊を派遣したが、王自身が兵を率いた国も少なくなかった。恐らくは短期で決着がつくと想定して、留守の体制作りも不充分なまま出発したところが多かったのであろう。ところがトロヤ城攻略に思いの他の時間がかかり、各国で様々な混乱が生じた(補給その他から考えて十年というのは長すぎるが)。帰国した直後に、浮気をしていた妻とその愛人に殺されるアガメムノンなどその一例である。

オデュッセウスは出発前、ペネロペイアに「一切お前が管理(melein)せよ」「息子に髭が生えたら、好きな男と結婚して家を出よ」と言い残した(()p.163)。希英辞典によると、meleinは英語のcareである。前者は留守期間全体を含み、後者が自分の死後ということであろう。しかし父母の面倒のことなどを言っているところを見ると、careの対象は「家」のことで、「国家」のことではないように見える。政府はどうなるのか、何も決めていない。

この権力の空白状態の中で「求婚者団」が登場する。彼らは「俊秀ぞろい」で「町中から最も優れた者を選りすぐるとすればこれより他に選びようのないほどの、錚々たる顔ぶれ」である(()pp.303-4)。彼らは、「剛毅の勇士の臥所に入って寝ようなどと大それた気を起」こした悪者とされているが(()p.100)、恐らく権力の空白を憂える青年政治家群であり、公私未分化の時代にあっては、王宮は王の私邸であると同時に市役所でもあるから、ここを会議場に用いたのである。公的会合だから、会合費も王室経費から出させてよいと考えたのかもしれない(江戸時代の各藩江戸留守居役は公費を用いて吉原で会議を開いた)。

ところで、当時の相続法ないし王位継承法によれば、父・王の死後、男系嫡子が幼少な場合、妻ないし妻の再婚相手の男が暫定的に政権を担当するという慣行が存在したと考えられるフシがある。クリュタイムネストラと愛人アイギストスの政権も、王位に就いたオイディプスが先王の妻と結婚したのも、そのことを示唆している。クローディアスが「やがてハムレットに王位を譲る」と言いながら、先王ハムレット王の王妃ガートルードと結婚したのも、そのような王位継承法が前提されている可能性があるし、日本でいえば、天武天皇の死後軽皇子(後の文武天皇)の成長まで天武の妻持統天皇が政権を担当したのも、その種の事例であろう。

しかし先決問題として、オデュッセウスがなお生存しているか否か、あるいは生存しているものとして扱うか、既に死亡しているものとして扱うか、という問題がある。現代民法の言葉で言えば、失踪宣告の可否である。彼らは、オデュッセウスについては失踪宣告をして、この慣習法に従って、ペネロペイアに夫を選ばせ、選ばれた者が権力空白を終焉させるべき王位継承者となる、という方針を決定したのではあるまいか。

大勢の求婚者の中で、有力候補はオピニオン・リーダーのアンティノオスとナンバー・トゥーのエウリュマコスであろう。前者は王位に就こうという野望をもっていた(()p.255)。後者は求婚者中最大の贈り物をした(()p.63)。競争者同士が嫉妬という私情にも拘らず共存し、団結を保ち得たのは、公事を議するために集まった合議体だからであろう。

だが近代政治学の洗礼を受けていない詩人は、「政治的なるもの」の独自の論理を知らないから、すべての登場人物の動機を私的に解釈する。上記の両者がテレマコスに対し、母を実家に帰し、親元から再婚させよと勧めているのがそれで(()pp.40,44)、そうであるとしたら、一私人となったペネロペイアと結婚しても何の政治的意味もなく、ただ飲み食いで他人の財産を食い潰しているだけで、彼らの行動の動機は理解できない。

