山本祐司『最高裁物語』
「横田喜三郎の転向」は昭和法思想史における一つの事件である。戦前満州事変を日本の侵略と断じ、終戦直後は東京裁判を礼讃し、天皇の退位のみならず、天皇制そのものも問題にした横田が、やがて田中耕太郎を継いだ最高裁長官として、完全な体制派となった。これは「左翼の保守転向」と区別された「リベラル派の保守転向」の一典型ではないか。
ところが本書の著者によると、そういう観方は表面的である。横田は生涯一貫したアングロサクソン支持のリベラルであり、6年近い彼の在任期間中に、自己の後任を含めた13人の最高裁裁判官人事において、「遠大な人事構想」をもって最高裁をリベラル化した。こうして彼の退職後に、横田正俊に率いられた最高裁は、公務員・公共企業体職員の労働基本権に関する判例変更を実現する。著者が「某大事件」とよぶ東京中郵判決がそれである。それ以後最高裁は、公労法・公企法の争議制限条項を、「条文通りに解釈すれば違憲であるが、制限的に解釈することによって合憲と認める」という仕方で、争議行為を容認する判決を積み重ねた。
横田(正)長官の任期切れ近く、次期長官候補が田中二郎元東大教授であることが、佐藤栄作首相を含めて常識となっていた時期、元司法相木村篤太郎が首相を訪れ、田中でなく、占領下で木村の「右腕」として働いた石田和外を指名するよう入説する。この「クーデター的行動」から、最高裁は逆流を開始し、リベラル派判事の後任に次々に保守派が任命され、公共企業体の争議行為に関する判例が、激論の末逆転、失意の田中(二)判事は任期三年を残して職を去る。こうして「公安・労働事件には厳しく、政治色のない事件には人権重視」という最高裁の性格が定着し、刑法200条の尊属殺の違憲、再審無罪判決の続出など、「最高裁のもう一つの顔」もそれなりに発展する。
――本書は、司法記者による最高裁史である。最後の大審院長細野長良追い落としの陰謀事件から始まるその記述は、冷戦を背景とした激しい政治闘争史の反映であり、司法を通じて見た戦後史ということができる。冷戦が終り、「55年体制」が終りつつある現在、最高裁も「一時代の終り」を体験しつつある。現代の政界の混乱から何が生まれるか、なお星雲状態であるように、判事の任命が保守党の独占から解放される可能性をもつ今後の最高裁の在り方も星雲状態といえよう。本書は新時代を前にした「ミネルヴァの梟」かも知れない。(『法学セミナー』1994年10月号)