ポズナー『法と文学』(Richard A. Posner, Law and Literature)
一世代余り以前から、「法と経済学」という学際的研究領域の樹立が唱えられ、現在ある程度の実績が示されている。ポズナーにも『法の経済分析』などの著書があり、著者ポズナーも、この試みの法学側の代表者の一人である。その彼が、「法と文学」という領域の開拓にも乗り出して、一九八八年初版の本書は一九〇九年には三版を重ねている。他の著者による関連の著書も多く刊行されて、この主題は、米国諸大学の講義題目としてもしばしば取り上げられている。
しかし、両者には色々相違もある。前者の主役はどちらかといえば経済学者で、法的諸制度の経済的機能、司法の経済的非能率などに議論が集中しているのに対し、後者においては、文学は芸術的創作活動であって学問ではなく、小説家が法制度について学問的に論ずるというようなことは殆ど考えられない。基本的には読書好きな法律家が、法や法思想に関連する文芸作品について、専門を背景として論評・解説する、というものが大部分であるといえよう。講義としては、法律家と文学研究者のジョイント・セミナーという形態が、広く行なわれているようである。要するに文芸評論の一領域というのが、その基本性格である。
法的・法思想的主題に関わる文芸作品は古来多い。復讐・犯罪・紛争などは人間界の重大事件であり、当然文学の主題となる。ギリシャ悲劇の多くの作品は復讐も主題とし、シェークスピアの『ヴェニスの商人』『尺には尺を』などは、イェーリング、コーラー、ラートブルフなどドイツ法学者たちの議論の対象にもなってきた。特に米国では法廷を舞台とし、司法官や弁護士を主人公とする小説も少なくない。
本書の、欧米文学の専門家でない日本の読者への貢献は、数多くの関連作品に言及し、解説・論評を加えていることで、これをインデックスとして用い、興味を感じた作品の原典・翻訳を読んで、著者の論評を読み直す、というような読み方がある。じっさい、原典を読んでいないと理解困難な箇所も多く、翻訳もこなれがいいとは言い難い部分もあり、この七〇〇頁近い大著を、おしまいまできちんと精読するのは、常人には至難のわざといえよう。
前述したように、著者は「法と経済学」の領域の開拓者でもあり、「ゲームの理論」による法制度の再解釈という主題に関心をもっている。「復讐の社会的コスト」という主題もその一環である。復讐への恐れは、潜在的加害者が実行に出ることをある程度抑止するが、加害・被害の評価が主観的であるため、復讐が復讐を呼ぶ危険がある。オレステス物語において、復讐の連鎖を断ち切ったのは、結局アテナ女神の主宰する国家司法であった。当事者にとっても、負ければ元も子もないから、復讐は危険を伴う行為である。
「規則は規則だ」として、他の諸価値を考慮の外に置く「リーガリズム」は、当面の実定的秩序を守るが、超法的正義観念など多様な法外的価値から復讐を受ける危険がある。ピラトはイエスを救いたいと感じたが、リーガリズムと、植民地施政官としての政策的考慮から、サンヘドリン(ユダヤ議会)に決定を委ねた。クレオンのリーガリズムは、アンチゴネーと息子ハイモンの心中によって強烈な復讐を受ける。シャイロックはリーガリズムを通じてアントニオに復讐しようとし、「慈悲」の要請を拒否するが、ポーシャの契約解釈リーガリズムによってしっぺ返しを受ける。アンジェロのリーガリズムは、彼のイサベラへの恋によって崩壊するが、公爵は「尺には尺へ」というリーガリズムによって彼を一旦懲らしめておいてから、「慈悲」を示す。
本書において、「法と文学」という主題から見ると周辺的に見えるが、注目すべきなのは、つかみどころのない茫漠たる現代社会・現代人についての著者の認識である。カフカ『審判』の主人公は、突然逮捕され、勝手がのみ込めないままに制度の蜘蛛の巣に翻弄され、意味不明のままに処刑されてしまう。カミュ『異邦人』の主人公は、憎悪もなく目的意識もないままに殺人を犯す。
著者は、このようなことを、現代人・現代社会の特色というよりも、この世における人間一般の在り方だと考えている気配もある。サタンは神に反抗することの意味をよく理解していなかったため、神に反逆した。蛇は眠っている間にサタンに体に入りこまれて、イヴを騙す。イヴはうぶで無知なため、蛇を疑わず、林檎を食う。アダムも、イヴへの溺愛の故に、一緒に禁断の実を口にする。誰もかれもが、受動的に、何となく「失楽園」に導かれた、と。これがポズナーのミルトン解釈であるらしい。
連邦高裁判事という米国司法の高官が、このような人生観の持ち主であるとは、興味深いことである。二世紀前革命によって新国家を創造した米国社会・米国人は、今やこのような社会・人間になったのか。これは「投機筋」の賭博的投機に翻弄されて、経済危機に受動的にうろうろするのみの現代米国人を見ながらの感想である。