ペネロペイアは、夫が死亡した可能性を認めつつも心情において堪え難く(彼女やテレマコスやエウマイオスが、「オデュッセウスはもう死んだ」と強調しているのは、一種の「最悪事態観」で、本心はまだ諦めていない)、再婚相手の決定を先延ばしにした。彼女自身の言葉を引用すれば、「わたしの思いは二つの道の間をあちこちと揺れ動くのです――夫の臥所と民の声とを大切に考えてこのまま息子の許に留まり、わたしの資産や召使たち、宏壮な屋敷などの一切をしかと守っていくべきか、それとも今となっては、この屋敷で莫大な結納を贈ってわたしに求婚している、特に身分優れたアカイア人を選び、彼に従って家を出るか」と(()p.199)彼女の発想では、彼女の再婚は「彼に従って家を出る」ことを意味し、王権ともオデュッセウス家の家長権とも無関係な私的発想である。決断を先延ばしにするために、布を織ってはほどくという姑息な時間稼ぎもやがて露見し(()p.40)、彼女は決断を迫られる。

この段階で、息子テレマコスの成人とオデュッセウスの帰国という二つのことが起こり、状況が急転する。テレマコスは母の家長権を否定する形で家長宣言をし、求婚者たちには立ち退きを要求する(()pp.27-8)。彼が母親に冷酷に見えるのは、新家長としての自己主張の故である。王権への新たな挑戦者が登場して、求婚者たちは慌て、アンティノオスはテレマコスに「イタケーの国は、血統上はいかにもそなたが相続すべきものではあるが、願わくはクロノスの御子(ゼウス)が、そなたを領主にはなさらぬようにと祈る」と言う(()p.29)。新たなライヴァルの登場による権力闘争の公然化で、テレマコス暗殺計画へと発展する。

ところがテレマコスは、自分が目指すのはあくまで「家長」の地位で、王権(basileia)については、「老若多数のアカイア人豪族」から選ばれるだろうと言い、それに答えてエウリュマコスも、統治(basileuein)は「神々の膝」の上にあり、テレマコスは「家」をとりしきれと言う(()p.30)。そうであるとすれば、母の再婚も家長権の息子への承継もオデュッセウス家の私事であって、一国の要人の会議が口を出すほどのことではない。しかしこれは私事に目を奪われた詩人の歪曲であり、実際には、彼は主権者の権利としての民会召集権を行使する。彼は議題は公事でなく私事だと強調するが(()p.37)、私事のために民衆を召集できるはずがない。

また、都市のエリート青年団に対抗するには貫禄不足の彼は、小国イタケに影響力をもつ近隣の大国の後ろ楯によって正統性を獲得しようとして、(女神アテネに象徴されている)年長の助言者の助言に従って、ピュロスとスパルタへの旅に出る。アテネの言葉によれば、「彼がよい評判(cleos esthlos)をあげる」ためである(()p.31)。日本で政治家が米国や中国に赴いてハクをつけようとするようなものである。

しかしここに父オデュッセウスが帰国する。彼が復権すれば、テレマコスが慌てて帝王の権威を身につける必要はなくなるから、筋書きがまた変る。オデュッセウスは、国政を放り出して戦争に赴いた責任も、率いて行った青年たちをすべて死なせた責任も自覚せず、求婚者団を単なる財産食い潰し犯人と見て、全員殺害する。アンティノオスの父エイペイテスは、オデュッセウスは「あまたの優れた男たちを船に載せて率いて行ったが」「部下たちも死なせてしまった」「また帰国してくれば、ケパレネス人の間でも、特に高貴な家柄の者たちを殺したではないか」と彼を糾弾する(()p.318)。オデュッセウス自身もテレマコスに対し「国許で一人でも人間を殺害した者は、・・・親族や故国を後にして亡命するものだ。ところでわれらは、国の柱ともいうべきイタケの若者の中でも、格段に身分高き者を殺したのだ」と自分の立場の悪さを認めている(()p.285)

既に漂流中に立ち寄ったハデス(冥土)において、予言者テイレシアスは、帰国後の彼の運命を、求婚者たちを斃した後、「手頃の櫂を手に持って、海を知らず、塩を混ぜた食物を食うこともせぬ人間たちの住む国に達するまで、旅を続けねばならぬ」と予言している(()p.282)。ゼウスが「オデュッセウスは末永く王位にあって民を統べるべく、他方、我が子、我が兄弟を討たれた者どもには、その恨みを忘れるように、われらがはからってやろう」と宣言して、めでたしめでたしに終るのは、典型的なDeus ex machinaで、原型となった実話ではないであろう。                        (Jan.8, 2009)